昼休みの死闘

 七月の真昼の屋上は、うだるような暑さだった。

 頂点に達した太陽は容赦なく地上を熱し、コンクリートをフライパンに変えている。

 雲一つない代わりに、いやでも見慣れた無粋なひびが空に走っている。


「あっちいなあ、ちくしょう」


 忌々しげに太陽を睨み、伊崎いさきはぼやく。そのサングラスを、ここにきて今、うらやましいと思うよ。

 昼休み。午前の授業が終わり、昼食を済ませたあと、俺と伊崎、そして雨森あまもりさんはこの屋上へ来ていた。俺と伊崎は向かい合い、少し離れた位置に雨森さんがいる。

 屋上に呼び出すのは、どちらかというと伊崎の方が似合っているような気がするんだが。

 俺たち三人は、炎天下の中それぞれ自前の傘を差す。

 俺は中に麗夏うららかの入った青い傘。

 伊崎は黄色の、サイズが俺のより一回り大きめの傘。

 雨森さんは、真っ赤な唐傘を開いている。


「雨森。なんで俺が巡坂めぐりざかと戦わなくちゃいけねえんだよ。理由を聞かせろや」


 逆に言えば、今まで理由もわからないのに屋上までつき合ってくれたのか。なんて人がいい。


「巡坂くんは病み上がりだから、リハビリもかねて特訓をした方がいいと、思うの」


 流れるように嘘を吐く雨森さんの図が、なんとなくショックだった。


「そうか、ならしかたねえな、ったく」


 傘を閉じ、先端を斜め下に向けるように構える伊崎。疑わずに納得してくれちゃったよ。

 俺も傘を閉じて、一方はハンドルを、もう片方の手で傘布のところを握って、肩に立てかける。

 双方、準備は整ったようだ。


「それじゃあ、いくね。ようい、はじめっ!」


 雨森さんの掛け声を合図に、俺たちは動き出す。

 即座にバックステップをして距離を取ろうとする俺に対して、伊崎は閉じられた黄色い傘の先端を突き出してくる。

 槍か!

 傘には、それぞれ持ち主の個性に合った武器としての型――兵装がある。

 どうやら伊崎の傘の兵装は槍らしい。


「おらああっ!」


 横殴りの雨を思わせる勢いで、連続で刺突を繰り出す伊崎。傘の先端には一応ゴム製のカバーがかぶせてあって、たとえ直撃を食らっても「痛い」で済む。

 いや、痛いのも充分いやだけどね!

 体は伊崎の方に向けたまま、俺は横に走る。基本的に槍は前方へ攻めるための武器なので、三次元的な動きにはあまり対応できないはずだ。

 が、伊崎は届かない傘の先をこちらに定めながら、両手で柄とフック状のハンドルを握っている。何事かと移動しながら考える俺に向かって、突然、黄色い槍が伸びてきた。


「うぉあ!?」


 たぶん折り畳み傘と同じような仕掛けだろう。ハンドルのあたりを何かしら操作することで、柄を伸ばしたんだ。如意棒か。

 とっさに紙一重でよける俺。すぐ横には黄色い槍の穂先がある。

 危なかったー、と思った次の瞬間、伊崎はハンドルのすぐそば、柄の根元部分から生えている金属製のボタンを押した。

 下ハジキだ。まずい、それを押すと傘は――

 ばんっと槍の穂先が丸く広がった。勢いよく開いた黄色い傘布が俺を叩く。


「ぶっ!」


 ダメージよりも、驚きによる怯みの方が大きい。

 しかし、幸いなことに追撃はこなかった。

 伊崎は傘の柄を普通の長さまで戻し、丁寧に傘布を折りたたむ。


「貴様もこいよ」


 自分ばかり攻めるのはフェアじゃないとでも感じたのか、伊崎は立てた親指を自分の胸に添えた。

 なめられている。だが、ここで怒って感情的になってはいけない。

 俺は自分の傘のハンドルを一度引き、また押し込んだ。ハンドルから突起が生える。引き金だ。俺の傘の兵装は、銃なのだ。

 閉じたままの傘をマスケット銃のごとく構える。先端の照準をつけ、伊崎めがけて引き金を引いた。

 もちろん実弾を発射するわけじゃない。撃ち出されるのはゴム弾だ。


「おっと」


 伊崎は槍でなんなく弾丸を弾く。

 一発、二発。次々と狙い撃つが、ことごとく払われた。人間の反射速度じゃない気がする。

 行き場を失ったゴム弾が屋上を囲む金網に当たって、がしゃんとむなしく鳴いた。

 それなら、こういうのはどうよ!?

 俺は横を向いて屋上にある貯水タンクを撃ち、次いで伊崎のやや手前の足元を狙う。


「む」


 ゴム弾は貯水タンクにぶつかると跳ね返り、斜め横から伊崎に迫る。


「ふんっ! ……がっ!」


 槍を大きく横に薙いで跳弾を叩き落とす伊崎の顎を、地面から跳ね返ってきたゴム弾が打った。


「いい筋してるじゃねえか、この野郎!」


 伊崎はすぐに体勢を立て直し、傘の柄を自分の身長ほどまでに勢いよく引き伸ばす。

 閉じられた傘布は鋭くとがった円錐状の穂に、長く伸ばされた柄は硬質な棍棒になって、傘は突撃槍へと姿を変えた。

 強い日差しを反射して黄色く輝く穂先は、ひび割れた天を突いているようにも見える。

 いよいよ本気モードになってくれた、のかな。


「だっしゃあ!」


 突撃槍による突きのラッシュが間合いを削り取る。

 俺はとっさに下ハジキを押して傘を開き、広がった特殊合金の傘布を盾にして防いだ。

 けど、このままじゃ防戦一方だな。

 それに、傘を通して伝わってくる一撃一撃が重くて手がしびれる。


「クモリ。手を貸そうか」


「いいから手え出すな」


 傘布の内側で麗夏が持ちかけてきた提案を、躊躇なく蹴る。

 今はそんな反則技に頼りたい気分じゃない。

 でも、裏技くらいならいいだろう?

 刺突の雨を防ぎながら、ハンドルを一回転させる。これで、弾丸の種類が変更された。


「そらそらどうしたあ! 守ってばかりじゃ勝てねえぞ!」


 ああ、わかってるさ!

 引き金を引いた。傘の先端の銃口から出てくるのは、今度はゴム弾じゃないぞ。

 捕縛用のワイヤーネットだ!


「なんっ!?」


 いきなり違う角度の攻め手を食らい、動きを止める伊崎。

 鋼鉄の網が彼の体にからまり、槍の雨は止む。

 よし、とどめ――!


「クモリ。天錆サビの匂いがする」


 あと一歩というところで、麗夏のそんな声が割り込んできた。

 どこだ?

 必死に視線を巡らせると、伊崎の後ろにいる雨森さんのさらに後方、屋上の一角に、天錆のあのぼやけた黒い影が見えた。屋上に積もったのだろう。ちょうど死角になっていて、雨森さんは気づいていない。

 銃で撃つか? いや、今はただのゴム弾だ。効果は薄い。

 なら!


「でやああああ!」


 俺は閉じた傘を乱暴につかみ、肩の延長線上に放り投げる。銃を銃身ごと発射したんだ。

 投げられた傘は伊崎と雨森さんのすぐ横を縫うように飛び、天錆の顔面をぶち抜いてみせた。たちまち天錆は霧散していく。ざまあみろ。

 そこへ、冷めたような声が耳に入ってきた。


「銃使いが銃を手放したら、残されるのは敗北だろうが」


 傘を開いて出来た網の隙間から脱出した伊崎が、俺のみぞおちに鋭い突きを入れた。


「かはっ」


 息が詰まり、全身の痛みが胸の中心に引き寄せられる思いがした。

 たまらず倒れ込む俺を見下ろす伊崎。


「勝ちを焦ったみてーだが、なんとなく、らしくねえ、って感じがしたぜ」


 俺は苦しくて言い返せない。


「次の授業の準備があるから、悪いな、俺はもう行くわ」


 見た目に反してどこまでも真面目なやつ。

 遠ざかっていく伊崎とすれ違うように、雨森さんが近づいてきた。

 彼女は相変わらず何かにおびえるように、けれどもしっかりと言葉を紡ぐ。


「……約束は、約束だから。あたしはまだ、巡坂くんを許せないかもしれない」


「っ、それよりも」


 少しずつ声を絞り出せるようになってきた。やっとの思いで、なんとか伝えたかった。


「スカートの中、見えてるよ」と。


「~~~~~~!」


 雨森さんはばっとスカートを押さえ、踵を返していった。

 去り際に一言、「保健室は、一階の端」と言い残して。

 屋上のドアの蝶番の軋む音がした。伊崎と雨森さんが出て行ったんだろう。

 よかった。二人とも――とくに雨森さんが、天錆に気づかないままで。

 昼休みの終了を告げるチャイムが響く。

 初登校で、どうやらさっそく授業をさぼる羽目になりそうだなと、ぼんやり考えた。


「クモリ。なぜ天錆がいたことを言わなかった」


 傘から這い出たのだろう、気づけば麗夏が俺の横に正座していた。

 かぶせるように、傘を俺の上に差してくれている。

 珍しい、というか、こいつが怒っているところを見るのは初めてかもしれない。


「クモリはまだ負けていない。あれは無効試合だ」


「いいんだよ。そして俺の名前は久守ひさもりだ」


「正直に言えば、あの女もクモリを見直すだろうに」


「それは……別の話だ」


 ここに、忌々しい天錆なんていなかったのさ。

 今の彼女には、どうしても天錆を見せたくなかった。

 できることなら、ぜひとも雨森さんに許してもらいたい。その気持ちに嘘はない。

 でも、約束よりも恩人を守る方が大事だ。

 だから、これでいいのさ。

 俺は大の字に寝転がった。

 まだ納得のいっていない表情の麗夏を尻目に、空を見上げる。黒いひびが、いつもよりはっきり見えた。

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