第12話 張り紙の秘密

 その朝、たいようくんたちの話の輪は、いつもより沈んで見えた。どうしたのと事情を知らない私は、のんきに尋ねていた。たいようくんが、私とゆりちゃんに気付いて、浮かない顔を起こした。

「ちょっと問題が起きたんだ」

 たいようくんは青白い顔のまま、重い口を開いた。

「洋一くんが現れたんだって」

「洋一くんって、誰?」

 それは、べろべろの犬に闇の町の行き方を聞いた、哀れな生徒だった。こっちの世界に戻れなくなったらしい。他のクラスの生徒の話では、不幸にも洋一くんに出会ってしまうと、闇の町に一緒に連れて行かれるという。

「でも、その子がどうして、今この町に現れたの?」

 怖い話が苦手な私は、いても立ってもいられず質問していた。そういう話は、質問しなければよかったと後悔する。

「この町が、停電になったからじゃないかな。闇の町と停電の町は、つながっているのかもしれない」

 たいようくんは学生机に手を突いて、眉間にしわを寄せた。

「洋一くんは友達を探しているんだ。自分と同じ仲間が欲しいんだと思うよ」

 情報通のたかしが、丸眼鏡を鼻の上へ押し上げて、詳しく説明した。たかしは朝一番に来て、よそのクラスの生徒と情報交換している。べろべろの犬のうわさは、ほとんどたかしのところに集まってきた。

「洋一くんに出会ったら、絶対に付いて行っちゃダメなんだって」

「でも、そんな事簡単じゃないの?」

 私は、たかしに顔を向けた。事情を知っていれば、注意すればいいと単純に考えていた。

「実はそうでもないんだ。不思議だけど、洋一くんと会えば、みんな洋一くんを昔からの友達のように感じてしまうんだって。不思議な力が働いているのかもしれない。その力には、誰も逆らえない」

 たかしが腰に手を当てて、興奮を抑えるように言った。

「じゃあ、私たちも闇の町から帰れなくなるのかな?」

 ゆりちゃんが怯えたふうに、つぶやいた。ゆりちゃんも相当な怖がりだった。でも、べろべろの犬はそのネーミングが面白いから、大丈夫みたいだ。

「洋一くんに連れて行かれたら、助からないの?」

 私は、亡霊のような洋一くんが恐ろしくなって尋ねた。みんなが一斉に期待を込め、たかしに注目した。たかしはちょっと勿体振って、えへんと咳払いをした。

「一つだけ助かる方法がある。べろべろの犬に聞けば、連れて行かれた子を救える。その代わり、質問を一つ無駄に使っちゃうけどね」

 私はできれば、洋一くんに出会いたくなかった。そうして、べろべろの犬にもだ。

「どうする? べろべろの犬を探していて、間違って洋一くんに見つかったら」

「隠れん坊だ!」

 とおるが、たかしの背中に隠れた。

「顔も分からない洋一くんを、どうやって見分ける?」

 たいようくんが、たかしの後ろで顔だけのぞかせる、とおるにちょっかいを出した。

「洋一くんは、懐中電灯を持っていないんだって」

 たかしが、とおるの代わりに答えた。私は、どこかでその子に出会った気がする。気のせいなのか、全くその事を思い出せない。

 とにかく洋一くんに出会っても、助かる方法はあると聞いて、一安心した。ゆりちゃんも怖いねと言っていたから、同じ気持ちなのだろう。

 朝の落ち着かない教室に、西村先生が姿を見せると、すぐにホームルームが始まった。教室のあちこちに散らばっていた生徒たちが、次々と席に戻った。

 西村先生が、その日の授業の変更について伝えた。その時、ぱっと暗闇になって、西村先生も生徒の姿も見えなくなった。きゃっと短い悲鳴がして、停電だと誰かが叫んだ。闇の中で、ごそごそする音が広がって、懐中電灯の光が点った。教室は懐中電灯の光に、気味悪く映し出されていた。五分ほどで、空の停電は終わったが、生徒たちの不安は広がった。私もドキドキして、まだ胸の鼓動が収まらない。昨日とは、明らかに状況が変わっていた。

 ホームルームの終わりとともに、社会の授業が行われた。西村先生は青い顔をしながら、空の停電のことには一言も触れずに、教科書を開いて黒板に向かった。私は授業どころではなかった。はっきりと空の停電は、悪化している。早くこの事について、たいようくんたちと話し合いたかった。時間は思うように過ぎてはくれない。

 社会の授業中に、二度目の空の停電が起こった。生徒の中には、既にそれを予測していたとみえ、懐中電灯の明かりが素早く点され、生徒たちはみんな安心した。明かり一つあるのとないのとでは、気持ちが違う。私は、ほっと胸をなで下ろした。ぱっと西村先生の顔が照らされ、不気味に暗闇へ現れた。悲鳴に混じって笑い声も聞こえた。先生は手をかざして、まぶしそうに怒鳴った。ちょっと悪ふざけで、生徒の誰かがやったのだ。懐中電灯の光は西村先生の声に反応して、たちまち消された。が、西村先生の機嫌は悪かった。

 二時間目の算数の時間にも、空の停電は起こった。それがこれまでと違って、十五分と暗闇の時間が長くなっていた。西村先生は懐中電灯を手に、みんな席を立たないようにと言って、教室の扉を開け、他のクラスの様子を確かめに出ていった。廊下では、他の先生も出てきて、何人かでひそひそ話す声が聞こえた。

 ひそひそ話は、教室の中でも起こっていた。空の停電は、電灯が古くなって段々と切れるみたいに、たびたび起きるようになっていた。やがて電灯が切れるのと同じことが、この町にも起こると、みんなが想像し始めた。たとえそれを大人が信じなくても、否定できないのは目に見えていた。

「僕らは、僕らでできることをすればいい」

 それが、たいようくんの口癖になった。

 その日、学校で起きた空の停電は、五回だった。一つの授業に一度の割合で起きている。その間、授業は完全に止まってしまった。空の停電は、五分程度で回復したが、その後の授業はすぐには進まなかった。みんな恐怖に怯え、いつ暗闇から戻らなくなるか、相談していた。西村先生は、厳しくは注意しなかった。それで、生徒の不安が取り除けるなら、好きにさせておけばいいと思っているのだろう。西村先生自身も、どこか病にかかったように、顔色が悪かった。

 たかしが休み時間、よそのクラスから戻ってくると、話の輪に入ってきた。何か特別な情報を仕入れてきたようだ。

「今日の停電で、犬の鳴き声を聞いた生徒がいるって、うわさだよ」

「犬の?」

 みんなが驚いた。

「でも、それは近所の犬が、空の停電に驚いただけなのかもしれない。だって、べろべろの犬は、人の言葉をしゃべるんだからね」

 たいようくんは少し首をかしげて、否定した。

「それが本当なら、べろべろの犬は学校にいるってことになるじゃない」

 私は、いよいよその犬を目の前にすると思うと、ひざががくがくしてきた。たとえ見た目が普通の犬でも、人間の言葉をしゃべったら怖いだろう。

「学校には生徒も多いし、質問攻めに合うからな。ここに来ても、すぐに逃げるに決まっている」

 たかしが自信を持って発言した。それを聞いて、ゆりちゃんは、ふーと息をはき出し安心していた。

「そうだよね。でも、空の停電っていつまで続くんだろう」

「べろべろの犬が、この町にいる限りじゃない。状況は悪くなる一方だ」

 たいようくんが、怖がるゆりちゃんをちらりと見た。それから続けた。

「僕は、べろべろの犬を見つけるチャンスだと思っている。町が暗くなれば、べろべろの犬はきっとどこかに現れるはずだ」

「夜じゃダメなの?」

 私が聞いた。

「夜は、みんな外に出してもらえないだろ。それに時間の問題だよ。信じられないけど、昼間が暗闇に塗りつぶされるときが、そこまで来ているんだ」

 たいようくんは、きりりと口を一文字に結んだ。そういった最悪の事態が訪れても、動じない覚悟を決めたようだ。私には、ちょっと真似できない。

 終わりのホームルームが済むと。みんな急いで下校し始めた。帰りの道で、空の停電が起きるのを恐れていたのだ。私たちはいつもの五人で、大きな屋敷の前に来て立ち止まった。奇妙な張り紙は、変わらず貼ってあった。

「べろべろの犬通るべからず」

 とおるが読み上げると、たいようくんが続けて確認した。

「異常なしだな」

 張り紙はさっき貼ったように、しっかりと門扉に貼り付けてあった。

「でもさ。どうしても、この張り紙が気になるんだよな」

 たかしは、張り紙をじっくり見つめた。はがして持って帰るんじゃないか、というくらい顔を近づけている。

「こんな所に、べろべろの犬なんていないだろ」

 とおるが、冗談のように言ったときだ。急に辺りが暗闇になって、空の停電が始まった。ドンと門扉に向かって、何かがぶつかる音が響いた。

「この門の張り紙、おかしくない」

 私の声はうわずっていた。緊張で、口の中がひどくかわいた。

「べろべろの犬通るべからずだろ」

 たかしが抑揚をつけ、読み上げた。

「今、誰かが門をたたいた」

 ゆりちゃんが怯えた声で、つぶやいた。

「風のせいじゃない?」

 たいようくんの声だ。

「今真っ暗なのに、文字が読める」

 私は最初、暗闇で目がおかしくなったのかと思った。そうではないと気付いた。

「ほんとだ。ぼんやりとだけど、文字が浮き上がって見える。蛍光塗料でも、塗ってあるのかな?」

 たかしの驚いた声がした。ようやく誰かが懐中電灯の明かりを点した。たかしだった。たかしの明かりが、屋敷の門扉を下から照らして、最後に張り紙に光を当てた。私とゆりちゃんも、同時に懐中電灯に明かりを点けた。

「蛍光塗料?」

「暗闇でも光って見えるんだ」

 たかしが、私の声に答えた。私は控え目に、自分の足元を照らしていた。どこか他の所を照らして、余計な物を見つけたら怖いからだ。

「へー。でも、わざわざこんな事、書く必要がある」

 私が言った。たかしが懐中電灯の光を向け、辺りを一周させるようにしたから、恐ろしい景色が浮き上がった。私は怖くて、できるだけ見ないようにした。

「それも、そうだけど。何か理由があるのかもしれない」

 そこまで話して、空の停電は元に戻った。そこには、夕暮れの景色が広がっていた。おかしな天気だった。まだ昼間だというのに、あと何分後かに日暮れを迎えようとしている。そこで時間が止まったみたいに、夕暮れの景色は動かなかった。

「つまり、ここにべろべろの犬が現れるってことだろ」

 たかしが、張り紙をポンとたたいた。それで、みんな張り紙に注目した。

「僕も、そうだと考えている」

 たいようくんが、ようやく確信を得た表情で、たかしにうなずいた。私は、たかしに疑う目を向けた。

「でも、現れないじゃない」

「それは、今は明るいからだよ」

「空の停電が起きればってこと? でも、さっき停電が起きたけど、誰かべろべろの犬を見た人いる?」

 私が尋ねた。みんなは慌てて首を振った。

「ひょっとして、この張り紙のせいなのかもしれないよ」

 たかしが、引っ掛けるように張り紙を指差した。張り紙は憎らしいほど、ぴったりと門扉に張り付いている。

「じゃあ、この張り紙をはがせばいい」

 とおるは、今にも張り紙に手を伸ばしそうだった。たいようくんが、それを素早く制した。

「待って! 今のままじゃ。暗闇の時間が短すぎて、質問ができないよ。十分、いや十五分以上は必要だな」

「それまで、待たないといけないってこと」

 私は眉をひそめて、たいようくんに振り返った。

 べろべろの犬を見つける手段が、ようやく見つかった。大きな屋敷の門扉に貼られた、張り紙をはがすということだ。しかもそれは、空の停電のときに合わせて行う必要がある。私は全てを信じたわけではないが、それが全くウソとも思えなかった。

 家に帰ると、お母さんの元気のない声が聞こえてきた。昼間も急に辺りが暗くなるから、心配で仕事がはかどらないのだと言った。

「嫌ね。このまま、朝も昼も夜になったら大変」

「朝も昼も夜に」

 私は、ちょっとその意味を考えてみた。一日中、夜ってことでしょ。懐中電灯が、いくつあっても足りないよ。

 昼ご飯は卵を炒って、チャーハンの素で簡単に作った物だった。停電生活で限られた物しか、食べられなくなった。私は学校の準備だけ終えると、すぐに二階から下りてきた。一人でいると、べろべろの犬や洋一くんのことが頭の中で回りだして、怖くなるからだ。お母さんは、キッチンで夕食や暗くなったときの準備をしていた。

「まだ、明るいうちに体を拭いておいてね」

 お母さんは水でぬらして、しぼったタオルを私に手渡した。私はゴシゴシと体を拭いて綺麗にした。すっきりして少し気分も洗われた。洗濯はお母さんが大変な思いをして、手洗いしていた。洗った物は外に干しても、昼間の日差しがないから、なかなか乾かないのだと困っていた。

 夕方近くなると、次第に恐ろしくなった。真っ暗な中では、いつべろべろの犬や洋一くんと出会ってもおかしくない。たかしの話だと、家の中までは入って来ないという。でも、玄関の前までなら、来るかもしれない。そういう時は、絶対に出たらダメだと注意を受けていた。

 夜が来て、二人だけの食事はひっそりとしていた。懐中電灯を照らして食べるご飯は、それが何か単調な作業のように、私の口を無言にさせた。

 その日の献立は、野菜炒めとサバ缶だった。缶詰の魚は、普段より重宝した。これなら、冷蔵庫がなくても魚はいつでも食べられる。お父さんは、その日は会社に泊まるそうだ。リビングにテントを張って、その中で寝た。テントの天井に懐中電灯の光を照らすと、明るくなって少しは安心できた。テントの中なら、べろべろの犬や洋一くんも入って来られないはずだ。

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