4

 中庭で、吹奏楽部員らが音合わせをしている。絵里と真野は噛み合い始める音を聴きながら、地下へと筒を運ぶ。


 階段に背を向けて、筒の先を持って後方へ振り向きつつ絵里が進む。


 真野はその動きに合わせ、端を持ってゆっくり降りていく。


 下りきった時、絵里は安堵の声を漏らした。


 表情の変化が乏しいが、少なくとも緊張はしていたらしい。


 対照的に、真野はにこやかに笑っている。


 絵里が左に移動すると、『書庫』と『図書室』のネームプレートが間隔を空けて見える。


「もうすぐですよ、物置!」


「そうだね」


 最早訂正する事無く、二人は進んでいく。


 近づくにつれて、女性の声が薄っすらと聞こえてくる。


 絵里はそれが書庫からのものだと気づき、物好きな先客の存在に少々驚いた。


「先輩、先に降ろして下さい」


 真野に促され。手に持っていた先端を床に置く。


 真野が手元の筒を持ち上げ、壁に立てかける。


 書庫に目を向けると、曇りガラス越しに人の影が見える。


 真野は扉の前に向かい、薄っすらと見える影を確認して口を開いた。


「メガネ―、いるー?」


 反応は無い。しかし音は聞こえている。


 英語で、人の名を呼んでいる。


 (映画……?)と、絵里が思ったのとほぼ同時であった。


「メガネェ―ッ!」


 演奏をかき消すのではないかという程の声量で、真野が書庫へ叫ぶ。


 室内の音が消え、影が動き始めた。


「ちょっ、分かったから。今開けるよ」


 焦りを含んだ声を上げ、人影は急いで扉を開けた。


 百六十前後の、背の低い少年が現れる。


 制服はサイズが一回り大きい物らしく、小柄さが更に目立つ。


 まだ幼さの残った中性的な顔立ちは、声を聞かなければ少女と見間違えていたかもと絵里が思う程であった。


 気弱そうな視線を、眼鏡越しに絵里に向けている。


「すみません、気づかなくて」


「ううん。大丈夫」


 目線が合い、気恥ずかしそうに逸らす。


 真野が絵里との間に割って入り、少年を睨む。


「おい、私にも謝れ私にも」


 少年は睨み返し、口を尖らせている。


「真野さんはメガネ以外で呼んでくれるなら謝るよ」


「えー、じゃあクソメガネ」


 あっけらかんと返す真野に、ため息をつく。


「分かった。もうメガネでいい」


「それより、あれ」


 真野が筒を指差す。


 少年は「ああ」と呟き、筒の方へと向かって片手で掴んで持ち上げる。


 横に倒し、片手でそのまま室内へ運ぶ姿を見て、意外だと失礼ながら女子二人は思った。


「これ、入学式の旗? 重かったでしょ」


 書庫内の壁に立てかけながら、話しかける。


「そう! これをさ、か弱き乙女に持っていけってさ、酷くない?」


「あはは、確かにね」


 棒読みである。


「何か心がこもって無いぞ」


 不満げに、少年の後ろを真野が歩いて行く。


 遠慮も無く室内へ入っていくので、絵里も後を追って入っていく。


 想像と違い、整理された室内の現状に少々驚きながら、見回している。


「あ」


 少年の奥で、絵里がテレビ画面に映る映画を認識した。


 過去に父親が観ているのを偶然目撃し、トラウマになっていた作品だと気づき、視線を棚に逃がした。


 あ。と、真野が忘れていた事を思い出して絵里に向き直る。


「こいつはうちのクラスのメガネです。二見先輩が覚える程の奴では無いです」


 面倒そうに紹介する横を通り、少年が絵里の横に立つ。


「雑な紹介だなあ」


「でも、してるじゃん?」


「名前が出てない。紹介じゃないよ、もう」


 少年は子供を叱る様に真野に告げ、朗らかな笑顔を絵里に向けた。


 笑顔を返してやりたかったが、絵里は上手く表情を変えれずに口をもごもごと動かした後に、ジッと見つめ直した。


「えっと……」


 その様子を見て察したのか、少年は少し声を出して笑った。


 絵里も表情から気づき、気恥ずかしそうに睨み付けた。


「……何」


「いえ、何も。多々良総一郎です」


「うん。よろしく」


 挨拶を終え、多々良が机に移動しリモコンを手に取って再生ボタンを押す。


 画面の中で男が動き出し、異様な雰囲気の家へ入っていく。


 奥の扉を開くと、カメラが切り替わる。


 画面いっぱいに、奇妙なつぎはぎだらけのマスクを被った大男が現れ、金槌を目前で驚いている男に振り下ろす。


 鈍い音と共に倒れ込んだ男は、ビクビクと痙攣し床を揺らす。


「うっわ、気持ち悪」


 真野が即座に多々良からリモコンを奪い、停止ボタンを押す。


「あ、今いい所なのに」


 奪い返して再生ボタンを押す。


「いやいや」


 停止。


「いやいや」


 再生。


「いやいやいや」


 停止。


「いやいやいや」


 再生。


 無益な攻防を繰り広げる二人に少しだけ目をやり、絵里は棚に視線を戻した。


 棚のVHSを眺め、いくつか名前を知っている作品を見つけ手に取る。


「ねぇ、これって君の私物なの?」


 絵里は後ろを見る事なく、問う。


 多々良がリモコンを高く掲げ、真野が触れられない状態にしながら答える。


「いえ、誰かが置いていったみたいですよ。今じゃ再生機器も少ないですし……何より場所を取りますから、ねっ」


 ジャンプして取ろうとする真野を振り切り、棚の方へ移動する。


「気になるものがあれば言って下さい。ここでなら観られますから」


「いいの?」


「ここ、僕以外そうそう来ませんから。いつでもどうぞ」


「いつでもって、もしかして授業サボって来てたりしない?」


 疑問の目を向けられ、多々良は苦笑しながら首を横に振る。


「そんな事しませんよ。大丈夫です」


 二人の間に真野が勢いよく割って入り、棚を物珍しそうに見始める。


「私、テープ型って初めて見る!」


「私は何回か」


「真野さんは初めてじゃないでしょ。ここに来てるし」


「物置なんてちゃんと見てないよ」


「書庫だから」


 訂正し慣れているのか、多々良は苦笑しながら絵里へ目配せした。


 その間にお構いなしに真野が入り込む。


「先輩は映画とか観るんですか!」


「え? うん、まあ少し」


「ビデオって、巻き戻しってのをしないと最初から映らないんですよね!」


「あ、それ聞いたことある。物知りだね」


 絵里に感心され、真野が大きな目を更に見開いて喜びを噛みしめている。


「それ、僕が教えた知識ですよ」


 不満げに、多々良が釘を刺す。


「やかましい!」


 喜びを遮られた真野は、怒りを露わにして多々良を見ている。


 表情がよく変わる、面白いな。と、絵里は少々羨まし気に真野を眺めていた。


「えぇ……」


 多々良は弱弱しく笑い、ふらりと棚から机に移動していく。


「先輩はどんな映画を観ますか!?」


「わ、私? ええっと」


 詰め寄って来る真野に、絵里がはっきりと困惑を顔に出している。


 多々良がその隙に、再生ボタンを押す。


 画面の中で、マスクの大男は瀕死の男を掴んで部屋へ引き込む。


 奇声を上げながら、扉を勢いよく閉めた。



 扉を開いた瞬間、自分の席を占拠している女生徒の姿が絵里の目に入る。


 高い身長と細長い手足に小さな顔、顔立ちは幼く、出で立ちとのアンバランスさが妙に魅力的に見える。


 彼女が椅子を揺らす度、長いポニーテールがフワフワと動く。


 絵里は少し面白げに眺めていたが、自身の目的を思い出し取り直した。


「香苗」


 名を呼ばれ、井出香苗は近づいてくる絵里を大きな瞳で捉えた。


「おお、おはよー」


 悪びれる事もなく、さも当たり前という風に返事を返した。


「そんなに気に入ったなら、席交換する?」


 井出は後方の席で、彼女が今座っている絵里の席は一番前である。


「いやいや、ここが絵里の席だからいいんだよ。あー良く眠れそう」


「いや、どいてよ」


「後五分ね」


 絵里が無言で見下ろしている。


 井出は珍しく見上げる形でその視線を受けている。


 しばらく見つめ合ってから、絵里が更に距離を詰めて見下ろす。


「怖い怖い怖い! 分かったから!」


 井出が怯えながら立ち上がる。


 何事も無かったかのように、絵里が席に座って授業の準備を始める。


「こわー。無言の脅迫やめてよ」


「嫌なら早くどいてくれればいいと思うけど」


「いやー、居心地が良くてつい」


「別に他の席と変わらないでしょ。どれも同じ材質だし」


 少々冷めた言動の絵里に、井出は不満げな表情を浮かべて頭を小突いてやる。


「全く、なんでそんな冷めた言い方しか出来ないのさー」


 昔はもっと可愛げがあったのに――と続ける井出の文句に、付き合う時間は無いと絵里が遮る。


「香苗、もう先生来るから」


「あ、話を逸らしたな」


 と更に文句を足すもチャイムが鳴り響き、廊下からは教師が近づく声が聞こえる。


「今日は話短いといいなー。じゃあ後でね」


「うん」


 手を振りながら前へ向かう井出に、絵里が小さく振り返す。


 こういう所は変わらずだ、とは思うも口に出すと怒られそうで、言及を避けて席へ戻っていく。


「早く座れー、HR始めるぞー」


 前方の扉を開き、担任の佐々山が入って来る。


 ボサボサの頭を掻きながら、生徒らに目を向けた。


「皆ももう知ってるだろうけど、海浜公園で事件があった。その為今日からしばらくは放課後の部活動は中止。おとなしく帰ろうな」


 佐々山からの説明に、不満げな声がちらほらと聞こえる。


 井出もそのうちの一人である。


「やだー! 一時間! 一時間でいいからさ!」


「俺にどうこう出来るかよ。危ないから大人しく帰れって」


 騒ぐ井出をなだめながら、佐々山が続ける。


「一応、だ。朝練はバスでの通学を遵守であれば許可が出る。帰りも出来る限りバスか集団での下校を心掛けろよ」


 安堵の声が漏れる。南城高校は運動部が活発で、プロを目指す者も多いからこその処置であった。


 絵里は遠くに聞こえるヘリの音を聴き、ふと現場の方へ視線を向けた。



 南城高校とは反対に、五十嵐芸術学院は名の通り芸術に特化した学校である。


 オフィス街の中という変わった立地の中で、生徒は少ないものの美術や演劇、音楽など様々な分野でコンクール受賞の実績を誇っている。


 海浜公園近辺で、二校は場所も有名な点も正反対なのもあってか近辺では知らぬものはいないとまで言われている。


 工藤は何とかHR前に校門を抜けて、場所もあってか小さなグラウンドをすぐに走り抜け教室へ到着した。


 安堵の息を深く吐き、自身の席に向かう。


「おっ、ギリギリセーフじゃん」


 酒井小夏が席の前に立ち、見下ろしている。


 高校二年生にしては少々背が低く、小さな顔に大きなパーツが配置されており、年齢以上に幼く見える。


 ショートカットの似合う、活発さが出で立ちだけで分かる少女であった。


「工藤君が遅刻寸前って珍しいね」


 酒井夏生が、机の横に立ち微笑んでいる。


 姉と瓜二つの、幼い顔立ちだが身長は百七十程で、スタイルは確実に夏生の方が上だ。


 セミロングの髪が、風を受けゆったりと揺れている。


「まあ、色々とな」


「何だよ、思わせぶりだな」


「お姉ちゃん、難しい言葉使うね」


「これくらい普通だし、馬鹿にすんな!」


 小夏がオーバーに腕を振り抗議をすると、夏生は口に手を当て笑っている。


 工藤は間に挟まれながらため息を吐いた。


「本当、双子なのに全然性格違うよな。小夏はとりあえず朝から元気すぎるよ。もう少し静かにしてくれよな」


「工藤君、お姉ちゃんが静かになるとか絶対無いから」


「夏生ぉ……」


 軽いやり取りを聞き流しながら、工藤は鞄から教科書やノートを取り出し素早く授業の準備を始める。


「二人も準備しないとまた岩見先輩に説教されるぞ」


「先生、だよ。今は」


 夏生が訂正を挟む。


「何か慣れないんだよなぁ」


「分かる」


 他愛の無い話をする声をかき消す様に、チャイムが鳴り響いた。

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