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 『第二十三号埋立地』は東京湾に浮かぶ人工島である。


 第二航路・臨海・海の森トンネルと東京ゲートブリッジ、海の森公園と台場間を走る新交通システム等で本土と繋がっており、常に慌ただしく人も物資も移動している。


 通称『希望島』と呼ばれるこの島は、『中央防波堤内側・外側埋立地』と元々呼称されていた場所である。


 東京オリンピック誘致の際、埋立地を利用し複数の競技場を建設するという計画が立ち上がったのがきっかけで改修が開始された。


 しかし、計画途中で大きな災害の発生もあり、政府は計画を変更。避難先という意味も含め居住区の建造を発表する。


 『誘致のパフォーマンス目的だ』と言う者も多くいたが、賛同した多くの企業が計画に参加した事で批判の声は小さくなっていった。


 計画は当初の予定以上に大きくなり、結果的に海上都市を作り上げるまでに至る事となる。


 その過程でオリンピックの誘致に成功し、政府は巨大な島と化したこの場所に競技場を多く作り、シンボルとしての機能を付け加えた。


 人々の希望となるように――『希望島』と呼ばれ始めた島で、二千二十年にオリンピックは始まり、人々を熱狂させた。



 そんなオリンピックの唸りも終わり、二年が経った。


 熱も冷めて、今後この巨大な島をどう運用していくかと議論される中、島に住む人々はそれぞれの生活を生きている。


 通学ラッシュの満員電車の中、手すりに掴まり揺れに耐える二見絵里も、その一人であった。


 空いた手で小説を持ち、器用に片手でページを進めて読んでいる。


「ねぇ、見た? 今日のニュース」


「あ、海浜公園の奴? 本当怖いよね」


「犯人捕まってないんだって。警察さっさとしてよって感じ」


「マジそれだわ」


 どこからか聞こえる他校の女学生の声が耳に入る。


 切れ長の目の中で輝く大きな瞳を、声の方へ向ける。


 視線の先にある、ドアの上に設置されたモニターでも今朝発生した変死体発見のニュースが簡素な文章で説明されている。


 これか、と絵里は思った。


 先程の女学生らの話では無く、非番だったはずの父が家にいない理由に気づいて、そう思ったのである。


 久しぶりの帰宅を果たした父は、朝には姿を消していた。


 何があったかは薄々感じていたが、絵里の中で核心に今変わる。


 会話をしたのはいつだっただろうか、少なくとも昨日はしていない――等と、呆れた思考に眉をしかめた。


 意識を外に逃がす。 


 島の中心部、高層ビル群の辺りを過ぎていく。ひときわ高いビルは白く、まるで小説に出て来る塔に似ていた。


 大きな企業のビルで、良くCMが流れている。名前は何だったか――と、絵里が考え始めた瞬間、制服のブレザーの中でスマートフォンが震える。


 小説を横の学生との間で潰れた鞄に何とか入れ、その手でポケットからスマートフォンを取り出す。


 画面には『井出香苗からのメッセージ』の通知が表示されている。


 通知をスライドし、メールアプリを確認する。


 デフォルメされたウサギのイラストを押すと、メール画面へ移動した。


『学校の近くで事件あったって! おじさんいる?』


 『多分ね。挨拶しに行ったら喜ぶと思う』


『ヤだよ! 危ないし!』


 『というより部活は? 休憩?』


『そう。もう戻る』


 『分かった。また学校で』


『あいー』


 スマートフォンをポケットに直し、モニターを見ると別のニュースが流れていた。


 窓の外が人で溢れ、駅へ到着したと知らせるアナウンスと同時にドアが開く。


 学生らに押し出されるような形で、絵里もホームに降りる。


 ホームは両側が線路に接しており、広々としているはずが今は人で溢れ返っている。


 階段を上がり、皆一か所しかない改札を目指して進んでいく。


 絵里が視線を前に向けると、事件現場の海浜公園を紹介する看板が飛び込んでくる。


 少々複雑な感情を覚えながら、ICカードの入ったケースを改札にかざす。



 憲次は希望島警察署の五階で降り、自身の所属部署へ突き進む。


 捜査第一課から四課までが巨大なフロアを区分し、使用している。


 憲次は奥の部屋へと進み、ドアを開いたまま中へ入っていく。


 室内は机でびっしりと埋められており、ほぼ全員が着席して自身の作業に追われている。


 部屋の奥にガラスで囲われた部屋があり、そこにいる男を見据えて直進しドアを勢いよく開ける。


「課長、今朝の事件が捜査権外ってのは、どういう事です?」


 挨拶もノックも無し。課長の笹野は呆れを含んだ表情で頭を押さえる。


 恰幅のいい、気の良さそうな男だが、憲次を見る目は厳しい。


「扉、閉めろよ」


 ああ、と思い出したと言わんばかりに呟き、憲次がドアを閉める。


「何だ。誰だか分かれば、抗議にでも行くか?」


「ええ。でもその前に」


 机に手をつき、憲次が笹野を見下ろす。


「あんたがそれを何故許可したのか、それが聞きたい」 


 書類を避けて手をつく理性はあるんだな、と笹野は冷静に思いながら答えを考えていた。


「現場で公安部と会ったろ? あちらの言う事が全てだ」


「俺の後輩が現れて、急に権限が変わったとぬかしましたよ。それに、奴らのパトカーはまるで装甲車です。公安じゃあない」


 憲次が捲し立てる様に話す中、笹野は聞きながらメモを書き始める。


 その態度に怒る訳でも無く、ただメモに書かれる文字を見つめている。


「新設された部署だそうだ。俺もそれ以上は知らんし、これが何を意味するかは分かるな?」


「……見逃せと?」


「お前もこの仕事続けたいんだろ? 口を噤んで自分の仕事しろ」


 更に笹野がメモを追加する。


「……分かりました」


 憲次があっさりと食い下がり、部屋を出ていく。


 笹野が一気に息を吐き、机の引き出しを開ける。


 きっちりと整理されている内部に、小さなピルケースが入っている。


 蓋を開け、胃薬の錠剤を取り出して口に放り込んで噛み砕く。


 机の上には先程のメモが残されている。


『落ち着け、奴ら何を仕掛けてるか分からん。ここは引いたフリしろ』


『この事件は任せる。隠れてるのも含めて徹底的に、容赦なくやれ』


 笹野は口から出る言葉とは裏腹なメッセージを記していた。


 二見憲次という『島流し』に遭う程の問題児を、笹野は引き取り自身の課に配属させている。


 本庁には『本人もすっかり大人しくなった、このままここで飼い殺す』と報告し続けている。


 もちろん、嘘である。


 薄々感付かれているとは思いつつ、笹野は現場主義とは行かなくなった立場と肉体の代わりに憲次を『犬』として放っている。


 鋭い嗅覚と、執拗なまでに事件に食らい付く姿勢。憲次ほど優秀な『犬』はそういないと思い、引き抜いた男だからこその判断であった。


 しかし、優秀な代わりに自由を与えすぎると、とんでもない事態を引き起こしかねない。


 今後の事を案じながら、笹野は胃薬をまた力いっぱい噛み砕いた。 

 


 丸山は驚愕した。


 憲次は課長室を出るや否や、まっすぐ一課の部屋を出て行こうとしている。


「ちょ、ちょっとどこ行くんです!?」


 憲次の腕を掴み、強引に引き留めた。


「どこって、家に帰るんだよ」


「えっ」


 掴まれた腕を振り払い、また出口へと進み始める。


「えっ、て。俺ぁ非番だぞ今日」


 部屋を出る背中を丸山は追う。


「そうですけど、あの事件は」


「お達しが出た以上、どうしようもねぇよ」


  まだ憲次と組み半年も経っていない丸山ですら、それが嘘なのは明白であった。


 二見憲次はここで簡単に諦める様な男では無い。


「……俺も捜査に付き合わせて下さい」


 エレベーターを呼ぶ憲次の背中にぶつけるも、返事は無い。


「俺だって役に立てます!」


「俺が夕方まで戻らなけりゃ、鑑識からさっきの糸が何なのか聞いといてくれ。それだけでも十分役に立つ」


 被せ気味に憲次が返事を返す。


 言い切るかどうかの所でエレベーターが到着し、憲次は一人乗り込む。


「お前、ウチ来てまだ二ヶ月だろ? 危ない橋渡んのはやめとけ」


 睨む丸山に対し、冷たい表情で言い放つ。


 エレベーターのドアが閉まり始めると同時に、その表情が妙に爽やかな笑顔に変わる。


「俺の跡を追うなー、いつか酷い目に遭うぞー」


 エレベーターは閉まり、どんどん下へ下がっていく。


 丸山はただ、降りていく数字を睨み続けた。

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