4 既の所で

「杉崎、さっきの信号弾の場所に急いで向かいなさい!」


柏香織は榊守からの連絡を受けると近くにいた杉崎に叫んだ。

「急いで向かいますが時間が掛かります。」

「佐山は?」

「例の『傍観者』の確認で山の外れに……」

「なんてこと……、守君達が危ないわ」

柏香織は杉崎の報告に絶句した。

アイツだったら、亡霊程度のことなら対処は……」


「今、のは御法度なのよ!!」


杉崎の対応に、柏香織の怒号が飛んだ。杉崎は、普段凛としている柏香織が普段見せない動きに少し驚いた。

「失礼しました」杉崎はそのまま数人の魔封師を連れて光の方向へ向かった。

柏香織は携帯電話を出すとボタンを押して通話をしていた。

「すぐに彼の所に行きなさい。」

携帯電話の通話ボタンを切ると、折りたたみ、ため息をつく。


――間に合わないか。




東里の魔封師達はただ待ちぼうけの状況ではあったが、信号弾の状況から次の流れを今か今かと待っていた。


「あの信号弾周辺、結構騒がしくなってますね。」

「拠点から見てもきっきの信号弾だと間に合わんだろう。」


しかし端で見ていた伊野宮は違っていた。井野宮は自分の携帯電話に届いたメールを見ていた。電話を閉じると、伊野宮は静かに言った。


「撤収だ」


その一言に魔封師達は一斉に伊野宮を見た。

「ここまで来て撤収って、どういうことですか?」

「西川の魔封師から情報がきた。東里の審議会から、これ以上柏家の監視は不要だとさ」

「それを真に受けるのですか?」

「そうだ」

伊野宮の表情には少し暗さがある。

「それは気山町の件も絡んでいるってところかい?」

片瀬仁は伊野宮に聞いてきた。

「まぁ、そんなところです。」

伊野宮は少し濁した感じで言ったが、亡霊の発生が天玄山の一件も含めて、他の魔封師を巻き込むのは危険と判断していた。西川市の魔封師の団体からは、あの信号弾以降状況が一変したのだという。実情は異なるが、伊野宮と同じく外様の魔封師に被害を出すわけにはいかないという理由ではある。

「仕方ない。撤収に入れ!」

片瀬はそのあたりを組んで伊野宮の指示に従うことにした。不満を垂れる仲間もいたが、撤収は早かった。


「恭ちゃん」

「まぁ、解ってます。気になるところはあるんですが。」

「その判断のどうこう、じゃないよ。実際にアイツの恐ろしさを知っているのは他ならぬ君だけなんだからな」

「向こうの物言いだけではないですけどね。」

少し伊野宮が視線を外す。

「ああ、確かに感じた。あれは多分」

その視線に対して片瀬も気付いていた。

「柏家に仕える佐山ですかね?もういませんけど」

伊野宮は、昼に見た写真の男を思い出していた。

「ああ、昔とそんなに変わってなかったよ。空気の変わるあの視線はな。」

「ああいうのが多いんですか?柏家というのは。」

「いいや、他は俺たちのような武闘派ばかりで、あの存在は、総代と呼ばれた柏香織ばあさまに近いな。」

そんなことを話していると、撤収作業は終わっていた。伊野宮は車に乗ると、連絡をもらった西川市の魔封師に電話を掛けた。

「では、こちらはこれで撤収します」

『申し訳ない。危険な目には合わせるなというお達しでな。』

数時間前に会った印象と同じく、電話の声は淡々としていた。

「構いません。我々も監視されていたみたいですし」

『監視?』

電話から聞こえた声が、淡々とした勢いを止めると、その返答には少しの疑念が混じっているように伊野宮は感じた。

「ええ、実際に見られていたというわけではないのですが、少なくとも数人はそう感じたようです。」

『そういった動きはしていませんが……』

「もちろんそちらではなく、多分ですが柏家の佐山という……」


『柏家の佐山に会ったのですか?』


電話の声は上ずっていた。伊野宮は佐山の名前を言った後で少し後悔していた。

「いや、会ったわけではなく……」

電話の先では、通話口が押さえられていたが、若干の声が漏れていたが、相手側も沈黙が続いていたと思っていると、騒ぎ声が聞こえだした。


『伊野宮さん、これ以上何も聞かずにこのまま西川市を出てってください。東里の審議会にはこちらから状況は報告するんで。』


「あの、でも……」

『頼みます』


突然電話が切れた。


「なんだ?」


伊野宮は首を傾げた。片瀬はその流れを助手席で見ている。

「どしたの?」

「さっさと帰れって言われました。」

伊野宮は携帯を閉じると。車のエンジンをかける。

「何か急すぎないか?」

「ええ。でもこれ以上はなんとも言えないので、その指示に従いましょう。」


伊野宮はその疑問にも黙って従うことにした。たとえそれが、端から見れば負け行為だと思われても今回のことでは特に問題ないと素直に判断できた。

その判断には、周囲も反対はしなかった。それは、伊野宮の意外性だけではない事は十分判っているはずだと。



――一方、亡霊に飛ばされた榊はその場でまだ延びていた。


「ダメだな。気を失ってる」

寛三は気絶した榊を見る。


「そんな……」

結界の中にいたミキと藤本は榊を見てあきれるしかなかった。

「とりあえず耐えるしかないけど、あと5分くらいかかるんだっけ?」

藤本は急ぎで張った簡易結界を心配するが、亡霊は榊への攻撃の後、結界に入った神楽たちを見つけられていない。

しかし、その状況に腹が立っているのか、時に叫び、時に縦横に動いたりして、簡易結界周りの木々や地面を抉るほどの衝撃を与えていた。その余波が簡易結界のロープを揺らしていた。

「さっきの神様ちゃんと持ってるよね」

「大丈夫、ここに……」神楽ミキが迷い神を取り込んだ和櫛を手に持って見せようとしたその時だった。亡霊が簡易結界に乗りかかり結界が大きく揺れた。

その衝撃で、和櫛が手から離れ結界の外へ落ちてしまった。

「うそ!!」

その音に亡霊は反応して咆哮を上げる。


ミキが落とした和櫛を取り戻そうと結界から出ようと手を伸ばす。

「ミキちゃん!ダメ!!」

藤本がその手を引っ張り戻そうとする。簡易結界自体は人間には影響がないので出入りは自由だが、存在を亡霊に晒してしまう危険性を伴う。それを本能的に察知した藤本が止めたのだ。

「あれじゃあ、迷い神が……」


止めようとしたが無駄だった。亡霊はその和櫛を踏みつぶしてしまった。


踏みつぶした瞬間、亡霊はその動きを静止した。

わずかな沈黙が流れるが、それは一瞬だった。

亡霊は、声にならない悲鳴を上げると、踏みつぶしたままの和櫛から黒い煙みたいなものが噴き出した。その噴き出した煙はそのまま亡霊を包み込み、お互いに共鳴し合って、その形を替えようとする。


「やばいよ……あれ。」

「この展開まずい……。」

拠り所として用いた和櫛が壊れた場合、何が起こるのかを知っていた。伸びている榊を除く全員が青ざめた。


亡霊は迷い神を吸収した怨霊は、悲鳴と共に更に大きくなった。黒から灰色に変わり若干の狐の形も少し混じったような、何とも表現しにくい物となった。


「本当にまずいな……。」


普段は見えない寛三も怨霊が混じっていく様子は見えていた。人の目にも見えるほどの強い念の様な物が発せられているのであろう。


怨霊は、自らの変形と共に吼え出した。一気に空気を揺らし、その圧は簡易結界に重大な綻びを与えていた。

「簡易結界はもう保たないし、榊を起こすしかないけど、これじゃ体制を直せない」

藤本は榊のそばに転がっていたトランシーバーを拾うと、再度呼びかけた。

「援軍はまだなの?」

『もう少しで着く』

トランシーバーから杉崎達の声が聞こえて来るが、まだ手間取っているようだ。


――もうだめなのか?


諦めを察知したかのように簡易結界が崩壊した。怨霊は突然現れた神楽達神還師の存在に気付くと、巨大な腕を振りかざす。


……もうだめだ、と思ったその刹那。それは突然の登場だった。


柏家とも格好の違う黒色の背広を着た銀髪の紳士が、神楽達の前に現れた。

空から木を縫うように現れ、怨霊の腕に棒状の何かを当てると、簡易結界の壊れた神楽達への攻撃を抑えていく。更に、その動きを利用して体をひねらせると、そのまま棒を地面に立てる。それを足掛かりにして再度浮かび上がると、その反動で回した棒を怨霊に叩き込んだ。


紳士は棒を持ち体勢を整えると静かに着陸した。

その背広には汚れがなく、清楚な身なりだが、若干の窮屈さがあるのか、ネクタイを少し緩めシャツはトップのボタンを外して、ラフな感じになっていた。


「あなたは……」

神楽ミキはその紳士に覚えがあった。初めて無縁屋に連れて行ったとき、榊と話していた紳士だった。


「柏家の者です。信号弾を見て駆けつけました。」

紳士は神楽をチラッと見ると、また怨霊に向き直った。


よく見ると棒と思っていたものは魔封師が使う錫杖だった。怨霊は再度咆哮をあげる。錫杖だけでは抑えきれないほどの大きな素体が紳士に襲いかかる。神楽達は恐怖で動けないが、その様子を見ている事が精いっぱいだった。


のしかかる闇に対して、紳士は冷静だった。

錫杖を地面に刺すと、静かに右手の指二本を口に添えながら術を唱える。


怨鬼滅波解離えんきめっぱかいり

突き刺した錫杖は光を帯び始め、その光を閃光の如く解き放つと、怨霊が少し怯んだ。


遺練抜未絶恨ゆいれんばつみぜつこん還世廉精恨解壊かんぜれんせいこんかいかい

突き刺して光を失った錫杖を左手で抜くと、静かに右手の指二本を口に添えながら術を唱える。更に右手の指二本で錫杖をなぞると、錫杖は光を再び帯び始めるとその形を変える。


「錫杖の形状……、あの呪詛……」


錫杖は槍の形に変わっていた。藤本は紳士の姿を見て思い当たることがあった。先端が変形し始めて刃が現れたが、独特の形状で、祭祀で使われる物に近い。紳士はその光の槍を軽やかに持つと闇に向かって思いっきり振りかざした。


しかしその行動に怨霊は怯まない。怨霊は自らの腕で、その光の槍を防いだ。その挙動は紳士も想定外だったのか、塞がれた槍に更に力を込めてその腕を断ち切ろうとしたがビクともしない。怨霊がその腕を振り払うタイミングを見計らうとそのまま槍から手を離し、神楽達の前に着地した。怨霊は腕に刺さったままの槍を抜くと、その錫杖を二つに折った。


紳士はその状況に深いため息をつくと、やれやれという表情で、神楽達に向き直る。

「この状況は……」

神楽が紳士に尋ねようとすると、紳士は気絶したままの榊を見る。すると紳士は榊の襟元をつかむと上体を起こす。その表情は厳しいままだった。


「ちょっと……」


神楽ミキが榊に乱暴する紳士を止めようとすると、また大きな叫び声が聞こえた。怨霊が大きな叫び声を上げると、紳士に向かって突進し始めようとしていた。


紳士は倒れていた榊の傍に落ちていた英明の作った銭剣が眼中に入った。それに気付いた紳士は榊を神楽に放ると、その銭剣に手を伸ばし掴む。そのまま怨霊に振り向くと銭剣を投げ刺した。

その一瞬の所作に、怨霊は遅れて気付き悲鳴を上げる。紳士はその隙を突いて近づくと刺した銭剣を掴む。


滅波惨箔磯城壊魂めっぱさんぱききかいこん

そのまま呪詛を唱えながら、更に銭剣を深く押し込む。


怨霊が大きな叫び声を上げた。怨霊の胴体に亀裂が発生し、光が漏れていた。錫杖の攻撃と違いとどめを刺したようであった。悲鳴と共に怨霊はその形状を維持できなくなり、崩壊していく。


「あれは……」

崩壊した形はそのまま粒子に変わり地面に消えていったが、そこに光る物があった。

神楽ミキが駆け寄ると、軸を移した迷い神を納めた和櫛が落ちていた。よく見ると傍には銭剣も落ちていたが、和櫛の傍に銭剣が刺さっていた。和櫛は怨霊を形成していた粒子で汚れていたが、ひび割れや欠けがなかった。


――まさか、と神楽ははっと思い、両手で和櫛を抱えると、小さな光を発していた。迷い神は先の怨霊に取り込まれることなく、紳士の攻撃は迷い神を避けていたのだ。


藤本は神楽ミキの傍にしゃがみ、和櫛の傍にあった銭剣を触ろうとしたが、銭剣を結んでいた紐が炭化しており、手を触れようとした瞬間、銭剣はそのまま形を保てずに崩壊した。

「……」

藤本が沈黙している姿を紳士はじっと見ていたが、すぐに振り返り、気絶したままの榊に駆け寄った。


「まだ目覚めないようだ」寛三は榊の様子を見ると、榊はずっと意識を失ったままだった。

紳士が榊の様子を見ていると寛三が思い出したように口を開いた。


「しかし相変わらずですな、佐山さん。まだ彼の世話役を?」


紳士はじっと黙っていた。

そしてその沈黙に呼応するように、杉崎達本隊が現れた。

「神楽さん、遅くなりました。」


紳士はそのまま本隊達に任せると、本隊が来た道を歩いて行った。

「お父さん、あの人知ってるの?」

ミキに問われた寛三はハッとした。

「ああ、あの人は昔から柏家に仕えていた人だよ」

「そうなの?」

ミキは首をかしげる。

「どうしたのミキ」

藤本が怪訝そうに近付くと、紳士の後ろ姿を見ていた。

ミキはかしげた首を戻すと、この紳士が何者なのかを思い出した。


「あの人、東里で何度か見た事ある。この間、榊と話してた。」


藤本が寛三を見るとその表情は硬かった。

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