第107話

 ■3人称視点 


 王都にある教会。ここを1人の貴族が訪れていた。

 多額の寄付を納めた者だけが入室を許される豪華な応接室で、貴族は地味な祭服の司祭に詰め寄る。


「では”再生”を教授できる者はいないというのか?」


「イーサン子爵、まことに申し訳ありません。教会には”再生”の使い手はいないのです。」


 司祭が頭を下げ、そう答える。


「では何故、シンクとかいう奴には使えるのだ! まさか、お前達教会に教授されず、勝手に使えるようになったとでも言うのか!」


 イーサン子爵は椅子を蹴って立ち上がり、司祭に迫りながらがなり立てる。


「我がウィズダム家は、神聖術の大家としてこの国で名を馳せているのだぞ! あれだけの寄付を惜しまなかった私ですら、神聖術はようやくLv5だというのに!?」


 あり得ん、と吐き捨てるイーサン子爵の言いように、司祭は内心、眉をひそめる。自らが教授に頼り切っているからといって、他の人間も皆そうに違いないと確信するのは見当違いも甚だしいというのに。


「ご期待に沿えず、大変申し訳ありません。」


 司祭はそれをおくびにも出さず、謝罪の言葉を述べる。


(この御仁は、自身の力でスキルを磨き鍛えるという発想が無いのだろうな。教授は本来、才能に恵まれず苦しむ者への救済措置……そこを全く理解しておられない。)


 教授は例えば『家業の大工を継ぐ必要があるのに、建築に関するスキルが全く発現しない』など、ごく限られた、やむを得ない事情のもとでしか使うべきではない、と司祭は考えていた。本来、努力を重ねた者に宿ってこその神の恩寵だろう。


 不意に、応接室のドアをノックする音が聞こえてきた。


「失礼する。何やら大きな声が廊下まで響いておりましたが、うちの者に無作法でもありましたかな?」


 入ってきたのは、深い青のローブを纏った男だった。


「これは、エラルド大司教!」


 司祭は驚きの声を上げた。司祭に詰め寄っていたイーサン子爵も、慌てて居住まいを正す。

 司祭から事情を手短に説明されたエラルド大司教は、ゆっくりと頷いた。


「分かった。ここは私が受け持とう。お前は下がっていなさい。」


 司祭が一礼し退室する。足音が遠ざかるのを待つような僅かな時間の後、エラルド大司教は丁寧な仕草で絢爛な布地の張られた長椅子を示した。


「さて、イーサン子爵。どうぞお掛けください。」


 イーサン子爵がそれに従い、腰を下ろす。


「子爵にはかねてより多額の寄付を賜っていること、勿論この私も存じております。寄付は、スキルで迷える者達への救済に繋がる強い力。子爵の行いを神は御覧になり、お喜びくださっていることでしょう。しかしながら、かように高徳を積まれている貴殿ですら、神聖術はLv5。となれば……年若いシンクなる者が神聖術Lv9の”再生”を使うなど、その真偽すら疑わしくありますな。」


 エラルド大司教はコツコツと靴の音を立てながら、イーサン子爵に近づき語りかける。


「そ、そうなのです! さすがはエラルド大司教、物事の道理というものをよくご存じだ。」


 イーサン子爵は我が意を得たりとしきりに頷く。

 エラルド大司教は椅子の裏側から身を屈め、イーサン子爵の耳元で囁くように言った。


「仮に、シンクなる者の神聖術Lv9が事実であった場合、神の恩寵ではなく……そう、何か邪悪な手法を以って、その力を入手したのやもしれません。」


「ふむ……成る程、そうとしか考えられませんな。」


「あのアイルーン家の御息女も、かの者にたぶらかされているとの噂を聞きます。私どもも案じているのですよ。誰かが真実を露見させ、民の目を覚ます必要があるのではないか、と。」


「確かに、アイルーン家の人間は武器を振るう以外はからっきしと聞きますからな。特に、当代の御息女は腹芸も苦手とか。」


 イーサン子爵の言葉には嘲笑うような調子があった。


「この問題、ともすればエセキエル王国の脅威にもなり得る……ですが、我ら教会が王家に奏上するよりも、国家の安泰を願う臣民から事態を憂う声が上がった方が、その意義は大きいでしょう。……お早目に動かれるのがよろしいかと。――目を覚まされた王国の皆様は、一様にイーサン子爵に感謝なさるのでは?」


 エラルド大司教の最後の言葉に、イーサン子爵はハッと顔を上げた。


「そうか、こうしてはおられませんな! エラルド大司教、これにて失礼致す。」


 イーサン子爵は足早に部屋を出ていった。

 イーサン子爵を見送り、自身も部屋を出たエラルド大司教は、教会の奥へと歩いていく。

 最奥の執務室へ入ると、白いローブを纏った教皇ガストーネの姿があった。


「騒がしい男は帰ったようだな。」


「あぁ、焚きつけておいた。これで引っ掻き回してくれることだろう。その間に我らも動くとしよう。」


「しかし……アイルーン家の小娘を狩ると言っていたグスタフ卿が戻らず、その娘が神聖術Lv9の使い手を連れて戻るとはな。」


「グスタフ卿からは『骨のある者達を見つけた』と連絡があったそうだ。恐らく、また悪い癖を出しているのだろう。」


「確かギョンダーには土術・極級の使い手がいたか……大方、その者達だろうな。」


 2人はグスタフが倒されることなど夢にも思っていない。グスタフは最強の魔人であり、敗北などあり得ないからだ。


「いずれにせよ、海底神殿の封印はグスタフ卿により既に解かれている。残す封印は、禁足地のみ。」


「今はそちらへ注力するとしよう。他のことは全てが些事だ。王都周辺に手駒の配置を急がせるとしよう。……極級並の使い手が今更1人や2人増えたところで、問題にならない戦力をな。」


 ■シンク視点


 俺達はレオと別れた後、フィーの案内で王都を進み、アイルーン家の屋敷に到着した。

 屋敷は王城からほど近い場所に建てられていた。昔の日本でもそうだったが、城から近い場所に屋敷を構えられるというのはそれだけ重用されている証拠だ。

 国の顔となる貴族だけあって、手入れの行き届いた庭に囲まれた、壮麗な屋敷であった。


(うぅ、もう少ししたらアイルーン伯……ジョアキム卿、いや、お義父さんとの対面か。緊張する……。)


 別に婚約しているわけではないが、気分としてはそんな感じなのだ。


(できれば先延ばしにしたい……、タイミング良く外出とかしてないかなぁ。)


 ……そんなことを考えて門をくぐったのだが、応対してくれた家令さんの「旦那様がお待ちです」の一言で俺の希望は打ち砕かれた。

 そのまま屋敷の中を案内される。足を進める間も、「まず何と言って挨拶したら良いんだ」とか、「今からでも戻って何か手土産を用意するべきなのでは」など、頭の中をぐるぐると巡り続けている。やがて、大きな両開きの扉の前で立ち止まると、家令さんがノックをした。


「旦那様、お嬢様方がお着きです。」


「どうぞ。」


 家令さんが扉を開ける。フィーを先頭に全員で室内に入った。

 そこは執務室なのだろうか。壁に作りつけられた大きな本棚があり、奥には磨かれた執務机がある。手前側にはソファーとテーブルが並べられ、打ち合わせなどもできそうだ。ジョアキム卿は執務机の向こうで手元の書類から顔を上げると、笑顔で俺達を出迎える。


「ただいま、お父様!」


 フィーも笑顔でジョアキム卿へ駆け寄る。


「お帰り、フィーリア。元気そうで何よりだ。皆さんも、ようこそ我が家へ。」


 一通り挨拶を済ませ、ソファーに全員が座ったところで、ジョアキム卿は話を切り出した。


「さて、最初に貴族としての話をしようか。……シンク君、君の事はフィーリアから話は聞いているよ。それと陛下より『登城せよ』との命を受けていることもね。」


 それは色々と話が早くて助かるな。


「君の能力に応じた相応しい地位となると、恐らく一代限りの伯爵位になるだろう。法衣貴族……要は文官だね。本来は王家の直属になるのが慣例だけど、君が僕の派閥を希望しているとなれば、陛下はそれに応えてくださるだろう。アイルーン家も大元は王派閥の貴族だからね、その辺りは特に問題はないんだ。ここまでで、何か質問はあるかい?」


「ありません。」


 穏やかで分かりやすい話をしてくれる。

 フィーの親父さんだから、失礼ながらもうちょっと”脳筋”な人を想像していたけど、知的な印象を受けるな。


「では続けよう。登城の日程だが、陛下と協議して僕が決めてくるよ。各々予定があるし、近々、皇太子殿下の成人の儀も執り行われる。そして、これはこちらの都合になるのだけど……君の叙勲も同じ時期に執り行い、晩餐会も合わせてやりたいと思っているんだが、どうだろう?」


 ば、晩餐会!? 叙勲だけひっそりするんじゃ駄目なんだろうか……おずおずと申し出る。


「えーっと、可能なら晩餐会は辞退したいのですが……。」


「ハハハ、流石に新しく生まれた貴族のお披露目をしないわけにはいかないからね。でも、その気持も理解できるよ。だからこそ、皇太子殿下の成人の儀の晩餐会と合わせて行うのさ。皇太子殿下となれば、君よりも明らかに上位の主役だ。皆、君ばかりを構うわけにはいかなくなる。」


 確かに、それならばかなり助かる。


「それに伴って、ひとつお願いがあるんだ。その晩餐会の席で、皇太子殿下と仲が良い振りをしてもらいたいのさ。」


「仲が良い振り……ですか?」


「神聖術Lv9”再生”の使い手というカードは、君が思っている以上に強力なんだ。君が皇太子殿下と仲が良いと言うだけで、皇太子殿下の株が上がる。」


「え?」


「例えば、だよ。外国の王族が病に伏して、既存の治療法では治せないとなった時、君が赴いて治療を施せば、莫大な貸しをその国に作ることができる。今、病気じゃなくても、いつ誰が病気にかかるかなんて分からないだろう? そうなればどこの国も、いつでも君を派遣してもらえるよう、エセキエル王国と仲良くなりたがるってわけさ。」


「成る程。」


「外交担当大臣が大喜びしてたよ。『これで全ての外交問題が解決できる!』ってね。」


 何でも、攻撃系のスキルで極級だとこうはいかないらしい。武力を背景に脅す形になるから、周囲は脅威に感じこそすれ、友好には結び付かないそうだ。

 ジョアキム卿は一呼吸置いて続けた。


「それじゃ、次は家族の話に移ろうか。」


「えっと、それじゃ俺達は退室しましょうか?」


 俺がフィー以外の皆を見回しながら言うと、ジョアキム卿は意外そうな表情を浮かべた。


「何を言っているんだい? 冒険者仲間ってのは家族と同意だ。少なくとも、僕が冒険者をやっていた頃の仲間は今でも身内と呼んで差し支えないよ。フィーリア、君達は違うのかい?」


「――違わないわ、お父様。皆、私の仲間で、身内で、家族と同じよ。」


 嬉しそうにフィーリアは言った。隣でカッツェが力強く頷き、ノーネットも得意気に笑みを浮かべている。ルイスもマリユスも、俺と目を合わせて嬉しそうな顔をした。


「うんうん。では、このまま続けよう。」


 ジョアキム卿もにこやかに頷くと、さて、と口にした。


「フィーリア、シンク君のことをどう思っているんだい?」


 ……いきなりドストレートな質問が来た!!

 容赦なく問題の本質へ突っ込んでいく。こういうところはフィーとそっくりだ。やはり”脳筋”なのか!?


「え、えっと、そのぅ……。」


 恥ずかしそうに顔を赤らめるフィー。その横で、カッツェが「頑張れ!」とばかりに視線を送り、ノーネットは盛大にニヤニヤしている。

 大丈夫なのかな? これ? 俺もこの後同じように聞かれるのかな? その場合、何て答えるのが正解なんだ? 下手な受け答えをして嫌われるのだけは避けたい。


「うんと、シンクのことは好きよ。」


 フィーは恥ずかしがりながらもはっきりと言った。ジョアキム卿は優しい眼差しで頷く。


「成る程、成る程。では……シンク君は、フィーリアの事をどう思っているんだい?」


 来た!! ついに来やがった! 

 フィーがあれだけはっきり言い切ったのだ。ここで答えを濁すようなことはしたくない。

 ジョアキム卿にどう思われるかより、フィーの気持ちに答えることを優先すべきだろう。

 俺はジョアキム卿の眼をはっきりと見据えた。


「俺も、フィーのことが好きです。」


 テーブルを挟んで向かい側に座るフィーが、息を呑む。俺の隣のルイスが小声で「シンク、かっこいいよ」と言ってくれたのが聞こえた。


「ふむ……、そうか。」


 ジョアキム卿は頷くと眉根を寄せ、考えを巡らせ始めたようだ。

 しばらく沈黙が続く。

 どう思われたかな? できれば円満に認めてもらいたい。以前は身分差を気にしていたが、法衣貴族とはいえ、俺も伯爵位になるわけだからそこは問題にならないだろう。

 他に何か、認めてもらえないような醜態はあっただろうか? うーん……。

 ドキドキと鼓動が早くなってきた。手にじんわりと汗がにじんでくる。……心なしか、お腹も痛くなってきた。


「……あの、お父様?」


 不安を感じたのか、フィーがジョアキム卿に声をかける。

 ジョアキム卿は顔を正面に向け、ポンっと手を打った。


「よし、君達。婚約しちゃおっか。」


「「え!? こ、婚約!!?」」


「何をそんなに驚いているんだい? フィーリアとシンク君は愛し合っているんだろう?」


「愛し合って……!」


 その言葉に顔を真っ赤にするフィー。っていうか俺も顔が熱い。おそらく真っ赤になっていることだろう。


「え、で、でもいきなり婚約って……。」


「どうせ付き合うなら、結婚を前提に動いた方が良いと思う。晩餐会があるって言ったろう? 婚約者不在の状態でシンク君がその場に向かうのは正直、危険だと思うな。国中の未婚の貴族女性が、君を狙ってやってくるよ。」


 まじか……。


「君にその気が無くても、変に言質を取られると厄介だ。その点、フィーリアと婚約しておけば、十分牽制になる。晩餐会の間も、シンク君の真横にフィーリアがずっと控えていればいい。まさか婚約者の目の前で口説いてくるような馬鹿は出てこないだろうからね。それに……。」


 ジョアキム卿はにこやかだった表情を一変させ、ぞくりとするほど厳しい顔をした。


「何か、フィーリアに懸想する馬鹿もいるらしいんだよね。そういう輩に対しても、いい牽制になるんだ。」


 ……正直、そっちの方が本命なんじゃないかという気がする。

 噂通りの馬鹿親なのか? しかし、だとしたら俺は?

 ジョアキム卿はふと、穏やかな顔つきに戻った。


「その点、シンク君は我が兄の仇を取ってくれた大恩ある暁のメンバー、アルバ殿とセリア殿の子だし、神聖術Lv9”再生”の使い手で、商業ギルドの理事を口説き落としてギョンダーで事業を起こした実績もある。ついでに君、実はもう僕より強いだろう? ほら……1つでも十分なのに、4つもあるんだもの。そしてうちの娘と相思相愛ときていれば、親としては文句なんてつけようがないよね。」


 指を折りながら、深く頷いて俺を見る。その真剣な眼差しに、思わず背筋が伸びた。


「……ジョアキム卿のような方に認めてもらえるのは、嬉しいです。とても。」


「あぁ、僕の呼び方だけど、公式の場では”ジョアキム様”で頼むよ。今しているような家族の会話の中でなら、もう『お義父さん』で構わないからね。」


 ジョアキム卿……いや、お義父さんは俺に向かってウィンクをしてきた。

 そして「あ、そうそう」と何か思い出したように続けた。


「婚姻目当てに群がる者は排除できるけど、それ以外の目的で近寄ってくる者には個別に対処が必要だよ。親の私が言うことでもないけど、そういった件に関してはフィーリアは全く当てにできないと思ってくれ。何せ本当に腹芸が苦手な子だからね。シンク君みたいなしっかりした子が婿に来てくれるなら、アイルーン家の将来も安泰ってもんだ。いやあ、良かった良かった。」


 お義父さんはそう言うと朗らかに笑うのだった、

 そして、愉快そうなお義父さんとは対照的に、俺の胃はまた、しくしくと痛み出すのだった。

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