2 疑念の境界線

――気山町の廃寺にあった大楠で起こった迷い神の暴走から数日後の出来事になる。


大楠の枯れた現場から東里市に戻ってきた神楽かぐらミキはまだ榊のことでモヤモヤとした気持ちだった。――何者なんだ?それが本音ではあった。ただでさえ飄々としてわかりにくいところがあり、更に神を殺すと言う行為を行った榊が信じられなくなっていた。


「いらっしゃい」


チリンと鳴ったドアの呼び鈴にミキははっと気付く。いつの間にか足は自宅の神楽不動産ではなく、魔封師の伊野宮恭介いのみやきょうすけが店番をする古物商『無縁屋』に来ていた。ミキは周囲をキョロキョロとしながら、なぜここに来たのか考えていたが理由もない。さらには店主である伊野宮にもじっと不思議な顔をされていてはどうしようもなく、ただただ赤面するしかなかった。


「ゴメンナサイッ!」


恥ずかしさでドアを閉めようとするが、逆に店主は突然現れた常連客に対して違う反応をした。


「ちょっと入ってくれないか?」


伊野宮は買い付けた骨董品のクリーニングの最中で、大型のめがね型の拡大鏡を掛けていた。


「なんですか?」ミキはレジ近くに来ると恐る恐る訊いた。

「そんなだろう。知り合いからうまいコーヒー豆をもらったんだが飲まないか?」


ミキは沈黙していたが、頷いた。伊野宮は拡大鏡を外し、店の奥に入ると、コーヒー豆の入った袋と湯沸かし道具一式を持ち出してきた。道具と行っても喫茶店の本格的な物ではなく、アルコールランプと五徳に二人分程度入る小さなガラスポットに水を入れ、ランプに火をつける。ミキはレジのそばの椅子に座った。売り物ではない椅子で、店主はたまに現れる常連客との他愛のない会話をするための物だろう、伊野宮はその行為を横目に見てコーヒー豆をミルで挽いていた、湿り気のない軽い香りが店内を漂う。


「気山町の件は大変だったみたいだな」

挽いた豆を広げた紙フィルターのついたドリッパーに入れながら伊野宮はミキに訊いた。


「私たちは何もできなかった」

「榊がまとめたのか?」

「……よくはわからないけど、結果は榊が何とかしたのだと思う」

ミキはそう語りながらただ黙っていた。

香りと共に店内には沈黙が流れる。ランプの炎でゆっくりと熱せられたガラスポットの水は沸点に向かっていた。伊野宮はランプを五徳から引き出すとキャップで蓋をして火を止める。

適当に用意したマグカップにドリッパーを乗せて上から沸かした湯を注いでいく。


乾いた甘い香りが少し湿り気を含んだ香りに変わる。


「ミルクは要る?」

「砂糖だけで」

ミキはそばにあったスティック砂糖の束から砂糖を一つ取り出す。


「まぁ、あいつなら何かできるんだろうな」

伊野宮は自分に入れたコーヒーは何も入れずに一口飲む。程よい苦みにコーヒー独特の酸味が口に広がる。

伊野宮は以前、天玄山で榊にやられていた。能力を見る程度に仕掛けた事が逆に封じられて、一緒にいた仲間はその時の記憶のみを消されて、その行為自体が戯言として誰にも信じてもらえなかった。その後も榊からは波風を立てるなという忠告をもらっていた。


「あんな神還師見た事ない……。」

ミキがぽつりとしゃべる。

あいつは免許持ってないだろ?」

「そうだけどさ。神還師のようで魔封師みたいに攻撃できる神還師なんて聞いた事がない。」

ミキがコーヒーを飲む。若干苦みを感じたようで少し顔をしかめた。


「魔封師のように振る舞う神還師ね……」

伊野宮の言葉にミキがちょっと反応する。

「いるの?そんなの?」

「まぁ、存在しなかったわけじゃないからね。」

伊野宮がコーヒーをすする。

「でもあり得ないんじゃないの?両方が共存する使い手なんて……」


「なんであり得ないんだ?」

伊野宮が、ミキの言葉を制止する。


「それは……」

ミキは黙り込んだ。神還師である魔封師であるそれぞれの理由という物をよくよく深く考えてた事があるかと言えば微妙だった。


伊野宮はため息をつくと、そばにあった椅子に座る。


「理由としてなんで神還師・魔封師が二つに分けられているんだ?という話になるな。」


伊野宮はカウンターの自分のコーヒーに手を伸ばして飲む。

「魔封師と神還師は神を相手とするのは共通だ。神を『生かす』か『殺すか』、……君たちの言葉で言えば『肯定する』か『否定する』かという対極にあるとされている。神還師は土地神を守るが、人を守ることはできない。魔封師は人を守るが、土地神を守ることはできない。この矛盾含めて神還師と魔封師に分かれる最大の理由だな。」

「なんかとんちのような話ね」

そして、その両極を一人の能力者が持つ事は、神に対してことわりに反すると言われるという。その状態は神にも人にも信用してもらえないということで、この考えは古代から形骸化されたとされる。

「でも、神還師と魔封師の根幹は一緒で、どちらを司るかは一度だけ選択する事は可能なんだ。君が神還師ではなく俺と同じ魔封師の道を選ぶことも本当はできた。だが家社会の強い日本においては家系・血筋を重んじる事が大半だ。選択の余地を与えない場合が多く、神還師の一族といった表現をする事がある。」


ミキはふと自分の環境について思い出していた。ミキの父親である、神楽寛三は神還師の能力は持っていない。父の兄弟の内、弟でミキの叔父にあたる俊貴としたかおじさんは僧侶でありながら神還師であるが、とある事情で神還師の業務には参加できていない。そして祖父であり数年前に亡くなった要蔵ようぞうも本業は今の不動産業とは異なるが、生きていたころ有名な神還師だったと聞いている。そうやって考えれば神楽ミキが神還師である理由というのも自然的ではある。


「まぁ、そんな神還師と魔封師の両方の流派を持っているというのはどっちから見ても異端者扱いではあるが、実在したという話はある。それは四国にいると。」


伊野宮は立つと古書のある棚に行った。そこから一冊の古書を持ち出してきた。


東西對神師書とうざいたいしんししょ』行書体の筆跡で書かれた本を伊野宮はめくると、楷書体で書かれた漢字だらけの文章からあるページを開く。コーヒーの香りから周囲が古本独特のかび臭い匂いに変わり、少し神楽はしかめる。

「これだ――『伊予二名洲いよのふたなのしま封還衆ふうかんしゅうさかき』。」

開きのページの半分に漢字による説明と、隣には日本風の絵で槍を持った女性画があった。

「女性?」

「文書にはこう書いてある。『伊予二名洲いよのふたなのしま封還衆ふうかんしゅうさかきの一族は燕鏡えんきょうにより開かれた封還衆の一団である。神との対話を行いその調停は厳しく封じられた神もいたという』と書かれている。ここで言う伊予二名州というのは昔の四国の事を指して、四国の榊の一族と書いてあるんだ。」

榊の名前にミキは少し固まった。

「もしかしてそれが……、榊の先祖?」

「名前が一緒ってだけであって、彼の家かどうかは分からない。」

「どういうこと?」

伊野宮はさっきの古書と共に持ってきた、もう一冊の本を出す。それは近年になって発行された本で『封還師大系新書ふうかんしたいけいしんしょ』と書かれている。

「榊家の一族というのは戦後すぐにその血が絶えていて、封還衆としての後継者もいなかったと書いてある。」

「という事は、榊はその流派とは全く別、と言う事?」

「なんともいえない。あいつが四国の人間であるという事は、元々榊姓が多い可能性もある。」

大系新書のページを見せる。そこには『かつて存在していた一族』として、對神師書に書かれていた女性の絵が挿絵として描かれていた。

「女性が活躍してたんだ。」

「話を戻すと、ここに書かれている榊家というのは、四国に古くからいる神還師の一派だが、少し君らとは異なる。」

「どういうこと?」

「『神に好かれた一族』というべきかもしれんな。その一派は神還師同様土地神を元の場所に戻すことも出来れば、神を封じることもできたと言われているんだ」

「それって…」

「魔封師とも似ている。両方の特性を持った一族ではあるな。ただこれはさっきも言ったとおり、俺達や君達の中では極めて異質だ」

「『神に好かれた一族』であることが……」

ミキは榊の過去の行動を思い出していた。伊野宮は言葉を続ける。

「新書には世継ぎもいないままだったそうだから、存在しない幻の一族ともいえるだろうな。」

「榊はその系譜にいるって事?」

「解らん、だが四国にはもう一つの存在があってな。榊家の分家である柏家だ」

「それも神還師?」

「いや、彼らは魔封師の一族でな。私も知っているが、榊の一派とは現実的には関係はないはずだが、絶えた榊家の管財をしているとすれば……」

伊野宮は少し言葉を止めた。


「話しておくべきかな……」

何かを言おうとしたが少し躊躇しているようだ。

「あえて独り言として話すが……」


「俺も見たことがあるんだ、神を殺す力を持った神還師の存在を。ここ数年の間に……」

ミキは伊野宮の独り言に驚く様子もなくただ、黙っていた。

「そいつは人離れしていた。しかも誰にも止められない。まるで人間の体を被った化け物だ。」

伊野宮は本をしまうとそのままコーヒーを飲み干した。

「ミキちゃん、この町には今、とんでもない化け物がいるようなモノだ。そんな不思議なことが起こっても何も出来ない審議会がいるせいか、そいつは何もせずにただひたすらに潜んでいる。何の目的なのかも解らん。」

ミキも残りのコーヒーを一気に飲んだ。


「本当に彼はどういう目的もわからん。最後の判断は君自身で考えることだな。君はもしかしたらとんでもないモノを東里に招いたのかもしれん」


伊野宮の言葉を聞いたミキは店を離れた。


玄条寺に戻り、神楽不動産の事務所に入ると父の寛三が荷物を色々とまとめていた。近くに藤本由美もおり、藤本もいつものゴシックロリータではなく、髪を後ろに束ね、ふくらみのない黒のセレモニースーツを着ていた。そばにはいつものスーツケースの他、余所行き用のスーツケースも持っている。


「どこか出張?」

帰ってきた娘に寛三は気付いた。

「実はな、審議会から連絡があって四国の神還師だった榊家の総代の親族が亡くなってな、それの弔問に私が伺う事になった」

「その榊って封還衆の?」

ミキの言葉に二人が固まる。

「何で知ってるの?」

「ちょっと、寄り道してて……」

神楽ミキは父親の寛三に神木に起こった事、伊野宮から聞いた話の内覚えていることを二人に話した。二人は会話の内容から、余り深いことを聞いたわけではないことを納得すると、一応ほっとしていた。

「そんなことがあったのか……」

「榊守は何かを隠している……。あの時の暴れ方も何か。お父さんは知っていたの?そのこと。」

「いや、そこまでは分からない。」

寛三は腕を組みながら考えている。

「四国に行けば榊君が本当に関係しているのかが解るだろう。ただ……」

「ただ?」

「知っての通り、四国榊家は終戦直後に総代と呼ばれる長が亡くなって封還衆は絶えたはずなんだ。そして今回亡くなったのは総代の『一応』息子の嫁で、当時最後まで榊流のすべてを知っていた存在だ。」

「途絶えた話も聞いている。」

「そう、だから榊君のような、どっちつかずの能力者がいるのは本来おかしいんだ。」

三人の沈黙が流れる。その沈黙の中でミキは口を開いた。


「私も四国に行く」

ミキは二人の意見もそこそこに、荷造りを始めに自分の部屋に向かっていた。

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