第6話 停電の学校

 私は、ちょっと浮き浮きする物音で目を覚ました。お母さんがキッチンで、忙しく朝食の支度をしていた。雨上がりに似た、さわやかな朝が訪れていた。外はすっかり明るくなって、遠くの山まで見渡せそうだった。私は、ほっとした。昨夜の恐ろしい暗闇が、夢だったように思えた。

「おはよう。お母さん、電気使えるようになった?」

 私は布団の中から、早速その事を確かめた。いい返事は聞こえてこなかった。

「まだ停電、続いているみたい。いつになったら復旧するのかしらね」

 お母さんは手を休めて、困っという沈んだ声で言った。

「でも、夜までには使えるんじゃない。そうじゃないと、また昨日と同じだよ」

 それは、ほとんど私の希望的観測だった。私がそう思ったからといって、どうにかなるわけではない。

「そうだといいけど。早く電気が使えないと、ほんと不便よね」

「ねえ、お父さんは?」

 私はリビングを見回し、ふと気が付いた。既に二組の布団が、きちんと畳んであった。その一組は、お父さんの布団だった。

「お父さんはね。朝早くに会社に出かけたよ。今は緊急事態だからと言ってね。この町の電車は、まだ走っていないんだって」

 お母さんは心配そうに答え、また朝食の支度や片付けに手を動かし始めた。

「お父さんも大変ね」

 私は一つ欠伸をして言った。まだ体が完全に目覚めていない。気だるいような感じがした。

「あかりも、早く起きて支度しなさい。ご飯できているから」

「うん、分かった」

 そう言われても、なかなか体が言うことを聞かない。昨夜の興奮がまだ収まっていなかった。悪戦苦闘した夜は、よく眠れたとも思えない。体のあちこちが痛む気がする。私はまぶしい朝の光に急き立てられながら、ようやく布団からはい出した。眠い眼をこすって、洗面台の前に立った。いつもと変わらない一日が始まるようにと願って、顔を洗い、歯を磨いた。鏡の中に、不安そうな私が立っていた。

 家を出発したときも、その気持ちは落ち着かなかった。どこかみんなそわそわして、いつもより学校や会社へ急いでいた。交差点では、ちょっとした渋滞が起きていた。停電の影響は、こんな所にも現れていた。

 私は登校の途中で、仲良しのゆりちゃんに出会った。これは普段と変わらない光景だ。ゆりちゃんも急いで家を出て来たから、会えたのは偶然だった。

「おはよう」

 私はあいさつして、ゆりさんに手を振った。ゆりちゃんは、大人しそうに手を振って返した。ゆりちゃんも眠そうに目を細めていた。朝日がまぶしいせいもあった。話したいことは、山ほどある。それは、ほとんど昨日の出来事だった。私は昨夜の停電について、すぐに話した。ゆりちゃんも同じだ。昨夜の停電で、どれだけ苦労したのか自慢大会になった。

「昨日、お風呂入れた?」

 ゆりちゃんが、はにかむように聞いてきた。私は正直に答えた。別にゆりちゃんに隠すことでもなかった。これが、意地悪な男子なら話は別だ。

「入れなかったよ」

 私は、ちょっと恥じらうように言った。

「うちもだよ。みんな同じなんだね」

「ううん。電気使っているから、ダメなんだって。ガスと水道は大丈夫だったんだけどね」

「うちも、お母さんがそう言ってた」

「でも、学校で風呂に入れた人、ほとんどいないと思うよ」

 私は、ゆりちゃんの言葉にすぐに答えた。

「きっとそうだよ。どの家も停電なんだからね」

「でも、二人だけだったら、嫌だけどね」

 私は、ゆりちゃんを見つめた。ゆりちゃんは、苦笑いしながうなずいた。

「うん。でも、黙っていれば分からないし、わざわざ報告するようなことでもないと思うよ」

 ゆりちゃんは大人しそうに見えて、案外芯が強かった。私たちは、そんな停電の苦労話に花を咲かせているうちに、いつの間にか学校にたどり着いてしまった。学校に着いても、話したいことは、たくさんあって尽きなかった。

 校門の前には、普段にはなく多くの先生の顔が笑顔で並んで立っていた。いつもより大きな声で、あいさつを呼びかけていた。体調の悪い子がいないか。不安を抱えている子はいないか。一人一人顔をのぞき込んで、確認していた。私たちはそれでかえって校門を通るとき、小さな声になった。先生のびっくりするくらいの大声に、驚かされたからだった。

 私は教室に入っても、気持ちが優れなかった。何となく薄暗い教室は、まだ停電が続いている証だった。誰かがときどき電灯のスイッチを、パチパチ鳴らすのが聞こえた。それでも、何も起こらなかった。電灯は全く点らなかった。

 教室には既に二三人のグループが、思い思いに集まっていた。昨夜の停電について、あれこれ談議をしていた。その中には真剣な眼差しで、まだしばらくは停電は継続するんじゃないかと、唇を震わせて、討論している生徒もいた。

 私はランドセルを自分の席に置くと、すぐにある一組の話の輪に入った。その中には、昨夜外で出会った、たいようくんたちの顔も見えた。みんなそれぞれ暗闇の中で、どのように過ごしたか話していた。懐中電灯を手にした、奮闘ぶりを熱心に語っていた。

「テレビが見れないし、パソコンも使えないんだからな」

 鼻の上で丸眼鏡を押し上げ、たかしが不満をもらした。

「それだけじゃないよ。一番困ったのは、明かりが点らないことだよ。真っ暗の中じゃ、何もできないだろ。やっぱり懐中電灯一つじゃ、どうにもならない」

 利発そうな顔立ちの、たいようくんが力んで言った。たいようくんは、この輪の中のリーダー的存在だ。

「うん、本も読めない」

 ゆりちゃんが、小さく頭をこくりとさせた。

「勉強も宿題もできない」

「とおる、停電がなくても勉強しないだろ」

 たかしが、とおるにツッコミを入れた。とおるがおどけて見せたから、みんなの笑いを誘った。私も声を立てて笑った。

「でも、この停電はいつ終わるんだろう?」

 たかしは、その事が気がかりなようだ。私も早く停電が終わればいいのにと願っていた。

「お母さんは、今日中って言ってたけど。当てにならないよ。昨日も今夜中って言ってたからね」

 たいようくんが、たかしに不満をもらした。

「でも、どうして停電になったの?」

 とおるが尋ねた。たいようくんが答えて、最後に肩をすくめた。

「それが、よく分からないんだ。テレビも見れないし、ラジオも聞けない。こんな事って、初めてだよ」

「ドドドと音がしただろ。地震じゃないかな。家もガタガタ揺れたし」

 たかしが、大げさに声を上げた。私は大きくうなずいた。昨夜の恐ろしい光景を思い返すと、私も地震だと思っていた。テレビのニュースを見ることができないから、それを確かめることはできなかった。

「そうそう、私もびっくりした」

「えっ、雷じゃなかったの?」

「雷くらいなら、町中が停電になったりしないだろ」

「そうか、そうか。そうだね」

 ゆりちゃんはちょっとほほを赤くさせて、たかしの言葉に何度も頭を縦に振った。

「今夜も停電だったら、どうしよう?」

「嫌だなー」

 みんなが同じような声を、一度に口にした。教室が、急に騒がしくなった。この話題はなかなか尽きなかった。やっぱりみんな昨日からの停電で、相当苦労したのが分かった。

 みんな話に夢中になって、教室に西村先生が入って来たことに気付かなかった。西村先生はこのクラス、四年三組の担任で、三十代の男の先生だ。西村先生はちょっと咳払いして、みんなに席に着くように促した。西村先生は危険なことをしない限り、その日はあまりうるさく言わなかった。

「皆さん、まだ停電が続いています。いつ復旧するのか分かっていません。少し不便なところはあると思いますが、心配せずにいつも通り過ごして下さい」

 西村先生はいつもよりゆっくりと、教室中の生徒を見回した。一人一人の生徒の顔色を確かめた。

「それから、気分が悪くなった生徒はいませんか。いたらすぐに教えて下さい」

 西村先生はみんなにそう伝えて、ホームルームを終えた。西村先生もどこか、慌ただしくするようだった。

 教室が薄暗いことを除けば、授業はいつもと変わらなかった。これといって不便も感じなかった。それでも、生徒はみんなそわそわして、どこか落ち着かなかった。それ以外は問題は無いはずだった。ただ教室の中には、空いた席がいつもより多く感じられた。数えてみたら、その日は五人が欠席していた。病気で休んだ生徒の他に、停電を理由に休んだ生徒もあったという。

 それを聞いたのか、ずる休みだと、とおるが騒いだ。しかし、誰もとおるの意見に同調しなかった。みんなあれだけ苦労して、恐ろしい夜を過ごしたのに、それがまだ続くとなれば、何かしら手を打つ必要がある。そういった準備をするのにも、猫の手も借りたかった。同情しても、非難する気持ちにはなれなかった。それに、しばらく親類を頼って、町を離れた生徒もいたという。

「僕だって、今日休もうと思ったんだ」

 たいようくんが、こっそり打ち明けた。ちょっと意外だった。たいようくんなら、どんな困難にもくじけずに、学校に来ると思っていたからだ。そういう勇気を持っていた。

「なあ、聞いた? 今日の授業は、午前中までだって」

「どうして? ホームルームでも言ってなかったよ」

 私は、とおるの隣に入ってきた、たかしをのぞき見た。たかしは、走ってきたように口をパクパクさせていた。丸眼鏡をちょっと触って直した。

「今さっき決まったんだって。給食が作れないんだ。冷蔵庫が使えないから、材料がそろわないらしいよ」

「うちもそうだ。冷蔵庫がダメだから、牛乳とか腐ってしまうって、お母さんが言ってた」

「肉も魚もね」

 ゆりちゃんが、私の後に付け足した。

「だから、うちではしばらくはインスタント食品で済ませようって言ってた」

 たいようくんが、右手でラーメンをすする真似をした。たかしも、たいようくんの真似をして苦笑いした。

「ラーメンは好きだけど、毎日じゃな」

「俺は、別に毎日でもいいぞ!」

 とおるが、あっけらかんと言った。私は、とおるの言葉に顔をしかめた。本当に毎日、インスタントラーメンだったら、どうしよう。ラーメンは嫌いじゃないけど。毎日だとちょっと飽きちゃうな。

 そんな事に悩んでいたら、あっと言う間に、午前中の授業は過ぎてしまった。四時間目が終わると、そのままホームルームが始まった。その後、生徒は全員下校することになった。西村先生の話によれば、まだ停電は復旧していないという。

 何時になったら停電は復旧するのだろう。昨夜の苦労を思い浮かべて、ため息がもれた。どうやらその日も、電気のない生活を過ごすことになりそうだ。塾に行っている生徒は、その日はみんなお休みらしい。

 放課後の通学路の途中で、数人の生徒が、相談するように集まってした。何か神妙な面持ちで話し合っていた。たいようくんも、たかしも、とおるもその中に見えた。そして、ゆりちゃんもいた。

 私は気になって、何の相談かと尋ねた。べろべろの犬の話だと、たいようくんが教えてくれた。

「べろべろの犬はね。停電の町に現れるんだよ」

「じゃあ」

「そう、この町にべろべろの犬が来ているんだ」

「それって、べろべろの犬が停電を起こしているってこと?」

 私は、たいようくんの顔を見た。瞳の光が、少し陰った。

「どうかな。でも、停電の真っ暗な町に、その犬は散歩に来るんだ」

 私も、ちょっとその犬に興味が湧いてきた。みんなはただのうわさ話より、真剣にその犬を探そうとしている。まるで宝探しのようだ。

「その犬、どうするの。捕まえるの?」

 私が聞いたから、たかしがわざわざ振り向いて、意味ありげに答えた。

「そうじゃないよ。あかりは、べろべろの犬の秘密を知らないの?」

「秘密? しゃべる犬ってことでしょ」

「半分だけ正解」

 たかしがちょっと残念そうに、私にほほ笑みかけた。

「半分だけ。何か他にあるの?」

「ううん。べろべろの犬は、一人一つだけ質問に答えてくれるんだ。それもどんな質問にもね」

「そうだ。そんな事、誰かが言ってた。でも、答えのない質問には、誰も答えられないでしょ」

「そこが不思議なんだ。たとえ答えのない質問でも、その犬がしゃべると、その通りになってしまうんだよ」

 たかしは、少し顔を強張らせた。私は思わず言い返した。

「それって、とても怖くない?」

「怖いもんか!」

 とおるが怒鳴った。あごをちょっと突き出し、威張っている。

「まあ、俺も聞いた話だから、どこまでが本当で、どこまでがうわさか分からないけど。質問に答えてくれるというのは、誰に聞いても同じだったよ」

 たかしが、口を閉じたとおるに代わって答えた。とおるはまだ、ムッとした顔を崩さなかった。

「でも、そんな犬見つけて、どうするの? 聞きたいことでもある?」

 私は、改めてみんなの顔を見回した。みんなドキドキしながら、熱心に話に耳を傾けていた。それほど、その犬のことが気になっているのだ。私もみんなの話を聞いているうちに、次第に釣り込まれてきた。

「取りあえず、今困っていることを、質問しようと思っている」

 たいようくんが言った。とおるがそこで口をはさんだ。でも、真面目なことを発言した。

「一人一つの質問じゃ、全然足りないよな」

「それは、そうだけどね」

 ゆりちゃんが、つぶやいた。確かに欲張れば、いくらでも質問は尽きない。それでも、その時一番差し迫って聞きたいことは、みんな一様に決まっていた。それは、たぶん聞き方に違いはあるにしても、停電についてのことだった。いつ停電は復旧するのか。どうやったら電気は点くようになるのか。懐中電灯の生活を終わらせるには、どうすればいいのかなどだ。

 ここでちょっと厄介な問題が起こった。それは、みんなが同じような質問をすれば、せっかくの質問の機会を無駄づかいしてしまうということだ。みんなもせっかくだから、色々な質問をしてみたい、という願望は同じだった。

「みんなで質問を、まとめておいた方がいいと思う」

 ゆりちゃんが、遠慮がちに提案した。さすがゆりちゃんいい事を言う。私もゆりちゃんの意見に賛成だった。もし本当にそんな犬がいて、何でも答えてくれるなら、慎重に質問を選んだ方がいい。

 みんな十分に相談した結果、抜け駆けなしで、一番最初にべろべろの犬に遭遇した人が、停電についてその犬に尋ねることに決まった。それに、もし他に聞きたいことがあっても、今は全員が一番、停電のことが気になっているということも同じだった。だから、最悪でも全員が同じ質問をしても構わないということで決着が付いた。

 それでみんなは、一人二つの質問を用意することにした。一つは停電のことについて、二つ目はこっちは自由に、自分が聞きたいことだ。

 私は自由にといっても、特に何も浮かばなかった。全く質問がないのかと言われればウソになる。が、それはほんの些細な疑問ばかりで、何でも教えてくれる犬に尋ねなくてもいいような、取り留めのない質問だったからだ。私は困った末に、その犬にいつ会えるのかもわからない。だから、それまでには思い付くだろうというくらいに、気楽に考えていた。まさかべろべろの犬に、本当に会えるとは、その時はまるで思わなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る