17
落ち始めている陽の光だけがうっすらと、誰もいない室内を照らす。
ドアを閉め、憲次と三雲は中へと進んでいく。
通路をまっすぐ進み、リビングへ入っていく。
掃き出し窓からは庭が見え、干された洗濯物が風で揺れている。
窓の横には大画面のテレビと観葉植物、中心に置かれた脚の高いテーブルには手紙が何通か置かれている。
憲次が近づき、手袋をはめて手に取った。
三雲の視線がテーブルに向いたのに気づき、憲次が手紙を見せる。
名前からして両親が送ったものらしく、海外から送られたものであった。
室内の広さを感じる、物の少なさである。
リビングとキッチンは壁もなく、三雲はそのまま移動し冷蔵庫の前に立つ。
「開けるか? 気をつけろよ、何があるか分かんねぇぞ」
憲次が背に声を掛ける。
「爆発物などがないかは確認済みです。まあ、他の物まではスキャンできませんから……」
一呼吸置いてから、意を決して開く。
中には飲料水の他にパックの肉と加工食品が数点入っているだけであった。
野菜室にも変わったものは無い。
「少なくとも、掃除はしなくて良さそうだな」
近づいてきた憲次が中を確認し、安堵の息を吐く。
「ええ、食べ残しが無くて幸いです」
憲次は通路の方へ戻り、二階へ上る階段へ向かおうとするが、その途中で、違和感を覚え立ち止まる。
正面の『風呂場』『トイレ』とボードが掛けられた扉の前に行き、憲次が何かを確認する。
「三雲、来てくれ」
呼ばれ、三雲も通路へ出てくる。
憲次は自身の足元を指さし、手招きする。
言われるがまま歩いてきた三雲が、異変に気付く。
階段下には物置らしきスペースがあり、二人は扉の前に立っている。
その扉の前だけ、異様に冷たいのだ。
「……この物置」
「間違いない。このクソ寒い中冷房が入ってやがるぞ」
足元には扉の内から漏れる冷たい風が流れている。
「当たり、ですかね」
三雲がそう言うと、憲次はしっかりと力を込めて扉を開いた。
まず初めに、二人を冷気が襲った。予想通り奥ではクーラーが作動している。
部屋に入ってすぐの場所にイーゼルが置かれ、画板には描きかけのラフがセットされている。
白いドレスを纏った、ショートヘアの女性が描かれている。
ドレスの端には幾重にも描かれており、これが蜘蛛の糸で作られた物を想定している事は即座に理解出来た。
部屋の中心には、一般家庭には似つかわしくない業務用の冷蔵庫が鎮座している。
冷めた機械音が、寒々しさを強調している気がした。
「掃除、必要ですかね」
「開けてみないと、分からねえよ」
憲次は冷蔵庫の扉を、ゆっくりと開いた。
中身を見た二人は、一瞬だけ動揺した表情を浮かべたが、すぐさま気を取り直し互いを見合った。
「ここが犯人の家で間違いねぇな、お前近くに仲間待たせてるんだろ」
「車の準備と数人だけ。すぐに応援を呼びます」
「頼む」
電話をする為部屋を出る三雲の背を見送って、憲次は冷蔵庫の中に向きなおす。
そこには、まだ綺麗なままの女性の遺体が、体育座りで眠るかの様に座っていた。
先日失踪した、水島秋乃その人であった。
空は暗くなり、淡い街灯の明かりが地面を照らしている。
新条駅から移動し、絵里は少し離れた場所にある並木道を歩いていた。
本土から輸送された木々は夜の闇の中で、深緑の葉を揺らしている。
しばらく歩いていると、ズボンのポケットに収まっていたスマートフォンが震え始める。
手に取り、画面の表記を見て通話ボタンを押す。
『絵里か!? 大丈夫か!?』
絵里が口を開く前に、憲次が叫びだす。
「えっ、何?」
『いいか、寄り道せずにまっすぐ家に帰れ! 今日は特にだ!』
「急に何……? 家にいるの?」
絵里が言い切った直後、後方で大きな物音がし、振り向く。
絵里に電話をする数分前の出来事であった。
憲次は物置を出て、二階への階段に移動していた。
三雲がリビングで応援要請をしている間に、上へと進む。
三つほど部屋が並んでおり、上がってすぐの二つは寝室と犯人の部屋であった。
犯人の部屋はベッドと本棚、学習机にパソコンのみと物は少なく、手掛かりになりそうなものは見当たらない。
試しにパソコンを起動するも、ロックが掛かっている。
憲次は諦め、最後の部屋へ向かった。
三番目の部屋の扉を開けると、真っ赤な室内が目に入る。
一瞬うろたえたものの、赤い原因は血ではなくライトによるものだとすぐに気づいた。
「……暗室、か?」
室内は遮光カーテンで光は遮られており、端に置かれた机には現像液の入ったケースやフィルムが見える。
壁に吊るされた紐に付いたクリップの先には、数々の写真が並ぶ。
壁にも並んでいる写真を見てみると、被害者の姿が捉えられていた。
最初の犠牲者、間宮秀美に水島秋乃の日常風景がそこには並べられている。
談笑する姿や街を歩いている所を盗撮したらしいのが大半で、犯人はターゲットを選んでは観察をしていたらしい。
嫌悪感をあらわにしつつ、憲次はクリップに吊るされた写真に視線をやる。
写真は、次の犠牲者になるであろう女性の日常が捉えられている。
白黒の写真に、印象的な白い肌が際立って写っているその少女は、憲次が最もよく知る人物であった。
吊るされている写真は、すべて絵里を撮影したものだった。
「ああ。すぐに頼む……待て、今動いてるのか? 分かった。こちらには鑑識と解析班を寄こしてくれ、俺もそちらに合流する」
通話を終えると同時に、憲次が勢いよく階段を下りてくる。
三雲が通話の内容を伝える前に、肩を力強く掴まれた。
「車! 近くに待たせてるんだよな!?」
「ええ。憲次さん、奴らが動き始めました。俺も今から――」
「頼む! 車を貸してくれ! 今すぐ動かないとまずいんだ!」
三雲の言葉を遮り、憲次が捲し立てるように叫ぶ。
「話が見えてきません! 何があったんですか!」
三雲の眼前に、写真が突き出される。
成長はしているも、三雲はその人物が絵里だとすぐに気づいた。
「次の狙いは絵里なんだ、今すぐ行かないと」
動揺する二人の後方から扉を開けて、スーツの男が入って来る。
三雲の部下であった。
「車、準備できました」
その言葉が発せられる前から、憲次は走り出していた。
「憲次さん、待って!」
前にいた二人を押しのけ、三雲は玄関を出て車の運転席へ乗り込む。
憲次も遅れて乗り込み、三雲の肩を再び掴む。
「家だ! 家に向かってくれ! どうせお前俺を調べてるから知ってんだろ!?」
「落ち着いて! 奴らの動きはここでも分かります」
三雲がカーナビを指さす。二つの赤いマーカーが動いている。
「何だ、これは」
「奴らは変化する際、特殊なエネルギーを発しています。それを追ってるのがこちらで……微弱なのでまだ動き出していないみたいですね」
一つのマーカーはほぼ動かず、もう一つは後方を歩いているのかゆっくりと動いている。
「合流、するのか」
「そのようです。場所は……」
三雲がパネルを操作し、少し引いて場所を確認する。
新条駅すぐの、並木道である。
その画面を見た瞬間、三雲は犯人の家の鍵を部下へ放り投げ車を発進させていた。
憲次はすぐさま、絵里へ連絡を始めた。
男は太い木の枝に乗り、こちらに背を向け歩く絵里を眺めていた。
瞳はすでに赤く、獲物をしっかり捉えている。
男の信条は、美しき死を描く事にあった。
以前から死を描くことに興味があったが、直接手を下す事が出来なかった。
自らの目指す美を、完全に再現出来ないと考えていたのだ。
が、現状は違った。その為の力を手に入れたのである。
胸を糸で一突き。ほとんど損傷の無い、男の考えた美しい死が目の前に現れるのだ。
目の前の獲物が数秒後には自分の作品の一部になる。興奮を抑えきれずに熱くなってきた体が、一瞬で冷たくなる。
研ぎ澄まされた神経が、脅威を察知したのだ。
「ああ、気づいちゃいましたか」
既に背後を取っていた多々良が、首に腕を回す。
「貴様……!」
工藤が驚く間もなく、多々良の跳躍により枝を強くしならせその場を離れていく。
絵里の視線の先を猫が走っていく。
見上げれば木々が揺れ、葉が擦れる音がその場に響いている。
「……猫だったみたい」
絵里は前を向き直し、再び歩き始める。
並木道から、マーカーは大きく離れていく。
マーカーの色が赤から青に変わっている。
「変化し始めている……!」
三雲が焦りを含んだ声で呟く中、憲次が脱力し始める。
「猫……か、そうか。いや、色々あってな……すぐ帰るよ」
通話を終了し、うなだれる憲次の姿を見て、三雲は車を路肩に止めた。
「……憲次さん、俺は奴らを追います。けど、貴方を連れていく事は出来ません」
「ああ……そうだな」
普段なら悪態をつくところが、何も言わずドアを開け降りていく。
「……すまん」
憔悴しきった姿を一瞥し、三雲はドアを閉め車を発進させた。
ビルの屋上を飛び回り、多々良は工藤の抵抗を受けながらも移動していた。
武田によって得たルートは、休日のビル群も多く素早く駆け抜けるには最適であった。
多々良は工藤を掴み、海岸沿いへと向かっていく。
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