第120話

 フィーをなだめていると、階下から猛烈な勢いで走ってくる音が聞こえた。

 現れたのはカッツェだ。涙で顔をぐちゃぐちゃに濡らし、背中にはルイスを背負っている。


「お~い、シンク~! こっちは2人とも正気に戻ったよ~。」


 カッツェの背からルイスは呑気に手を振――って、手が無いじゃん!!

 切断された箇所に止血を施されたらしい腕を、にこにこしながら振るルイス……めっちゃ怖いんだけど!!

 ダッシュで俺達のもとに駆けてきたカッツェは、泣きじゃくりながら必死にまくし立ててきた。


「ジング、ルイズが! ルイズが!! わだじのごうげぎで!!」


「分かった分かった! 治療するから、とにかく落ち着け! ルイスの傷に障るぞ!」


 どうにかカッツェをなだめながらルイスの治療をしていると、今度はスリムアップしたマリユスがメソメソと泣くノーネットを伴い、階段を上ってきた。

 マリユスが身に着けていた筈のオリハルコン製の鎧は、攻撃で剥げ落ちたのか跡形もない。

 脂肪のように分厚く蓄えていたMPも、見たところほとんど消費してしまったようだ。


(……この有様を見ただけで、下で何があったのか想像つくな。)


 ルイスとマリユスは真面目だものな。俺のようにふざけたりせず、真剣にカッツェとノーネットの正気を取り戻そうと向き合っていたのだろう。

 その後、フィーとカッツェとノーネットが落ち着いたところで、改めてこれまでの経緯を説明する。


「え? じゃあ私達、善神……に操られていたの?」


「何ですかそれ! そんなの、どこが善の神なのですか!」


「……ッ!」


 あれ、これ初めて知ったのか? ……まあ、そうか。操られている本人達に自覚はないよな。

 善神の狙いが人類の滅亡であることを告げる。


「う~ん、善……の神様なのよね? それがどうして人類の滅亡を望むのか、よく分からない。」


 フィーは困惑気味だな。


「そんなの神様じゃないですよ! 絶対に、悪魔か何かしょうもない奴が神様を騙っているだけですよ!」


 怒りに高揚したノーネットが叫ぶ。


「……何を狙っていようが、どうでもいい……。」


 カッツェの声の低さと冷たさに、背筋がぞわっと粟立つ。や、殺る気だ……!

 だがカッツェの殺気にあてられたのか、皆、少し冷静になれたようだ。


「皆は、善の神が人間を滅ぼす……という部分に違和感を覚えるのか?」


 基本的なところを聞いてみる。


「そりゃあそうでしょ?」


「当然じゃないですか。何を言っているのですか、シンクは?」


「違和感しかないぞ?」


 う~ん……俺は前世で、人間がまき散らした公害や温暖化などの環境問題に触れていた。そういう環境で培われた考え方とは、やっぱり違ってくるよな。


「え~と、例えばだな。人間って、街を作るよな? 発展した街は石畳で整備され、頑丈な外壁もある。そこってさ、他の生き物……犬や猫や鳥なんかから見れば、住み難い場所だと思わないか?」


「……住み難いかしら?」


「地面が全部石畳に覆われている街を想像してみてくれ。どこにも土が無い。人間以外の生き物も、ほとんどいない。さて、どうやって餌にありつく?」


「えっと……残飯、とか?」


「そうだな。でもフィーは『別の生き物の残飯を食べて生きろ』って言われたら、嫌だろう?」


「……それはまあ、そうだけど。」


 あまりピンと来ていないようだな。ノーネットが挙手する。


「シンク、それでしたら、犬や猫は街の外へ出れば良いのでは? 人間以外はモンスターに襲われませんからね。」


「それもそうだが、住みやすい場所……水辺の近くや、草木の豊富な土地を人間が全て独占してしまったらどうする?」


「さすがにそれは飛躍し過ぎでしょう。開拓にかかる労力も時間も、相当なものですよ。人間が全てを独占するなんて、現実的とは思えません。」


 この世界ではまだ、そうはなっていない。

 日本では土地は必ず誰かしらの持ち物で、都市部では土が露出している場所なんぞ、花壇や庭、畑くらいなものだ。そして、犬や猫が仕方なくそこをトイレにすれば、人は『荒らされた!』と怒るのだ。

 自分達に都合が良いよう、自然を好き勝手に作り替え、他の動物の排泄行為すら許容しない。

 そこには共存の精神なんてかけらもないのに、自分達が我慢を強いられない部分だけ都合よく切り取っては環境保護や動物愛護を訴えるのだ。

 逆の立場で一度考えれば分かる。『お前ら人間は排泄するな』と言われたらどうだろうか?。排泄は食事や睡眠のように、生きていく上で欠かせない生理現象だ。それを完全否定することは、種族として死ねと言われているに他ならない。


「けれど、シンクが言いたいことも少し分かるわ。他者の都合を考えず、自分の利益のためだけに好き勝手する人達はいるもの。盗賊なんて、その筆頭でしょ。」


「確かに、盗賊も含めて人間、と見られると、『悪』と評価されるのも頷けます。悪い部分というのは、良い部分よりもずっと目立つものですからね。」


 あくまで、考える範囲は人間基準だよな~。

 現代日本みたいに『犬猫の殺処分』がニュースになるような世界じゃないからな。ナチュラルに人間が世界の中心って考えるのも仕方ないのかもしれない。

 創造神にせよ善神にせよ神様っていう存在は、そのまま受け取れば『世界の神様』を指すだろう。別に人間のためだけにいると限ったものではない。全ての生物、自然を平等に見て、人間といういち種族が善なのか悪なのか……もしくは有益か無益かという話だろう。

 昔、何かの漫画で読んだSFというかホラー作品が忘れられない。

 ある日、宇宙から犬が進化した種族がやってきて地球を侵略する。その種族からすれば、人間の一方的な都合で犬を捕らえて毒ガスで殺すなんて、同族の大量虐殺でしかないのだ。そこで、彼らは報復を始める。人間を捕らえ、狭い部屋に押し込み、毒ガスで殺していく……という物語だ。ガス室に押し込められた人間達は必至に命乞いし、残虐性を訴えるのだが、もちろん無視される。

 そうやって人間と他の動物の立場を入れ替えると、人間というのがいかに残酷なことをしているのか、実感する。平等な視点を持った者が見たときに、人間を善と判断するのには無理があるのではないか、と思わざるを得ない。


 人間ってのは欲深い生き物だ。だから発展するともいえるけど……人類の発展=神様の望む姿とは限らないもんな。

 更に人間は慈悲と欲望が同居できたりするからなぁ。

 ブロイラーの飼育形態なんて、もう鶏肉製造工場と言っても差し支えないぐらいだろう。冷静に考えるととんでもなく残酷だと感じるのだけど、唐揚げは美味いから食べたい。

 愛玩目的で繁殖され、不自由な環境でペットとして飼われるのも残酷なことだと分かるが、猫は可愛いから飼いたい。

 そして俺は、次に生まれ変わるなら金持ちの飼う犬か猫になりたい……いやこれは違うか?


「こほん。それで善神の狙いは分かったけど……これからどうするの? 」


 考え込んでしまった俺に、フィーが仕切り直すように話しかけてきた。

『善とは何か』を考えても、明確な答なんて出ないからな。一旦置いておこう。

 ひとまずフィー達が洗脳されている状態は解けたが、根本は何も解決していない。そもそも解決に至る道筋も、まだ見えていないのだ。


「フィーさん達はもとに戻ったけど、世間の皆は『シンクがモンスターを強くした』って勘違いしたままなんだよね……どうしたら分かってもらえるんだろう?」


 ルイスがしょんぼりと呟く。こいつは優しい性格だから、俺への誤解を解く方向で考えてしまうのだろう。だが、もはや世界規模で認識されてしまった誤解を1人ずつ解いて回るなんて、途方もない話だ。解いたところでモンスターが元通り弱くなってくれるわけでもないしな……まったく、こんな面倒な事になったのも、元はといえば……


 ……よし。いいこと思いついた。


「とりあえず、嫌がらせしてみるか。」


「「「「嫌がらせ?」」」」


 無意識に邪悪な笑みを浮かべていたのか、食料を補給していたマリユスが手を止め「魔王がすっかり板についたな」と神妙に頷いた。放っとけ!



 ――1ヶ月後


 エセキエル王国、王都近くの草原。

 そこにはフィー率いる『討伐軍』と、俺が組織した『魔王軍』が向かい合って構えていた。

 今回の討伐軍は、ほぼ近衛騎士で占められていた前回とは異なり、日々、前線で各地のモンスターと戦っている立場の伍長(5~10名の部下を持つ役職)や、伍長候補の兵長、しめて1000名ほどで構成されている。

 一方俺の陣営はというと、鎧を着て武器を持つ者は1人もいない。草原にいるのは、メタリックな輝きを放つ岩みたいな塊の群れだ。討伐軍と同じく1000体ほどが、ゴロゴロと文字通り転がっている


「え~、諸君。私は勇者フィーリアである。諸君らは栄えある討伐軍に選ばれた。これは非常に名誉なことである。どれくらい名誉かというと……えーっと、田舎に帰った際にご両親に自慢していいレベルだ。町内くらいであれば、ひょっとしたらかなりの自慢になるかもしれない……。え~本日、私の右手の側……諸君らの正面に布陣しているのが魔王軍である。今から魔王軍と戦ってもらうことになるが、大きな怪我をしないように、周りをよく見て、注意して戦ってほしい。」


 整列した討伐軍を一望できる位置には、組んだ丸太に板を渡した簡素な台が設えてある。校長先生が朝礼の挨拶でも始めそうなその場所で、今、フィーが兵士達を激励(?)している。……あんまり演説慣れしていないのか、内容がちょっとおかしな感じになっている。

 兵士達はというと、それぞれ顔に不安を滲ませている。……各地から急に集められたばかりでいきなり魔王軍と戦えと言われれば、無理もないか。


「次に、魔王、兼、シンク伯爵より挨拶がある。総員傾聴!」


 エセキエル王国では、俺は未だに伯爵扱いのままだった。王室は短期間で目まぐるしく変わった事態の対応に追われ、俺の爵位剥奪についてはまだ正式に決定されていないらしい。

 フィーと交代して、俺が登壇する。


「え? 魔王が挨拶って?」「魔王兼伯爵?」「何で敵の親玉がこっちの陣にいるんだ?」


 ざわめく兵士達を後目に、俺は話し出した。


「只今ご紹介にあずかりました、魔王やっておりますシンクです。えー、本日はお忙しい中お集まりいただきまして、誠にありがとうございます。早速ですが、今から皆さんに戦っていただきます相手はご覧の通り、草原に転がっているカッチカチスライムです。こちら非常に、ひっじょーに硬いモンスターとなっておりますので、討伐するのにお手数をお掛けすることになるかと思います。ですが、ご安心ください! 本日ご用意いたしましたこちらのモンスター、皆さんへの攻撃は一切いたしません。」


「魔王が感謝してるぞ……?」「いや、お忙しい中って、お前がモンスターを強くしたからだろうに。」「攻撃してこないモンスターと戦えって? 何を言っているんだ?」


 今回集まってもらったのは、善神のせいで強くなったモンスターと日々戦う一般兵の、まとめ役をしている人達だ。年齢は20代後半から30代前半が多い。働き盛りってやつだ。そりゃ忙しいよね。

 普通、いっぺんにこれだけの数を引き抜いたら現場は回らない。なので、彼らの本来の持ち場には近衛騎士達を派遣し、その穴を補填してもらっている。


「カッチカチスライムですが、繰り返しますが本当に硬いです。どんなに頑張って技を使っても、1回の攻撃で1ダメージしか与えられません。魔術については全て無効、一切効きませんのでご注意ください。その代わり、こちらのモンスターは何と、経験値が30,000も手に入ります。これがどのくらいの値かと言いますと、Lv1の状態で1匹倒せば一気にLv20になれる経験値です。」


「1匹でレベル20に!?」「本当なのか!?」


「非常に優れたモンスターとなっております。ですが、人気モンスターのため数に限りがございます、お1人様につき1匹まで。倒すのは1匹まで! とさせていただきます。」


 いや~、こいつらの生成にMPを大量に使うので、1ヵ月近くかけても1000体用意するのが精一杯だったんだよな……兵士達の「何言ってんだ、こいつ?」という視線を感じつつも続ける。


「え~それでは始めたいと思います。『第1回 チキチキ カッチカチスライム狩り スターートーー!』」


 兵士達は戸惑っているのか、なかなか動かない。そこへフィーが号令をかける。


「戦闘はもう始まっているぞ! 総員突撃! あ、1人1匹までを守るように!」


 顔を見合わせていた兵士達も、その声で弾かれたように走り出した。さすが兵士だな。上官から指示があれば動きは速い。

 兵士達は指示通り、1人1匹を守り、メタリックで岩みたいなスライムを剣でガンガン叩いていく。

 数度叩かれると、カッチカチスライムは絶命した。


「うぉぉぉ! 力がみなぎる!」「こ、これはLvアップ!?」「きゅ、急激に変化して気持ち悪い……!」


 一部、レベルが一気に上がり過ぎたため、ダメージを受けていないのにHPが相対的にレッドゾーンになる人が出てきてしまった。

 そういう人へはすぐにポーションが配られ、応急処置がなされていく。

 ……20分後。この1ヵ月で俺がせっせと用意したカッチカチスライムは、1匹残らず全て倒されてしまった。

 俺は首から下げていた笛を鳴らした。


 ピー―――!


「『終ーーー了ーーーー!』、皆さんお疲れ様です。それでは……続いて『結果発表ーー!』今回の結果は……討伐軍の勝利です! おめでとうございます!」


 こうしてエセキエル王国、王都近くの平原での討伐軍と魔王軍との戦闘は、討伐軍の圧倒的な勝利で幕を閉じたのであった。



 ……そう。もうお気づきだと思うが、今回の善神に対する嫌がらせの趣旨は、『兵士のレベル上げ』だ。

 魔王Lv10の”魔王軍”スキルを用いて、バカ高い経験値のモンスターを生成。それを現場の兵士に倒させレベルアップを図ってもらい、今後、モンスターを軽々と倒せるようにする……今回はそのために用意した大規模戦闘の、記念すべき第1回だったというわけだ。

 レベルが一定以下の兵士全員を、と最初は考えたのだが、さすがに数が多過ぎる。そこで、小隊の隊長クラスである伍長あたりのポジションの人を選んで集めたのだ。

 部隊に強い人が1人いれば、それだけで恐ろしく楽になるからな。そういう人間を増やすことで、モンスターによる人類の滅亡を回避しやすくなるという寸法だ。


「ねぇシンク、さっきから妙なタイミングで叫んでいるけど、あれは何なの?」


「いや、ちょっと言いたかった言葉なんだ。気にしないでくれ。」


 俺と同じ世代の人は日曜日の夜にあの番組を見ていた筈で、俺の気持ちを分かってくれることだろう。

 携帯を取り出しカルマ値を見る。……ふむ、まだまだマイナスだな。


「それにしても良かったね。近衛騎士さん達が協力してくれることになって。」


 ルイスの言葉に、俺は深く頷いた。


 1ヶ月前、フィー達と方針を話し合った後、魔王城1階の広間で近衛騎士達と合流した。

 フィーが俺を倒したことによる討伐判定は、洗脳されていた全員に影響を及ぼしたようで、近衛騎士団も正気に戻っていた。

 そこで彼らにも事情を説明し、協力を取り付けることに成功したのだ。近衛騎士達も軽い洗脳状態に陥っていた自覚があったようで、善神の強引なやり方に憤りを感じている人も少なくなかった。

 一方、善神が人類の滅亡を望んでいることについては、結構ドライに受け止められていた。

 聞けば、『近衛騎士の本分は、王族の守護でありますからな』とのこと。

 王族の命を狙う者は、例え神だろうが敵とみなす。非常にシンプルで分かりやすい行動方針だ。


「おかげで王国の防衛戦力の底上げができたしな。」


「エセキエル王国はこれで大丈夫だと思うけど、他の国はどうする? 同じようにやっていくの?」


 討伐軍を解散させたフィーが、小首を傾げながら聞いてくる。


「んー……ここは王様が協力的だったからどうにかなったけど、他の国だと難しいだろうな」


 王様も洗脳されていたようで、それが解けた後は俺達の話を冷静に聞いてくれた。そのうえで、『……人が大罪を犯した、その罰だ、というのならまだ理解はできよう。だが、現状納得はできない。理由なく滅びよと命じられ、大人しく従う道理はない。無辜の民の代表として、また、1人の人間として、私は最後まで抗おう。』と言ってくれた。

 この国はそんな感じでまとまったが、他国だと俺に対してリアルな討伐軍が組織されてしまいそうだ。別の案が必要だな……。


「シンク、紋章院から例の情報が届きましたよ。」


 声に顔を上げると、ノーネットが手に持った紙をひらひらさせながら近づいてくるところだった。受け取り、目を走らせる。ノーネットも横から覗き込みながら、呆れ半分で尋ねてきた。


「……本当に、やるんですか?」


「勿論やるとも! こんなチャンス、2度とないからな。」



 ■3人称視点


 イーサン子爵邸、深夜。

 館の周囲はかがり火が焚かれ、そこかしこに立つ衛兵の落とす影が、炎に揺らめきながら石畳に伸びている

 2階の執務室の窓辺からその様子を眺めていたイーサン子爵は、手元に視線を移した。

 その手には、『予告状』と書かれたカードが握られている。


『今宵、イーサン子爵のお宝を戴きに参上する。怪盗 ルパ…… 魔王シンク』


 イーサン子爵はそれを苦々しい顔つきで睨み、グシャリと握り潰した。


「フィーリア殿! 本当に、大丈夫なのでしょうな?」


 イーサン子爵は部屋の中央に立つ年若い女性へ、苛立ちを隠さず問うた。


「お任せください。そのために私は来ました。」


 若い女性――フィーリアは自信に満ちた眼差しで、頷いた。


「……それにしてもフィーリア殿、その恰好は?」


 イーサン子爵は首を傾げる。今日のフィーリアは鎧姿ではない。カーキ色のトレンチコートに、揃いの生地の中折れ帽といういで立ちだ。


「これは今回のために特別に用意した装備です。魔王の捕獲率が上がる……らしいです。」


「ふむ……それと、そちらのお連れの方は?」


「こちらは特別司法局から派遣された職員です。魔王シンクはまだ伯爵位を持っていますので、貴族逮捕の権限を持つ特別司法局の方にもご協力いただいています。」


 フィーリアの横で待機していた特別司法局の男性は、その身分を表すバッジを懐から取り出し提示した。


「ところで、イーサン子爵。魔王が狙う宝について、何かお心当たりはございますか?」


 特別司法局の男性が問いかけると、イーサン子爵は執務机に置かれた箱を得意気に撫でた。縁や角に施された金細工が、鈍い光を放つ。


「それは恐らくこれの事でしょう。総ミスリルで作られたロッドです。先端には特大の魔石が付いており、使用者の神聖術の威力を高める効果があります。」


 蓋を外すと、そこには紫色の絹に包まれたミスリルのロッドがあった。イーサン子爵の説明通り、先端に魔石がついている。一際目を惹くのはその魔石だが、よく見れば至る所に小さな宝石がちりばめられ装飾されている。工芸品としての価値も、想像に難くない。


「総ミスリルですか。え~、大変価値ノアルモノデスネ。」


 フィーリアは呟きながらコートの下にある自身の総オリハルコン製の剣にそっと触れ、コートからはみ出ないよう位置を調整した。


「えぇ、我が家の家宝です。魔王シンクの狙いはきっとこれでしょう。」


 その時、にわかに窓の外が騒がしくなった。


「……どうやら、来たようですね。」


 フィーリアは窓に身を寄せ、外を眺めた。


「あそこだ!」「屋根の上に人が!」「魔王か!?」


 衛兵たちが屋敷の屋根を指しながら、声を荒げている。

 そこには――闇夜に浮かぶ月を背にし、緑色のジャケットにネクタイ姿の男が立っていた。


「約束通り、お宝をもらいに来たぜ。」


 緑色のジャケットの男――魔王はどこか軽薄な口調で告げた。


「屋根の上だ!」「梯子はないのか!?」「魔術と弓で攻撃しろ!」


 魔術を使える衛兵が、一斉に魔術を唱える。

 それを横目に、魔王は屋根の上を走り始めた。


「ファイアボール!」「ファイアボール!」「ウィンドバレット!」


 複数の魔術が魔王目掛けて殺到する。


 ドドォーン!


 魔術がその威力を発揮し、爆炎が炸裂した。


「やったか!?」


 視界が晴れ、衛兵の舌打ちが響く。魔王の姿は忽然と消え失せていた。


「消えたぞ!」「探せ!」


 衛兵たちは慌ただしく動き回る。


「おのれ、魔王め! どこへ消えた!」


 窓から見ていたイーサン子爵が声を荒げると、フィーリアが肩を竦めるような仕草を見せた。


「イーサン子爵、ご安心を。私の勇者スキルは、魔王の居場所を察知することができるのです。」


「おぉ、それは本当ですか!」


「えぇ、どうぞお任せください。魔王の気配は……こちらですね。」


 フィーリアは一同を先導し、歩き出す。イーサン子爵は家宝の杖が入った箱を両手で抱えながらついてくる。


「気配はこちらから感じます。……逮捕だ! 魔王~!」


 どこか棒読みで投げやりな言葉を吐きながら、フィーリアは駆け出す。

 小走りでフィーリアについていくイーサン子爵が、徐々に顔色を変える。


「フィ、フィーリア殿? 本当にこちらに魔王はいるのですか? こちらはプライベートスペースですので、ご遠慮いただきたいのですが……!」


「何を仰るのです! 魔王がいるのはこの先、確実です!」


 フィーリアが廊下の突き当たりの書斎に立ち入ると、イーサン子爵はより一層顔を青くする。


「この部屋には何もありません! ほ、ほら! 魔王なんていないでしょう?」


 確かに部屋の中には一見、誰の姿も見受けられない。


「いえ……こちらの壁。この先から、魔王の気配を強く感じる。」


 フィーリアが示した先は、壁一面に本棚があるだけだ。


「そう申されてもこの通り本棚で――ダメだ!! 本棚に近づくな!」


 制止を無視してフィーリアが本棚へ近づくと、イーサン子爵はそれを阻むように前に立ち塞がった。フィーリアは、やれやれ、と首を振る。


「この先に魔王の気配がするのは確か……どうやらイーサン子爵は、魔王を庇い立てるつもりのようだ――イーサン子爵を拘束しなさい!」


 それまで影のように付き従っていたカッツェとノーネットの2人が、瞬時にイーサン子爵を取り押さえた。瞬く間に縄で簀巻きにし、猿ぐつわも噛ませる。

 その様子を気に掛けることもなくフィーリアは本棚へ近づき、迷うような素振りを一切見せることなく、1冊の本を押し込んだ。


 ゴゴゴォ……


 僅かに音を立て、本棚が横にスライドする。その先には下へ向かう階段が現れていた。


「この先に魔王がいる。逮捕だ、魔王~!」


 イーサン子爵をその場に放置し、フィーリア、カッツェ、ノーネットと特別捜査局の職員は階段を駆け下りる。屋敷の地下まで伸びていた階段を下りきると、その先は広い空間になっていた。


「おおっ、何だここは! まるで薬の加工所ではないか! ん? あそこにあるのは……ありゃ、違法の薬物だ~! 見てくれ~! 魔王を追いかけていて、とんでもない物を見つけてしまった! ……どうしよう?」


 棒読みで語るフィーリア。その目の前には、違法薬物の原料となる植物が山のように積まれていた。一部は既に加工され、違法薬物そのものへと姿を変えている。そして、それらを売買した記録とみられる分厚い帳簿も発見できたのであった。


 ■シンク視点


 イーサン子爵は特別司法局の職員に逮捕され、連行された。

 今回は別に、イーサン子爵を狙い撃ちにしたわけではない。紋章院に事情を話し、悪事を働いている貴族のリストを見せてもらったところ、たまたま名前をみつけただけだ。

 フィーは魔王相手となれば天下御免で出動できる。それを利用して、リストに載っている悪徳貴族へ予告状を出す。予告した日時に実際に俺が参上し、姿をくらます。フィーは俺を探すためと称し、公然と証拠を物色する……というわけだ。

 証拠の隠された場所については事前に俺が侵入して確認し、フィーに教えてある。なので、スムーズに発見できるという寸法だ。


 ちらっと携帯を見る。おぉ! だいぶカルマ値を稼げた。もう少しでプラスになりそうだな。


 しかしあれだな。修道院で花嫁修業していた美少女が監禁されているわけでもなく、地下に膨大な遺骨が散らばっているわけでもなく、ポケットには大き過ぎるお宝が見つかるわけでもない。

 流石にあんな大冒険するには、それなりに大物な悪者が必要ということだろう。比較的平和なエセキエル王国では望めそうもない。


 ちなみに、後日、俺が何故そいつらに予告状を出したのかと詰問されるような事態になったら『洗脳されていたので分からない』と答えるつもりだ。……そう! 『善神が全て悪い』ってことにするつもりなのである。

 ……まぁ、こういうことするから善神に「人間は悪だ」と判断されるのかもしれないけどな。


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