第15話 べろべろの犬出現

 とおるは、何か楽しいことがある気分で、はしゃいでいた。あの張り紙のところに、自分が一番に行くと言って走り出した。私たちが見失うくらい走っていった。みんなは、ドキドキしてそんな気分にはなれなかった。これが最初で最後の、べろべろの犬に会う機会になるだろう。途中、歩道橋の上で空の停電が起こった。私たちは慌てず、懐中電灯を点すと、階段を照らしながら暗い歩道橋を下りた。べろべろの犬が現れないか少し期待した。そう簡単にはいかなかった。空の停電は十五分程度で終わったが、とおるを完全に見失ってしまった。

 屋敷の張り紙の所に来ても、とおるの姿は見えなかった。とおるのランドセルだけが、背中から抜け落ちたみたいに、地面に転がっていた。ランドセルだけ残して、とおるは消えてしまったように思えた。

「どおる、どこへ行ったんだよ!」

 たいようくんが、辺りを見回した。背伸びして、門の中をのぞこうとした。

「いつでも準備はしておいて、空の停電が来たら、すぐに張り紙をはがそう」

 たかしは張り紙の前に陣取って、暗闇が訪れるのを待ち構えていた。私は、ちょっと心配になった。先に行ったのだから、ここにとおるがいないのは、やっぱりおかしい。

「とおるは、どうするの?」

「いないんだから、しょうがない。ぼくらだけで、やるしかない」

 たかしが、ふーと深呼吸して体を落ち着かせた。ひどく緊張しているのが伝わった。

 とおるを待たずに、空の停電が始まった。ぱっと電灯が消えたように、辺りが光を失った。

「ねえ。とおる、洋一くんに出会ったんじゃない」

 私は、急にそんな気がした。

「洋一くんには、この張り紙は聞かないからね。それは有り得る。でも、まずはべろべろの犬が先だ。みんな用意はいい。張り紙をはがすよ!」

 たかしの声がして、張り紙をはぎ取る音が暗闇に響いた。少し耳鳴りがした。

 私たちは一か所に集まって、懐中電灯を手に辺りを探した。どっと風が吹き抜け、そこに何かが現れた。中型の犬だった。走ってきたように、舌をべろべろ出していた。私が昨日、見たのと同じ犬だった。

 犬は私たちを前に怯えもせず、じっと立っていた。そこに田中さんの姿はなかった。やっぱりべろべろの犬は、迷子になったんだ。

「最初の質問は?」

 たいようくんが聞いた。

「どうして田中さんと、はぐれたかだ」

 たかしの声が答えた。

「よし、その質問は僕が聞くよ。教えて、べろべろの犬! 君はどうして、田中さんとはぐれたの?」

 たいようくんがためらわず、犬の正面に立った。犬が、ニヤリと笑ったように思えた。

「それが質問か? なら答えよう。誰かが田中さんの懐中電灯を奪ったからだ」

 それは、私たちが予想もしなかった回答だった。誰がそんな事を考え付くだろう。たかしは、それでも取り乱さずに言った。

「取りあえず、田中さんを呼び戻そう。教えて、べろべろの犬! 田中さんは、どこにいるの?」

「後ろにいる!」

 べろべろの犬が、すぐに答えた。さっきまで誰もいなかった所に、急に田中さんが現れた。

「次はどうする?」

「懐中電灯のある場所だ」

 たかしが、たいようくんの声に返事した。

「でも、誰かが持っていたらダメだろう」

「そうだけど。でも、さっきは呼び寄せられた。懐中電灯も一緒じゃないか」

 たかしが、たいようくんに言った。

「よし、試してみよう。ゆりちゃん、懐中電灯の場所を聞いて」

 たいようくんが叫んだ。

「分かった。教えて、べろべろの犬。田中さんの懐中電灯は、どこにあるの?」

「そこにある」

「そこ?」

 みんなは一瞬、動けなくなった。そこと言われた所に、何も現れなかった。ただべろべろの犬はあごを上げて、私を見つめていた。

「どういう事だ?」

 たいようくんのとがった声がした。

「つまり俺らの中に、田中さんの懐中電灯を持っている人がいるんだよ」

 みんな、自分の懐中電灯を顔に近づけてみた。私は手の中の、古い懐中電灯を確かめた。それが私の家の物なのか自信が持てなかった。確かに犬は、こちらを向いて答えた。つまり。

「それって、もしかして私?」

 私は、目の前が真っ暗になった。私が田中さんから、懐中電灯を奪った犯人なのだ。しかし、全く身に覚えがなかった。

「いいから、あかり。それを田中さんに返してみろよ」

 私はたいようくんに言われて、手にした懐中電灯を田中さんに差し出した。田中さんは、それを受け取った。やっぱりそれは、田中さんの物だった。

「あかり、最後の質問だ。闇の町への帰り道を聞くんだ」

 私は、ショックで言葉が出なかった。そうじゃない。私は犯人なんかじゃない。そう思ったとき、ふと足元に転がっている、とおるのランドセルが目に入った。とおるを助けなきゃ。

「まだ、最後の質問じゃないよ。教えて、べろべろの犬。とおるの居場所を?」

「それが質問か。なら教えよう! 後ろにいるよ」

 べろべろの犬が言うと、暗闇の中から誰かがドタドタと走って現れた。肩で息をしながら立ち止まった。四人が同時に声を上げて、駆け寄った。

「とおる!」

「みんな、どうしたの? 俺」

「その話は後で。とおる、べろべろの犬に質問しろ! 闇の町への帰り道を尋ねるんだ」

 たいようくんが大声を出した。

「うん、分かった。教えて、べろべろの犬! 闇の町の帰り道はどこ?」

「教えよう! そこだ」

 べろべろの犬が言うと、大きな屋敷の門扉がきしみながら開いた。そこには、懐中電灯で照らしても明るくならない、暗闇の道が伸びていた。その向こうから、ビューと冷たい風が吹き付けてきた。私は、ぞっとして体を震わせた。

「それじゃあ、お帰り。べろべろの犬」

 べろべろの犬は、私たちにうなずいたように見えた。そして、田中さんに連れられ、暗闇の道へ消えていった。間もなくして、辺りが明るくなった。そこには、ただ閉じられた門扉があるだけだった。

 私たちは、とおるとの再会とべろべろの犬を闇の町に帰したことを喜び合った。

「これで、もうこの町は大丈夫。元に戻るはずだ」

 たかしが、自分たちが大業を成し遂げたように、誇らしげに言った。辺りはまだ薄暗いままだけど、やがて明るくなると信じて、私たちはそれぞれの家路に分かれていった。

 私が自宅に着く頃には、天候にある変化が現れていた。明け方の太陽が昇るように、町の景色が何となく明るくなった気がした。私の家へ向かって、心地よい風が吹き付けた。私は、そのそよ風に背中を押されながら、自宅へ帰ってきた。

 お母さんは相変わらず、電気の使えない家事に大忙しだった。

「お母さん、ただいま」

 私は、お母さんにさっきの出来事を話す代わりに、懐中電灯のことを謝った。

「お母さん、懐中電灯なくしちゃった」

「ああ、あれね。もう古くなっていたからいいよ。今度、学校に持っていくときは、この大きいのを持って行きなさい」

 お母さんはキッチンのテーブルに置かれた、懐中電灯を指差した。

「ランドセル置いてきて、お昼にしましょ」

 私はうんとうなずいて、二階へ向かった。玄関口も階段も、そして二階の私の部屋も、昨日よりずっと明るくなったように思えた。もう懐中電灯は、必要なかった。

 しかし、どうして私のうちに、田中さんの懐中電灯があったのだろう。考えれば考えるほど、不思議でならない。

 その日は段々と明るくなって、また夕暮れに戻っていった。夕食の頃になって、いいことがあった。最初に冷蔵庫が、ゴーと動き出した。家のあちこちで家電品に、電源が入ったときの音が聞こえた。

 廊下やトイレの明かりが点った。玄関に行って、スイッチを押した。ぱっと明るくなって、玄関口を照らした。私やお母さん、お父さんの靴や傘が、はっきりと見える。私はその勢いで階段口をのぞいてみた。真っ暗な階段が、二階まで伸びて見えた。壁に触って、階段の電灯のスイッチを入れた。パチッと心地よい音を立てて、階段を明かりが点した。電灯は淡い光で、ちょっと不気味な雰囲気を漂わせていた。私は階段を駆け上った。弾むような足音が、後から追いかけて来た。

 自分の部屋へ行って、照明を点けてみた。思った通り、部屋が満面の笑みを見せるみたいに、明るくなった。私は、それでも満足しなかった。お父さんの書斎をのぞき、物置部屋にも足を運んだ。二階の全ての部屋を確かめると、階段を下りてきた。廊下を走って、電灯のスイッチを探した。私はスイッチを探すと、電気が点くか確かめずにはいられなかった。

 トイレには明かりが点っていた。それをわざわざ消して、また点けてみた。やっぱり電気は点く。続いて飛行機みたいに体の向きを変え、応接間へ走った。入り口のスイッチを押すと、チカチカと天井が光って、電灯が点り始めた。あれほど苦労して、懐中電灯の光を照らしていたのが、ウソのようだった。

 最後にお母さんの寝室に行き、部屋の真ん中につるされた、電灯のひもを引っ張った。たちまち寝室が電灯に照らされた。私は、家中の電灯という電灯に明かりを点していた。そうして、お母さんのいるキッチンに戻ってきた。

「お母さん、停電が直ったよ!」

「本当だ。よかったね」

 お母さんは目を丸くして、私に答えた。その日の夕食は、久し振りにお母さんの顔を見ながら、食べることができた。献立は停電のときと変わらない物だけど、いつもより美味しく思えた。明るい場所で食事がとれるだけで、私はうれしかった。お母さんも苦労せずに、食事の準備や片付けができることを喜んでいた。

 お父さんは夜遅くに帰ってきた。電車はまだ点検のために動いていなかったから、こっちに帰る人の車に乗せてもらったという。その日は、リビングに三人で布団をしいて寝ることにした。常夜灯が、部屋の中を淡い光で包み込んでいる。私は安心して寝ることができた。

 翌朝、まぶしい光とともに私は目を開けた。朝から輝いた空が、目を覚ました私を迎えてくれた。こんな清々しい朝は、久し振りだった。べろべろの犬は闇の町へ去り、夕暮れの天候も、町の停電も戻った。生まれたての景色を見る気分で、辺りを見回した。お母さんは、キッチンで朝ご飯の支度をしている。お父さんも出勤する準備をしている。

「おはよう、あかり」

「おはよう、よく寝れた?」

「お父さん、お母さん。おはよう」

 お母さんとお父さんが、起きたばかりの私に声をかけた。

「すっかり元通りね」

 私は窓の景色を眺めて言った。お母さんは、にっこり笑った。

「まだお店に食料が並ぶのは、時間がかかるかもしれないけどね」

 朝食は、まだトーストの代わりにご飯と味噌汁だった。でも、ご飯は炊きたてだっだ。私は熱々のご飯に生卵を落として、卵かけご飯にして食べた。たまには、こういった朝食も悪くない。でも、私はやっぱり朝は、トーストを食べたかった。

 夕暮れの天気も停電も復旧したおかげで、翌週からの休校は取り止めになった。喜んだ生徒、残念がった生徒と色々いるけど、私はどちらかといえば、喜んだ方だった。みんなと会えることが待ち遠しい。一体何から話そう。べろべろの犬に会ったときの話や、みんなとこの町を救ったときの話、とおるはあの時どこに行っていたのか。みんなと話したいことが、山ほどあった。

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