悩む刀

 全授業が終わった後、僕は九条先輩に指定された学校裏の廃工場にいた。

 名前も判らないこの工場は、ずっと昔に経営困難で管理者が手放したものらしく、その後の地震で多少形が崩れても、そのまま放置されてある。

 小規模な体育館ほどの広さの工場内を見渡すと、ところどころにコンクリート片が散らばっており、屋根は怪獣にかじられたかのように大きくえぐれている。天井から覗く空は、少し金色を帯びていた。


「……はぁ。初めてここに入ったけど、やっぱり荒れてるな。九条先輩はなんでこんなところに呼び出したんだろう」


「…………」


「カフカ? どうしたんだ? 今朝、天野から刀狩り事件のことを聞いてから、元気がないじゃないか」


「……いえ、それについて、ちょっと思い出しそうな気がするんです。……ススムさんと出会う前のことを……」


「本当かい!?」


 もしカフカが記憶を取り戻したら、ちゃんと持ち主の元に返してやれる。その方が、彼女にとってもきっと良いに違いない。


「ただ、思い出したくないっていう気持ちもあるんです。記憶を呼び覚ますのが、怖い。そんな気持ちが……」


「それはどういう――」


 どういうことだ、と言い終わる前に、誰かの足音がしたので僕は口をつぐむ。

 足音の方向、工場の入り口には、逆光を背に立っている九条先輩の姿があった。

 彼女の手には、木枯丸こがらしまるが握られている。鞘から抜刀された、抜き身の状態で――!


「なんのつもりですか、九条先輩。それに、安全装置はどうしたんです」


「お前も知っているだろう。正当攻撃だ、芥川」


 正当攻撃。

 違法改造せず、安全装置にも引っかからずに刀を使うことのできる状況は三つある。

 一つ目は、学校の授業や剣術大会などの模擬戦のとき。

 二つ目は、自身に危険が迫ったとき。いわゆる正当防衛。

 そして三つ目が、現行犯や犯罪の証拠を持っている者を相手にしたとき。この場合は、相手が抜刀していなくとも、自分の方から刀を使うことができる。これが、正当攻撃。

 でも――


「おかしいでしょう、先輩! 僕は何も罪を犯してませんよ!」


「しらばっくれるな。お前が刀狩り事件の犯人だということは判っている。なぁ、木枯丸」


「御意」


 ただでさえ鋭い目をさらに険しくして、先輩は僕をにらみつける。彼女の言葉に応える木枯丸の声は、相変わらずの無機質。


「どこにそんな証拠が――」


「証拠があるから、こうして正当攻撃ができるのだろう。お前が腰に差しているその日本刀はな、昨日の夜、刀狩り事件によって盗まれたものだ。被害者、つまりそのカフカという刀の持ち主は、現在重傷を負い入院中だ」


 え……?

 カフカが、盗難品……?

 思わず腰に下げているカフカを見ると、彼女は苦しそうにうめいていた。まるで、告げられた真実、突きつけられた現実を受け入れるのを拒んでいるように。


「まさかお前が犯罪者だったとはな。見下げ果てたぞ、芥川」


「誤解です、九条先輩!」


「罪人の言うことなどに耳は貸さん!」


 ポニーテールをなびかせ、一足飛びで間合いを詰めてくる九条先輩。


「十文字斬り、発動!」


「御意!」


 九条先輩と木枯丸の声が工場内に反響する。天井から差しこんできた光が、木枯丸の銀色の刀身を鋭く光らせた。

 先輩は刀を片手で持って左下に構え、そこから右上へ向けて斜めに振り上げた。

 僕は慌てて後ろに避ける。それを見た彼女はさらに一歩踏み込んだ。そして、片手だけで持っていた柄にもう片方の手を添え、刀をUターンさせると、今度は両手で右下から左上へ、×の字を描くように振り上げた!


「……くっ!」


 僕はしかたなくカフカを抜こうとし……抜けない!? 必然的に、鞘に納まったままの刀で斬撃を防ぐことになった。銀の刃と黒の鞘が交差する。

 文字通り、しのぎを削る鍔迫つばぜり合いになると、九条先輩は後ろに大きく跳んで膠着状態を解き、距離を取った。

 危なかった! 一応、先輩は刃の側と峰の側を逆に持ち、致命傷を与えない峰打ちを狙ってくれてはいるが、それ以外は手加減が一切ない! 喰らえば打撲では済まないに違いない。

 それにしても……


「どういうつもりなんだ、カフカ! なんで抜刀させない! 今は刀身はだかを見られるとか恥ずかしがっている場合じゃないだろう!」


 先輩が間合いをとって離れている間に、僕はカフカに怒鳴った。

 すると彼女は今にも消え入りそうな弱々しい声で、とつとつと言葉をつむぎだす。


「ススムさん、本当はワタシ、裸を見られるのが恥ずかしいという訳じゃないんです。ワタシは、ススムさんに嫌われるのが、怖い。だってワタシ、刀じゃないですか。今までずっと必死に女の子のふりをしてきたけど、しょせんは喋る刀です。人殺しの、道具です。本当の刀身じぶんを見られたら、きっとススムさんはワタシを兵器としてしか見なくなります」


 そう話したカフカの声は、涙声だった。不安で不安でたまらなくて、それに押しつぶされるのが、怖かったんだろう。

 あぁ、そんな悩みを持っていたのか。その弱さを誰にも見せず、明かさず、たった一人で抱え込んで……。

 きみは確かに日本刀だ。でも、それ以上に、この上なく女の子だったんだな。

 こういうとき、優しい言葉をかけてやるべきなのかもしれない。でも、五メートルほど離れた正面で僕に剣先を向け、すぐにでも斬りかかってきそうな九条先輩がいるから、そんな悠長なことは言ってられない。

 だから僕は、カフカにこう言った。自分の鞘に閉じこもったままの彼女に。


「カフカ。逃げるな。刀身を見て嫌いになる? 勝手に僕の気持ちを決めつけるんじゃない。恋する女の子っていうのは、もっと強くて可愛いものなんだよ。だから、自分の気持ちから逃げないでくれ。その代わり――」


 僕も、もう逃げるのはやめにする。

 そう締めくくって、僕はブレザーの胸ポケットから眼帯を取り出し、自分の左眼に取りつけた。

 そうすると……


「剣が呼ぶ血が呼ぶ人が呼ぶ。悪を倒せと俺、参上!」


 僕の意識とは無関係に、口が、体が動く。僕はカフカを大げさに振り回し、肩にかけて歌舞伎役者のような派手なポーズをとって、そう叫んだ。


「ス、ススムさん!? いきなりどうしたんですか!? キャラも一人称もまるっきり変わってますよ!?」


「なんの真似だ、芥川。お前、目が悪い訳ではないのだろう。私ごときを相手にするには片目で充分だとでもいうのか? だとしたら私もずいぶん見くびられたものだな」


 急に変貌した僕を見て、カフカと九条先輩が二者二様の反応をする。

 これが、僕が帯刀をしていなかった理由だ。僕は、昔やっていたチャンバラごっこで『自分はヒーローだ』と思いこんでいた影響で、刀を手にして眼帯をつけたとき、性格も人格も、そして身体能力も大幅に変わる。

 暑苦しくてサムい言動をしてしまう性格になると同時に、剣の腕が信じられないくらいに上がるんだ。僕はこの状態を『ヒーローモード』なんて呼んでいる。意識は僕のままだけど、体の主導権は完全にヒーローモードが握るかたちだ。

 ちなみに、なんで伊達眼帯をつけるかというと、ただ単に『カッコいいから』という理由らしい。もちろん、視界が半分失われるのでデメリットしかないんだけど、そのハンディを補えるほどにヒーローモードは強い。


「九条先輩。アンタは問答無用で俺を犯罪者だと決めつけた。よって、アンタは悪! 俺は正義だ! 正義は必ず勝つ! だから、アンタの負けは決まった!」


 ヒーローモードの僕はそう言ってカフカを腰に構え、脚を曲げて重心を低くする。それにしてもむちゃくちゃな論理だ。九条先輩、なんかごめんなさい!


「芥川、貴様ぁ! ふざけるのもいい加減にしろ!」


 怒って叫びながら突撃してくる九条先輩。そりゃ誰だって怒るよなぁ。


「木枯丸! 無限むげん文字もんじり、発動!」


「御意!」


 先輩は先ほどの十文字斬りを連続で繰り出しながら駆けてくる。その剣の軌道は∞の字を何度も描いているようだった。

 しかし、迫ってくる剣撃にもひるまず、ヒーローモードの僕はカフカに語りかける。


「おい、カフカ」


「ハっ、ハイ!?」


「俺はこれから目をつむってお前を抜刀する。だから二秒だけ我慢してくれ」


「この状況で目をつむるって、正気ですか!?」


 とまどうカフカだが、僕の口は言葉を続ける。


「いいから。本当に好きなら、俺のことを信じてくれ。それに……」


「それに?」


「実は俺、チラリズムが好きなんだ」


 何言っちゃってんの、僕!?


「クスッ……アハハハハハハ! 分かりました。この体、ススムさんに任せます!」


 やっとカフカに元気が戻った。僕はそのことに安心している自分に気がついたけど、不思議だとは思わなかった。


「貴様ら! 何をごちゃごちゃと!」


 そうこう言っているうちに、九条先輩が目の前に押し寄せてくる。だが僕は静かに目を閉じ、半分あった視界も遮断した。

 そして、木枯丸が僕の体に届く刹那。


「……ぐあっ!」


 横からの衝撃が先輩を襲い、彼女が木枯丸を取り落として倒れた音がした。

 ようやく目を開けると、「何が起きたのか分からない」という顔でコンクリートの床に突っ伏している先輩の姿があった。僕の腰の辺りから、今さっき起きたことを疑うようなカフカの声がする。彼女はもう鞘に納まっていた。


「ススムさん。今のはまさか、居合抜き、ですか……?」


「あぁ」


 居合抜き。剣技の究極形とも言える、単純だがそれゆえに難しい技だ。

 ヒーローモードの僕は、目をつむったままカフカを高速で抜刀し、九条先輩の脇腹に峰打ちを叩きこんで、また素早く刀身を鞘に納刀したんだ。その間、実に二秒。先輩からしてみれば、僕が抜刀せずに、まるで見えない剣から体を打たれたように感じたに違いない。こんな芸当、ヒーローモードになっていなければ到底できっこない。


「す……すごいです、ススムさん! すごすぎます! 惚れ直しました!」


 と、カフカの歓声が聞こえる中、九条先輩はふらつきながらも立ち上がった。


「ま、まだだ。私は負けていない。まだ戦えるな、木枯丸?」


「無論!」


 先輩は床に転がっている木枯丸を拾おうとしていた。

 そのとき。

 黒い人影が工場に入り、姿勢を低くして瞬時に僕と九条先輩の方へ走ってきた。

 その人影は走りながら刀を抜き、それから上段に振りかぶって……


「うあああああああ!」


 気づくと、九条先輩の肩、鎖骨辺りに赤い刀身がめり込んでいた。ブレザーが血で染まっていき、先輩の絶叫が木霊する。彼女は再び地に倒れ、その肩からあふれ出す血が赤い水たまりを作り出す。

 鮮やかな虎走りを見舞った乱入者は、先輩の肩から日本刀を抜くと、落ちていた木枯丸を手に取った。


主殿あるじどの! 不覚! 無念也むねんなり!」


 取り乱す木枯丸。でも、僕は目の前の光景が信じられなかった。


「天野……どういうことだ。どうしてお前がいる!? それに、なぜ先輩を!?」


 木枯丸を手に振りかえった彼女――天野あまの水晶きららは、いつもと変わらない無邪気な笑顔を僕に向けた。

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