第13話 遭遇

 翌朝起きると、真っ暗だった。その日は、朝から空の停電が始まった。それは十分ほどで、明るくなり始めた。それでも、太陽は昇るのをあきらめ、沈んだように見えた。

 空の停電が始まると、時間が止まったように、じっと身動きしないで、明るくなるまでやり過ごした。何もせずに待っているには、長い時間に思えた。朝食の間に暗闇が訪れると、慌てずに懐中電灯を点けて、当たり前のように食事を続けた。食べ終わることになって、黒煙をようやく掃き出したみたいに、辺りがぼんやりと明るくなる。本当に空に巨大な電灯が浮かんでいて、それが点滅しているように思える。

 登校のときも不安はぬぐえなかった。ランドセルには、暗闇でも光る光蛍光塗料のシールを貼った。お母さんは、学校を休んでいいと言っていたが、私は大丈夫だと答えて、家を出てきた。ちっとも大丈夫じゃないけど。みんなとべろべろの犬を見つけて、この町を元に戻そうと決めたのだ。約束を破るわけにはいかない。

 ゆりちゃんも、びくびくしながら登校してきた。途中で空の停電が、起こらないか心配だったようだ。

「懐中電灯があるから、大丈夫だよ」

 私は無理して、明るく振る舞った。引きつった顔では、まともな笑顔は作れなかった。

 校門の風景も、すっかり見慣れてしまった。口を大きく開けて、先生は大げさに生徒たちに呼びかけた。

「おはよう、おはよう。体調の悪くなった生徒は、すぐに教えて下さい」

 懐中電灯の光をかざして、遠くからでも見えるように振っていた。それでも、先生はどこか疲れが溜まったように動きを止め、腰を伸ばしたり、体を曲げたりしていた。

 教室に着くと、たいようくんたちは、元気のない顔を並べていた。心配事があるみたいだった。

「このまま、空の停電がひどくなれば、休校になるかもしれないって」

 登校する前だけでも、三度も空の停電が起こっていた。真っ暗の中では、授業は行えないと決まったのだという。

「その前に、何とかしないとな!」

 たいようくんが、体を乗り出して意気込んだ。

「どうしよう? そうなったら、外に出してもらえなくなる。べろべろの犬も見つけられない。俺たちには、どうすることもできなくなる」

 たかしは拳を作って、悔しそうに奥歯をかみしめた。私にはどうすることもできないが、そんなたかしを見つめていると、こっちもやるせない気持ちになってくる。

「急がないとな!」

 たいようくんが、たかしの肩をたたいて勇気づけた。

「問題は洋一くんだ。注意しなきゃ。あかりは、質問考えてきた?」

 私はランドセルから、ノートを取り出してきた。


 田中さんはどこ?

 どうしてはぐれたの?

 その答えの質問

 闇の町へ帰る道は?


 私は大体こんな事を、たかしに伝えた。たかしは満足して、話を続けた。

「その答えによって、質問が増えるな」

「でも、迷子なら最後の質問は、帰り道を示して上げないといけないんじゃない」

 私が言った。

「それに一人じゃ、べろべろの犬を見つけても、解決できないだろ。質問は一人一つと決まっているからな」

 たかしは、ちょっと頭を悩ますように傾けた。

「でも、べろべろの犬は神出鬼没だよ。みんながいないときに出会ったら、どうするの?」

 私は、解決できない問題を前にしたように聞いた。たかしが考え込んだ後に、少し間を開けて口を開いた。

「だんまりを決め込むしないな。べろべろの犬は、こっちが質問しなければ、大人しい犬だよ。ただ舌を出した犬なだけ。そのうち逃げていくと思うよ」

 私は、それでもちょっと不安だった。一人でいるときに、どうかべろべろの犬に出会いませんように、と神様に祈るしかなかった。

 こんな奇妙な授業を受けたのは、もちろん初めてだった。授業の半分近くが、暗闇の中で行われている。西村先生はおろおろして、落ち着かなかった。生徒たちの方が、この空の停電に順応していた。たとえ暗闇になったとしても慌てず、懐中電灯の明かりを点せばいいだけだった。

 西村先生も懐中電灯を手に四苦八苦しながら、授業を進めた。暗くなると、役に立たない黒板はできるだけ使わず、みんなに語りかけるように話した。それで生徒はいつもより、授業を熱心に受けられた。みんなはノートを取るときだけ、懐中電灯の明かりを机の上で点した。工夫すれば、こんな不便な生活も、何とか上手くこなせることが実感できた。

 とうとう作戦のときが決まった。学校は翌週から、休校になると知らされたのだ。これ以上、空の停電が続くと、授業に支障が出るということだ。他にも、真っ暗な中を生徒を登下校させるのは、危険だからという理由もあった。家庭学習という名目で、できるだけやるようにと、たくさんの宿題が出された。翌日の金曜日が、最後の授業になる。

 下校の時に、いつもの五人で例の張り紙を確かめに行った。屋敷の門扉には、変わらず張り紙が貼ってあった。


 べろべろの犬通るべからず


 私は張り紙がなくなっていることを、少し期待していた。実際にべろべろの犬に会うことが、まだ怖かったからだ。

「いよいよ明日の放課後、この張り紙をはがす」

 たかしが門の前に立って、そう宣言した。みんな覚悟を決め、黙ってうなずいた。これしか、この町を救う方法がないように思えた。私たちは、簡単な段取りを終えると、再びうなずいて、屋敷の門を離れた。

 たいようくんたち三人とは、そこからすぐに帰り道が分かれた。バイバイと手を振って、翌日の作戦の健闘を祈った。幹線道路に沿って、ゆりちゃんとしばらく黙って歩いた。車はときどき速いスピードで走りすぎた。

 色々なことが、一度に頭に浮かんできて、何を話していいのか分からない。べろべろの犬は本当に現れるのか。上手く質問して、べろべろの犬を闇の町に帰すことができるのか。他にもたくさん心配事はあった。その一つも話題にしないうちに、ゆりちゃんとも別れて、一人となった。

 私は一人自宅に急いでいた。そこで突然と空の停電は始った。幸い自宅まで目と鼻の先ほどの所だった。帰り道の景色が、完全に暗闇に沈んだ。慌てて懐中電灯を点したとき、そいつはいた。赤い舌を出した犬が、明かりに映し出された。私は直感的に、それがべろべろの犬だと分かった。

 何もしなければ、やり過ごせるはず。私はそう聞いていた。ところが、その犬は私の方へ勢いよく走ってきた。私は恐ろしさのあまり、逃げ出した。暗闇の中で犬の足音だけが、背中に迫ってきた。私は振り返ることもできずに、懸命に走った。足音はいよいよ間近に聞こえた。何とか家の玄関にたどり着いた。扉の中へ逃げ込んだ。犬は玄関の外まで追いかけてきた。扉の前で、前足で引っかくような仕草をした。ガタガタと扉が音を立てた。私は息切れしながら、扉が開かないように押さえた。焦って鍵が上手く閉まらない。それでも必死に腕に力を入れた。ガタガタ鳴って、外から扉が開けられそうだった。

ガタガタ、ガタガタ

ガタガタ、ガタガタ

 段々と音が大きくなって、強引に扉が揺り動かされた。私は精一杯扉を押さえた。しばらく続いて、それが急に静かになった。扉は少しも動かない。玄関の外にも、その犬の姿は見えなかった。辺りが次第に明るくなってきた。空の停電は終わっていた。

 私はお母さんを呼んで、怖い犬に出会ったことを話した。お母さんは、窓の外から様子を確かめた。犬はどこにも見つからなかった。

「もうどこかへ行ってしまったよ。家の中までは入って来られないから大丈夫」と、泣きそうな私をなぐさめてくれた。

 すっかり動揺した私は、何も手に付かなかった。翌日の授業の準備だけして、二階の窓からさっきの犬が来ていないか見張っていた。犬はあれから、一度も現れなかった。二階を下りると、すぐに夕暮れになった。

 夕食は、まだ明るいうちに済ませるつもりだった。が、すっかり辺りは暗くなってしまった。懐中電灯を置いて、夕食に取りかかる。献立はいつもと代わり映えしない。材料が同じだから仕方がなかった。これだって、貴重な食料だ。ツナ缶に、野菜スープを平らげた。ご飯んは、いつものレトルトだった。

 私は寝る頃になって、急に恐怖がよみがえってきた。もし昼間の犬が夢に出てきたら、どうしようと考えたのだ。明かりの制限された夜は、寝付けないとひどくつらかった。眠れないことが、これほど恐怖に感じらのも初めてだった。それでも、私は知らない間に眠っていた。目が覚めて、ようやくその事に気付いた。

 その日の朝も、真っ暗な中で目を覚ました。真っ暗な中の目覚めは、がっかりした気分にさせられる。

 休校前の最後の一日だった。私は登校すると、真っ先に昨日の恐ろしい出来事を、たいようくんたちに話した。

「どこが大人しい犬なの。襲ってきたよ」

「えっ! べろべろの犬に出会ったの!」

「本当に!」

「それ、何か理由があるんじゃないかな。好物を持っていたとか」

 たかしは丸眼鏡に手を当て、冷静に私の言葉を受け流した。

「私、何も食べ物なんて持ってなかった」

 たいようくんたちは、私が恐ろしい目にあったことより、べろべろの犬に出会ったことの方が、うらやましく思っていた。いつ出会ったのか、どんな犬だったのか、しつこく聞いた。私は、男の子の好奇心にうんざりした。

「それって、本当にべろべろの犬だったの?」

 たかしが、私に念入りに確認した。

「分からない。私だって初めて見たんだから」

「でも、べろべろの犬に襲われたって話は、一度も聞いたことがないんだ。だから、別の犬だったのかもしれないよ」

 たかしが、まだ疑うような言い方をした。べろべろの犬に一番詳しい自分を差し置いて、私が先に本物に出会ったのが悔しかったようだ。たいようくんは、まあ決め付けるのは早いと手を振った。

「どっちにしても今日、張り紙をはがす。そうすれば、はっきりするだろ」

 私は納得いかなかったが、仕方なくうなずいた。その日の空の停電は、一度始まれば、最低でも十五分は真っ暗闇が続くようになっていた。これなら、べろべろの犬に質問するのに十分な時間が取れるだろう。あとは張り紙をはがして、本当にべろべろの犬が出現するかどうかだ。

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