3
海浜公園前駅は四つのプラットフォームを持っており、ホームの上に駅舎が設置されている。
電車から降りた学生やサラリーマン達はホームを進み、階段で上がって駅舎を歩いて改札へ向かう。
駅舎内からも見えるほど、周囲は木々が生い茂っている。
まだ建設から十年も経っていない最新設備と自然が同居した、不思議な景観であった。
駅前には橋があり、出てすぐの階段で海浜公園の入り口へ向かうことが出来、左に進めばオフィス街の方面へ、右に進めば商業施設とバス停へ移動できる。
眠すぎる――工藤永正は群衆の中で思った。
皆同じなのか、改札口を眠そうな表情で抜けていく。
工藤は不意に、前を歩く学生に視線を向けていた。
自身の高校とは別の、サイズの少し大きい紺のブレザーを着た後姿に見覚えを感じて、近づく。
「二見さん?」
名前を呼ばれ、絵里が振り返る。
肩まで伸びた黒い髪、白い肌と小さな顔の中にある意志の強そうな切れ長の目は、工藤の知る二見絵里から背が高くなった事以外ほとんど変わっていなかった。
一方の絵里も、声を掛けた青年に見覚えがあった。
背は百八十程で、やや面長だが目鼻立ちがはっきりとしている。グレーのブレザーがよく似合う、好青年という言葉が相応しい男である。
絵里自身も身長は百六十程あり、女性としては高めだが工藤の顔を見る為に、少々見上げる様を取っている。
しばらく見合った後、不意に絵里が目を逸らして腕を組んだ。
「……ごめん。思い出すから待って」
そのまま小さく唸る絵里の横で、工藤が大げさに肩を落とした。
「工藤だよ! 酷いな!」
名前を聞き、ようやく思い出したらしく目を丸くした。
「あ。小学校の頃……」
「そうそう」
「ドッジボールで私が顔面にぶつけて泣かせた工藤君?」
工藤は倒れ込む勢いで、大げさにのけ反った。
絵里が驚いていたのは、過去の記憶とかなり違っていたからである。
幼い頃の工藤は自身より背も低く、弱弱しい印象であった。目の前に立つ青年が同じ人物とまだ理解できていないのだ。
「いや、思い出せたのそれだけ?」
工藤の声と笑みには、困惑と落胆の気持ちがハッキリと混じっていた。
「うん。真っ先に思い出したのがこれ……ごめん」
律儀に謝る絵里が妙に面白くて、工藤は気持ちを切り替えた。
二人は改札から少し離れ、自販機の横で並ぶ。
「それにしても懐かしいなぁ、何年ぶりだろ?」
「あ……そうだね、私がこっちに越して以来だから……六年かな」
しまった、と工藤は口から出た言葉を後悔した。
詳しくは知らずとも、絵里が家庭の事情で転校しているのは知っていた。
表情が読み取りにくい彼女だが、軽率な発言だった事は工藤でも言葉の詰まり方から見抜けた。
少しの間、沈黙と重い空気が包む。
「そうだ、これ!」
耐え切れずに、工藤が鞄を開きポストカードを手渡す。
表面に描かれている作品に気づき、目をやる。
極彩色に彩られた森の中、中心に立つ白いワンピースの女性が振り返っている。
鮮烈な世界の中で、白さがとても印象的であった。
感嘆の声を上げる絵里に、工藤が話しかける。
「それ、俺が描いたんだよ」
「工藤君が?」
「今度、小さいけど個展もやるんだ。後ろに場所も書いてるし良かったら来てよ」
「そうなんだ……って、土曜から?」
裏を確認し日付を見て驚く。
「そう! 本当ベストタイミングだよ」
個展は近くの喫茶店で、土・日曜の二日間での開催となっている。
このタイミングで知れたのも何かの縁だな、と絵里は思い頷く。
「いいね、行くよ」
「本当!? ありがとう! 嬉しいよ」
「か……井出も呼ぶよ。あの子も喜ぶと思う」
「井出か! 久しぶりに聞いたなあ。同じ学校なの?」
「うん。今も……」
改札から学生の姿が消え、それぞれの学校へ散らばっている。
「この話の続きは、また今度かな」
絵里がポケットからスマートフォンを出し、時間を見せる。
「おっと、確かに行かなきゃ」
ハッとして工藤が鞄のチャックを閉め、歩き出す。
「じゃあ、また!」
「また」
工藤がオフィス街の方へ、絵里がバス停側へとそれぞれ向かっていく。
南城高校は海浜公園から少し離れた、森林部に建造されている。
緑に囲まれ、校舎の白さが際立つ。
オリンピック時に使っていた練習用の体育館や競技場が隣接しており、それらを使用して行われている朝練の声がうっすらと聞こえている。
校舎は四階建てで内一階は地下に、中心部は吹き抜けという変わった構造で、中庭として使用されている。
「井出ー! 休憩終わるよー」
「分かった! すぐ行くー!」
中庭で休憩していたバレー部の部員らが体育館へと向かう為、階段を昇っていく。
足音を聴きながら、地下の書庫を少年は歩いていた。
決して広くは無い室内は一目で見渡せるほどだが、どこを見ても物で溢れていた。
本以外の備品が大量に置かれており、最早物置と呼ぶのが相応しい様相をしている。
しかし、散乱している訳では無い。細々とした物は棚へ、大きな物は壁に並べられている等、きっちり整理されている。
部屋の中心には脚の錆びた長机と椅子、窓際にはブラウン管テレビとビデオデッキが置かれている。
棚にズラリと並んだVHSビデオケースは五十音順に並べられており、その中から一つ手に取り出す。
少年は嬉しそうに微笑み、ビデオデッキへ向かう。
南城高校へ、絵里は少々余裕を持って到着した。
通学路に海浜公園は含まれているも、事件の為かバスの本数を増やしており絵里もそれを利用したのであった。
車窓から見えた現場付近は、未だブルーシートが薄っすらと見えていた。
モヤモヤしたまま、絵里は校門を抜け広々としたグラウンドを進み、正面玄関の靴箱で上履きへ履き替える。
歩き出した途端、すぐに足が止まる。
眼前で、黒い筒が動いている。
正確には、筒の後ろに小柄な少女が見えている。
自身の身長より高い筒を力強く持ち上げ歩いているが、必死に前をチラチラと確認しながら歩いている。
その姿を目にして、絵里は考えるより先に前へ進んでいた。
「ねえ、大丈夫?」
少女が動きを止め、絵里の方を確認して目を丸くしている。
「えっ、あっ、はい!」
腹からしっかりとした返事を出した少女に、見覚えがあった。
低い身長と幼さの残る顔立ちが印象的で、絵里は失礼ながら以前会った際は小学生が紛れ込んでいると勘違いしたほどである。
「一人で持つの、危ないよ。手伝う」
「ええっ!? いいんですか!?」
朝から信じられない程の大声で、少女は歓喜に目を丸くして絵里を見ている。
「えっ、うん……どこに運ぶの?」
勢いに戸惑いながら、問う。
「えっと、これは物置にって先生が」
「……書庫だね」
活字離れ、電子書籍等々の理由もあり、図書室は人の出入りが少なくなっている。
それに合わせてか、書庫はほぼ物置と化していた。
絵里自身、掃除や整理をしていたものの増える一方で、最近は諦めて図書室のみを利用していた。
久々に行く書庫の惨状を想像し、不安を覚えるも覚悟を決める。
「書庫……? あそこってそうなんですか?」
少女の返答に、覚悟が早くも少々揺らいだ。
「とりあえず、行こうか。……真野さん、だよね」
絵里に名前を呼ばれ、真野は先程以上に嬉しそうに目を輝かせた。
通勤ラッシュを上手く回避し、憲次は本土へ電車で移動していた。
台場を経由し、桜田門へと乗り継ぎを繰り返しながら到着し、すぐに警視庁本部へ向かう。
たどり着いて早々に屋上へ移動し、待ち合わせ場所のヘリポートの中心へ立つ。
遠くに、希望島の高層ビル群がうっすらと見える。
「ここからなら、街が良く見えるだろ?」
階下から上がってきた男が叫ぶようにして声をかける。
背も高く、厳つい顔立ちが威圧感を与え、初対面なら大半の人が声をかけるのをためらうであろう。
憲次は見慣れているのか、一瞥して再び景色に目を戻した。
「ああ、本土はな。ウチはそんなに見えん」
「まぁ、離れてるからな」
男は憲次の横に立ち、コーヒーを手渡す。
プルタブを開け一口飲む。
久々に飲んだが、鉄臭さを感じる。美味くも無いのに毎日の様に飲んでいた日々を思い出し、憲次は苦みを噛みしめる様に呻いた。
「相変わらず、まずいな」
「文句言うな、奢ってやってんだぞ」
男は呆れた様に言って、ため息をつく。
互いに百八十前後ある身長と、きっちりとしたスーツの男と皺だらけの上着とシャツを着た憲次という出立ちで並ぶ姿は、警官というより取引中の『筋モン』にしか見えない。
「……遠藤よう」
「やめろ。その先は聞きたくない」
名を呼ばれた遠藤は、今にも耳を塞ぐのでは無いかと言わんばかりに苦々しい表情で景色に視線を向けている。
「何だよ、まだ何も言ってねぇだろ」
「言わなくても分かるよ、今朝のだろ」
「分かってんじゃねぇか。話が早くていいよお前は」
「お前、そろそろ落ち着いたらどうなんだ? 家族が出来たんだ、危ない橋渡る必要ねぇだろ」
遠藤は遠くに見える希望島の方を見つめ、諭すように憲次へ告げる。
憲次はその言葉を、鼻で笑って一蹴した。
「馬鹿か。クソ共を見逃して落ち着くなんて、絶対嫌だね」
捲し立てる様に言い放ち、コーヒーを飲み干す。
遠藤は呆れた、と言う代わりにため息を吐いた。
「だと思って調べたが、ありゃ相当マズいぞ」
「だからここに来てんだろ」
「だよな」
遠藤はそう言うと、スーツの内ポケットから数枚紙を取り出す。
憲次は受け取り、内容を確認する。
捜査資料の一部らしく、捜査対象について事細かく書かれたものであった。
「そいつ、ウチの調べてるやつでな」
資料内の写真には、二十代前半程の青年が複数の女性と写っている。
青年は整った顔立ちだが、目の焦点が合っていない。
「いいアホ面だ」
「で、こいつのお友達に会いに行ったんだ。そしたら聞きもしないのにペラペラと俺らにお話してくれてな」
「そいつはいいお友達だな」
憲次が鼻で笑いながら遠藤の方を見ると、これまで以上に警官と思えない表情で笑っている。
「本当にな。で、どうも新種の薬を売って大金を得たって情報が入った。ここ最近はこの新種の薬物ってのが出回ってるみたいなんだよ」
「それが、今回の事件にも関与している可能性があるって読みか」
遠藤の所属する組織犯罪対策課――通称、組対でも薬物の裏にいる暴力団の関与を睨み、追跡していたのだ。
憲次は犯行の異常さから薬物の使用を疑い、薬物事件に近い旧友を訪ねた。
阿吽の呼吸で遠藤は情報を提供し、見事に犯人へ近づくきっかけを掴んだのだ。
「これでただの混ぜ物なら、笑えねぇな」
「カクテルの可能性が無い訳じゃないが、以前からこれに関する報告が何点かある。少なくとも、動きがあるのは間違いないな」
「なるほどねぇ」
呟くように憲次が口を開き、そのまま翻して階下へ向かう。
「憲次! 分かってるだろうが――」
「俺は情報を聞くだけ。野郎をしょっ引くのはお前らの仕事で、騒ぎは起こさない」
言い慣れているのか、憲次はスラスラと言葉を紡いだ。
遠藤は少々不服そうな顔をしていたが、当の本人には見えない。
「頭に叩き込んで動け、いいな!」
「あ、行く前にシャワー室借りるぞ」
「……おう、久々に本庁の使って帰れ」
本当に分かってんのかよ、と遠藤は思ったが、狂犬が理解するはずが無いと思い直した。
何も無い事を願い、すっかり冷めた缶コーヒーのプルタブを開けた。
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