第4話 暗闇の中で
暗闇の中で物を探すのは、大変だった。どこに何があるのか見当もつかない。私は懐中電灯を手にして、手当たり次第に暗い所を何度も照らした。
お父さんが、眼鏡をどこに置いたか忘れたと言えば、キッチンのテーブルの上から引き出しの中まで、注意深く光を当てて回った。いつもは簡単に見つかる物が、こんな暗闇の中では見つけることはできない。闇が意地悪して、探している所から、探し終えた所へ物を移動させているように思える。それでも、意外な場所から探し物が見つかると、ほっとする。もうあきらめかけた頃に、ようやく見つかった。
「お父さん、眼鏡あったよ」
私は普段より、はっきりした声で叫んだ。そうしたら、今度はお父さんが、どこかに行っていなくなった。
「お母さん、爪切りあったよ」
またも大声で叫んだら、お母さんもいなくなった。二人はどこに行ったのか。私は懐中電灯を持って、部屋中をあちこち照らして、ようやく二人を見つけた。急に二人の姿が現れたから、びっくりした。暗闇の中にちょっと入っただけでも、二人の姿は消えてなくなった。
「今日は、お風呂抜きか」
お父さんが首筋をかきがら、がっかりして言った。私もお風呂に入って、疲れた体をさっぱりさせたかった。
「仕方ないでしょ」
お母さんが、はーと長いため息をもらした。
「そうよ。お風呂は電気を使っているから沸かせないの」
私が、お父さんに説明した。
「それ、お母さんが教えたことでしょ」
「そうだっけ」
私は苦笑いして、とぼけて見せる。
「帰りは大丈夫でした?」
「大変だったよ。家にたどり着けただけでも、感謝しないとな。家に帰れない人だっているんだからな」
「ねえ、外も真っ暗だった?」
私が聞いた。
「電池を買いに外に出たんだろ。そことそんなに変わらない。まあ、車なんかの明かりがある分、外の方が明るいだろう」
外の方が明るいなんて、ちょっと変だ。でも、懐中電灯の明かりを消したら、家の中は本当に真っ暗になって、何も見えなくなる。
停電の暗闇で、困るのは探し物だけじゃない。目の前が見えないから、部屋の中を歩くだけでも苦労する。向こうの部屋や、二階の部屋に行きたくても、壁にぶつかりそうになったり、椅子やテーブル、階段に注意しなければいけなかったりと大変だ。
どうして暗闇は、こんなにも不便なのだろう。何だか暗い所では、いつも闇が邪魔をしているようだ。足を引っ張ったり、手をつかんだりされ、私はびくびくしてしまう。いきなりお母さんや、お父さんが出てきても、びっくりして怒ってしまうくらいだ。
「壁に耳あり、障子に目ありって怖い話なの?」
私が、リビングの床に横になったお父さんに聞いた。お父さんは、ちょっと疲れて眠そうだった。
「ああ、ことわざだよ。どんな所でも人に聞かれたり見られたりしているから、注意しなさいということだね。他人の悪口なんか言ったら、本人にバレてしまうからね」
「やっぱり誰かがのぞいているんだ」
「そうじゃないよ」
「でも暗闇には、何か潜んでいそうで怖い」
「ふふふ、懐中電灯で照らせばいい」
「こんな小さな光じゃ。全然足りないよ」
私は、懐中電灯でリビングのあっちこっちを照らしてみた。暗闇に隠れていたテレビや、戸棚、時計、壁のカレンダーが突然と現れた。
「そうだね。じゃあ、今度はもっと大きな懐中電灯を買っておこう」
お父さんが意気込んで言った。
「どんな大きな懐中電灯でも、家中は照らせないでしょ」
私が口を尖らせて答えた。
「それはそうだ。無理だね」
暗闇は、全ての物を普段とは違った容姿に見せてしまう。それも、ちょっと怖い物に変えてしまう。お菓子や紅茶のカップが曲がって見えたり、黒い影を帯びた恐ろしい形に変身したりする。それは、家だって同じだ。壁がパタンと傾いて、廊下がびょーんと伸びて、天井がいつもより、するすると高くなっている。ちょっとしたお化け屋敷に変化してしまう。でも、家電製品などは沈黙したままで、普段はどこか音を出していたのが静かになって、本当に部屋の中が、しーんとしてしまう。いつもは聞き逃していた、小さな音さえ聞こえない。
暗闇へ懐中電灯の光を照らせば、毎回おかしなことが起きる。食事をとっているときも、スプーンや箸が伸びたり縮んだり、ガラスコップが軟らかい飴細工のように変形したりする。お皿だって、お椀だって、茶碗だって、まるで生き物みたいに表情を変える。それに、懐中電灯の明かりだけだと、手元を照らすだけで手一杯だ。他の物は、何も見えない。
私が懐中電灯を独占するから、お父さんとお母さんの用事は、私が全て引き受けることになる。お父さんが新聞を読むときも、お母さんが夕食の片付けをするときも、私は付きまとって、光を当てて二人を助ける。
それでも、やっぱり不便な上に、上手くいかない。新聞の文字を読むだけでもお父さんは苦労するし、お母さんの片付けも、いつもの倍以上は時間がかかる。
お父さんがトイレに行くときは、懐中電灯を渡さないといけない。その間、私とお母さんは、真っ暗な部屋の中で息を止めるように、じっと暗闇に身を潜めていた。少しでも動けば、また暗闇で迷子になりそうだ。隣でお母さんが立ち上がる音がして、どこかへ行ってしまいそうだった。
「どこ行くの?」
私が暗闇に尋ねた。
「お母さんも、トイレに行くから待っていてね」
「ええ、私も一緒に行く」
「すぐ戻ってくるから、ここにいて」
お母さんの声だけがして、足音はもう先へ行ってしまっている。私はしばらく黙って、暗闇を見つめた。息を止めても、はき出しても、暗闇に何の変化も与えない。二人は、なかなか帰ってこなかった。
「お父さん、お母さん」
私はますます心細くなって、暗闇に呼びかけていた。それでも、何の返事も戻ってこない。二人はどこに行ったのか、不安ばかりが募り始めた。
私はとうとう我慢できずに、暗闇を立ち上がった。両手を前に伸ばして、手で暗闇を探るように、ゆっくりと歩いた。最初に手に触れた物は、テーブルの端だった。椅子の背もたれにも触れた。私はさっきまで、そこへじっと我慢して座っていた。
私はテーブルに伝って歩きだした。テーブルはすぐに途切れ、何も触れない所を泳ぐように進んだ。何となく明るいときの記憶を頼りに、キッチンの入り口から廊下に出ようとした。少しずつ歩みを進めるから、なかなか前に進まない。どうにか入り口にたどり着いて、ようやく壁をつかむことができた。それでも、ここが本当の入り口の壁なのか、自信が持てなかった。よく辺りを探って、扉を探し当てた。安心できた。
壁に触っているうちに、照明のスイッチに手が触れた。私は迷わずそれを押してみた。パチッと音がした。明かりは点かず、代わりに真っ暗な廊下に、黒いチューリップが育ち始めた。球根から芽を出して、すくすく茎と葉っぱを伸ばして、どんどん闇を深くしていく。
信じられない。廊下へ出て壁伝いに歩けば、簡単だと思っていたのが、壁は途中で途切れていた。トイレとは別の方へ向かっていた。暗闇の中で、私は方向を失った。両手を伸ばしてみても、思い通りに壁に触れることができない。一歩ずつ歩くから、余計に闇の中をさまよう時間が長くなった。
私は、「お父さん、お母さん」と叫びながら、暗闇を歩き回った。黒いチューリップがつぼみを開いて、静かに黒い花を咲かせていた。もう完全にどっちが、どっちなのか分からなくなっていた。
「お父さん、お母さん」
いくら呼んでも暗闇の中では、応答はなかった。暗い所では二人の姿が見つからないように、私の姿も二人には見つけられない気がした。
私はしばらく暗闇を歩き回っていると、向こうから明かりが射してきた。お父さんが懐中電灯を手にして、戻ってきたのだと思った。懐中電灯の明かりは、暗闇の中で一瞬私を映すと、またどこかへ消えてしまった。
「お父さん、お母さん」
叫んでも、誰の声も聞こえない。
「お父さん、お母さん。どこなの?」
私は、懐中電灯の光が射した方へ歩きだした。行けども行けども真っ暗で、何も見えてこない。家の中が、こんなに広かったかなと思えるくらい、私は捜し回っていた。それでも、二人は見つからない。
私は途方に暮れ、トイレの方へ向かってみた。さっきの明かりのお陰で、ここが廊下のどの辺りなのか見当が付いた。
私は手を伸ばし、扉を触って、ようやくそこがトイレだと分かった。辺り一面の闇で、懐中電灯の光は見えなかった。そこには、黒いコスモスが咲いていた。私が歩くと、風に吹かれたように黒い花が揺れる。板張りの廊下を踏む感触が、妙に不安に感じられた。トイレに、お父さんもお母さんもいないようだった。もしいたとしても、懐中電灯の明かりで照らさなければ、全く見えなかった。
私は、もうあきらめかけていた。この闇の中を再び戻るのは、恐ろしかった。ここでじっと待っていれば、二人が捜してくれると期待していた。いくら待っても二人は現れない。私は意を決して、キッチンに向かうことにした。トイレの場所からキッチンまでは、真っ直ぐ進むだけで、簡単だと思っていた。
廊下は、意外なほどジグザグな道を作っていた。暗闇では、普段とは感覚が違っていた。キッチンまでが、とてつもなく遠くに感じられた。壁の出っ張りが、ときどき私を邪魔して、通せん坊している。黒いチューリップは、暗闇に咲き誇って、私がそこを通ると避けるように動いた。
おっかなびっくり、抜き足差し足して、私は怯えながら暗闇を進んだ。大体半分まできた所で、急に明かりが点った。お父さんが懐中電灯の光で、私を見つけたのだと思った。光が当たると、黒いチューリップは見る見るしおれて消えた。私は急いで光の方へ走った。ドンと壁にぶつかって、危うく転倒しそうになった。体中がひやっとした。それでも、明かりを見つけたことがうれしくて、早くキッチンまで戻ろうと再び足を速めた。
キッチンまで戻ってきて、中をのぞいても真っ暗のままだった。私は、恐々と声を掛けた。
「お父さん、お母さん。いるの、いないの?」
返事はなかった。二人は、ここにはいない。いれば、懐中電灯の明かりが点っているはずだ。
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