#EX 空腹は料理の最高のスパイス

 空腹は料理の最高のスパイス、――なんて言葉がある。

 異論はない。どころか、わたしはこれを実際に体験したことがある。


   ★


 あれはある晴れた昼下がりのこと。

 わたしはそのとき――もちろん今もだけれど――旅の途中にあった。

 今となっては小うるさいキカイ『イド』と共に旅しているが、イドに出会うまでのわたしには決まった連れ合いはいなかった。

 いつもひとり。

 今のわたしにとってそれはもう耐え難いことになってしまったけれど、その頃のわたしはそれを心地よくすら思っていた覚えがある。ひとり旅は気ままだから。なにより選択の因果がすべて自分にあるのがいい。

 例えば、その日の気分で食料をどのくらい食べるか決めたり(もちろん後で地獄をみることが多々ある)、良い感じの水場を見つけたら人目なんてないからこれまた気分で水浴びしたりできる(今も「人の目」はないといえばないが、それはいい)。

 で、例によってわたしは池というには小ぶりなちょっとした水溜りで水浴びをしていた。それはもう見事なスッポンポンでそこそこ冷たい水の中をのんびりとしていた。しかしそんな見た目とは裏腹に、そのときのわたしには解決しなければいけない喫緊ともいえる問題があった。

「きょう、これからなに食べようかな~」

 というワケだ。どういうワケかといえば、要するに食料が底をつきた。

 断っておくが、べつにわたしはアホなわけではない。この問題もそれなりに重大事だと思っている。思っているにしても、晩ごはんの献立に悩むみたいな調子で言うのだから我ながら呆れるけれども。

 とはいえ、先にも言ったように、責任の因果がすべて自分にあるのがひとり旅の良いところ。わりと重大な餓死という生命の危機にあっても、その責任はやはりわたしにある。

 ――まあ、昨晩の晩ごはんは美味しかった。オマケにお腹も減っていた。それもこれも棒倒し的方法を用いて決めた道が思ったよりも険しくて昼ごはんを食べる場所がなかったことを因とする。

「きょうのごはんおいしい! やっぱ、空腹は料理の最高のスパイスよねっ!」

 なんてのほほんとブロックタイプの栄養食をガツガツ食べてあげくデザートにちょっと酸っぱい果物の缶詰まで開けたのが運の――いや、食料の尽き。

「飲み水はまだあるとして、これでお腹を膨らませるのはムリあるし……近くにコロニーのある感じもしないし……ほかに誰か来そうな場所でもないしなぁ」

 とまあ、そういう諸々の果としてわたしは苦境に陥った。

「空腹は料理の最高のスパイス」――その言葉を聞く、或いは実感するたび、わたしはこのときのことを思い出す。

 異論はない。まったくもって、空腹は料理を最高に美味しくする。自制とか食欲とかのブレーキをぶっ壊すスパイスなのである。


   ★


「――は?」

 わたしの話を聞いたイドがいった。

「あれ。今の話になんかおかしなところあった?」

「いや、小首をかしげて可愛らしく言わないでください、アイビィ。ちなみにオカシイといえばぜんぶオカシイです」

 そうだろうか。分かりやすいお話だったと思うのだけれど。

「ツッコミたいところは多々ありますが、そもそも、この話にはカンジンな部分が欠けています」

「?」

「そのあと、ですよ。貴女の愚かな選択の結果、貴女が苦境に陥ったというのは分かりました。でもそのあとは? アイビィ、貴女どうやって――というか、どうしていままで貴女がひとり旅なんてして生きてこられたのですか?」

「ああ、そのこと!」

「ええ、そのことです」

 それならカンタンだ。水浴びを終えたわたしは、とにかく食べるものを探そうと思って先へと進んだ。そこに無いのだから、そこではない場所に行くしかない。

「無いというか、有ったものを貴女が食べてしまっただけじゃないですか」

「そんなに違わないでしょ? まあそれで、ヘロヘロになりながら歩いた先にね。小高い丘があって、そこに一本の木が生えてたの。その木に見つけたのよ」

「…………虫ですか?」

「それはぜったい違うっ! 果物よ、果物! 桃色のおっきな果物!」

 でも桃ではなかった。わたしの知る桃――果実の状態の本物は見たことがないけれど、缶詰のパッケージのイラストと解説で知っていた――とは大きさが全然違ったし、味も、ものすごく甘くてうまかった。

「それはまあ、缶詰とは違うとは思いますが――」

「ほんとに違ったの、こう――わたしが一抱えできる大きな桃みたいな果物が木にひとつ成ってたんだから」

「で、とても甘かった――つまり、貴女はそれを食べて飢えをしのいだと」

「うん。これがすごいんだ。めちゃくちゃ甘くて、美味しくて。しかも食べたあとしばらくお腹が減ることがなかったのよ――十日くらい」

「はぁ、つまりは空腹のあまり幻覚をみていたという話ですか」

「違うんだって、本当に減らなかったの! こう、気力が漲ってね。それで結局、コロニーまで辿り着けたんだから」

「いま貴女が生きているのですから千歩譲って幻覚ではない、としても、やはりそれは異常ですよ」

「いやあ、世の中不思議なコト――モノ? ってあるもんだよねぇ」

「………………まあ」

 と、イドは呆れ返ったと思われる声で続けた。

「いまはワタシがいますから。貴女が無計画に食料を消費して餓死するような事態には、まったくこれっぽっちもさせませんが」

「はいはい。分かってるよ。だってもう、ひとりの旅じゃないしね」

「はい、は一回です」

「はーい」

「それから、アイビィ。トランクに隠してこっそり夜中に食べてる食料ですが、あれも今日から禁止です」

「えー!?」

「まったく、貴女という娘は、これだからひとりにしておけませんね」

 どうやら、最高のスパイスをめいっぱい楽しむ機会は、しばらく来なさそうだ。

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