5 押さえ込まれた暴走
――『かみかえし』って、なぁに?
幼少の頃、榊守は神還師の仕事について祖父の英明に訊いたことがあったのを思い出した。
祖父母とは離れて暮らし、年に数回の帰省程度しか会うことがなかった。しかし病弱だった榊守は何度か大きな病気を患っていた時期もあり、会う機会はもっと少なかった。大きな病気の中には今の榊守に至った『あの病気』もあった。
『あの病気』で入院先から退院してその年の夏だったろうか、そんな質問を榊守は祖父にしたことがあった。その時の祖父は、数少ない写真にあった袈裟道着に身を包んだ姿で、二人で縁側に座っていた。
榊英明は榊の問いに答えていたが、その回答は聞き取れない。その答えを聞こうと近づこうとすると、そのまま榊英明は目の前から離れ、目の前にある黒い闇に向かっていた。
榊守もそのまま闇に近づこうとすると、その闇の奥から炎が吹き出してきた。
榊守が炎を両手で遮ると、そこはいつも夢でうなされていた森の中のワンシーンだった。
眼前の木々が燃え、周りを僧侶が取り囲む。森の広場みたいなところで、周りは炎に囲まれたその場所は変わらないが、今までと異なるのは榊守も英明と同じ袈裟道着に身を包み、その手はどす黒い血で染まっていた。そしてその側には血に染まった人が倒れている。
――この風景はいつも見る。
今回ばかりは榊守の意識は普段のように怯えていなかった。ほとんどが
榊守も祖父と同じ神還師だったのか?
今も神還師の資格に関しては無縁と考えているが、この状況が封じられた記憶から派生したのか、今日発生した全ての要素がつながって出来た物なのかが判らない。更に榊守の興味は、目の前にいる負傷した人物が誰なのか気になっていた。
榊守は背中を向けてうつ伏せに倒れている人に手を出して、仰向けにしようとする。
誰もそれを止めようとしなかった。周辺の人物は完全に人形のように黙ったままだった。
今ならわかる、そう思った榊守は幼いながらに力を掛けた。
すると突然その体は、くるりと回転した。まるで串焼きの焼き面を替えるためにくるくると回したような物だった。その体は止まらない。
何かを邪魔するかのような動きに榊守は苛つきながら、その動きを左手で掴むと動きは止んだ。榊守はその顔を見た瞬間絶句した。
それは榊守本人だった。いや、正確には幼い榊守ではなく、歳をとった榊守だった。
榊守は振り向き、英明を見た。英明は沈黙したまま、持っていた錫杖を榊守に向かって振り下ろした。
――待って、
その言葉と共に榊は気がついた。
「――」
目覚めた場所は、知っている和室だった。布団が敷かれた和室で、榊は一人寝ていた。
榊は布団から起きた。着ていた袈裟道着は脱がされて、山に行く前に着ていたいつものヒッコリーシャツを着ていた。ズボンもそのままで、特に何かをした気配もない。
周囲に手を伸ばそうとしたが、急な刺激を感じた。
――体の節々が痛い。
よく見ると体の何カ所かに青あざがあった。痛みの中、榊は直前の記憶が山の中で止まっていた。確か社の迷い神を移していたら、重苦しい気分になってその後……、
その後は?
榊はその部分の消えた記憶が思い出せなかった。実際の所はそのまま気を失っていただけだが、その分恐怖が榊を襲っていた。
榊は手元の時計を見ると、すでに24時を越えて、深夜2時だった。榊は痛みの中、立ち上がると部屋の扉を開けた。部屋は来客用の和室で、いつもの実家の廊下が見えた。廊下の先に明かりが見えたので、榊が痛みに顔をしかめながら歩くと、そこはリビングだった。
リビングでは、薄暗い照明の中で理彩がコーヒーを飲みながら深夜のテレビドラマを見ていた。東里でも見ていたドラマだが、東里と西川ではテレビの系列局の数も違う為、同じドラマでも系列局が違えば遅れて放送されていることも普通にあり得る。理彩はたまに振動する携帯電話のメール着信を見ながら、チコチコとキーをたたいてメール返信をしていた。
榊が扉を開けると、理彩はちらっと榊の方を見るとまた視線を戻した。
「あのさ……」
「無茶はしないでくださいね」榊の言葉を理彩はぴしゃりと遮った。
「悪い。他のみんなは?」
榊は傍の椅子に座ると、すでにいない神楽達のことを思い出していた。
「神楽さん達はあなたを家に帰してからそのまま宿に戻りました。明日帰る予定ですが、午前中に柏家に立ち寄ることになっています。」
「そうか、確か申請や報告がどうのと言っていたな。」
「申請だけじゃなく、折角四国のうまいものを食いそびれたから何か旨いもの寄越せと言ってましたよ。」
理彩の言葉に榊は顔をしかめた。
「その辺りは、柏の大叔母様が対応はすると言ってましたよ。もちろん、あなたも付き合えと。」
「でしょうな。集合は何時だって?」
「明日の10時」
「わかった」
榊はまた立ち上がると階段を上り自分の部屋へ入る。
榊は部屋に入ると、鞄からいつもの黒い手帳を開いた。直近に書いていた、『狛江谷』の項目には祖母が出身だったことが書いてあり、その下に榊は更に記入する。
『祖父の写真、神還師への疑問、袈裟道着、槍』
『夢:同じ状況・袈裟道着を着た私・犠牲者の顔、ヤヌス的な物か?』
ヤヌスは双面の顔を持つ神の事だが、神の事よりもここでは、同じ顔だった事に対する榊の一時的な判断として考えているが、いずれそれは何なのかは今後はっきりするであろう。
榊は槍に丸印を点けると、更に矢印を書いてページを戻すと槍から連想したキーワードを探すと、一件だけ気になる表記があった。
『槍:火傷の原因?』
榊はその情報を記入して、更に英介が言っていた『槍:榊家神還師の精神の柱』と書き記した。精神の柱が槍?どういうことなのかは判らないが、昔の榊家にあった古い法具には槍はなかった。確か槍は柏家に渡したとも言っていた事も朧気ながらに英介は言っていた。
英介には祖父の写真をもう一度見せてもらうことにして、槍については……、
――訊ける物なら訊いてみるか。
榊は手帳を閉じるとまた下に降りた。
「失礼します」
ふすまの奥から「入りなさい」の声を聞いて佐山がふすまを開ける。
東里で榊守の知り合いである佐山が柏家の総代である柏香織を訪ねたのは滝ヶ谷での一騒動が終わった後のことだった。気絶した榊守を家に送り、神楽達に一旦宿に戻ってもらう手はずを終わらせた後だった。
柏香織は普段と変わらない落ち着いた和服姿で座卓に正座をし、手帳に万年筆で何かの記録を書いているが、佐山には背を向けており、何を書いているのかは解らなかった。
柏香織は佐山の気配が後ろに座ったことを感じると、書くのをやめ万年筆の蓋を閉めてそばにおいた。
「急な対応で悪かったわ。」
「守様が偶然銭剣を持っていて助かりました。やはり錫杖では難しいですね。」
「あなたの力自慢を報告してくれと言っているわけではないわ。経緯はどうであれ、暴走を防いでくれて助かったわ」
「とはいえ、あの銭剣がなければ守様を起こして……」
「起こしても何もならないんじゃないの?」
柏香織の口調は若干落ち着いてはいるが少し強かった。佐山はその動作には慣れているようで、特にその口調に対しても表情は変えていない。
「起こしても、何も出来ずに暴走のまま危険にさらしていただけじゃないの?記憶があそこまで消えてしまっていたのは、私の想定外だったわ。」
柏香織は何度か佐山の発言を遮ろうとしていた。それはその状況は判ってはいるものの、信じていないという意地みたいな物が漏れているようにも感じる。
「今回の葬式に必要な呪詛は憶えていたはずよ。英明さんの葬式の時に行った『弔いの奏上』を知っていたはずなのに……」
柏香織は拳を握るとこんこんと座卓をたたく仕草をした。
「結局今日の守君の呪詛はただの封じの呪文だったじゃないの。なぜあんなことになるのかしら?」
「守様は、術は使えません。」
佐山の淡々とした答えに、柏香織は眉をひそめる。
「佐山、あなたの最近の報告では実際に技を使ったのではないの?」
佐山は表情を変えず、じっと柏香織を見る。
「守様の呪詛に関する記憶は5年前の天玄山の時に私が封じた事を報告しました。その封仕込みは今もそのままです。今の時点で守様は、昔知っていた呪詛は殆ど知らない事になっています。」
柏香織が告別式の時、榊守に呪詛を唱えさせようとした理由、表向きは榊家から最後の言葉を告げる事でその場を収める目的としているが、本音は榊京介の『断り』に対して、息子の持つ力を見せつける目的だった。
しかし息子が見せたのは葬儀とは関係の無い魔封師が使う呪詛だった。
あの場では抑えて、再度柏香織の手で唱え直したが、内心はかなり乱れていた。
葬儀という状況下で親友の葬儀の前で怒ることもできなかった。
「守様は何度か記憶を思い出そうとしていましたが、中途半端に思い出しては制御が効かずに墜ちようとしていました。」
佐山の言う『墜ちる』は、榊守の暴走のことを指しているのだろう。過去の暴れ神に対して見せた残忍な行為によることを総じているように見えるが、本心はそこにはないようにも見える。
「封じたのだとするなら、ここ最近の対応は何?話を聞く限りだと記憶を戻しているように思えるけど」
「その事ですが……」
佐山は柏香織に近づくと小声でボソボソとしゃべると、柏香織の表情が厳しくなった。
「その根拠は?」
「私ももしやとは思いましたが、それなら理由がつきます。」
「私たちの予想は外れていて、あの力は彼の物ではないという事」
「守君の力の理由はやはり……」
「だとすると、完全に
「それはなんとも言えないわ」
「しかし……」
「大事なことは、本人の認識であって他人の評価ではないわ。」
柏香織はまた机に向かう。
「そろそろ、向き合う必要があるようね、でも今の状態じゃダメね」
「解きますか?」
「本人の意思なくやってはいけないわ。」
柏香織の表情は硬かった。
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