第102話

 ■フィーリア視点


 ――グスタフと再戦の日、前日。


 一通りの修行を終えた私達は、約束の場所であるダンジョンの35層へ降り立った。


『修練場』はエルフの設備だけあり、不思議な訓練施設だった。

 広い、何もない部屋に入ったと思うと、いつの間にか周囲の地形が変わり、敵が出現している。

 地形は、森、砂浜、山岳地帯などなどさまざまで、敵もモンスターや人、魔人とバリエーションに富んでいた。

 色んな場所に転移しているのだろうか、と最初は思ったが、マリユスが言うには一種の幻影のようなものらしい。しかし、敵から攻撃を受ければ痛みもあるし、状態異常攻撃……毒や睡眠を受ければその症状で苦しむことになる。土の感触や草木の匂いはとても幻影とは思えず、実戦と何ら遜色ない。

『修練場』は、皆が苦手としている部分を巧みに突いてくる。特に私は、邪剣使いにだいぶ翻弄された。

 邪剣とは、正道ではない剣術……剣を投げつけてきたり、目潰しの砂を撒いてきたり、剣に毒が塗ってあったり、そういった奇策を主とした戦い方だ。

 今までは、私の周りにそのような戦い方をする人はほとんどいなかったし、いてもかなりの格下だった。

 同格の相手にそれをやられると、いとも簡単に私は危機に陥った。

 こちらの攻撃に対しては逃げに徹し、かと思えば、僅かな隙をついて手や足などを狙った攻撃を仕掛けてくる。武器には毒や麻痺薬が当然のように塗ってあり、こちらの自由を奪っていく。

 剣筋も、罠を前提としたものが多い。

 こちらを翻弄することが目的であったり、何かを投げつける動作を誤魔化すことが目的だったりと、私が知る剣術とは動きが根本から違っていた。

 知らない、ということは恐怖だ。

 隙と感じて攻め込めば罠にはまる。それを1度経験してしまうと、その隙に飛び込めなくなる。相手が不可解な動きをする度に、自分が罠にはまっているのではないか、と疑心暗鬼になっていく。

 乱された心は身体の動きを固くし、状況はさらに悪い方向へと流されていく。

 命のやり取りに正道も邪道もない。頭では理解していても、私は無意識のうちに、強者とは正道で攻めて然るべきものと思い込んでいたようだ。


 私は気持ちを切り替えた。剣の常識にとらわれないよう、思考の幅を広げた。相手の攻撃に対しては、中途半端に予測を立てずあるがままに受けとめ、必要以上に恐れないようにする。そうすることで、自身の行動の選択にも幅ができた。

 修練開始から3週。私はついに極級へ到達した。体感で言えば2年ほどだろうか?

 各人の努力もあり、他の皆も時をほぼ同じくして、極級か、それ相当の実力をつけた。

 最後の1週間で連携を入念に確認し、決戦への準備が整った。


「シンクはまだ来ていないようね……。」


 本当に、彼は生き返ったんだろうか? ラグさんを一度は信じることにしたけど、その疑問は幾度となく私を悩ませる。


「そうだな、フィー様。……あいつ、どこか抜けたところがあるから、1日間違えてるかもしれないな。」


 私を安心させるため? いや、きっとカッツェも不安なのね。

 抜けてる……か。シンクが遺跡でスキルを忘れていた時のことを言っているのね。まだ根に持っているのかな?


「シンクと連携を確認できないのは痛いですが、まぁ、問題無いのです。シンクには悪いですが、隅っこで見学でもしていてもらいましょう。」


 確かに、シンクは今の私達の実力を知らない。無理に合わせても、逆にそれが隙となる。

 ノーネットはラグさんを信じ切っている。そういえば修行中に『”転移”まで使いこなせているのですから、生き返らせるくらいおちゃのこさいさいですよ。』とか言ってたっけ。


「1ヶ月前は、シンクに守ってもらっちゃったもんね。僕、頑張るよ。」


 ルイス君は目に力を込めて言った。

 ルイス君も私と同じように不安を抱えていると思う。だけど、それを億尾にも出さない。

 ルイス君は、出会った頃とだいぶ印象が変わった。

 最初は守ってあげたくなるような儚げな感じだったけれど、最近は安心して背中を預けられる逞しさがある。


「ルイスちゃんは色々助けてもらったみたいだし、シンク君にはお世話になりっぱなし。私達だけで頑張りましょう!」


 カレンさんは、ルイス君から村での事情を聞いたようだ。

 私もはっきりとは知らないけど、ルイス君は暮らしていた村で色々とあったようだ。それを解決してくれたのがシンクらしい。ルイス君の村をマンティコアから救ったのもシンクだ。

 カレンさんは今できること、やらなければいけないことを着実にこなし、準備してきていた。……何というか、大人だ。


「母上ばかりか、私まで助けてもらってしまった。シンク殿には、恩が増えるばかりだ。」


 私はフェリクスについて、多くを誤解していた。

 血の聖夜祭の件についても、タッツとネソルの2人が勝手にやったことらしい。だというのに、フェリクスからは裸で吊るされたことを感謝されてしまった。「話題が私に集中したおかげで、連れ込んでしまった女性の名誉が守られた」と言う。

 ……そこまで考えての行動ではなかった。というか正直、そんなこと考えもしなかった。うぅ、己の短慮が恥ずかしい……。

 聞けば、6歳の頃より、周囲には信頼のおける者がいなかったとか。

 シンクが以前に言っていた。ルイス君のように、辛い環境の中でもねじ曲がらないヤツこそが本当に強いヤツだ、と。フェリクスも、同じような強さを持っているのね。

 訓練開始前のフェリクスは私達より実力は劣っていたものの、寝食を削り、食らいつくような気迫で鍛錬し続けたことで、極級へと至った。


「皆、シンクの行いに報いるために、最大限の努力をしてきた。明日は、それを出し切るのみ。」


 マリユスは今回の戦闘の要だ。

 ”アクセラレート”と極級を掛け合わせ、超高速での回避不能な一撃を与える。

 しかし、相手はあのグスタフだ。真っ向から仕掛ければ回避される可能性が高い。

 そうさせないために、まず私達の攻撃でグスタフを崩す必要がある。

 マリユスは私達の中で最もラグさんを信用している。ラグさんというより、女神様を……か。

 シンクが生き返ることを、一分も疑っていない。

 マリユスの中で、シンクは友であると同時に、神聖な神の使いという立場のようだ。

 ただ、女神様に対しては祈るが、困難に際して直接の手助けは期待しない――そういったスタンスを取っているように見える。

 つまり、グスタフに関してもシンクを頼みの綱にするのではなく、自分達で倒そうと考えているのだ。


「……これ以上、未来ある若者を死なせはしない。」


 ベンノさんは正面からグスタフに当たる役を買って出ている。一番危険なポジションだ。

 結局、私達はベンノさんにシンクの両親のことを伝えられずにいる。今でも年長者としてずいぶん責任を感じているみたいだから、伝えるのは忍びない。

 ベンノさんもカレンさん同様、大人だ。

 ラグさんを信じる、信じないとは別のところで、準備を怠らない。常に最悪の事態に備え、対応できるようにしている。


「必ず勝ちましょう!」


「「「「おう!」」」」


 皆の気合も十分! 準備は万端! 

 あのグスタフ相手には、今の実力でも命掛けだと思う……それでも。甘い考えかもしれないけど、誰1人欠けることなく、勝ちたいと思う。いや、勝利を掴み取って見せる!


 翌日、朝食が終わった頃にグスタフは現れた。


「ふむ、誰も逃げず、全員揃っているとは――ほう! 随分と腕を上げたと見える……これだから人間は面白い!」


 グスタフは笑みを浮かべ言い放つと、おもむろに腕を振る。咄嗟に身構えた私達の胸から、黒い靄がするりと抜け出て宙に消えた。


「もう呪いは必要あるまい。刻限を迎えたからと、戦いの最中に発動してしまっては興醒めだからな。……さて、準備は良いかね?」


「もう少しだけ、時間をちょうだい。朝食を食べたばかりだし、それに……もう1人、来る予定なのよ。」


 グスタフは少し嬉しそうな顔をした。


「助っ人でも呼んだか? 構わんよ。暫し待つとしよう。」


 そこから1時間が経過した。まだ、シンクは現れない。


「助っ人とやらは、本当に来るのかね?」


「来るわ。……でも、そうね。これ以上待たせても悪いから、始めるとしましょうか。」


「ふむ……良いのか?」


「ええ、別に構わないわ。彼には『来るのが遅いから、私達だけでグスタフを倒した』と言って、悔しがらせてやるから。」


「フフフ、大きく出たな。……それでは、始めるとしよう。」


 グスタフは剣を抜いた。

 私達で最初に動いたのは魔術師組だ。極級の威力に達した魔術師との近接戦闘は、連携がとりにくい。

 ノーネットは詠唱を開始し、ルイス君とカレンさんは各々の精霊の名を呼んだ。


「”カドル”!」「”ヒムロ”!」


 二人の身体に強大な力が宿り、目視できるほどの濃密な魔素に包まれているのが見える。

 以前、遺跡で使った時は衰弱してしまったルイス君も、『修練場』での鍛錬を経て、僅かな時間ではあるが、その力を使いこなすことに成功した。

 カレンさんは元より精霊を身体に憑依させる技は使えたらしい。鍛錬を経て、より強い力を行使できるようになっている。


「ノーネットちゃん!」


 カレンさんがノーネットへ合図を送る。それに頷き返し、ノーネットが魔術を放つ。


極級アルティメット・ウォータバレット!!」


 ”広域化”と”魔力圧縮”を合わせて行い、拳大の大きさの水の塊を幾重にも浮かべ、グスタフに向けて解き放つ。

 カレンさんはノーネットの魔術に合わせ、氷の槍で四方八方からグスタフを襲う。


「威力、速度、数共に十分な練度だな。」


 グスタフは楽しそうにそう言いながら、襲い来る魔術を剣で薙ぎ払っていく。

 ここまではこちらの想定通り。数でグスタフの動きを封じるのが狙いだ。ここへ……


「たぁぁ!!!」


 ルイス君が気合の声を上げて、魔術を解き放った。

 小さな塔ほどもありそうな雷が、グスタフに迫る。


「む!!? ハッ!」


 グスタフは雷に対し、驚いたような表情を浮かべた。そして、剣に気合を込めながら下段から切り上げた。


 スバァァァン!!!


 激しい音を立てながら、グスタフの剣戟は雷を消し飛ばしていた。


「……うむ、良い一撃だ。軽く手が痺れたぞ。」


「……くそっ!」


 ルイス君を覆っていた魔素が消えている。MPを使い果たし、精霊の憑依状態が解けたのだろう。


(ルイス君のあの術を、剣戟で消し飛ばすなんて……。)


 まさか、無傷で乗り切られるとは……倒すまでは行かずとも、それなりにダメージを与えることを期待していたのに。


「フィー様!」


 カッツェから注意が飛ぶ。そうね、気持ちを切り替えていきましょう。

 魔術組は一旦ここで下がってもらう。次は私達だ。フェリクスは背後、私とカッツェは左右、ベンノさんは正面から、それぞれがグスタフに当たるフォーメーションだ。


「さぁ、来るがいい。」


 先ほど手が痺れたと言っていたが、微塵もそのように感じない。

 私達は四方からじりじりと間合いを詰め、タイミングを計り、一斉に斬りかかる。

 縮地を使い、刹那の間に間合いをゼロにする。私の剣がまさにグスタフへ届こうとした、その時! グスタフの背後から斬りかかっていた筈のフェリクスの身体が、グスタフの立っていた場所と入れ替わっていた。


「――え?」


 思わず、間抜けな声が出てしまうフェリクス。


(攻撃が――止まらない!!)


 縮地で踏み込み、剣を放っている。何故、グスタフとフェリクスが入れ替わっているのか分からないが、このままではフェリクスを攻撃してしまう!


 ブォン!


 どうにか体勢を崩して剣の向きを変え、空振りさせる。

 私以外の皆も、武器の軌道を強引に変えたため、体勢が崩れている。


「ま、魔術?」


「いや、単純な体術だ。」


 思わず、口から出た疑問にグスタフが答える。


「後ろから迫ってきた彼を引き寄せ、立ち位置を素早く入れ替えただけだ。――それより、良いのか? いつまでも呆けていて。」


 私達全員が体勢を崩している中、グスタフは剣をこちらに向けている。


「まずは1人、だな。」


(しまった! フェリクス!)


 グスタフの剣がフェリクスへ迫る。


「”アクセラレート”」


 戦闘開始よりずっと気配を窺いながら魔術の詠唱をしていたマリユスが、フェリクスのピンチに飛び込んできた。


 ドォォォン!


 一瞬後に、グスタフのいた場所へメイスを振り下ろし、地面に打ち付けたマリユスの姿があった。

 グスタフはその攻撃を悠々と避けたようだ。

 やはり……どれだけ攻撃が早くても、体勢を崩していないグスタフには当たらない。

 フェリクスの命は助かったが、こちらは切り札を見せてしまった。


「さて、仕切り直しかな?」


 悠然と剣を構え、こちらを見回すグスタフ。


(強い)


 シンクとの戦闘で、その強さは十分理解しているつもりだった。しかし、極級へ至り、改めて相対してみて分かる。

 グスタフは、今の私ではまったく推し量ることができないくらいの、遥かな高みにいることが。


(だからって、諦める気なんてない!)


 皆も同じ気持ちなのだろう。改めて各々の武器を構え、グスタフへ向き合った。その時――


 バン!


「無事か、皆!?」


 大きな音を立てて35層のドアを蹴破り、飛び込んできた人物がいた。

 懐かしいその声に、息を呑む。掌が、頬が、胸が熱くなる。


 振り向いた視線の先――異国の服に身を包んだシンクの姿が、確かにそこにあった。



 ■シンク視点(時間は前日までさかのぼります)


 カッ! キンッ! ズバッ!


「くっ!」


 俺の持つ木刀が、輝虎師匠を打ち据えた。


「そこまでね。勝負あり。」


 ラグさんが判定を告げる。


「……まさか、この短期間で完全に上をいかれるとはな。」


「輝虎師匠の教えの賜物ですよ。」


 いくら1,000倍の経験が得られるとはいえ、闇雲に剣を振るっていてはどうしようもない。

 輝虎師匠は、1,000倍の特性を存分に生かす修行をつけてくれた。最初の数日は型を徹底的に納め、次に定石を教えてくれた。そして、応用から変則的な動きまでみっちり教わり、身体に叩き込んでから実戦形式の鍛錬へ移行した。

 実戦形式に関しても、最初は単純な動きでの攻め合いをし、そこから徐々にフェイントなどを交え、段階的に高度な駆け引きを見せてくれた。

 俺という剣士の行きつく最終形を見据えて、順番に余すところなく鍛えてくれたのだろう。

 自分だけで鍛錬していてはきっと、『剣の振りだけはやたらと巧みだがフェイントや誘いに弱い』というアンバランスな剣士が出来上がっていたに違いない。

 そして、最後の試練として課せられたのが、輝虎師匠から3本連取するというもの。

 この課題をまさに今、達成した。

 グスタフとの再戦前日。期限ギリギリでの達成となった。


「シンクよ。おぬしはこれを以って甲斐成田流、免許皆伝だ。もう儂が教えることは何もない。」


「ありがとうございます!!」


 俺は深々と頭を下げ、感謝の言葉を口にする。


「皆伝の証として、これを授けよう。」


 輝虎師匠は腰の刀を外し、俺に差し出した。


「銘を『浪切』という。ヒイロカネで作られた名刀だ。少々癖があるが、今のおぬしなら十分使いこなせよう。」


 輝虎師匠の刀……短い期間であるが、輝虎師匠がこの刀をどれほど大事に扱っていたかは知っている。素直に受け取るには、躊躇いを覚える。


「儂は魂を癒し、次の転生へと備える休息期間のためこの地にいる。……こうして生前の姿を残してはいても、既に死んだ人間なのだ。しかし、この刀まで死なせてしまうのは忍びない。お主が使ってくれ。」


 俺は輝虎師匠の眼を真っ直ぐ見据えた。


「有難く頂戴致します。」


 輝虎師匠の前で正座をし、両手で恭しく受け取った。

 この刀は修行中に何度か借りて、”切る”鍛錬をした。もしかしたら、輝虎師匠はその時から既に、俺に譲り渡すことを考えていたのかもしれない。


「それと、これも持っていけ。」


 と、風呂敷包みを渡された。促され、その場で開ける。小袖と……これは袴かな? あとは足袋靴だ。


「お主が着ている服には、グスタフにやられた時の穴が開いておるだろう? この小袖や袴は、幽闇蛾ゆうあんがと呼ばれる蛾の繭を紡いで織られた逸品だ。そこらの甲冑よりも丈夫だぞ。」


 そうなのだ。長年連れ添ったパンダパーカーも、グスタフの一撃を受けて機能しなくなっていた。他に着るものも無かったのでひっかけていたのだが、見かねて用意してくれたのだろう。

 早速、袖を通してみる。

 袴の方は裁着袴たっつけばかまと呼ばれるものらしい。忍者とか黒子が履いているやつだ。脛の辺りで縛ってあり、動きやすい。

 色合いは闇夜のように深く濃い色だ。家紋が白い糸で刺繍されている。月に三つ引両――甲斐成田流の創始者の家紋らしい。


「1ヶ月と短い期間であったが、楽しかったぞ。」


「こちらこそ、ありがとうございました!」


 俺は深々と頭を下げた。


「今生の手向けに、今夜は一杯付き合ってくれんか?」


「勿論です!」


 この地で過ごす最後の夜。俺は輝虎師匠と2人、丘の上で酒を酌み交わした。

 大きな満月が浮かぶ空の下、特に何かを語りあうわけでもなく、2人で酒を飲んだ。

 言葉にすればそれだけのことなのだが、確かに何か通じ合うものがあった。


「……ありがとうよ。」


 不意に輝虎師匠がそう言った。


「儂の代で途絶えることとなった甲斐成田流を、受け継いでくれてありがとう。」


「こちらこそ、素晴らしい剣術をいただきました。」


「うむ。可能ならば、次代へ受け渡してやってくれ。」


「……必ず。」


 輝虎師匠から大事なものを預かり、グスタフに勝たなければいけない理由がひとつ増えた。

 そして、翌朝。


「行け。そしてグスタフを倒してこい!」


「はい!」


 師匠に別れの挨拶を済ませた。


「それじゃあ、行くわよ?」


 ラグさんがひょいっと俺の頭の上乗り、フワリと尻尾を振るった。

 景色は一瞬にして変わり、目の前にダンジョンの入口がある。


「ギョンダーのダンジョン……ここがグスタフとの決戦の場所か。」


(正確には、約束の場所は35層のボス部屋よ。)


 ほほぅ、あの時と同じ35層か……うん? 35層!?


「え? 決戦って、今日だよね?」


 この前フェリクスを追って35層まで下った時、1日掛かりだったんだけど?


(今日ね。)


「何時頃なの?」


 夕方からなら間に合う……かな?

 俺はその時死んでいたから、場所も詳しい日時も知らないのだ。


(……さぁ? そういえば時間の指定は無かったわね。)


「つまり、もう始まっているかもしれないってこと!?」


 俺は焦って大きな声を出してしまった。


(それなら大丈夫よ。グスタフはシンクのことを認めていたから、シンクが行くまで待っているわよ。……きっと。)


 ラグさんの言葉にほっと息を吐く。


「そうなんだ。じゃぁグスタフは俺が生き返るの知ってるんだね?」


 ピシリッ。音を立ててラグさんが固まった。

 どうしたの? ラグさん?


(……何をぼさっとしているの! 急いで35層まで行くわよ!)


 ラグさんはビシっと前足をダンジョンに向けて言った。


「えぇ……」


 俺は走り出しながら、”ブレス”や”スピードアップ”を自身にかける。


(あんたが呑気に酒盛りなんかしているのが悪いのよ!)


「いやいや、輝虎師匠との別れの酒盛りだよ? 断れるわけないじゃん! ラグさんが『時間ははっきりと決まっていない』って事前に言っといてくれたらよかったんだよ!」


(戦いの日時と場所なんて、それこそ戦うあんたが真っ先に気にしておきなさいよ!)


「そもそもラグさんが最初から35層に転移させてくれれば済む話じゃないか!」


(転移ではダンジョンを出るのは簡単だけど、指定した地点へ行くことは難しいの! だいたいシンクが――)


「ラグさんが――」


 俺達は不毛な言い争いをしつつ、全速力で35層を目指した。

 今回は1人だけなので最大速度が出せる。仲間に進路を指示しなくてよいのでロスもない。そうして35層のボス部屋に到達するまで、約1時間半。もしかしたらこれ、歴代最速記録なんじゃないかという思いを頭の端っこに浮かべつつ――


「ええい、もどかしい!」


 俺は走ってきた勢いのまま扉を蹴破った。


 ■フィーリア視点


(シンク! あぁ! 本当に生き返った!)


 駆け寄りたい衝動に駆られるが、今は戦闘中だ。意識をグスタフから離すわけにはいかない。


「待ち人とは貴様だったか。確か……シンクといったな。あの時に死んだ筈では?」


 グスタフは飛び退き、私達から大きく距離を取る。そして構えを解いた。


「きっかり死んだよ。いろいろ借りを作って、生き返ってきたってわけさ。」


「蘇生の借り、か。すると……悪魔術の黄泉がえりによる蘇生か? あれはあまり勧められるものでもないぞ? 仮初の命の代償にしては、割に合わないからな。」


 グスタフの言葉に「え? 悪魔術には蘇生が?」とノーネットが反応している。

 それよりも『仮初の命』や『代償』という言葉の方が気になる。シンクはそのような蘇生方法で復活したのだろうか?


(女神様のお力よ。そんな半端物のわけないでしょ!)


 シンクの頭に乗っかっているラグさんがグスタフに答える。


「む……貴様、ラグラティーナか? ということは、その腰の物は輝虎殿の刀か?」


「そうだ。輝虎師匠を知っているのか?」


「くくく、懐かしい名前だ。100年程前に相対した。その時は色々邪魔が入り、決着には至らなかったが……。貴様がその刀を持つに相応しい腕となったならば、あの時の勝負にようやくけりがつくというものだ。」


 グスタフはシンクに向き合い、剣を掲げるように肩口で構えた。

 この構えは、……一撃で全てを決める剛剣使いのもの。

 グスタフは私達の攻撃に対し、見てから対応していた。あれは待ちの剣だ。しかし、剛剣使いのそれに待ちはない。攻めて、攻めて、攻め続けるのが剛剣だ。これがグスタフ本来の戦闘スタイルであるというならば、今までのグスタフは欠片も本気を出していなかったということだ。


「まさか、にわか剣術というわけではあるまい?」


「勿論、免許皆伝だ。」


 シンクは腰を落とし、剣は鞘に入れたままの状態で右手だけ添えた。

 腰にある剣は曲刀だろうか? 見たことのない作りをしている。


「一切の隙がない。偽りなしか。貴様は本当に面白いな。前回は実力を隠していた、というわけでもあるまい……まぁ、詮索などさしたる意味はないか。今、この時、勝負できることにこそ意味がある!」


 グスタフの表情が豹変した。

 今までは戦いの最中であっても余裕があり、笑みすら浮かべていたが、今やその面影はない。悪鬼羅刹もかくやと思わせる、歪んだ形相へと変わっている。


「貴様ら、余計な手出しはしないで貰おう。その時は容赦なく殺すぞ。」


 グスタフはこちらをチラリと見て、殺気を飛ばしてきた。それを浴びただけで、足がどうしようもなく震え出す。冷たい汗が止まらない。

 今まで相対した、どんな敵からも感じたことがない――明確な死を予見させる、濃密な殺気。


「皆、済まないがグスタフを俺に任せてくれ。修行して凄まじく強くなったのは伝わってくるけど、それじゃぁまだグスタフには届かない。」


 シンクはグスタフの殺気を正面から受けても尚、平然としている。

 手を出すなと言われても、出すことができないというのが正しいだろう。

 グスタフと渡り合うために、この1ヶ月死に物狂いで鍛えてきた。過信や驕りの芽生える隙もない程に。それでも……未だにここまで差があるとは思わなかった。

 この相手に、シンクは勝てるだろうか? 


「シンク……、勝てるの?」


 思わず、口をついて出た言葉に、シンクは私を見て力強く頷いた。


「大丈夫だ、フィー。そこで見ていてくれ。」


 その言葉の響きに、不安が拭い去られるようだった。1ヶ月前にも聞いた言葉と中身はさして変わらないのに、何かが違う。この絶対的な強さを持ったグスタフを、本当に何とかできてしまうのではないか? そんな気にさせてくれる。


 シンクの気配が増していく。それに合わせたようにグスタフの気配も膨れ上がった。

 2人の周囲に、靄のような歪みが見える。これは魔素……いや、違う! これは剣気だ。

 互いの間で揺れる先の取り合い。両者は一切動いていないが、既に激しい戦いが始まっていた。

 剣気が激しくせめぎ合う。

 怯めばその瞬間に斬られる。これは、そういう戦いなのだろう。


 3対7の割合でシンクが不利。

 私の眼にはそう映った。

 グスタフが捻じ伏せようと更に気配を膨らませる。グスタフの剣気がシンクに押し迫る。

 ついに2対8まで追いやられるシンク。


 ニヤリとグスタフが笑ったように見えた。


 しかし、シンクは一向に慌てない。静かに剣に手を添え、グスタフを見続けている。


「あ……!」


 私は思わず、声を漏らしていた。2対8で勝負は決まったかに見えていた。しかし、そのまましばらく拮抗し、気が付けば3対7に戻っている。

 そして、一度動き出すとどんどん状況が変わっていく。4対6に、5対5に、そしてついには6対4となり、シンクが優勢に立った。


「おのれ!」


 グスタフは更に剣気を高めるが、僅かに拮抗するばかりでシンクの優位は変わらない。


「この短時間で成長しているだと!? 馬鹿な!」


 グスタフが呻くようにそのようなことを言った。

 確かにシンクがわざと押されていたようには見えなかった。では何故、今、逆転できているのか? 今まさに成長しているとしか考えられない。


「……あ、そうか。」


 不意に、シンクがそんな言葉を漏らした。

 そして出していた剣気をすべて引っ込めてしまった。


「舐めているのか!!」


 グスタフの剣気が、この35層のボス部屋全てを覆いつくさんとばかりに広がる。

 シンクもそれに呑み込まれ、やられたように見えた。


(シンクが斬られる!)


 しかし、グスタフは動かない。……いや、動けない。

 シンクからは剣気が出ていない。シンクの周りにはグスタフの剣気が溢れている。しかし、シンクには僅かに届いていない。

 凪いでいる。シンクの周りだけが。暴風のように荒れ狂うグスタフの剣気が、どういうわけか”そこ”を越えられずにいる。

 シンクの周りには何もない。剣気も、魔素も。シンク本人の気配すら、あるようなないような、不思議な感じがする。


「グッ!」


 グスタフは踏み込めずにいる。届く筈の剣気が届かない。踏み込み、剣を降ろせば容易く斬れる位置にいるシンクなのに、斬られる気がしない。


「……いくぞ。」


 およそ攻めるように見えないシンクが、グスタフへ向けて声を発した。

 そして、踏み込みながらシンクの剣が鞘から抜き放たれる。


「ぐぉぉぉ!!」


 凪ぎ、静かに攻めるシンクとは対象的に、己の全てをぶつけんとする剛剣をグスタフが振るう!


 互いの影が交差し、すれ違った。

 グスタフは剣を振り下ろした姿で、シンクは鞘から剣を抜き放った姿で動きを止めていた。


 はらりと数本、シンクの前髪が切れて舞う。


「甲斐成田流 抜刀術 波徹し」


 シンクは剣を鞘に戻し、チンっと鍔鳴りの音が響いた。

 同時に、グスタフの左肩から右脇腹へ一筋の剣閃が走る。――心臓の真上を、深く通って。


「――見事。」


 グスタフはその一言だけを残し、魔素になり、消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る