13
「待ち合わせですか?」
缶を中心に挟み、多々良が絵里と同じベンチに座る。
黒いシャツの上に、コートを羽織っている。
相変わらずサイズが合っていないのか、袖が余っている。
「……いつもそうやって、女の子に声掛けてるの?」
鋭い目つきを更に鋭くして、絵里が背を丸め頬杖をついて多々良を見つめる。
多々良は困った風に笑いながら、その視線を受けとめていた。
「してませんよ。そんな風に見えます?」
「見えない」
「即答しないで下さいよ……」
肩を落とす多々良を横目に、体勢を戻し缶を手に取る。
「それで、待ち合わせなんですか?」
ん、と紅茶を口に含みながら絵里が答えた。
「香苗とね。工藤君の個展に行くから」
多々良の笑みが引きつるも、直ぐに元に戻る。
「個展ですか。五十嵐の生徒とはいえ、個展まで開いてるのは初めて聞きました」
「私も。これが作品の一つだって」
絵里が鞄からポストカードを取り出し、手渡す。
多々良がカードの絵を眺めながら、唸り始める。
「なんというか……あの人が描いたとは思えない派手さですね……」
「そうかな? 綺麗だと思うけど」
「何にしても、僕には描けないですよ。凄いですね」
そう言いながら、多々良は裏面を見つめる。
「うん。私もそう思う」
「それにしても、井出先輩が絵画って意外ですね。イメージと違いました」
多々良がポストカードを手渡しつつ、話を続ける。
「いや、そのイメージ通り。香苗は冷やかしに行くだけだから」
絵里の答えを聞いて、多々良は安心した様に少し声を出して笑う。
「良かった、その方がらしくていいですね」
多々良は言い切るかどうかの所で、後ろから頭を掴まれる。
絵里は振り返るまでも無く、それが井出の手だと気づいた。
「何かめちゃくちゃ失礼な話してない? 君達」
二人の間に顔を挟みつつ、がっちりホールドした多々良の頭を揺らす。
「おはよう」
後輩の惨状に動じる事無く、絵里は挨拶を済ます。
「おはよー。ってか何でメガネ君ここにいんの?」
頭から手を離し、缶を絵里に渡して中央に腰掛ける。
「何でって、映画を観に来たんですよ」
劇場のあるショッピングモールの最上階を指差す。
「へぇー、誰かと一緒に?」
「いえ、一人ですけど」
「えっ」
驚きの表情を隠さずに、井出がおおげさに口を押さえる。
「何ですかその顔、別に普通ですよ」
「いや、うら若き高校生が休みに一人って……と」
「そ、それだって普通じゃないですか」
思う所はあったのか、多々良が弱弱しく反論する。
その姿が面白かったのか、井出が笑いつつ肩を叩く。
「いやー、想像以上に良い反応するわメガネ君」
「それを喜ばれても複雑ですよ」
乾いた笑い声を小さく上げ、ベンチから立つ。
「行くの?」
「ええ。まだチケット発券してないんで」
「よっし、じゃああたしらも行くかぁ」
伸びをし、立ち上がる井出に続き絵里も立つ。
「それじゃあ、またね」
「ええ、お二人も楽しんできて下さい」
絵里と井出に一礼し、多々良はモールの方へ進んでいく。
その顔に笑顔は無く、すぐさま何者かと通話を始める。
『FEVERの店員がヤクについて話した』
憲次は遠藤の掴んでいる情報を確認する為、再び本庁へ足を運んだ。
以前は憲次の立っていた、ヘリポートで遠藤が待っている。
「遠藤!」
声に反応し、遠藤が振り向いて軽く手を挙げる。
「どこまで喋った」
「新種のヤクについて存在を認めた。店のオーナーが卸してきて和田に売らせたらしい」
従業員達はオーナーと共に商品を確認し、見た事の無い器具と薬に困惑したとの証言をぽつぽつと呟くように語った。
現在、思い出しながらスケッチをさせ更なる情報を探っていると、遠藤が続ける。
「そのオーナーってのから情報が欲しいな。そいつも下にいるのか?」
「いるぞ。ただ、今日東京湾から引き揚げたばかりの状態でだが」
『FEVER』のオーナーが発見されたのは、今朝であった。
散歩中の女性が湾岸に浮かぶ死体を発見、通報した。引き揚げた所、損傷も少なくすぐに身元が判明し遠藤の元に情報が入って来たらしい。
「口封じにしても早すぎる。厄介な事件に巻き込まれたな」
唸りつつ遠藤が視線を空に投げる。
「和田の友人は? 奴ら口が軽いんだからしょっぴいて吐かせられるだろ」
「今回の件と関連するものは何も。『FEVER』の連中がガキにもヤクを売るクズだって事くらいだな」
「ガキにも?」
「ああ。金持ちのガキに薬を売って稼いでる下っ端も多かったらしい。和田もその一人だ」
憲次の持つ情報の信ぴょう性が、不意に高まった。
「……なるほどね」
「何だ、お前何か握ってんのか?」
「少しはな。それより、三雲とは会ったか?」
「いや? 今は公安なんだろ」
「多分、奴か奴の部下が近々お前の所に来ると思う。揉めても無駄だから大人しくそこそこの情報渡して帰って貰え」
「おいおい、それは聞き捨てならねぇな。横取りしに来るって事だろ」
遠藤の表情が険しくなる。
「まあ待てよ。その分俺が代わりに動く、悪い様にはしないって」
憲次は遠藤の肩を叩き、諭す。
「……三雲はお前が島流しにあってからすぐ消えた。お前、何か聞いてるのか」
憲次と組んでいた時期を知る者として、遠藤は気にかけているらしい。
その気持ちを察して、憲次は遠藤に笑いかけた。
「さっぱりだ。とりあえず、クソ生意気でムカつく野郎になってるから気を付けろよ。殴りたくなるから」
それだけ告げ、憲次がヘリポートを離れていく。
遠藤はその背を見送ってから、大事なことを言い忘れた事に気づく。
「……あいつ、情報持ってんなら共有してくれよ」
白い壁と木製の家具で統一された店内は淡い黄色の照明に照らされている。
穏やかな雰囲気の中、工藤は壁に自分の作品を壁に掛けていた。
決して広くは無い室内だが、店奥は少しだけ拡張しており、壁は大きな作品も何点か並べる事が出来た。
「……よし」
ずらりと並ぶ作品を眺め、満足げに頷く。
「うん、いい絵だねぇ」
齢四十程の、大柄な男が店のドアを開ける。
「おはようございます」
「ちょっとウチには派手だけどね」
店主はカウンターに紙袋を乗せながら笑う。
紙袋からコーヒー豆の瓶を取り出し、年季の入ったコーヒーミルの横に置く。
店の家具や器具はどれも古くから店主が使用していたものらしく、その独特の雰囲気を工藤は気に入っていた。
「すみません、無茶言ってここで個展なんて」
工藤が個展を開く場所を探していた際、バイト先であるこの場所での開催をダメ元で提案した結果、快く店主は引き受けた。
並ぶ作品を、二人で眺める。
風景画や人物画、それぞれ様々な色を使って表現されている。
「いやいや、工藤君は良く働いてくれてるし僕個人としても絵が好きだからねぇ」
「ありがとうございます」
工藤はカウンターに向かい、エプロンを着け始める。
「そういえば、今日は友達も来るんだっけ?」
「ええ、今頃向かってる途中ですかね」
コンビニのイートインスペースのカウンターテーブルで、絵里と井出は横並びに座り外を行く人を眺めていた。
「朝から、重くない?」
チキンを挟んだパンにかぶりつく井出を見つめながら、絵里が呟く。
井出が口に含んだまま話そうとし始めたので、手で遮り口を噤ませた。
「別に普通じゃない?」
しっかり咀嚼を済ませ、飲み込んだ井出が答える。
首を傾げる絵里に『あっ』と言って、更に補足を続ける。
「あれじゃない? あたしは運動するからこれくらいじゃないと足りないって感じ」
「……まあ、そうかも。成果は出てるし」
少し悔し気に井出を見上げながら、チョコバーに歯を立てる。
「絵里もこれくらい食べないと大きくなれないぞー」
「私はバレーやる訳じゃないから。いい」
「えー。楽しいのに」
不満げに呟いて、再びパンにかぶりつく。
「でも、そういうの羨ましいかも」
「ん? めっちゃ食べれる所?」
そうじゃない、と首を横に振る。
「その、バレーとか……工藤君だと絵とか。そういう目指すものがあるのっていいなと思って」
絵里の言葉を聞き、体を寄せる。
「おっ、今からでも遅くないよ。バレーやろうバレー!」
目を輝かせて井出が顔を近づける。
絵里は相変わらず無表情で、井出の口元にパンのかけらが付いてることを自分の頬を指さして知らせた。
「そういう事じゃないんだけどね」
「なんだよー」
口元からかけらを取り、口に運ぶ。
「それ、食べ終わったら行こっか」
絵里が残り半分ほどの井出の手にあるパンを指さす。
「え、まだもうちょいダラダラするつもりなんだけど!」
驚いた井出が手元に置いた袋から数点のお菓子を取り出す。
「いや、この後カフェ行くのにまだ食べるの?」
「うん、それとこれとは別だし!」
「何が別か分かんないけど……ま、もう少しダラダラしよっか」
絵里は呆れ気味に、チョコバーの残りを口に放り込む。
『ダラダラ生き続けるよりも、即死する方が良い事もある……小さなプレゼントをあげよう……』
スクリーンに映る小太りの男が、主人公に銃を向けながら囁いている。
主人公の男は周囲を銃を手にした男らに囲まれ、逃げ出すことが出来ない。
映画館の中で繰り広げられる緊張感あふれる場面を、多々良は椅子に姿勢正しく座り、眺めている。
リバイバル上映なのもあり、客はまばらだ。
真ん中の列には多々良と武田だけが座っている。
スクリーンの主人公が仲間の手助けを得て危機を乗り切って逃げる。
そのタイミングで、武田が多々良の膝に何かを落とす。
多々良が全く視線を落とすことなく、手に取る。
手渡された物はDVDケースで、腹から血を流す女性の劇中映像がインパクトのあるジャケットを飾っている。
多々良は手元に置いたまま、映画を見続ける。
スクリーンでは、先ほどの小太りの男が軽快に踊り始めた。
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