第一章 神還師 榊一族

1 密約

――気山町の廃寺にあった大楠で起こった迷い神の暴走から数日前の出来事になる。


東里市にある病院「藤本医院」は古くから東里市内のいち医療機関として存在している。

平日でも人の流れは途絶えておらず、各所で適切な診療が行われていた。

他の市立、国立機関もあるが、町に根付いた運営は市民にウケが良い。

榊守の妻、理彩は病院の待合室で榊守と話していた。


「私も小さいころから結構利用しているよここ。結構キチッとしてるし。」

「そうだっけ。」


榊守の妻、理彩は病院の待合室で話していた。理彩は生まれも育ちも東里出身で地元には詳しい。榊守本人は四国出身ということもあり地元には疎い。その分報道取材などでカバーをしているがマイナーすぎる情報はあまり参考にはならない。

話題はどっちの病院を使っているかという点だった。

「あなた確か市立病院派よね。」

「あそこは管理が良いからね。」


榊は妻の理彩を連れて病院に来た。目的は榊自身ではあるが、何かと気になる時は付いてくる。榊は藤本に呼ばれていた。神移し前の体のメンテナンスということではあるが、以前から気になっていた左腕の傷の話と言う事もあり、理彩にはちょっとした検査という名目で立ち会わせていた。理彩も榊の傷の事はよく知っている。そのことは色々と気になるところでもある。


受付で藤本由美のアポを確認してもらい待っているとエレベーターで4階に行けという指示をもらった。

エレベーターに入るが、よく見ると4階のボタンがない。表示盤を見ると通過扱いとなっている。再度受付に行き訊き直す。

「こちらでの『診察』経験は初めてでしたか?では許可証を」

別の受付担当に尋ねられた。許可証は持っていないと告げると、事務員は再度名前を聞くと内線電話をかける。少しのやりとりの後電話を切る。


「失礼しました。このフロアの一番奥にオレンジ色のエレベーターがありますので、そこから4階に上がってください」


二人は病院の会計受付や外来受付を横切り、オレンジ色のエレベーターに向かう。エレベーターらしき扉の前に着いたが、そこに目立った表示もなければ、エレベーターにあるべきはずの方向ボタンがない。キョロキョロとあたりを見回していると、ドアが開いた。入ると特にボタンは無く、そのまま扉が閉まる。表示板には4階のみが表示されていた。


4階の扉が開くと目の前にまた扉が現れた。そばのインターホンを押すと「入って」と声がした。扉を開けると、20畳程度の広い部屋で窓際中央にぽつんと一組の机・カルテ用のPC端末とレントゲン点灯台、その机のそばには何かの機械があった。特に横になるベッドもなければ待合室と同じソファーが入り口側に置かれている。何もない部屋といえばその表現は間違っていないと思う。特に普通の診察室との違和感は部屋に間仕切りもなければ患者同士を遮るカーテンもなく、付添人を待たせるソファーにも仕切りはなかった。さらにいえば付き添う看護士もいない。


そのソファーと診察場所がこの【何もない部屋】の影響で約10m離れているが、病院という建物の性格上、さらに診察という気分の重くなる要素が重なって余計に遠く感じる。


藤本が入ってきた。普段見かけるゴシックロリータファッションは白衣で抑えているが、フリルスカートや足に纏わりついた柄物のストッキングはおよそ医師には見えない。以前神楽不動産で見たメンテナンス作業の延長線上に白衣をまとったという表現がよく似合う。


挨拶もそこそこにいすに座り、榊に左腕を見せろと言った。

理彩に上着を預け長袖をまくった。榊の左腕は普段から長袖のため、ほとんど人目に触れる事はない。その傷を見せる事ができるのは家族だけだった。

藤本は左腕を見ると、榊のそばにあった機械に腕をかざせと指示した。榊が手を広げて腕をかざすと装置から赤い光が発射された。

「動かないで、そのまま」

数秒待つと「手の平を回して手の甲を見せて」と榊に指示した。

また赤い光が照射されると数秒待たされた。

「もう良いわ。こっちに見せて。」藤本は榊に腕を見せるよう促す。


榊の傷――昔ある事故がきっかけで出来た傷だった。幼少時代、実家のある四国の祖父の家で遊んでいた時に倉庫に入った時に手に触れて倒れた何かの器具によってできた傷だった。その傷は長袖だった榊の服を焼き溶かし、痛みは腕に大きな傷を残した。


「結構深いのね。」

藤本は興味を押し殺した感じで言った。

「刺青のような浅い傷ではなく、根強く食い込んでるからな。色が同系だからケロイド状になって変な目で見られることはないが、無理に剥がそうとすれば痛いだけなんだ。」

榊が行っているそばで、PCから警告音がなる。解析処理が完了したということで、藤本はキーボードをたたくと、画面に榊の腕が表示された。さっきの機械は立体スキャナーのようだ。

「若干筋肉にも侵食しているけど骨に影響はないのね。傷に対して、神経は何もおかしなところはなく麻痺もなくただ跡がついた。と言うわけね。」

スキャナーの結果を見ながら藤本は呟いた。

「傷が疼く事はあるの?」

「ない」榊は飽きた感じで呟いた。おそらく何度も訊かれたことなんだろう。

「まぁ、医者の範疇ではない事ぐらいはじめからわかっていたけど。」

「ああ。」

藤本は画面を見ながら少し考えていた。

「精神をやられた神還師は何度か見たことがあるけど」

「一緒にするな。精神はやられていない。」

榊は気違い扱いされたかのように言われたことに反論する。

「経験上の話よ、中途半端な神移しや暴走によって迷い神が神還師の精神を汚染する場合があるの」

藤本は本音で言った言葉ではなかった。

「命に関わる話の一つか?」

「まあね。憑りつくという表現は間違いじゃないかな?」

「確かに迷い神が憑りつく事で、普通よりも敏感な神還師の感度には影響があるだろうな。一種の拒否反応によるところなんだろう?」

「その表現でいいわ。でもあなたの場合、これはどちらかというと」

「拒否反応もなければ迷い神が俺と同調している、そうなんだろ?」

「ええ……。」

榊は服の袖を戻すと椅子に深々と座った。患者と医師が逆転したような立場になった。

「やっぱり知ってたのね。」

「言う必要はない、世界が異なるからな」

「ここは東里で、あなたの地元じゃないわ」

「そうだ、だからこそ沈黙は守るんだ」

榊はちらっと理彩の方を見る。理彩は雑誌を見ながらうつらうつらとしており、少し眠っていた。その様子を見て榊は再度、藤本を見た。

「やっと本性を見せたのかしら?」

「本性?そんなものはない」

榊は足を組みなおす。


「そもそも、君らは毎度のことながら勘違いしている。私は別に神還師に関しての興味はあっても副業にするほどの気もない。君が協力しているあの不動産屋が私の力に目をつけているだけだ。真面目に言っても迷惑な話だ。そこからさらに魔封師も面倒くさく介入してきた、しかも命を狙ってな」

榊は不満を述べているが、藤本としてはあまり興味はなかった。

「だったら関わらなければ良いじゃない。」

「そうだな、単なる上辺程度の興味でしかない」

「だとしたら何?あなたがここまでいる理由って」

藤本は聞き返すが、そこに怒りはなかった。半分どうでもいい愚痴だと思っている。

「しいて言えば、神楽ミキ。あいつは神還師としての器ではない。これ以上の介在は危険だ。付加能力が強く感じるが、それ以外でまったく力を出せていない。その意味では君の力のほうが強いはずなのに、防御ばかりに徹しているからね。」

榊が述べると藤本はため息をつく。

「彼女にも彼女なりの理由というものがあるわ。あんたの言う通りあの子は弱いけど、付随する能力が強いのよ。」

「付随ね……」

榊はため息をつく。


「だったら教えてよ、あなたはなんでそんなに達者で居られるの?」

「……いいだろう。」

藤本の表情に榊は組んだ足を戻すと腕を組んだ。


「私は神還師という表現はよく知らないから馴染めないが、とりあえずその表現は無視させてもらおうか。ここから先は私の表現でしゃべらせてもらう。」

「聴くわ。」

藤本も深く座り直す。


「君もシンカンシの端くれで、医者の片足を持っているなら多分知っていると思うが、アバレガミや土地神を自らの体内に取り込み自分の力を増幅させるという話は知っているか?」

榊の質問に藤本は驚いた。

「話は聞いたこと有るけど、それは本来ありえないわ」

「なぜ?」

榊がスラスラと神還師にかかわることをしゃべっていることに急な恐怖を感じた。「魂の器と言うか、神と土地、神と物、身体と魂、それぞれの要素は必ず1対1の対にならないといけない、どちらが欠けることは死や滅びを意味するけど、それは人間に限って肉体が欠ければそのまま死を意味するからよね。」

榊の問いに藤本が淡々と答える。

「そして既に存在している身体に複数の魂は宿れない。多対1の存在は精神にも影響を及ぼすわ。それは取り込んだ迷い神が身体を乗っ取る場合があるから」

「そうだな。」

藤本の回答に榊は黙って聞いていた。

「ところで君たちは迷い神を見る・聞く・話す能力は生まれながらに持つ以外にも方法はある事を知っているか?」

さらさらと喋りだす榊の表情に藤本は若干の驚きは有る、今までの対応に疑問が残っているが、逆に藤本はその喋りに少しにやりともした。

「……宿り身ね。憑依とも言うけど。」

「ああ、『今の』私の家系には迷い神を見る能力の者などいなかった。私はその傷と引き替えにその能力を持つ結果になった。」

榊は右手の人差し指で左腕を指さす。


「でも普通憑依の場合は……、」

「相手よりも強い力でねじ伏せるのが基本といいたいんだろ?」


榊は藤本の言葉を遮った。藤本も正解を言われたので黙っている。

「迷い神は元の土地をもっている以上、物には宿っても人には宿らない。魂の受け皿と言う言い方をするべきなのかわからんが、基本物と魂は1対1のはず。ただし、霊験の高い者はその力を取り込み自らの力にして能力を引き出す事もできる。そこら辺の話はいい。そこに関しては君も同じ事しか知らんだろう。」

「でもあなたの場合は……、」

「ずっと憑依されて命を捕食されているようなモノだ。だから言ったんだろう?『そう長くはもたないと』……」

「言わせる気なの?」


「別にそんな言葉は君が初めてではない。さっき言ったように、この傷を負って以降、いろいろな医者や、あんたの様に神還師寄りの医者にも何度も聞いて同じ結論師か聞いていない。だが、その力もうまく使えばとんでもない力を持っている。……君も見たんだろう?私の『抑止』の瞬間を」


抑止の瞬間――榊が先月発生した東里横断道工事の事故に伴う気山町の廃寺での大楠の騒動のことだ。迷い神が大暴れして、神楽や藤本の手に負えなくなったとき、榊はその迷い神を封じ込めた。いや、あの場合は封じ込めたのではなく神を殺していた……。


「残念だけど、やられそうになったところで気を失ったわ。」

藤本は少し悔しそうな顔だったが、その目は特にどうとも思っていない感じだ。


「ねぇ、ちょっと気になってはいたんだけど、榊という名前といいあなた……。」

「どうだかね。」

「ほとんど解らないふりをしていたけど、両極端に深いところはあえて聞きもしなかった。面倒くさいという仕草よりも『解っているからいい』的な仕草。」

「……。」

「そこのところを教えてくれたらこれの治療できるかもよぉ…。」

榊は一息つくと袖を戻した。


「……じゃあ治療はできんな。解っていないし興味本位ならこちらからお断りだ。」

「迷い神なら拠り所を変えれば……。」

「そんなレベルの話じゃないだろ?」

「……。」

藤本の言葉にに榊は飽きたように制止する。


「あんたも同じ事しか言えないか。こいつに根本的な治療はないはずなのにな。」

「えっ……。」


「さっき拠り所の問題といったな、こいつには拠り所そのものが存在しないんだ、正しく言うと存在しないと言うよりは他の拠り所を嫌うもんでな。」

「本来の拠り所って?」


「この世には存在しない、とりあえず今の君にはここまでだ。」


榊は机のカルテを取ると破り始めた。

「ちょっと……、」

破ったカルテをその場にあったごみ箱に捨てると、スキャナをつないでいた端末のキーを慣れた手付きで叩いてデータの削除を行った。

「試す気もなかったが久しぶりにどんなパターンで答えてくれるのか楽しみだった。ちょっとは楽しませてくれるかとは思ったが、君も一流ではない。」

「ちょっと待ってよ!!可能性にかけてみようとか思わないの?ちょっとでも長く生きられるんだよ?」


「どうやって治すんだ?」


「それは……、」

「な、答えられない。だから一流ではない。」

「だけど……、時間かけて、」

「言ったじゃないか『数年は生きられない』とそんな事を言っているやつに時間をかけてとか流暢な事を言えるのか?」

「……。」

「こんなこと言いたくはないが、たった一人の下らない治療よりも何人もの人を守れる神還師としての仕事を選べ。取って付けのような医者の知識よりもその方が良い。」

データが削除されたことを確認した榊は理彩のもとに歩み寄った。


「理彩、帰ろう。」

「はい。」


「一つだけ答えて。」

藤本の言葉に榊は立ち止まった。

「何でそのことを黙っているの?審議会が恐れるぐらいの力があるのに……。」

「理由は簡単だ。」

「なに?」

「関わりたくない。」

「えっ……?」


「……この傷によって過去に良い思い出はない。そこにあるのは悲しい過去だけだ。それも思い出せないけどね」


榊の言葉の最後の意味に少し思う節もあったが、藤本はそこまでの理解はできていなかった。

「何もできずに検診終わりというのも腑に落ちんだろう、一つ頼みたい。」

「なに?」

「このことはあの神楽の親父さんには気づかれているのか?」

「どうだろうね。単なる火傷とはみてないし、まだ気づいていない。でも遅かれ早かればれるよ。」

「わかってる。あと悪いんだけど、」

「このことをミキちゃん達に言うなってこと?」

「ああ。」

「……いいわ。患者のプライバシーぐらい守るわよ」


榊夫婦が検査室から出た。藤本はその後姿を見届けたが、内心ではイラついていた。


藤本は机の引き出しを開けると伏せていた写真立てを取り出した。

色が褪せ始め、一部が欠損した写真には一人の高校生らしき少年に寄り添う幼い少年と少女が写っていたが、幼い少年の顔は写真が焼けて欠損していた。


――その腕には特徴的な火傷跡が残っていた。

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