BODY HAMMER

有八一乃

chapter 1.遭遇 

1

 五時間、二週間ぶりに男が家にいた時間であった。


 目前のテーブルで震えるスマートフォンが、ソファに倒れる男の眠りを妨げた。


 広々としたリビング全体に響き、隣接するキッチンの蛇口についた水滴が落ちる。


 厚手のカーテンが窓から入るはずの明かりを遮断し、木製の棚やテーブル達の持つ暖かみは失われていた。


 窓横にあるビデオラックの上でニュースを伝えるテレビの、寒々しい明かりだけが室内を照らしている。


 その光さえも眩し気に、目を細めながらスマートフォンを手にして通話ボタンを押す。


「……はい、二見」


『け、憲次さん! 事件発生です!』


 二見憲次はようやく体を起こし、ため息を一つ吐く。


 『海浜公園にて変死体が発見』とテロップと共に、ブルーシートで囲われた現場の映像が画面に映る。


 マスコミがヘリからの空撮を狙っているも、現場はシートの屋根まで作られており、完全に遮断されている。


「現場は、海浜公園か。えらく厳戒だな」


『ええ。マスコミももう来てます……ですが、その』


「何だ歯切れが悪ぃな」


『す、すみません。詳しい事は現場でお伝えします』


 通話相手は口ごもり、伝えたい事が纏まらない様だ。


「わかった。すぐ向かうから」


『は、はい。お願いします』


 安堵の声と共に通話は切れた。


 憲次は体を起こし、ため息を再び吐く。


 テーブルを見ると、昨夜飲みかけて放置していたビールの缶と惣菜を入れていた容器が消えている。


 それらがあった場所に置かれた紙には「お疲れ様。今回は片付けておくけど、次からは自分でして」と書かれている。


 横に置かれた栄養ドリンクを一気に飲み干し、リビングを出て洗面所へ向かう。


 口をゆすぎ、顔を洗って乱暴に拭く。


 鏡に映った自分の顔と向き合う。しばらく剃ってない髭は伸び、顔も疲れ切っている。


 ただ、事件を知らされた目は鋭く前を見据えていた。


 手紙の主に挨拶をする暇もなく、憲次は玄関の扉を開いた。



 事件発生から数時間が経過し、周囲は騒然としていた。


 この異常事態を記録に残したい。マスコミと野次馬は機材は違えど、ただ一心不乱に何の変哲もないブルーシートとバリケードテープを撮っている。


 それらの対応を任されている警官は、既に一仕事終えた表情で逃避の視線を宙に送り続けていた。


 しかし、逃避は長く続かなかった。人ごみを分けて現れた、異様な男が目に入ったのだ。


 背が高く、皺だらけのジャケットとシャツを着た男の垂れた前髪の隙間からは、獣の如き視線がまっすぐ現場へ向いていた。


 肩ほどまで伸びた髪はボサボサで、手入れもせずにここに来たといった雰囲気だ。


 うっすらと見える精悍な顔立ちは、整っている分異様さに拍車をかけている。


 男は写真を撮る人々にぶつかるのもお構いなしに、現場へ向かって進み続けた。


「す、すみません。ここは関係者以外は入れませんよ」


 警官はすぐさまテープより少し前で男を止めた。


 男は警官の険しい顔を一目見て、笑みを見せる。


 前髪で隠れていた視線も、先程までの険しさは無い。


「ああ、そりゃ見えねぇよな」


 男がジャケットのポケットから小さな何かを取り出す。


 身構えるも、それは警官自身も良く見ている物であった。


 警察手帳である。


「希望島警察署刑事課所属、二見憲次だ。こんな恰好じゃ、そうは見えないと思うけどさ」


 手帳を確認し、警官はすぐさまテープを上へ引っ張った。憲次は軽く会釈してやりながら進み、ブルーシートの扉をくぐる。


 その直後、憲次の足が止まる。


 現場は公園の散歩道。成長した木々達が生い茂る空間には違和感があった。


 原因は、巨大な蜘蛛の巣だ。


 木々の間には、幹と同じ太さの白い糸が幾重にも張り巡らされている。


 巣の中心には大きな繭になっていた跡があり、切り開かれた糸の先は血に染まっている。


 憲次自身、凄惨な現場は経験している。が、流石にその異質さに驚いていた。


「おはようございます……非番なのにすみません」


 先刻の電話相手、丸山が駆け寄る。


 背の高い、棒の様な体格と青白い顔の男は、いつも以上に眉を曲げて向かって来ている。


 28という年齢より幼げに見える顔立ちが、全体の弱々しい印象に一役買っている。


 青白さに土気色が混じっていないのを見るに、遺体の損傷が酷くないのだろうと憲次は推測した。


「大した予定も無い、気にするな。それよりガイシャの身元は?」


「現在調査中です。にしてもこれは……どういう」


 丸山が周囲を見渡しながら、不安を露わにして呟く。


 動揺を見せすぎるその姿に、憲次はため息を吐く。


「知るか。イカれた野郎の考えている事は俺らが分かる訳ねぇ」


 シートを被せられた遺体の横に座り、憲次が手を合わせる。丸山も困惑を残しながらも後を追って手を合わせた。


 遺体を確認すると、若い女性であった。全裸で、胸元に小さな丸い穴が空いている。銃弾が通った跡に見える。


「発見者は近所の老人、ジョギング中に大きな蜘蛛の巣を見つけて、中心の遺体に気づいて通報……といった所です」


 丸山から報告を受けながら憲次は遺体を調べる。争った形跡も暴行の跡も無い。


「傷はこれだけか? 暴れた形跡も無いが」


「ええ。傷も無ければ体液も付着していません」


 憲次は胸元の穴に、小さな糸が付着している事に気づいた。


 近くにいた鑑識を手招きし、糸を指差し回収を指示する。


「ま、俺達が考えても異常者に追いつけやしねぇ。俺らに出来るのは」


『捜査をして、マル被を捕まえ事件を終わらせる』


 憲次と丸山は、確認するみたいに同じ言葉を吐いた。


「分かってんじゃねぇか。本庁の仕切り屋共が来る前に調べ上げちまうぞ」


 立ち上がって、憲次は回収作業を終え、移動しようとする鑑識の肩を掴んで止める。


「それ、君が持っておいて。後で結果は俺かあいつに教えてくれればいい」


 憲次がポケットからメモを取り出し、その場で殴り書きした連絡先を手渡す。


「えっ、いや、駄目ですよ」


「大丈夫だよ。君はそれ隠して、シラ切って鑑定してくれればいいんだ。責任は俺が取る」


「そんな、無茶苦茶な」


「いいから、早く!」


 困惑したまま、鑑識官は言われるがまま糸を回収した小瓶をポケットへ突っ込む。


 独断、単独行動――現場を何度か共にしたとはいえ、丸山はただただ呆れ返るしかなかった。


「憲次さん、本庁と協力した方が良くないですか?」


「馬鹿。そんな事したら俺達は外でバリケードの見張りしか出来ねぇぞ、あいつらのやり口はよく分かってんだ」


 憲次が数年前まで、本庁の捜査一課で活躍していた事は丸山も耳にしていた。


 しかし、『島流し』されてこの街に流れ着いた事。そして本庁との捜査を嫌う理由までは、誰もが言及を避けており、真相を知らずにいた。


「そこまで言うって、そんなに昔の同僚とはやりにくいんですか?」


 丸山が質問をぶつける。


「まぁ、それも少しはあるな。いいからさっさと済ますぞ」


 憲次は眉一つ動かさずに、適当な返事を返した。


 これ以上追及しても無駄と言う事は短い付き合いでも察せた。丸山は言及を止め、すぐに周囲の捜査に移行する。


 調べ始め、数分後に問題は起きた。


 ブルーシートを掻き分け、スーツの集団が侵入してきた。


 周囲を見渡す視線は獣的な憲次とは違って、機械的にその場の状況を確認している。


 男が三人、女が一人の集団は、憲次らには目もくれる様子は無い。


 男の一人が一歩前に出て、口を開く。


「皆様には申し訳ありませんが、この事件の担当は我々に権限が移りました。捜査班をこれから入れる為、皆様には退出願います」


 唐突な宣言に、周囲の刑事らがざわつく。


 困惑の表情や、敵意を露わに睨み付ける者――それぞれが様々な反応を見せる中、憲次は前に出た男の正面へ進んでいく。


「久しぶりだなあ、三雲。感動の再会とは行かなさそうだが?」


 遠慮なく大声で話しかける憲次の姿に、三雲千尋は驚きの表情を向ける。


 が、すぐに取り直す。


「お久しぶりです、二見さん。説明は先程の言葉が全てです」


 マネキンの様に伸びた長い手足と端正な顔立ちが、更に口調の冷たさを強める。


「納得出来ないねぇ」


「この事件は、ただの殺人事件では無いという事ですよ」


 最後まで言うか否や、憲次が真正面に立って三雲の胸倉を掴む。


 少し後ろにいた男が身を乗り出すも、三雲が手で制する。


「だだの、だと? 俺はお前に『事件に大小は無い』って教えたはずだぞ?」


 作り笑いを浮かべ、三雲の目を真っ直ぐに睨んでいる。


 三雲も負けじと、冷たい目線を返す。


「優劣を付けざるを得ない状況でしてね。他の捜査であれば、協力を要請していたのですが」


 抑揚の無い冷たい言い方に、憲次が掴む腕の力が増した。


「お前な」


「言い争ってる時間は無い! 部外者はさっさと出て行って頂きたい!」


 腕を払い、三雲の視線に鋭さが増す。


「随分な物言いだ。お前、俺にいつから指図出来ると勘違いした?」


「ここの捜査権は俺にある。あんたの出る幕は無いって事です」


 互いに引く気の無い二人の間に、一人の刑事がスマートフォンで割って入る。


「憲次、上からも連絡が来た。全て任せて戻れ、だとよ」


 画面側を憲次に向け、証拠を見せる。


 周囲のざわつきとは裏腹に、憲次は落胆を込めたため息を吐いた。


「上からのお達しまで用意とはなあ、随分いいご身分じゃないですか」


 憲次の嫌味にも、三雲は表情を変えない。


 これ以上は無駄と察し、憲次が丸山らに振り返る。


「さぁ、お偉い方々に後は任せて! 俺らは退散と行こうぜ」


 三雲らの横を通り抜け、憲次がブルーシートを分け出ていく。


 不満そうな表情を浮かべながら、その場にいた刑事らも後を追う。


「……始めるぞ」


 振り返ることなく、三雲は遺体に近づき手を合わせた。



「さっきの人、知り合いですか?」


 現場から少し離れた所で、丸山が口を開く。


 憲次は野次馬らの隙間を覗くように、後方に目を向ける。


「警察車両入ります! 危険ですので離れて下さい!」


 現場内へと車両が入っていく。


 その全てが、頑強な装甲車である。


 どう考えても、通常の警察車両では無い。


「三雲千尋、俺が本庁で組んでた奴だよ。最も、俺が『島流し』に会った後はどうしてたかまでは分からん」


「へぇ」


「まさか、あんなに愛想のねぇ野郎に育ってやがるとはなぁ。残念だよ」


 丸山が先程の姿を思い出したのか苦笑している。


「って、憲次さん酒臭いですよ。非番だったとはいえ飲み過ぎじゃ」


 丸山は顔をしかめながら、署に戻った後を考え大きく息を吐いた。


「うるせぇ、さっさと運転して署に戻れ」


 憲次が丸山の背を強く叩き、押し出す様に前へ進ませる。


 その表情は、暗い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る