運命の再会のち決闘
校門をくぐると、中はがらんと寂しかった。登校中もそこまで人を見かけなかったし、しまったな、浮かれて早く来すぎたらしい。
静かな校内を、なんとなく忍び足で進み、教室へ。予想通り、俺が一番乗りだった。
どれが自分の机かわからなかったので、とりあえず教室の入り口から一番離れた窓側の後ろの席に座る。
机の横からはカップホルダーのような円筒が生えていて、そこに傘を差し込む。教室にも傘を持ち込ませるほどに、
「クモリ。外に出してくれたことには感謝するが、ここは天錆の匂いがしない。話が違う」
差し込んだ傘のわずかに開いた隙間から、
「妖怪かお前は。ここは学校だ。そして俺は
「学校?」
「学生が青春を謳歌するところだ。ここにお前のごちそうはない。授業が終わるまで傘の中にいてくれ。しゃべるのも禁止だ」
俺が麗夏の顔を無理やり押し込んだと同時に、教室の扉が開いた。セーフ。
扉を開けた人物は、つかつかとまっすぐに俺のところまでやってきた。つかつかというより、ずかずかと。
「誰だ、貴様!」
いきなり胸ぐらをつかまれた。俺はあわてて立ち上がる。
「ここの生徒だよ。たぶん教室は間違えてない」
「じゃあ席を間違えてんだよ! そこは俺のだ!」
すごむ謎の人物は、確かに俺と同じ制服を着ていた。クラスメイトとのファーストコンタクトが最悪の形をとろうとしている。
見れば、そいつは髪を金色に染めており、屋内だというのにサングラスをかけていた。そして、サングラスの下から左頬のあたりには傷跡。
初めて会ったクラスメイトは、ちょっとヤの香りがする反抗期少年だった。
「すまん、自分の席がどれかわからなかったから、適当に座らせてもらっていたんだ」
「少なくともそこじゃねえ。どきやがれ」
「はい」
敬語になってしまったのも、致し方ないと思う。察してくれ。
俺は机から傘を引き抜き、席を本来の主へと譲る。
ちょっとだけ自己主張の激しい生徒は自分の杖の上にどかっと鞄を置き、横のホルダーに黄色い傘を差し込んだ。
そしてそのまま座るかと思いきや、教室の前方に歩いていき、あろうことか黒板消しで黒板をきれいに磨き始めたではないか。
そういえば、登校してくるのもやけに早かった。その証拠に、教室内にはまだ俺とこの生徒しか来ていない。
まさか……
俺は鎌をかけてみることにした。
「あのー、委員長?」
「んだよ」
本当に委員長だった! 見た目とのギャップが激しすぎだろ!
「いや、やっぱりなんでもない」
「なんだそりゃ」
ヤクザ委員長はふんと鼻を鳴らし、窓を開けて黒板消しをはたいたあと、花の入った花瓶を持って教室を出て行った。
模範的な委員長の行動を、きっちりなぞっている。
「クモリ。委員長というのはずいぶん乱暴なんだな」
「あれは例外だ。いいから大人しくしてろ」
再び傘の中に麗夏を押し込む。
それから少しして、おそらく水を入れ替えられたであろう花瓶を抱えたヤクザ委員長が戻ってきた。
彼は花瓶を元あった教室の隅の棚の上に置くと、こちらを見やる。
「で、見かけねえ顔だけど、貴様誰よ? 俺は
どう見ての通りだよ。というか、地味に人の名前を尋ねる際に自分も名乗っている。やっぱり根はいいやつなんだな。
「俺は
俺も自己紹介を返す。すると、伊崎のサングラスの向こうの目が見開かれるのがわかった。
「巡坂!? 登校できるようになったのか!」
伊崎はせわしなく自分の席に戻り、数冊のノートを取り出した。
「貴様が休んでた分の授業内容をまとめたやつだ。受け取れ」
「あ、ありがとう」
めっちゃ優しかった。
「ああ、そうだ。休みが長かったから貴様の机は他の場所へ移されたんだ。ちょっと取ってくるから待ってやがれ!」
サングラスを光らせ、伊崎は教室からばたばたと出て行った。
えー……なんかいろいろありがとうな? でもきみ、絶対見た目や言葉遣いで損してるタイプだろ。
さて、時刻はまだ朝の七時半。ホームルームが確か八時二十分からだから、生徒が登校してくるのはだいたい八時過ぎってとこかな。
伊崎はクラス委員だから余計に早めに来たんだろう。なんて律儀な。
そこでまたもや教室のドアが開く。もう伊崎が俺の机を持ってきてくれたんだろうかと思いきや、
「ごめんね伊崎くん。ちょっと遅くなっちゃって……」
教室の入り口には、一人の女の子が申し訳なさげに立っていた。
「あれ、伊崎くんじゃない……?」
ぽかんとこちらを見つめる少女を、俺も眺め返す。
真っ白に伸びた長い髪が不安げに揺れている。スレンダーな体型にセーラー服がよく似合っている。大きくて丸い瞳が、俺に向けられていた。
しかし何より彼女の奇抜さを物語っているのは、その口元。顔の下半分を覆い隠している、女の子が着けるにはあまりにも武骨なマスクだった。
黒い皮だかゴムだかでできていて、表面にはシルバーアクセサリーがびっしりと並んでいる。それらは牙の形をしており、銀色の歯がむき出しになっているみたいで正直怖かった。
威圧感漂う外見だけど、人は見た目で決まらない。さっきの委員長のこともあるわけだし。
俺はなるべくフレンドリーに手を上げた。
「俺は巡坂久守。ずっと休んでたけど、一応クラスメイトだ。よろしく」
俺の名乗りを聞いたとたん、マスク少女の目がはっと見開かれる。
そして、彼女は早足でこっちに迫ってきた。
「巡坂、くん……?」
「あ、ああ」
彼女は自分の震える拳をもう片方の手で押さえ、おずおずと切り出した。
「殴っても、いい……?」
「なぜに!?」
俺なんかしましたっけ!? なんで最初っから好感度がマイナスなんだよ! 引きこもりだったからか!?
了承を得られなかったことを悟った少女は、もう一声。
「じゃあ、刺しても、いい……?」
「お断りだよ!」
ハードルを上げてきたー! おどおどとした態度でとんでもないことを吐き出すなこの子は!
なんで俺が初対面の子にここまで言われなきゃならないんだ。
頭に無数の疑問符を浮かべていると、マスク少女は小首をかしげた。長く白い髪がさらりと流れる。
「もしかして、あたしのこと、覚えてない……?」
俺はまじまじと彼女を見つめ直す。どこかで会ったっけ……?
瞬間、俺の脳裏をよぎったのは、入学式の日の光景だった。
入学式といっても、肝心なのは式中ではなく、式が終わってからのことだ。
校長らの長ったらしい祝辞を聞き終え、式はそのまま解散となった。とくに部活にも興味はなかったので直接帰宅しようとする俺に、声がかけられた。
――あたしの家もこっちなんだ。よかったら、一緒に帰らない。
ああいいよと軽めに返事をしたが、そのとき俺は内心でガッツポーズを決めていた。声の主が、かわいらしい女の子だったからだ。
聞くと、彼女も今年度の新入生で、入学式が終わってすぐ帰ろうとしたところ、俺が目に留まったらしい。傘を差して歩きながら自己紹介をし合い、共通の夢を持っているとわかると、彼女は朗らかに言った。
――お互い、絶対、一人前の天騎士になろうね。
同じ方向を向いて入学したからか、初対面にもかかわらず話は弾み、俺たちはすっかり意気投合した。
そんなときだった。不吉な暗雲が、頭上に現れたのは。雨こそ降ることはなかったが、代わりにもっと厄介なものを降らせてくれた。
天錆が、俺たちの前に立ちふさがった。
ちょうど今朝出くわしたのと同じ、真っ黒なでくのぼうの天錆だった。
俺と彼女はそれぞれ傘を構えた。二人がかりなら楽勝のはずだった。
そう、俺が途中で天錆アレルギーを発病させるまでは、優勢だったんだ。
アレルギー症状が現れたのはそれが初めてだった。よりにもよって、最悪のタイミングで。
自分でもわけがわからず、席と涙をまき散らしながらみっともなく転げまわったのを覚えている。
俺の異変に気づいた彼女は、天錆を相手にしながらこう叫んだ。
――逃げて! あたしは、大丈夫だから!
結局、俺は彼女を置いて逃げたんだ。アレルギーではなく、悔しさで涙をこぼしながら俺は逃げ出した。
たった一人の女の子に逆に助けられておいて、何が天騎士になるだ。
そして俺は、引きこもりになった。
目の前の少女を見ながら、名前をつぶやく。
「
「やっと思い出してくれたんだ」
思い出すのに時間がかかったのも多めに見てくれ。あの日会ったときの彼女の髪は黒く、悪趣味なマスクなんて着けていなかったのだから。
今や彼女の髪の色は真っ白だ。あれからいったい、何があったっていうんだ。
「あの、あたし、怒ってるよ……?」
おどおどとした口調だが、あのとき彼女を見捨てて逃げた俺に対する怒りの深さは、痛いほどわかった。
「その髪とマスク、どうしたのって聞いていい、かな?」
声が震える。俺にそんな質問をする権利はあるのだろうか。
雨森さんは無言でマスクを外す。
俺は、息を詰まらせた。
彼女の口元には、ロールシャッハテストの図形に似た、見る者の不安をあおる黒ずんだ痣ができていた。痣はアメーバのようにじわじわ動き、絶えず彼女の口の周りを移動している。
そのときの形によってさまざまな物体に見えるそれは、月の模様のようでもあったけど、その例えはきれいすぎる。
雨森さんは言葉を続ける。
「戦ってる間に天錆の一部が口の中に入り込んだんだよ。皮膚に天錆が寄生した反応でこの有り様。ほとんど同化に近い状態だから、時間がたっても消えないんだ」
彼女は、過去の傷跡を再びマスクで覆い隠す。
それから自分の白い髪を一房持ち上げ、「これも天錆の寄生の副作用なんだって」とそっけなく告げた。
俺は目のやり場に困って、窓の外を見やる。
校内を歩く生徒の数だけ咲き乱れる、色とりどりの傘が目に入った。
アスファルトの地面にあしらわれた動く水玉模様のようだと、現実逃避に近い感想が浮かぶ。
しかし、いつまでもこのままでいいはずはない。
教室のドアが開き、次々とクラスメイトが入ってくる。
彼らは俺たちに決して近づこうとせずに、一定の距離をとっていた。
俺が避けられるのはいい。しょせん引きこもりだ。
だけど、雨森さんまで腫れ物みたく扱われるのは、我慢ならない。
この子はいい人なんだ。ただちょっと髪が白くて、不気味なマスクを着けているけど、それは全部俺のせいなんだよ。
そう、悪いのは全部俺なんだ!
俺はがばっと頭を下げる。クラスの注目を集めてしまうことになるが、なんなら土下座してもいい。
「あのとき逃げて、ごめん!」
雨森さんは答えない。
十秒ほど経ったあたりで、おそるおそる顔だけ上げる。
彼女は、不愉快そうに眉根を寄せていた。
「やめて」
だめで元々。もう一度頭を下げ直す。
「本当に、ごめん!」
「やめてってば。ホームルームが始まるよ」
いいや、それは、別の話だ。俺の気が済まない。許してくれなくてもいいから、俺の覚悟だけでも、わかってほしかった。
「もう、絶対に逃げたりしないから!」
頭の上から、かすかに息を呑む気配が伝わってきた。
同時に、がたがたと教室の入り口がうるさい音を立てる。
「そら、貴様の机と椅子だぞ巡坂――って何やってんだよこら」
上半身を倒したまま横を向くと、逆さまになった椅子を載せた机を両手で運んできた伊崎と目が合った。
「うちのクラス委員に何かしたのかよ、ああ?」
雨森さんもクラス委員だったのか。言われてみれば登校時間も早めだったな。
男子代表のヤクザ委員長と、女子代表のマスク少女。やたらとキャラの濃いクラス委員だった。片方は俺のせいだけど。
そんなとき突然、上からぽつりと、言の葉が降ってきた。
「許して、ほしい……?」
思いもよらぬ問いに、俺は勢いよく体を起こす。
「そのためなら、なんでもする。なんでもしてみせる」
目を見て、俺は言い切った。
「じゃあ」
雨森さんはすっと腕を横に伸ばし、人差し指を向ける。指差した先には、机をかかえたままの伊崎がいた。
「昼休み、伊崎くんと戦って。勝てたら、許してあげる」
「へ?」
俺と伊崎のまぬけな声が、きれいに重なった。
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