第4話
今日は雨だ。雲の切れ間から時々光が差して、水の粒が反射して光っている。
タクシーから降りてすぐに画廊に入ることができた。時刻は三時より少し遅れていた。
詠地のことを見つけたオーナーが、近くに来て挨拶する。
「こんにちは。お越しいただきありがとうございます」
「ええ、こちらこそ連絡、ありがとうございます。で、作者の子は……?」
「それが、今日の雨で少し道路が混んでいて、半ごろに遅れるそうでございます。今お茶を持ってきます」
オーナーが奥へ行った。
画廊は以前と少し変わっていて、秋の入り口が迫っているからか、紅葉の絵が多い。
以前少し目についた紅葉の絵も、その中に紛れて分からなくなっていた。
その点、あの絵は「他の絵と混じって分からなくなる」ということは全く無い。
それは技術が荒削りだから?それとも絵の持つ力量が違うんだろうか。
詠地はちらちらと他の作品を見ながら、どうしてあの海の絵だけは忘れられないのか、不思議に思っていた。
「なにか、気になる絵は見つかりましたか?」
「あ……いえ、特には。前にあった紅葉の絵がどれだったか忘れてしまったんですが…」
「季節によって飾る絵を変える方も多いですから、時期物ですね。この前いらっしゃった時にあった紅葉の物は…多分これだと思うのですが。まだ秋物は一点しか入っていなかったので」
詠地はその絵を見たが、特に何の感情も湧かなかった。
「すみません……これだったかな?」
「技術があるからと言って、印象に残るわけではないですから。だから私は、あの子の絵は特別だと思っているんですよ」
「特別…?」
その時、入口のドアをガタガタと開ける音がした。ドアを開けるのに手こずっているのがわかったので、詠地が手伝いに行く。
ジーパンに白いTシャツの青年が、大きな袋をいくつも持って、鏡貼りのドアと格闘していた。
「どうぞ」
詠地は金の取手を持ち、大きく開いた。
「あっ、ありがとうございます」
「これはこれは。お越しいただき、ありがとうございます。では、奥の方へ…」
オーナーが青年と、それと詠地をチラリ、と見た。
「祐海さん、こちらの方が、絵を気に入ってくださった詠地さんでございます」
「あ、そうなんですか?いや、あの、はじめましてです。祐海です、よろしくお願いします」
詠地は少しとぼけて、ああそうかと合点がいくと、この彼が「あの海」を描いた人なのだと気付いた。
「よろしくお願いします。絵、飾ってます」
「ありがとうございます。どこに?」
「……ピアノの楽譜立てに。額縁取って、置いてあります」
祐海という青年は笑った。
「その置き方は初めて聞いた」
オーナーが祐海から絵の入った袋を受け取る。ついでに詠地にお茶の入ったマグカップも渡して、お二人でどうぞ、と言うように、静かに消えていった。
「あなたの絵、面白かった。袋の中のあの絵、今度はなにを描いたんですか?」
「海です」
「海しか描かないんですか?」
詠地がそう言うと、祐海は小さく、「はい」と答えた。
「最近は秋のこういう……紅葉の絵とかが流行ってるらしいですけど」
「そういうのは僕は描かないです」
「じゃあ、本当に海の絵だけ?」
「海しか描けないんで」
「そうですか」
詠地は少し笑って言ったが、頭の中はクエスチョンでいっぱいだ。
あんなに面白い絵を描くのに、描けるのは海オンリー。
「僕は詠地って言います。俳優をしてます。よろしく」
「僕は祐海です。十七歳、もうすぐ十八です。よろしくおねがいします」
「テレビは観るの?」
「いえ、ほぼ全く。家でもテレビ好きな人居ないんで」
祐海はこざっぱりと、真実だけを言う。たとえ目の前の男がテレビを生業としていたとしても、それは祐海には関係ないことだから。
詠地はここまで他人の反応を気にしない祐海を、羨ましく思った。詠地自身も自由型と言われることは多いが、あれでもかなりセーブしているのだ。
「でも、映画は観ます。一年くらい前の、林監督のに出てませんでした?」
「あ、それめっちゃ主演です」
「やっぱり。映画の中で髪色金髪だったから、下手したら違うかもと思ったんですけど」
「カメレオン俳優で売ってますから。そう言われるのが一番嬉しい」
「…よかった」
それはたった一瞬のことであったが、祐海は詠地の右あたりを見て目を点にした。
「何かある?ここ」
「あっ、いえ。何も。僕、他の絵見ますけど、一緒にどうです?」
「じゃあ、俺も。」
詠地は祐海の後ろをついていった。
祐海の動きは、これまた面白くて、絵に対して興味のあるなしがすぐに分かるのだ。
チラリと見てから冷ややかな視線で逸らせば、興味なし。一瞬目に入っただけでも、二度見して目を凝らすのは興味あり。
「これ、すごく良いですね。技術がない」
そう言って祐海が嬉しそうな顔をしたのは、これは大きな顔だけが描かれた絵だ。輪郭が無く、目と鼻と口と眉毛があって、肌色は鮮やかなピンクや青の色調だけでキャンバスを埋め尽くしている。
「普通、顔にこんな色使わないですよね。でも普通のことしてないから、これ好きだ」
祐海は詠地に対して敬語など忘れているようだった。面白がるような、半笑いの祐海の顔は、おもちゃを見つけたときの子供のような純真さを見せる。
詠地は、ちらりと視界の端にオーナーの姿を見たが、スーツは微笑みながら奥に消えた。
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