第11話 お父さんの懐中電灯

 帰宅後、私は真っ先にお母さんの所に行って、午前中の暗闇事件について聞いていた。

「真っ暗? そうそう。いきなり夜が来たのかと慌てたよ。でも四五分で元に戻った」

 お母さんは怯えた声をして、その時の状況を身振りをつけて説明した。空の停電は学校だけではなく、この町全体で起こったことだった。

 その日もお母さんは、炊事や掃除に忙しそうだった。いつ暗くなってもいいように、明かりがあるうちに全部片付けておくのだと張り切っていた。

 給食センターは、既に休業してしまった。昼食は家で食べるということが、当たり前になった。我が家の食卓にも、とうとうインスタントラーメンが登場した。ラーメン自体は悪くないけど。これが毎日続くとなると、嫌気が差す。

 私は小さな懐中電灯を手に、二階へ上がった。まだ夜になる前に、お母さんを見ならって、翌日の支度をしておこうと思った。いざ始めてみると、授業の教科書をそろえるくらいしか、やることがなかった。宿題も暗い中では大変だと、しばらくは出さないことに学校で決まった。私は勉強の代わりに、べろべろの犬のことについて、あれこれ思案してみた。大人は誰もこの停電や異常な天候が、その犬のせいだとは思っていない。私自身も、未だに本当かどうか疑っていた。

 その日、お父さんはちょうど夕ご飯を食べているときに、帰ってきた。これでも日が暮れる前に、急いで帰ってきたのだと言った。お父さんが家にいると、やっぱり落ち着く。お父さんは会社で借りてきた、大型の懐中電灯を持って得意げだった。これまで使っていた物の二倍は、部屋が明るくなった。それでも、懐中電灯の生活は不便だ。停電は、まだ復旧する見込みがなかった。テレビもなし、明かりもなしで、暗くなったら、早めに布団に入って寝るしかなかった。その日は、リビングに三人の布団が並んだ。

 私は、恐る恐る真っ暗な玄関へ行った。重そうに三本の傘を胸に抱えて、戻ってきた。懐中電灯の明かりだけでも、傘の場所は覚えていたから、簡単に見つけることができた。私は自慢するように、お父さんに言った。

「傘、持ってきたよ。こうすると、明るくなるでしょ」

 コウモリ傘は、本当の暗闇のよう。光を当てても、あまり明るくならない。黒布だから、暗いままだ。見ていると、そこに闇があって吸い込まれそうになる。花柄のお母さんの傘は、花が咲いたよう。暗闇にもぱっと咲いた花が、辺りを明るくしてくれる。私の雨模様の傘は、ちょっと辺りを雨の日みたいに寂しくさせる。光が当たって、本当の雨の日のようだ。

 テントほどではないけど、恐ろしい暗闇が雨粒みたいに遮れるようだった。

「目に当てないように気をつけてよ」

 お母さんが、私に注意した。

「分かってる」

 私は布団に入ると、浮き浮きした気分になって、お父さんに話しかけた。お父さんは眠そうな目で、私の話に付き合ってくれる。暗く不安な夜は、私の口を特におしゃべりにさせた。外では嵐が吹いているのが、普段よりもよく聞こえた。ゴーゴー、ビュービューうなって、耳が痛くなりそうだった。

「闇の町って、本当にあるのかな?」

 私は学校のうわさ話について、お父さんに尋ねてみた。

「闇の町? どんな町なんだ」

 お父さんは、ちょっと驚いて聞き返した。

「べろべろの犬がね。田中さんと一緒に住んでいる町なんだって」

「へー、お父さんは知らないな。でも、本当はあるのかもしれないよ」

「どうして?」

 私は体を起こして、お父さんをのぞき込んだ。お父さんが、そんな事を思うのが不思議だった。

「はっきりとは言えないけど。そういう、うわさが立つくらいだから、実際には行けなくても、不思議なことはあると思うよ」

「へー。お父さんは、なかなかのロマンチストだね」

 私はニヤニヤして、お父さんに言った。お父さんの意外な一面を見たような気がした。

「私は絶対にないと思う」

「どうしてだい?」

「だって、そんな町があって迷い込んだら、二度と戻れなくなって困るでしょ」

「そうだね。戻れなくなったら、困るよね」

「うん、うん。困るどころか怖いよ」


「ねえ、お父さん。べろべろの犬に出会ったら、何て質問するの?」

 私は自分では思い付かない、その質問についても、参考のために聞いてみた。いい答えが聞けたら、そのまま真似しようとも思っていた。

「質問?」

「何でも答えてくれるんだって」

「へー。でも、絶対に知りたくないことは、怖くて聞けないだろう」

「そうだけど。じゃあ、何て質問するの?」

「そうだな。急に言われても、なかなか思い付かないな」

 お父さんは、ちょっと困ったような顔をした。目がとろーんとなって、もう眠ってしまいそうだった。

「そうでしょ。私もそう思う」

「あっ、そうだ」

「思い付いたの?」

「この停電が、いつ復旧するか?」

「ああ、そうだね」

「何だ。かっかりして、どうした?」

「もっと、誰も思い付かな質問を期待していたの」

「はは。それも、そうだな」

 私は昼間の興奮で疲れていたのか、それともお父さんが側にいて安心したのか、その夜はぐっすり眠れた。

 朝、目が覚めても朝だという気分になれなかった。まぶしいお日様も、しばらく見ていない。そこには、どんよりとした夕暮れが横たわっていた。

 朝食は、いつものメンバーだった。レトルトのご飯に、味噌汁、卵は日持ちするからと、目玉焼きになって出てきた。おはようのあいさつも、しっくりこなくなった。代わりに懐中電灯の光を、合図のように点すことが、学校で流行った。私もゆりちゃんに出会うと、光を点した。向こうから光が返ってくると、うれしくなった。

 校門の先生たちも疲れが見えてきた。できるだけ体力を節約して、でも大きな声であいさつした。懐中電灯の明かりも、心なしか元気がなかった。

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