7
「付き合えって言うから、てっきり酒でも飲むのかと」
三雲の言葉に、ポテトフライを乱暴に何本も掴んでは口に入れていた憲次が手を止める。
二人はファストフード店の片隅に陣取り、互いに向き合う形で座っている。
明るい照明が黄色く塗られた壁を更に鮮やかに見せ、何とも派手な空間を演出している。
学校終わりの学生、談笑している大学生くらいの青年達――若者の集う店の中で、端とはいえ明らかに二人は浮いた存在であった。
「まだ勤務中だろ。飲まねぇよ」
言い終わると、憲次はハンバーガーを勢いよく頬張り始めた。
三雲は呆れた表情をしているが、そこに先程までの棘は無い。
「おい、これ結構いけるぞ!」
目を輝かせ、更に口へ運ぶ。
「いい心がけだと思いますけど、非番の日にそれだけ酒飲んでるなら元も子もないし、何より絵里ちゃんに嫌がられますよ」
三雲が肩頬だけ少し上げて笑う。
「うるせぇ」
引きつった笑いだが、彼自身の精一杯なのは手に取る様に分かった。
堅い性格も癖も自分の知る三雲のままだと、憲次は少し安堵した。
「それで、絵里ちゃんは元気ですか?」
コーヒーを一口飲み、三雲が切り出す。
「元気……ではいるらしい」
「何ですか歯切れが悪い」
憲次はうーん、と唸ってから話し始めた。
「最近まともに会えてないんだよ。連絡は取ってるんだが」
「相変わらず家に帰ってないんですか?」
呆れの籠った言葉を投げる。
三雲も、憲次が全く変わっていない事を改めて確認した気がしていた。
「あ、お前言わなくていいぞ。何思ってるか分かるから」
「はいはい。ひどい父親ですね」
三雲はあえて口にして、憲次に突き立てた。
「そうなんだよなぁ……幸いしっかりしてるから一人で何でも出来るんだが、それにしても流石に色々あったしなぁ……大丈夫かなあ」
唸りながら不安を露わにし始め、余りにもその姿が滑稽でふと吹き出してしまう。
「そういうとこも相変わらずっすね。まあ年頃ですから、ちゃんと向き合ってあげるべきですよ」
「お前に諭されんでも分かってるよ。現状、分かってるだけだけど」
はあ、とため息を吐いた後に数口でハンバーガーを食べ終える。
三雲は周囲を見渡し、学生らに目を向ける。
「しかし、あの絵里ちゃんが高校生ですか。時が経つのは本当に早いですね」
「そう思うよ。無駄に年だけ食ってロクに体も動かねぇ」
「まだ四五でしょ、しっかりして下さいよ」
「うるせぇ、すぐに分かるようにならぁ」
乱暴にコーラを飲み干した後、ハッとして三雲を見て口を開く。
「そういや、お前結婚は? えっと――」
「麗奈ですか。溝呂木麗奈」
名前を聞き、憲次は思い出したと同時に膝を打った。
「そうそう! あの美人の。どうなんだよ」
「死にました」
「は?」
予想外の返答であった。
三雲は今朝のように冷たい表情になり、どこか遠くに視線を向けている。
「殺されたんですよ。今朝の事件みたいに、異様な形でね」
憲次は驚きを露わにしたものの、すぐに立て直して無言を貫いた。
三雲は視線を憲次に戻し、少し間を空けて口を開いた。
「憲次さん、あなたには家族がいます。だからもう――」
三雲が言い終わるのを待たず、憲次は席を立ち代金を机に置く。
「久々に話せて良かったよ。またな」
一言残し、ゴミを片付け去っていく。
三雲はその背中を、ただ眺めるしかなかった。
昼間と打って変わって、歓楽街は人に溢れていた。
派手な電飾の下には客引きが誰彼問わず声を掛け、どこからか酔っぱらい同士の口論が聞こえてくる。
憲次はそれらを上手く避けて、耳元にスマートフォンを当てる。
コール音が数回鳴った後、電話の相手が出た。
『はい』
絵里の開幕一言目は、少々棘を含んだ声色であった。
「おお、俺だ。悪いんだけど今日は――」
『今日も、でしょ?』
鋭い指摘に、思わず「うっ」と声を上げる。
「おっしゃる通りだ、悪い」
『もう慣れた。今朝の、事件が原因?』
絵里自身に自覚があるかは分からないが、事件のことを口にする際に言葉に詰まる。
どんな事件の際も、必ずであった。
その瞬間、憲次は自身の立場と影響を改めて自覚させられる。
「お前が心配するまでもない、すぐ終わるから大丈夫だ」
『そんな言い方……』
下手な気の遣い方が、絵里の神経を逆撫でした。
「いや、本当大丈夫だから」
『大丈夫じゃないでしょ、また危ない事件なんでしょ? もうネットで話題になってる』
幸い、変死体発見以上の全貌はまだ知られていない。
発見者が老人で、かつネットに勢いよく書き込んでしまうような人間じゃない事は功を奏していた。
「分かってるよ。でも、俺は大丈夫だから。今までだって何事も無く帰ったろ?」
「そういう事じゃ…!」
珍しく、絵里が感情を露わにして声を上げる。
しかし次の言葉は無い。互いに、しばらく無言が続く。
『お? 誰と電話してんの?』
不意に、二人の空気を割って井出の声が入って来る。
『えっ? お父さんだけど』
絵里も不意打ちを食らったのか、今までの深刻なトーンとは違う声色で答えた。
『おっ! マジ!? おじさーん! 久しぶりー!』
離れた所から声を掛けているらしいが、元々の声量があるからかかなり耳に響く。
「香苗ちゃんか? 相変わらず元気だな」
『ちょっ……うるさい……何?』
絵里が背に雪崩掛かってきているらしい井出を引き剥がしながら反応する。
憲次はその声を聴きながら、自身の目的地にたどり着いた事に気づく。
『FEVER』の前に立ち止まる。
「香苗ちゃんによろしくな。もう暗いから、気を付けて帰れよ」
返事を待たずに通話を切り、ドアを開ける。
中へ向ける視線は、既に鋭い。
絵里の苦虫を噛み潰したような表情を見て、井出が頬をつまむ。
「今すごい可愛くない顔してる」
鋭い視線だけを井出に向け、不満を露わにしている。
「元気だってさ」
「怖い怖い、その目やめて」
頬から手を離し、井出は分かりやすく唸っている。
「おじさんいないなら、ウチでご飯食べる?」
絵里に顔を近づけ、人差し指を立てて提案をしている。
「それが理由だと、毎日ご馳走になりますって言わなきゃなんないんだけど」
相変わらずの冷めた対応に、井出が満面の笑みを見せる。
「それはそれでアリじゃん?」
「アリじゃない。そんなに迷惑かけられない」
「そんな事思わないってー」
「……とはいえ、今日はお世話になる」
「いいよー」
二人の前に、甲高いブレーキ音を鳴らしながら電車が姿を見せる。
低い、腹に響く低音が扉をくぐった瞬間から憲次を襲った。
ブルーの薄暗いライトで照らされている細い通路を抜けてすぐ、カウンターが目に入る。
店内は『FEVER』の名に相応しい盛り上がり様であった。
フロアは多くの客が騒ぎ、DJブースでは音楽が繋がれ、VJは後方のスクリーンに極彩色の世界を繰り広げている。
何てことの無いクラブに見えるが、本質はフロアとは離れた場所にあった。
フロアの端に設置された階段で、中二階のブースへ移動すると見えて来る。
許可を得た人間だけが入場できるそこには、ポーカーやバカラのテーブルにルーレットが設置され、客達は囲む様にしてそれぞれのゲームに興じている。
違法カジノという実態を手っ取り早く調べさせるのも含めて、遠藤が自分をここに向かう事をすんなり許したことに気づき、『捜査は持ちつ持たれつ』と言う言葉を噛みしめた。
カードを前に立つゴツゴツとした岩に似た黒いスーツの二人組に会員カードを見せ、入室する。
『捜査に必要なものがある、協力者と合流して受け取ってくれ』と、三雲と別れた数分後に遠藤からの連絡を受けた。
駅のホームで合流した男は、どこをどう見ても普通のサラリーマンという印象の男であった。
大方手痛い出費をさせられて、自らが違法行為に手を染めているという事を隠すより告発を優先したのであろう。
憲次は少々呆れながらも、カードを受け取った。
ずさんなのか、よくある事なのか――カードの持ち主以外の使用は問題ないらしい。
すんなり入れた憲次は、内部をしばらく観察する。
テーブルに積まれたコインが、ディーラーへと次々に向けられていく。
そのほとんどが、客に戻っている気配はない。
「もう、よろしいのですか?」
フロアへ向かおうと出口へ進む憲次に、ディーラーが声を掛ける。
一度もゲームをせずに戻るのは不自然だったか、と思いつつ返事を返す。
「今日は下で散財するんだ、また今度」
フロアに戻り、入り口側に設置されたカウンターへ足を運ぶ。
規模の大きい店なのもあってか、カウンター内に飾られた酒は相当の種類がある。
仕事中じゃなけりゃ、魅力的だったなと憲次は心の中で呟いた。
「何にします?」
座って眺めていると、バーテンの男が話しかけて来た。
バーテンと言えば聞こえはいいが、上のスーツらと同様にどう見てもカタギの人間では無い。
「そうだな……レッド・アイかな。お代は和田持ちで」
憲次がそう伝えると、バーテンの表情が強張った。
「なるほど。和田はいつもトイレが長くて……いるとしたらそこです」
バーテンはトマトジュースとビールを一つのグラスに注ぎ、軽く混ぜて差し出す。
『本物』のレッド・アイが、憲次の前に現れた。
「とりあえず、一杯どうぞ」
「……ありがとう」
『客』だと認識された証拠なのだろうと、憲次は躊躇うことなく口に運んだ。
レッド・アイを飲み干し、時間より少し前にトイレへと向かう。
派手な装飾と薄暗い照明は、いかにもといった雰囲気を醸し出している。
個室は三つあり、真ん中だけが扉が閉まっている。
中からは衣擦れと水っぽい音が響いている。
憲次は何が起きているか察して、呆れつつドアを蹴った。
音が鳴りやみ、フロアからうっすらと聞こえる低音だけが室内に響いている。
「おい、レッドアイ奢ってくれんじゃねーのか」
「……人違いだ。さっさと失せろ」
明らかに苛立った声色の返事が返ってきたが、憲次は怯まない。
「何だ、客待たせて女にしゃぶらせてる野郎がデカい口叩いてんじゃねーよ」
ドアを一蹴りしてやると、中からズボンを上げる音が聞こえてくる。
憲次はドアから少し離れて、開くのを待った。
ドアは予想よりも勢いよく開けられ、中から乗り出す形でしてスキンヘッドの男が睨みを効かせながら現れる。
憲次は怯むどころか、乗り出して来た男に前腕を押し付けてドアに叩きつける。
かち上げる形で男を捕らえ、力強く睨む。
その光景に、小さく悲鳴を挙げて奥から現れた女がウェーブの掛かった汚い金髪の髪を揺らしながら逃げていく。
「悪いな、邪魔して」
女を一瞥した後、すぐに男へ笑みを見せる。
「何なんだよ!」
こちらも悲鳴に近い声を上げ、憲次に抗議する。
「和田が来てない。何か知らないか」
「知らねぇ! あいつとは関わりが無い!」
「奴が新種のヤク持ってるのは耳に入ってんだろ、お前はどうだ?」
「んなもん知るかよ!」
「……そうか」
憲次がゆっくりと男を離す。
男は何か言いたげだったが、怪訝な表情を向けたままその場を後にした。
大きくため息を吐いて、しばらくした後憲次もトイレを出る。
和田について聞こうとカウンターの方へ向かうと、先程のバーテンでは無い男が客の相手をしていた。
後方で、バーテンは客に背を向け誰かと通話している姿が見える。
視線をフロアに向ければ、隅に数人いた黒服が姿を消していた。
この状況が何を意味するか、憲次は分かりたくなくとも分かってしまう。
和田が『飛んだ』のだ。
ようやく掴んだ糸は、手から離れてしまった。
憲次はもう一杯あおりたい気分だったが、肩を落としながら出口へと向かった。
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