第111話

 マチルダ様ことアナベラ前王妃の登場で、状況は一転した。

『手段を示せ』と言われたイーサン子爵は具体的な方法を示せる筈もなく、流石に前王妃の御前であからさまな表情は見せなかったが、俯いた口元に悔しさを滲ませつつすごすごと退散していった。

 イーサン子爵を支持していた声も、そんな子爵の様子に容易く言葉を翻し、「確かにそのような手段がある筈ないな」などと空々しく呟きながら散っていった。

 アナベラ前王妃は俺の方を向くと、艶やかに微笑んだ。


「貴方には余計なお世話だったかもしれませんね。」


「とんでもない。ご助勢いただき、お礼申し上げます。」


 余裕そうに見えたのはあくまで”ポーカーフェイス”スキルのおかげで、内心は焦り倒していたのだ。いやはや、助かった。


「シンク伯爵、後で話があります。」


 アナベラ前王妃はジーク様に祝いの言葉を述べたあと、小さな声で俺にそう伝えて離れていった。

 アナベラ前王妃の登場は晩餐会の参加者にとって意外なものだったようで、皆慌てたように挨拶へ向かっていく。


「お祖母様がいらっしゃるとは……。シンクは、あの方と知り合いだったのか?」


 ジーク様が驚いたように聞いてくる。


「以前、ある街でお会いしたことがあります。ただ、その時は身分を隠されていたようで、他言しないよう言い含められておりました。それよりも、お身内なのですよね? ジーク様の成人を祝う席にいらっしゃるには何の不思議もない方とお見受けしますが、何故、皆様意外そうにされているのですか?」


「ふむ、シンクは既にこの国の貴族。ならば知っておかねばならないだろう。実は――」


 ジーク様が話してくれたことをまとめると、こういうことだった。

 前王が病で急死した際、王位をめぐる争いが発生したそうだ。

 当時の皇太子は愚鈍、かつ粗暴な性格で、評判が悪かった。

 その為、第2王子であった人物が皇太子の王位継承に異を唱え、血で血を洗う政争へと発展していった。

 結果として、彼らはお互いが放った刺客で共倒れとなり、第3皇子であった現在の王様と、第4王子であった公爵が残ったそうだ。

 前王妃は、自らの子供達が権力に囚われ、争い合ったことにひどく心を痛めた。

 現在の王朝がある程度整うと、隠居して姿をくらましたとのことだ。

 ジーク様は数回会ったことがあるらしいが、それも私的な場所でのこと。表舞台に現れたのは実に十数年振りらしい。


 その後は大きなハプニングもなく、晩餐会も予定された時刻を以ってお開きとなった。

 賓客を見送るジーク様から少し離れたところで佇んでいると、アナベラ前王妃の侍女さんに声をかけられた。――ってこの侍女さん、よく見たらカテジナ様である!

 カテジナ様は公爵の妻、すなわちフェリクスのお母さんである。呪い殺されそうになっていたところを俺が神聖術Lv8の”聖域”を用いて解呪し、助けた人物だ。モイミールでその依頼をしてきたのが、マチルダを名乗ったアナベラ前王妃である。

 カテジナ様は人差し指を口元に当て『黙っててね』といった感じでこっそりウィンクしてきた。


(ポーカーフェイスをオンにしてなかったら、きっとびっくりして変な声出していたな……。)


 呪いの後遺症で疲弊しきっていたカテジナ様を、”エステティック”の疲労回復マッサージで治療した。その時、ついでにダイエット効果のあるマッサージとアンチエイジングを行ったのだが、それによって激痩せした上、40代くらいに思われた外見が20代に見えるくらいに若返ったのだ。

 施術後の本人も驚いていたくらいだから、俺の前にいる侍女さんをもし「カテジナ様に似ている」と感じた人間がいても、よく似ていると思うのがせいぜいでまさか本人だとは気付かないだろう。

 カテジナ様に伴われ、城の奥まった一室に案内された。さほど広くはないが、明かりを少し落としているのでそう見えるだけかもしれない。床には厚い絨毯が敷きつめられ、座面に布を張った椅子が何脚か置かれている。脇の小さなテーブルには花の形を模したランプが置かれていて、その光が椅子に掛けたアナベラ前王妃の半身を淡く照らしていた。


「来ましたか。」


「先程は、ありがとうございました。」


 アナベラ前王妃に向かい改めて頭を下げる。


「何ということはありませんよ。」


「それにしても、カテジナ様を侍女に……というのは大丈夫なのですか?」


「貴方がカテジナの姿形を変えてくれたから、このようなことも可能になりました。匿うのが随分と容易くなりましたよ。私のほうはあえて老け顔に化粧すれば、いくらでも見た目は取り繕えますからね。」


 アナベラ前王妃は少し笑ってそう言った。

 アナベラ前王妃も”エステティック”のアンチエイジングで若返っているものな。しかし化粧ってすごいな。老けて見えるメイクなんてのも存在するんだな。

 アナベラ前王妃は真剣な顔をし、続けた。


「早速ですが本題に入りましょう。貴方をここに呼んだのは他でもない、公爵についてです。カテジナ。」


「シンク伯爵、以前は私の呪いを解いてくださり、ありがとうございました。その御恩を返さぬうちにさらに頼み事をするなど、厚かましい事と承知しているのですが……どうか、聞いていただけないでしょうか?」


 カテジナ様は両手を組み合わせ、懇願するように言った。


「俺にできることであれば……。」


「では、……私の呪いを解いた”聖域”という魔術を、夫に――公爵に使っていただきたいのです。」


 カテジナ様の言葉を受け、アナベラ前王妃が続ける。


「貴方の使った魔術、傍で目にした限りですが、ありとあらゆる不浄を許さぬ空間を作り出すもののように見受けられました。それならば、公爵を操る要因となっているものも排除できるのではないでしょうか?」


 確かに、”再生”より可能性は高そうだ。


「実は、同じような依頼をジョアキム様からも受けております。問題は、私が公爵に魔術を使う口実が無いことなのです。」


「確かに、そうですね……分かりました。その件に関しては、私が何とかしましょう。」


 どのような手段を用いるつもりか分からないが、アナベラ前王妃が請け負ってくれた。


「それにしても、夫を操っている者の目的は一体何なのでしょうか?」


 カテジナ様が疑問を呈する。


「おそらくですが、『禁足地の鍵』の所在ではないかと……。」


 俺はギョンダーでの件を掻い摘んで説明した。

 フェリクスがムンドという魔人に襲われていたこと。その魔人が『禁足地の鍵』を求めていたこと。そして、その場に居合わせた紋章院の2人組により、魔人は倒されたことまでを伝えた。


「そのムンドという魔人が、禁足地の鍵とやらを求めていた……と? それで、フェリクスは――息子は今、どうしているのですか?」


 まさかフェリクスまで命を狙われていたとは思わなかったようだ。カテジナ様の顔は蒼白になっている。


「ご安心ください。紋章院の2人組と共に、安全な場所へ姿を隠していますよ。」


 俺の言葉にカテジナ様は安心したようで、ほっと息を吐いた。アナベラ前王妃は何か考え込んでいるようだ。


「『禁足地の鍵』ですか……。」


「私は初めて耳にしましたが……アナベラ様は、何かご存じなのでしょうか?」


 息子の命が掛かっているとなると、カテジナ様としても僅かな情報でも欲しいところだろう。アナベラ前王妃は肯定とも否定ともつかない頷きを返し、口を開いた。


「この国の王だけが入ることのできる『王の書庫』。そこに歴代の王が追記し、したためた覚書があります。王位を継いだ者はまず最初に、それを読むことになるのですが……その書物に『禁足地』のことが記されている、と聞いたことがあります。ですが、前王妃である私でもその程度しか知り得ません。まして封印を解く鍵の所在など、見当もつかない。」


「……あの、そのような話をここでしても、大丈夫なのですか?」


 今の情報は魔人が欲しがっている内容ではないだろうか? 声を潜めて周囲を窺う俺に、アナベラ前王妃が小さく笑う。


「この部屋は元々、密談用の部屋なのです。盗聴対策は入念に成されていますので問題ありません。それに『王の書庫』の場所もまた、代々の王しか知らないのです。どのようにして次代の王へ引き継ぐのかは、私も知りません。」


「……出過ぎた問いですが、お許しください。前王の崩御の際に争いが起き、継承の順位が変わったと伺いました。そのため現王には引き継がれなかった、という可能性はありませんか?」


「不思議な話なのですが、継承されているようなのです。私も気になったので、現王の即位後に問い、確かめました。間違いないでしょう。」


 ■3人称視点 公爵邸


「密談用の部屋、か……。母上も、いつの時代のことを言っているのやら。」


 公爵は魔道具から聞こえてくる声に耳を傾ける。

 密談用の部屋とされている場所には、既に公爵により盗聴用の魔道具が設置されていたのだ。

 巧妙に照明用の魔道具の中に設置されているので、例え”魔素視”のスキルを用い観察しても、照明に使われている魔力の流れに隠れてしまうため、発見し辛いのだ。


「何か分かったか?」


 部屋には教皇ガストーネと大司教エラルドの姿があった。


「はい。王が『禁足地』について知っているとのことです。王だけが入れる『王の書庫』なる場所があり、そこに『禁足地』について記された書がある、と。」


 エラルドの問いに公爵は丁寧に答える。


「やはり、王か……。貴様は『王の書庫』について何か知っていることは無いのか?」


「申し訳ありません。それについては何も……。」


「使えぬな……まぁ良い。お前は今まで以上に王の行動に注意し、観察しろ。」


「かしこまりました。」


 公爵は恭しく頭を下げた。


「やはりあの作戦を決行するしかなさそうだ。この国の危機となれば、『禁足地の鍵』を守るため、王は何らかの行動に出るだろう。」


「そうだな。例え動かなかったとしても、書物として存在することが分かった今ならば最悪、後からでもゆっくりと探せばよい。――王都を灰燼に帰した後に、な。」


 ガストーネはそう呟くと、薄く笑うのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る