通う刀
次の日の朝。起床して身支度を整えた僕は、いつものように学校指定のブレザーに身を包み、アパートを出て校門へ続く坂道を登っていた。見慣れた桜並木の通学路は、朝ということもあり、多くの人が歩いていた。
「ふわあ~、ワタシたち、一緒に登校するなんて、いよいよギャルゲーめいてきましたね。例えるなら幼馴染のシチュエーション、といったところでしょうか」
「どんだけギャルゲー好きなんだよ。頼むから、学校ではなるべく喋らないでくれ。あまり目立ちたくはない」
いつもと違うのは、僕がカフカを帯刀していること。アパートに置いて行くと、「見捨てないでください!」なんて叫んで、管理人さんに女性を連れ込んだと誤解されかねないからだ。入学して初めて、腰のベルトの刀ホルダーを使った。足を進めるたびに、カフカの漆黒の鞘や赤い柄が視界の端に映る。
すれ違ったサラリーマンやOL。追い越した学生たち。その誰もかれもが、例外なく刀を下げている。僕のようにベルトの刀ホルダーに差している人もいれば、ズボンやスカートの開口部に差している人もいる。別段珍しくもない、普通の光景。
この国の人間は、資格試験に合格した十五歳以上の者であれば、帯刀する権利を認められる。要するにケータイや原付バイクのような感覚で刀が持てるということだ。なんでも、目的は個人の自衛能力の向上と、日本の魂を携帯することで精神面を鍛えることにあるそうだ。
これだけ聞くと、刀を使った犯罪が増えるんじゃないかと思われそうだが、それに対する措置はちゃんととられている。
そうこう考えているうちに学校が見えてきた。白い石張りとベージュで塗り分けられた壁で造られた建物は、何層も生地を重ねた巨大なティラミスのようにも見える。
校門をくぐると、二つの怒鳴り声が聞こえてくる。どうやら男子生徒同士のケンカらしい。
「ふざけんな!
「いいや、九条さんはお前なんかじゃ釣り合わないね! 抜けがけして告白なんてさせるかよ!」
話の内容を聞くと恋愛がらみのようだ。二人の男子はその後も言い争いを続け、ついには「二度とそんな生意気な口を利けないようにしてやる!」などという三流なセリフを吐いて、どちらからともなく剣を抜いた。大和魂はどこへ行ったことやら。
「たっ、大変です、ススムさん! あの人たち、真剣でケンカをしようとしてますよ!」
心配そうな声を上げるカフカに、僕はフォローを入れてやる。
「理由はくだらないけどね。心配しなくても大丈夫だって、ほら」
今まさに斬り合おうとした男子生徒たちだったが、一人は柄から流れてきた電流のせいで思わず刀から手を離し、もう一人は斬りかかる直前に刀身が柄の中に収納され、大きく空振って相手の頭と自分の頭をぶつけてしまった。
これが、刀による犯罪を防ぐ対策、『安全装置』。これは、持ち主の血圧や心拍数、脳波を感知することで、刀を危険な使い方のできないようにする機能を持っている。全ての刀には、安全装置を備えることが義務づけられているんだ。ちなみに、今お互いに頭を押さえている二人は、カッとなってこの機能のことを忘れていたんだろう。
自業自得だけどどうしたものか、保健室に連れて行った方がいいのかな、なんて思っていると、野次馬の中を風のように駆け抜け、颯爽と一人の女性が現れた。
走ってきた余韻でふわりとなびくポニーテールは艶を帯びた黒。女子生徒のブレザーを着て、腰には当然のように刀。堂々と胸を張って腕を組み、刃物のように鋭い眼差しで、いまだにうめく二人を見下ろしているこの人こそが、先ほどのケンカの原因である
「何事かと思って来てみたら、このざまか。貴様ら、校内での私闘が校則で禁止されているのは知っているのだろうな。争いの原因はなんだ?」
凛々しいけど怒りを孕んだ声が辺りに響く。痛みはすでに引いたのか、すっかり怯えた様子の男子二人は、弱々しくも九条先輩を巡っていたことを話す。それを聞いた彼女は――
「くだらんな。そんなことのために刀を抜くようなやつに惚れる心など、私は持っていない。時間を無駄にした。行くぞ、
「御意」
刀以上に研ぎ澄まされた言葉で、ばっさりと二人の男子を斬り捨てた。最後の方のセリフに応じたのは、先輩が腰に差している刀。彼女は、校内で唯一の
刀の銘は木枯丸。古風な喋り方をする、紺色の鞘と柄の渋い日本刀なんだけど、鞘に九条先輩の趣味である可愛らしいキャラクターもののステッカーが貼ってあるのが、なんとも惜しくて残念だと思う。
二つの抜け殻と化した男子生徒を尻目に踵を返す九条先輩だったが、僕と目が合うと近寄って話しかけてきた。
「
あ~、またか。この人、毎回僕を見かけるたびに説教してくるんだよな。何か適当な言い訳を考えていると、
「なんですか、あなたは! ワタシのススムさんにひどいことを言わないでください! それともツンデレですか!? ツンデレなんですか!? だとしたらなおさら許せません!」
カフカが相も変わらずズレたことを言ってのけた。そうだ、この刀がいたんだった。しかもさっそく、校内では喋らないという約束を破ったよ。
突然の第三者の声が乱入したことで、九条先輩は初めて僕の腰の日本刀に気がついたようだった。
「な、なんだ。帯刀しているじゃないか。つい、いつもの習慣として注意してしまった。しかし、この刀はどうしたんだ?」
すると、すかさずカフカが食ってかかる。
「この刀、なんて色気のない呼び方をしないでください! ワタシには
「誤解をまねくようなことを言うな! すみません、九条先輩。カフカの戯言は気にしないでください」
慌ててカフカの妄言をフォローする僕だったが、先輩は思案顔。
「カフカ……? それに、その鞘の彼岸花の紋章…………芥川、放課後に学校裏の廃工場へ来い」
そう言い残して、彼女は学校の方へ去って行った。いったいなんなんだろう。
「ま、まさか、告白フラグが……?」
先輩は、カフカへあらぬ誤解も残して行ったようだ。めんどくさいので放置して、僕は校舎へと向かうことにした。
校舎に入ってすぐの階段を上がり、教室の扉を開ける。なるべく注目を浴びまいとしたけど、それは叶わず、クラスメイトの好奇の視線が突き刺さる。
クラス中の注目は僕――正確には僕の腰の日本刀に集まり、波紋のように広がるざわめきの中には「なんで芥川が帯刀してるんだ」なんて声もあった。
「はぁ……今まで帯刀して登校したことがなかったから無理もないけど、目立つというのは居心地が悪いな。これじゃまるで――」
「クラス公認カップルですか?」
「さらし者だよ!」
カフカの乙女ボケが余計に僕の気を重くする。そのままなんとか自分の席に着いたところで、
「おはよう、芥川くん。今日もいい
聞いていて心地よい朗らかな声が耳に届いた。
「おはよう、
「間違えちゃった。でも珍しいね、芥川くんが帯刀するなんて。明日は剣でも降るんじゃない?」
「それは間違いなく血の雨だろうね」
物騒な言い間違えをして、照れ隠しに大げさなほど回転して僕の前の席に座った彼女の名前は、
名前の通り無邪気に光る瞳で僕を見上げてくるしぐさは、見ていてほほ笑ましいけど、穏やかでないセリフを口にしてしまうのが玉にきずだと思う。
彼女は一ヶ月前にこのクラスへ転入してきたばかりなのに、その整った容姿と持ち前の明るい性格で、もうすっかりこのクラスに馴染んでいる。一部の生徒の間では『美少女転校生』なんてささやかれているらしい。
僕が帯刀していようがいまいが、対等に話しかけてくれる数少ない友達だ。
「ススムさん、この人は誰です? まさか浮気ですか? ワタシというものがありながら?」
せっかく人がなごんでいたのに、腰のあたりから不機嫌そうな声が響いた。なんでこの日本刀はこんなに嫉妬深いんだろう。
「あたし? あたしは天野水晶。水瓶座AB型の十七歳で、刀の銘は
カフカの敵意むき出しな言葉にひるみもせず、天野は自分の赤い日本刀を見せながら、転校初日に言ったものとまったく同じ自己紹介をした。特技の欄が奥義になっているのはわざとだろうか、天然だろうか。
ちなみに虎走りとは、刀の立ち技の一つのこと。姿勢を低くしながら走り、剣を振り下ろす技だ。その走る様子が虎のように見えることから、この名がついたらしい。
「きれーな鞘だねー。カフカちゃんって犬派? 猫派?」
「ワタシは断然、ススムさん派です!」
「僕はペットじゃないけど!?」
思わずツッコミを入れてしまった。
あれ? そういえば、天野にカフカの名前って紹介したっけ? もしかしたら、すでに僕とカフカのことが噂にでもなっているのかもしれない。イヤだなぁ。
「そうそう、知ってる、芥川くん? 昨日、また『刀狩り事件』の被害者が出たんだって。怖いよねぇ」
「そうなんだ。天野も気をつけた方がいいよ」
刀狩り事件。その名の通り、刀ばかりを狙った通り魔のしわざだ。おそらく、違法改造して安全装置の解除された刀剣を使っているんだろう。刀を奪われた被害者には全員、大きな針に貫かれたような刺し傷があり、犯人はまだ捕まっていない。
「ありがとう、優しいね。でも、芥川くんもこれからは無関係じゃなくなっちゃったね」
ちらりと僕の腰に下げられたカフカを見ながら、天野が言う。
「……」
カフカは何も言わない。もしかして、自分のせいで僕が刀狩り事件に巻き込まれる可能性も出てきたということを、気にしているんだろうか。
「大丈夫だって。今日の授業が終わったらすぐに、きみの持ち主を探しに行くから」
「そ、そうですか。そうですよね……」
その声には、こころなしか普段の元気がなかった。彼女のことだから、てっきり「離れ離れになるのはいやだ」くらいのことは言うだろうと思っていたのに……やけにしおらしいな。
「みんな、静かにしろー。出席を取るぞー」
教室に入ってきた担任の声がしたので僕と天野は私語をやめ、教卓の方を向いた。
……そうだ。放課後、九条先輩に呼び出されてたんだっけ。カフカほどじゃないけれど、僕だって少しは告白のシチュエーションを想像してしまう。いや、まさかね。淡い期待を否定して、授業に取り組む。
結局、放課後になってもカフカは一言も喋らなかった。
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