第121話
リストに名前の載っている貴族に片っ端から予告状を出し、悪事の証拠を押さえては逮捕していく日々がしばらく続いた。
とはいえ、露呈するのは税金のピンハネとか、賄賂の受け取りとか……勿論悪事には違いないのだが、何と言うか、全体的にしょぼい。
そのせいなのか、件数をこなしてもカルマ値はまだマイナスから抜けられないままだ。
「シンク、これ、他の国でもやるの?」
ウキウキした様子でフィーが聞いてくる。相変わらず、こういう勧善懲悪物が好きなようだ。
赴く先々で悪徳貴族が逮捕されるものだから、フィーはその筋では有名になっている。後ろ暗いところのある貴族はフィーやアイルーン家を避けるようになったし、逆に、そういう奴らに煮え湯を飲まされていた真っ当な貴族からは、非常に評判がいい。
「そこまで広げるつもりはないよ。せっかく魔王になったことだし、とりあえず有効活用してみただけなんだ。しかし……しばらく待てば俺やフィーに対して善神が何かしら動きを見せると期待していたんだが、何も起きないな。」
魔王城で俺とフィーが戦ってからそこそこ時間は経ったが、今のところ、善神からの働きかけは無い。善神の思惑から外れ、俺達は2人とも生き残っている。それに加え、明らかに善神の邪魔になるようなことばかりしている。それなのに、何も起こらない。
最初はあんなにちょっかいかけてきたのに……放置プレイってやつか?
(さて、困ったな。)
事態の根本的な解決のためには、善神をどうにかしなくてはいけない。そのためにも、善神と1度接触したい。
……まぁ接触したところで、どうするのが正解かまだ分からないけどな。
人間と敵対しているからといって、ゲームみたいに倒していいわけじゃないだろう。何せ相手は神だしな。ここはファンタジーな世界だし、神の死=世界の崩壊なんて展開も十分あり得る。可能であれば、禁足地で解かれてしまった善神の封印をもとに戻したいところなんだが……。
このまま何もしてこないなら、強くなったモンスターへの対策を俺なりにとってお終いなのだが、そう都合よくはいかないだろう。
(……まだ見ぬスキルに、何か突破口になるものがあるかもしれない。)
スキルはどうも創造神様が大元を作ったっぽいからな。善神より上位の存在の力が働いているなら、期待できるってものだ。
というわけでガチャを引きたいのだが、そのためにはカルマ値を溜めないといけない。しかしLv131にもなると、その辺のモンスターを倒してもレベル差があり過ぎてカルマ値を稼げない。何か考えないとな……。
■とある若い冒険者視点
「……魔王討伐クエスト?」
ホームとしている冒険者ギルドの依頼掲示板を見に来たらちょうど、そんな依頼書がデカデカと張り出されるところだった。
「なになに、報酬は……え? ずいぶんと安くないか……魔王討伐だってのに、えらいしょっぱい――あれ? よく見ると報酬じゃなくて挑戦料って書いてある……何だこりゃ?」
何でこっちが金を払ってまで魔王と戦わなくちゃならないんだ? 良く分からないが……まあどの道、魔王討伐なんて地級・下位の俺には関係ない話か。
他に手頃な依頼は、と眺めていると、足早に掲示板へ向かってくる一団があった。
「お、あったあった! おい! このギルドはまだ募集を締め切ってないぞ!」
「やったな! 早速申し込もうぜ!」
そいつらは『魔王討伐』の依頼を見てやたらと盛り上がっている。
俺はその一団に声をかけた。
「なあ、その依頼、挑戦料を支払うんだろう? どうしてそんな危なそうもんを、わざわざ申し込むんだ?」
どうしても気になったので、思わず尋ねてしまった。
「あ? お前、知らねぇのか。この依頼はなぁ――」
「おい、そんな奴ほっとけ! 早く受付に行くぞ!」
「おぉ、そうだったな!」
答えてはもらえず、その一団は来た時と同じく、慌ただしく受付カウンターへ向かっていった。
何だってんだ、一体?
「おい! あったぞ!」「ここはまだ受け付けているぞ!」
首を傾げる俺の目の前で、次から次へと同じような奴らがやってきては、慌てて受付へ向かっていく。……本当に、何事だ?
「これ人気があってすぐ募集締め切られるからなぁ」「残っててラッキーだったな!」
うん? この妙な依頼、もしかして珍しいのか? ひょっとして、俺が知らないだけですごく美味しい依頼なのだろうか?
今一度、挑戦料を確認する。……ちょっと痛いが、出せなくもない。
この依頼について情報を集めてからにするか? しかし、あの慌てようだ。そんなことをしている内に締め切られてしまうかもしれない。さっきから引っ切り無しに人が来ている。今がラストチャンスなんじゃないか?
俺は好奇心に負け、カウンター前に伸びる列に加わった。
「……えっと、この依頼を受けたいんですけど。」
受付を済ませ、前払いだという挑戦料をその場で支払った。
指定された日の朝にギルド前に集合し、ギルド手配の馬車で現地――ギョンダーから近い平野まで向かうらしい。到着までの交通費、食費、滞在費は挑戦料から出るそうだ。
(挑戦料も数週間分の旅費と考えれば、かなり安いかもな……。)
勿論、宿と言っても雑魚寝だし、食事も携帯食が多い。護衛はつかないので、モンスターが出たら自分達で倒すしかない。それでも、有名なダンジョンのあるギョンダー近くまで集団で安全に移動できるのはお得かもしれない。冒険者なら皆、1度はあのダンジョンを目指すものだ。
馬車に揺られながら、俺は考え込んでいた。
(この依頼が人気だったのは、そういう理由か? だけど、目的は魔王討伐の筈だ。魔王……そんな強いのと戦って生き残れるのか? 命あっての物種だぞ?)
最初は、レアっぽい依頼を受けることができたという興奮もあったが、しばらくすると冷静になってきた。ひょっとしたら、ただ名声を得たい奴らが我先にと群がっているだけで、命がけの依頼なのかもしれない。そう思えてきた。
しかし、俺以外の参加者はどういうわけか、随分と楽観しているようだった。
「これで俺も”魔王を討伐せし者”かぁ。」「これをきっかけに、騎士になれたりしてな。」
もう既に魔王を倒したつもりになっている者も多い。
馬車に同乗した参加者の話を聞く限りでは、特に腕の立つ冒険者が参加しているということはなさそうだ。魔王相手に確実に勝てる根拠が、何かあるのだろうか? だとすれば、事情を知らない俺みたいな参加者をわざわざ募るのもおかしな話だ。楽に勝てる方法があるなら、戦力を集める意味がない。ますます分からなくなってきたな。とにかく……危なくなったらすぐ逃げられるように、準備だけしておくか。
何事もなく順調に旅は進み、目的地である魔王城へ到着した。
(……これが、魔王城?)
ギョンダー近くの平野にそれはあった。
広大な敷地に、明るい色調で作られた見慣れぬ建物の数々。それらに囲まれるようにして、中央に白亜の城がそびえ立っている。どう見ても『魔王』の居城にはそぐわない……どころか、やたら楽し気な雰囲気を感じる。
(城……ってことは、あの白い城が魔王城なのか? とてもそうは見えないが……。)
よく見れば上空には巨大な風船がいくつか浮いており、その下になびく垂れ幕には何の冗談か「ようこそ! 魔王城へ!」と丸っこい書体の文字が躍っていた。
馬車を降り、ギルド職員に案内されるまま入口まで行く。門の前には『魔王城 Welcome』と書かれた横断幕が掲げられていた。
「パーク内……じゃなかった、魔王城の敷地には1パーティ毎しか入れません。そして各アトラクション……ではなく、試練を1つずつ突破していく必要があります。試練は全部で6つあり、それらをすべて攻略すると魔王城への扉が開きます。各試練の入口ではキャスト……じゃなくて、事前に潜入したギルドの職員が案内人を務めています。彼ら彼女らの話をよく聞き、行動してください。」
ここの責任者だというだいぶ年若いギルド職員が、声を張り上げ説明している。何でも商業ギルドの理事の息子で、オリバーという名前らしい。ところどころで言い直しをするのも、緊張しているからだろうか?
「……シンクさんが変な呼称をつけて呼ぶから、つられちゃうんだよなぁ。」
そんなことを呟くのが聞こえた。
「魔王城の敷地内では特殊な結界により、自前の武器や魔法がほとんど使えません。しかし、ご安心ください。すべての試練において有効な武器を、冒険者ギルドが用意しております。それらの武器は案内人より受け取り、操作説明を受けてください。――では、準備の整ったパーティはこちらにお並びください。先頭から順に入場していただきます。」
ギルド職員の指示に従い、1列に並ぶ。
俺は前のほうで話を聞いてそのまま列に加わったので、さほど待たずに順番が回ってきてしまった。
「次の方~! 何名でしょうか?」
「俺は個人参加だ。……なぁ、ここのモンスターはどの程度の強さなんだ? 俺は冒険者ランクで言うと、地級の下位なんだが……。」
「ご安心ください。ギルドで用意した武器を使用していただければ、ランクに関わらずどなたでもモンスターを倒せます。お1人でも安全に楽しめますよ。」
楽しめる? モンスターと戦う……んだよな?
「……ここは魔王城で、魔王がいるんだよな?」
「はい、そうですよ。」
「楽しめる?」
「はい。楽しめます。」
「魔王と、魔王城に住むモンスターと戦うんだよな?」
「ええ、そうですよ。」
……どうも会話が噛み合ってない気がする。
それともこのギルド職員、実は相当なバトルジャンキーで、こいつに言わせれば魔王城を闊歩するモンスターと戦うのは楽しい……ということなのだろうか?
「成る程……。」
「正面の扉から入り、そこにいる者から説明を受けてください。」
俺は一旦理解を諦めることにした。
もう一度魔王城を眺める。空色の屋根に陽の光が差し、白亜の城は美しく佇んでいた。こんな優美な城は絵物語でも見たことが無い。魔王城という名前から感じる危険性と、目の前の光景のギャップが激しい。
まあ、ギルド職員の態度から見ても、命に係わることは無さそうだ。
見れば、この場でびくついているのは俺だけだ。他の奴らは単なる楽観か自信があるのか知らんが、皆ゆったりと構えているように見える。そんな中で今更引き返すのも恰好がつかない。俺は覚悟を決めて、扉へ向かった。
扉をくぐると、そこは……見たことのない不思議な空間だった。
建物の中のようで、天井がある。あちらこちらにオブジェが配置されているのだが、それらは木材ではなく、金属でもない……今までに見たことのないような質感で統一されている。手近なオブジェを軽く叩いてみると、ポンポンっと軽い音がした。金属なんかと比べるとかなり脆そうだが、やはり素材はよく分からない。色は赤や黄色、緑と様々で、明るい色のそれらは何か家具やモンスターをかたどっているようにも見えた。
(ギルドの案内人はどこだ?)
自前の武器は使えないという話だったが、腰の剣に手を添え、いつでも抜けるように構えつつ慎重に進む。
「やぁ! 君が次の冒険者かな? 俺は案内役のボム・ヘビーノーズ! よろしくな!」
突然、透明な半球体を被ったゴーレムが話しかけてきた。
うおっビビった! オブジェの1つかと思っていた。顔の作りがやたら人間に近い。ゴーレムというよりは、
「俺はギルドが用意した最新鋭のゴーレムなんだ。さて、君にはこれからこの『光線銃』で、モンスターと戦ってもらう。」
カクカクとした動きで言いながら、ボムとかいうゴーレムが何かを手渡してきた。大きめの卵に取っ手がついたような形をしている。
「そのグリップを握って……そう、それでいい。ちょうど人差し指の部分にトリガーがあるだろう? それを握るとモンスターを倒す光が出るんだ。ただし、ここのモンスターはかなり特殊で『Z』のマークがある場所を攻撃しないと倒せない。ちょうどこのマークだ。」
呼応するように、ボムの背後にある壁に絵が浮かびあがった。これは何かの魔法だろうか? ボムの言葉に沿って絵は動き、注意すべき場所が非常にわかりやすく表現されていた。
「『光線銃』を持ったら、これに乗ってスタートだ。手荷物は足元へ置くといい。腰の剣もな。この乗り物は勝手に進む。進路を妨害するモンスターを倒し、ゴールまでたどり着けたら試練はクリアだ。」
乗り物というのは、目の前に現れたこのトロッコのようなものだろうか?
これもオブジェと同様、独特な素材で出来ており、色も白と明るい緑に塗り分けられている。
指示に従いそれに乗り込むと、緩やかなスピードで動き出した。すぐ先にゲートがあり、それをくぐると賑やかな音楽が流れる場所に出た。
これは……夜空を模しているのだろうか? 暗い色の壁や天井に、無数の小さな灯りが明滅している。
ともあれ試練は始まった。俺は『光線銃』とやらを構え、モンスターの襲撃に備える。
――きた! 派手な色をしたゴーレムのような物体が近づいてくる。胸のところに大きく『Z』が書かれていた。俺は素早く『光線銃』構え、『Z』のマークへ向けトリガーを引いた。
ビビビビッ
そんな音と共に『光線銃』の先端部分が点滅し、光を放つ。
(……倒したのか? ゴーレムは動かない……向かってこないな。倒したのに魔素にならないのか? よく分からんが、たぶん倒せたんだろう……。)
トロッコは動き、ゴーレムが視界から消えていく。
この後も何匹もモンスターが襲ってきた。その度に『光線銃』で撃退していく。次第にモンスターの動きは早くなり、そして『Z』のマークは小さく、見つけにくくなっていく。
そうしてどれくらい時間が流れただろうか。不意に不思議な声が聞こえた。
――スキル取得 命中――
おぉ! スキルを得たようだ。
ずいぶん久しぶりにスキルを習得することができた。
ほどなくして、出発の時にくぐったのと同じようなゲートが現れた。
トロッコごとその先へ進むと、冒険者ギルドの職員が出迎えてくれた。
「お疲れさまでした! 試練突破おめでとうございます! 『光線銃』はこちらでご返却ください。次はあちらの扉へお進みください。」
職員に手を取られ、トロッコから降りる。『光線銃』でモンスターと戦っている間は必死だったが……試練を乗り越えることができた達成感からだろうか、気分が高揚してくる。
(『楽しめる』ってのは、こういうことだったのか?)
俺は笑顔の職員に『光線銃』を渡し、扉へ向かった。
扉をくぐると、そこは薄暗い場所だった。今は真昼の筈だが、空は闇夜に覆われ、大きな満月が浮かんでいる。周囲は木々が立ち並んでいるが、どれも葉が付いておらず、枯れ木のように見えた。目の前には石畳の道があり、道は木々の間を縫うようにして奥へ続いている。
薄暗い道を警戒しながら進む。
(ようやく魔王城っぽくなってきたな。)
枯れ木の林を抜けると丘が見えた。丘の上には立派な洋館が建っている。どうやらこの道は洋館まで続いているようだ。
丘の麓までたどり着いた。今のところモンスターの襲撃はない。ここから洋館を眺めるとちょうど大きな満月が洋館の屋根にかかる位置になり、月明かりでできた洋館の影が俺を飲み込もうと迫ってくるように見えた。
(……ここにも案内役がいるのか?)
俺はより一層警戒しながら、洋館の入口を目指した。
丘を登り、鉄格子の門を押し開け、進む。入口の扉は木製の大きな両開きであった。
(この中へ入れってことか。)
ここまでは一本道で、他に行けそうな場所も見当たらなかった。覚悟を決めて扉に手を伸ばす。
「……ようこそ、ゴーストアパートメントへ。」
突如響いたその声に、俺は思わず飛び上がった!
声が聞こえた方――後ろを振り向くと、執事服を着た老人が立っていた。やけに小柄だが、ひどい猫背のせいでそう見えるだけかもしれない。さっきの試練の案内をしていたゴーレムとは違い、どうやら人間のようだ。
「あんた……ギルドの職員か?」
腰の剣に手を当てながら問うと、老人は頷いた。
「さようでございます。こちらの試練の説明をさせていただきます。」
しわがれ声で、妙な抑揚をつけた喋り方をする。
「このゴーストアパートメントはゴーストの巣窟……過去の亡霊に支配された場所なのでございます。ですが、この中ではゴーストに一切の危害を加えることができません。剣はもちろん、魔法も、神聖術すらも、彼らの前では無力なのでございます。ひっひっひっひ……」
何故そこで笑う……? その、怖いんだが!?
「あなた様へ課せられた試練……それは、このアパートメントからゴーストに捕まらずに脱出することです。ひとたび中に入れば最後、この扉から外に出ることは叶いませぬ。覚悟ができましたら、どうぞお進みください……覚悟ができましたらね。ひっひっひっひ……」
だから何故そこで笑う!? 覚悟って、え? 死ぬ覚悟ってことか?
問い詰めたいところだが、じいさんは青白い顔で不気味な笑みを浮かべているだけだ。不安は拭えないが、いつまでもこうしているわけにもいかない。ここへ来てギブアップなんて申し出るつもりはないが、何よりも、このギルド職員を名乗るじいさんと一緒にいたくない。
俺は扉に手を掛けた。
ギィィ
扉は錆びた金属音を立てながら開いた。数歩進むと背後で扉が閉まり、錠の落ちるような音が聞こえた。
エントランスホールだろうか、そこそこ広い部屋だ。中は暗いのだが、どういうわけか部屋の隅まで見渡せる。例えるなら、星の光で照らされた夜道のような感じだ。歩き回るのに支障はない。
(抜け出す……となると、裏口か?)
そう考え、ひとまず歩き出そうとすると、すぐに『順路→』と書かれた看板が目に入った。
(これは、この案内に従え……ということか?)
罠か?――とも思ったが、他に当てもない。”気配察知”のスキルを使い、慎重に看板に沿って進む。
長い廊下を進む。部屋数はかなりあるようで、片側の壁には一定の間隔で扉が並んでいる。反対側の壁には大窓が続いていて、くすんだガラスの向こうに寒々しい枯れ木の林が見えた。
(この窓を開けて外に出る、ってのもありなのかな。)
試みたが、どうやっても開かない。最後は剣でかなり強く叩いてみたのだが、窓枠にもガラスにも、傷ひとつつけることができなかった。
(魔王城の試練だ。そんな簡単じゃないか。)
大人しく順路に沿うことにして、再び慎重に歩き出した。その時! 通り過ぎた扉のひとつがバタンっと勢いよく開いた。
「うぉぉおぉぉ……!」
うめき声と共に、1体のゾンビがこちらへ向かってくる。
「……何だ、雑魚のゾンビか。」
”気配察知”に何も反応がなかったのは気になるが、ゾンビなら慌てることはない。腰の剣を抜き放ち、ゾンビを切りつけた。
ズバ!
しかし、ゾンビは怯むことなく、歩みを止めない。確かに切りつけた筈の箇所も、スルスルと元に戻ってしまった。
「な!?」
俺は慌てて連続して剣を振るう。しかし、何度やってもゾンビは何事もなかったかのように進んでくる。切れることは切れるのだが、切った端から巻き戻しのようにもとに戻っていく。ゾンビが纏うボロボロの汚い衣服ですら、継ぎ目も残さず元に戻ってしまうのだ。
「な、何だ、こいつは!」
俺はゾンビから距離をとるために、思いっきりゾンビを蹴飛ばした。
しかし剣の時と同じく、蹴りはゾンビの体を突き抜け、そして元に戻っていく。ゾンビは蹴りの衝撃などまるでなかったかのように、ヨタヨタと近づいてきた。
――そして、ついにゾンビの腐敗した手が俺の顔に触れた。
ゾクッ!!
冷たく、ねちゃっとした感触が伝わってくる。触れられた箇所から生命力を奪われているかのようだ。このままゾンビに捕まれば、殺され、俺もゾンビにされてしまう――そんな光景が脳裏に浮かび、言いようのない”恐怖”が俺を襲った。
「うわぁぁ!!」
慌ててゾンビから距離をとり、全力でその場から逃げ出した。廊下の角を曲がり、恐る恐る来た道を振り返ってみる。ゾンビはまだ先ほどの場所にいて、ほんの少しずつこちらへ近づいてきている。俺を狙っているのは確かだが、走って追いかけてくる様子はない。
「あ、足は遅いんだ! 逃げればいいんだ! 逃げれば!」
声を出し、自分に言い聞かせるように言う。そうでもしないと恐怖に足がすくんでしまいそうだ。
順路に従い、階段を下りて進む。やがてたどり着いたのは、調理場のような場所だった。
入口から覗き込むと、そこには異臭を放つ、巨大な人型のモンスターがいた。見えるのは後ろ姿だけだが、ブヨブヨとしたピンク色の体をしている。毛のない肌の表面からは時折、ぶちゃっと音を立てて膿が噴出している。
少し奥まった位置の調理台にいるためか、俺の存在にはまだ気付いていないらしい。モンスターは俺に背を向けたまま、吊り下げられた肉を掴んでまな板に載せ、ダンダンっと包丁で切り刻んでいた。
順路の表示を目で追うと、どうやらこの調理場を横切らなくてはならないようだ。あまり悠長にもしていられない。先ほどのゾンビがまだ諦めずに追いかけてきているかもしれないのだ。
足音を立てぬよう、慎重に歩く。モンスターから距離をとるため、なるべく壁沿いをそろりそろりと進んだ。
モンスターはまた、吊ってある肉をむんずと掴む。肉はまだ何本も天井から吊るされているようだ。何気なくそこに視線を移し、俺は息を呑んだ。
(あの肉――人間の、脚?)
背筋を粟立たせた俺は、思わずモンスターから距離をとるように後ずさってしまった。壁際にあった戸棚にぶつかり、咄嗟にバランスを取ろうと棚板に手をつく。幸い大きな音は立たず、安堵の息を吐いた。だが、どういうわけか間近に視線を感じた気がして、目の前に並んでいた大きなガラスの瓶に焦点を合わせる。
食材の塩漬けか何かだろう、と漠然と認識していたその中身は――ぎっしりと詰まった、人間の目玉だった。
「ぎゃあぁぁあぁ!!」
俺は悲鳴を上げ、一目散に調理場を駆け抜けた。
この後も、あちらこちらから突然モンスターが出現した。ゾンビにスケルトン、リビングアーマーにレイス。どいつもこいつも”気配察知”にまるで反応がない。その度に全速力でその場から走って逃げた。慌てるあまり袋小路に入り込み、奴らに触れられてしまうと、全身を”恐怖”が這い回る。
叫び声を上げながら、逃げて、逃げて、逃げまくる。既に順路の表示も見失い、どこから来てどこに向かっているのかもよく分からない。
不意に頭に声が響いた。
――スキル取得 恐怖耐性――
――スキル取得 素早さUP――
そして唐突に、目の前に出口らしき扉が出現した。
「お疲れ様でした! 試練突破おめでとうございます! ……だいぶお疲れのようですね、こちらのお水をどうぞ。」
転がり込むように扉を抜けると、明るい部屋でギルド職員が出迎えてくれた。先ほどの変なじいさんではない。割とかわいい女の子だ。正直、俺には地獄に舞い降りた天使に見えた。
差し出された水を一息に飲み干し、どうにか人心地ついた。
……それにしても、最初の試練に引き続きスキルを得ることができた。しかも2つも。”恐怖耐性”のスキルを得たからだろうか、ゾンビどもに追われ走り回った体験も、落ち着いて振り返ってみればさほど悪かったような気がしない。あんなに悲鳴を上げたのは、いつ以来だっけな……腹の底から大声を出したせいか、妙にすっきりした気分だ。
気持ちも新たに、俺は案内された次の扉をくぐった。
これ以降も、一風変わった試練は続いた。
愛や平和を歌うからくり人形のエリアを船に乗って延々と過ごしたり、山間を猛烈なスピードで走るトロッコに乗せられたり、呪われた海賊の根城を探索させられたりした。
どの試練でも、内容に則したスキルを得ることができた……というより、スキルを得るまで試練が終わらない、と言った方が正しいかもしれない。人形達が歌うエリアで”精神耐性”のスキルを得たのだけは今ひとつ理由がハッキリしないのだが……。
そして、いよいよ最後の試練として……俺は今、やたらと固い岩みたいなスライムを、ギルド員から渡されたハンマーでガンガン叩いている。
「どりゃ!!」
ガキン!
これまでに無い、絶妙な手応えを感じた。
――スキル取得 会心――
「うぉ!!」
何やら力がみなぎる! これはレベルアップか?
「試練達成、おめでとうございます! こちらポーションになります。どうぞお飲みください。」
借りていたハンマーを返し、代わりにポーションを受け取る。
このタイミングでポーションを貰えるのはありがたい。これから魔王と戦うのだから、万全な状態じゃないとな。
……6つの試練を超え、レベルが上がり、さまざまなスキルを得た。もはやネガティブな気持ちはない。何だか本当に、魔王にも勝てるんじゃないかという気がしてきた。
(よし、やるぞ!)
俺は意気揚々と魔王城の扉に手を掛けた。
魔王城の中は外観から想像できる通りの、きらびやかながら繊細な装飾が施された場所であった。天井からは大きく美しいシャンデリアが吊るされ、城中が明るく照らされている。
魔王城の中をしばらく進むと、広い吹き抜けのホールに出た。
ホール中央には何故か一抱えほどの大きさの岩があり、剣が刺さっている。その横には鎧を纏った金髪の美少女が立っていた。
「……あなたも魔王を倒しに?」
美少女は俺に話しかけてきた。
「あぁ、ギルドの依頼を受けた冒険者だ。あんたは、ギルドの人なのか?」
「私は”勇者”フィーリア。私と共に、魔王と戦いましょう!」
そう告げると、”勇者”と名乗った美少女は手を差しのべてきた。
……聞いたことがある。エセキエル王国に”勇者”が誕生したと。アイルーン家とかいう貴族の令嬢で、たしか名前はフィーリアとか……。
(そうか! ”勇者”が参戦している情報を事前に得ていたから、他の冒険者はこぞってこの依頼に参加していたのか!)
「あぁ! 共に頑張ろう!」
俺は答え、伸ばされた手を握り返した。
「クハハハハ! よく来たな! 勇者とその仲間よ!」
不意に笑い声がホールに響く。すると徐々にホールの明かりが弱まり、暗くなっていく。
「誰だ!」
俺は声の出どころを探り、見上げた。5mほどの高さに、ホールに迫り出したバルコニーが見える。そこから、真っ黒なマントを身に着けた茶髪の少年がこちらを見下ろしていた。
「我は”魔王”! ”魔王”シンク! 世界を滅ぼす者だ!」
両手を天に向かって大きく広げ、少年――魔王が名乗ると一瞬、ホールは暗闇に包まれ、稲光のような光が走った。
「そうはさせない! さぁ、あなたの力を貸して! 共に魔王を滅ぼしましょう!」
「くくくっ! この魔王城では通常の武器や魔法は使えぬぞ! さぁどうする? ”勇者”とその仲間よ!」
すると”勇者”フィーリアは岩に刺さっていた剣に手をかけた。剣は大剣のようで、刃の半ばまで岩に刺さっており、柄がとても長い。
「この聖剣さえ抜ければ、魔王を倒せるの! 力を貸して!」
慌てて手を貸そうとして、「どうしてそんな物が魔王城にあるんだ?」と、ふと疑問が浮かんでしまった。
「くくくっ! この魔王城では通常の武器や魔法は使えぬぞ! さぁどうする? ”勇者”とその仲間よ!」
「この聖剣さえ抜ければ、魔王を倒せるの! 力を貸して!」
”魔王”と”勇者”が同じ言葉を繰り返している……これは一体? ”勇者”が目で何か訴えてくる。
「えっと、この剣を抜くのを手伝えばいいのか?」
「この聖剣さえ抜ければ、魔王を倒せるの! 力を貸して!」
あんたそれしか喋れないのか?
疑問に思いながらも”勇者”と一緒に聖剣とやらの柄を握る。
大して力を入れていないのに、聖剣はするりと岩から抜けた。
「これでもくらえ! ”魔王”!」
”勇者”はそう叫び、抜き放ったばかりの聖剣をブオンと振った。俺も柄を握ったままなので、それにつられて手が動く。
シャオン シャオン シャオン
聖剣から放たれた光(よく見ると反対側の壁から光の魔道具らしきもので、壁に丸く光の円が投影されている)が”魔王”を包む。
「ぐ、ぐわぁぁああ!」
”魔王”はもがき苦しみながら(どうも演技臭いが)その場に崩れ落ちた。
――スキル取得 魔王を討伐せし者――
「へ?」
魔王を討伐せし者? え? 今ので本当に魔王を?
「やった! 魔王を倒せた! 君の協力のおかげだ! ありがとう!」
”勇者”は妙にさわやかな笑顔で言った。
「さぁ、今こそ凱旋の時。出口は向こうにある!」
”勇者”が指し示した方を見ると、上部に大きく『出口』と掲げられた扉があった。
■シンク視点
沈んでいた意識が浮かび上がる。
「ふぅ……。」
頭を振りながら立ち上がると、フィーが心配そうにこちらを見ていた。
「シンク、大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だ。何の問題もない。……だんだん死ぬのにも慣れてきたな。」
俺はそろそろ通算100回を数えるかという死から復活を遂げた。経験値1000倍だから、10万回の死を経験したようなもんだな。そりゃあ慣れもするというものだ。
さて。今回の狙いは、スキル”魔王を討伐せし者”の配布だ。
”魔王を討伐せし者”――俺を殺したフィーに与えられたこのスキルは何と、全ステータスを+50も上げてくれるという破格の性能を持っていた。。
言ってみれば、RPGでよく見かける攻略ボーナスの類だな。魔王を倒したならばそれ以上の敵はいない。全ステータスを+50されるなら倒す前にくれよ……ってなるやつだ。ゲームならば裏ボスなり、強くてニューゲームで引き継げる要素だったりと用途はあるのだが、現実となるとほとんど意味が無い。
しかし、この世界の”魔王”は俺で、討伐判定後に復活という裏技を既に発見している。
ならば、と商業ギルドの理事と結託し、世を行き交う冒険者達を強くすることにしたのだ。
カッチカチスライム生産の都合上、日に30人までという制限があるが、それでも一気にその人数に試練を通してスキルを取得させ、レベルを上げ、”魔王を討伐せし者”を配布すれば、人間側の戦力増強を図ることができる。
エセキエル王国以外のモンスターも、ガンガン狩れるようになるというわけだ。
こうしてフィーと冒険者達による俺の討伐は繰り返され、この日は陽が沈む頃、入口にいたギルドの職員が「今のパーティで最後です」と伝えに来てくれた。予定していた冒険者を全て消化し、本日の仕事はお終いである。
何だかんだで俺は毎回死んでいるわけで、フィーはまだ慣れないのか心配そうな表情を浮かべている。まあ、慣れられてもそれはそれで寂しいのだが……。
だが、これは俺の本来の目的――カルマ値稼ぎには必須なのだ。やめる訳にはいかない。それに今現在、善神の他にも……いや、おそらく善神が何かしら関わっているのであろう懸念が、ひとつある。
フィーは小さくため息をつき、辺りを見回しながらぽつりと呟いた。
「ラグさんは、やっぱり戻って来ていないのね……。」
そう。善神が封印されていた場所で別れてから今日まで、ラグさんから何の音沙汰もないのだ。
ラグさんは『女神様と連絡が取れない』と言い残し、様子を見に行った。すぐには戻れないかも、とのことだったが、これだけの期間、念話のひとつも投げてこないのはいくら何でも不自然だ。トラブルに巻き込まれている可能性が高いだろう。
(俺が助けに行かないとな。)
俺は僅かにプラスとなったカルマ値を見て、逸る気持ちを抑え、明日に備えるのであった。
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