第100話
俺のプライドやら尊厳やらは一旦置いておくとして、フィー達のことを考えよう。フィー達が今グスタフと戦えば、確実に負けるだろう。
たからといって、俺がグスタフに勝てるわけでもない。こちらの手の内は全部見せてしまった。一方、グスタフはメテオスォームの詠唱を妨害するために、本気の剣戟を一度見せただけだ。
数百年と強者を求めて戦ってきたようなバトルジャンキーだ。奥の手のひとつやふたつ、当然持っていることだろう。
(俺が蘇生しても、その後はどうする?)
仲間内で対処できないのなら、倒せる人を外から引っ張ってくるしかない。
真っ先に思い浮かぶのが、フィーの父親である剣術・極級のジョアキム卿。あと、ノーネットの祖母であるデシデリア様だ。
……だが、いずれも立場のある人達だ。手紙や魔道具で救援要請したところで、来てもらえるかはかなり怪しい。
やはり、フィーやノーネットが直接行って説得の上、連れて帰ってもらうしかないか? しかし、行き来だけで1ヵ月以上かかってしまうな……。
。
次に思いつくのは、オーバンさん達のパーティだ。
ダンジョン攻略を最も進めているパーティで実力は折り紙付きだし、治療の件で恩を感じてくれているようだから、頼み込めば協力してくれることだろう。
しかし、勝てる見込みがあるならともかく、身内でもない人間を死地へ向かわせるのはかなり抵抗がある。
「うーん……。」
「あの魔人に勝つ方法か……そうだな……なあ、ラグラティーナ。チヨノスケに鍛えてもらう、なんてどうだ?」
相変わらず俺の思考は駄々洩れのようだ。それにしても、ラグラティーナって? もしかして、ラグさんのことか?
(チヨにですか? ……そうですね。彼ならばもう、一時的に人の姿に戻ることも可能となっているでしょう。)
ラグラティーナとは、やはりラグさんのことらしい。人の姿に戻る? 何の話だ?
「じゃあ、そーすっか。シンク、話は決まった。とりあえずお前は常春の園へ行って、チヨノスケに修行つけてもらえ。そーすりゃ、勝てる見込みも少しは出てくるだろう。」
あれ、決まっちゃった? 俺まだ何も意思表示してないよ? 行けと言われても、常春の園なんて場所知りませんけど?
(シンク、こっちへ来なさい。)
言われるがまま近づくと、ラグさんはひょいっと俺の頭の上に乗っかった。
(行くわよ?)
ラグさんはそう言うと、俺の顔を撫でるように、ふわりと尻尾を振るったのであった。
気が付くと、俺達は草原にいた。ラグさんの尻尾が目の前を過ぎたら、景色が変わっていたのだ。
暖かい日差しが降り注ぎ、穏やかな風が、土や草木のにおいを運んでいる。
くるぶしほどの高さの草が、さわさわと音を立てて波打つ。草原の広がる先はぼんやりと霞んでいて、地平線がどの辺りにあるのかは窺い知れない。
「ここが、常春の園……魂の安息地よ。」
ここが? 確かに、まさしく春のような穏やかな陽気である。水色の空の下、風が絶えず優しく頬を撫でていく……ここで昼寝をしたら、さぞかし寝心地が良いだろう。良すぎて、二度寝どころか三度寝ぐらいしてしまいそうだ。
うん? それにしてもラグさん、念話じゃなくて声を出して喋っている?
「ついていらっしゃい。」
やっぱり喋っている! 驚く俺をそのままに、ラグさんはさくさくと草の上を歩き出した。慌ててラグさんの後を追う。
「ラグさん、さっき女神様は修行がどうたらと言っていたけど、もしかしてここで?」
「そう。チヨは気難しいから、どうなるか分からないけど。ただ、彼に修行をつけてもらえば、グスタフに勝つヒントくらいは手に入るかもしれないわ。」
勝てるようになるわけじゃなく、『ヒント』で、しかも『かもしれない』なのか。
そりゃそうだわな。1ヵ月の修行じゃねぇ……。
「ラグ様~、ラグ様~!」
しばらく歩くと、前方から2匹の猫が駆け寄ってきた。
声を出してラグさんを呼んでいるのは、スコティッシュフォールド(耳が垂れた猫)だ。全身が小麦色の毛で覆われている。光の当たり方では金色に輝いているように見える。
もう1匹はやけにイケメンなラグドールだ。同じラグドールでも鼻回りと耳が黒いタイプのラグさんとは違い、頬のあたりから耳にかけて灰褐色で、鼻筋から顎まではくっきりと白い。しっかりと大きな鼻をしていて、目元がきりっとしている。
「ハナ、テト。久しぶりね。今戻りました。」
「えへへ~、ラグ様だ~!」
ハナと呼ばれたスコティッシュフォールドは、ラグさんの足元まで来るとゴロンゴロンとお腹を出して転がり、甘え始めた。
何だろう……すっっっごい可愛い。お腹の毛は白っぽく、長毛なのでモフモフしている。めっちゃ撫でまわしたい。できればこの柔らかそうなモフモフに顔を埋めたい。そして吸いたい。
「ラグ様、よくお戻りになられました。皆も喜びましょう……そちらの方は?」
テトと呼ばれたイケメンのラグドールが、きりりとした声で聞いてくる。ラグさんと同じように滑らかでふんわりとした、とても撫で心地のよさそうな長毛をしている。
「こっちはシンクよ。」
「おぉ、あなたがシンク殿ですか。私はテトと申します。ラグ様の、副官のような立場の者です。」
「ふ、副官?」
ラグさんの副官って何だ? 神使としての副官ってこと? 皆、猫なのかな? 女神様は猫好きなのか?
「テト、あなたはだいぶ記憶が戻ったようね。」
「はい。人であった頃の記憶を徐々に思い出し、少しずつ受けとめることができるようになりました。しかし、ハナは……あの辛過ぎる記憶と向き合うには、まだしばらく時間がかかるでしょう。」
「急ぐ必要はないわ。傷ついた魂を癒すのが、この場所の役割なのだから。……それよりも、チヨはどこにいるかしら?」
「彼は流石と言いますか、我々の中で最も早くに記憶を全て受けとめ、今は丘の上で見張りをしております。『敵がいつ攻めて来るか分からない』と言って……。」
「そう……。女神様の神域の一部であるここに、敵が来ることなんてあるわけないのに……まだ責任を感じているのね。それにしてもチヨは、『安息』の意味を分かっているのかしら?」
「さて……、絶対安全の地でも見張りをしてしまうのは、彼の性分というものかと思います。」
「ラグ様、聞いてよ~。チヨのおじさんが相手してくれないんだよ。ハナと一緒に遊んでってお願いしているのに、なんか怒るの~。」
ハナは上目遣いにラグさんを見ながら、拗ねたように言った。
「そう。では私から、ハナの相手をちゃんとするようチヨを叱っておくわ。私はちょっと用事があるから、ハナは向こうで遊んでらっしゃい。」
「は~い!」
ハナは元気よく返事をすると、どこかへ駆け出して行った。
「ラグ様、では私も見回りに戻ります。」
「あら? 見張り同様、見回りなんて必要ないわよ?」
「いえ、これも私の性分ですので。」
そう言うとテトは礼をするような仕草をして、その場から去って行った。
「丘へ行くわよ。」
そう言うと、またラグさんは歩き始める。
俺は気になっていたことを、思い切って尋ねてみた。
「ねぇ、ラグさん。さっきのテトさんって猫が、『人間だった時の記憶を受け止める』とか言っていたけど……。」
「……シンク。神聖術Lv9の”再生”の説明をした時、『魂に欠損があった場合は治らない』って話をしたのを覚えているかしら?」
「え? うん、覚えてる。ギョンダーで治療している時はいつも頭にあったよ。治してあげられない人が現れるんじゃないか、って。」
「この常春の園にいる猫達はね、皆、もともと人間だったのよ。あまりにも過酷な体験をしたために、本来は欠損することのない魂にまで傷を受けた人達。……そういった人はね、人間の形のままでいるのが、酷く辛いことなの。」
……一体どれだけ辛いことがあれば、魂に傷を負うなんて事態になるんだ?
死ぬということは非常に怖く、辛いものであった。恐らくだが、あれを何度も経験したら魂は欠損するんじゃないか、とそんな感覚がある。2口目が食べられなくなる激辛カレーみたいな感じだ。食べようと思っても手が止まり身体が拒否するように、魂が死を何度も経験することを拒否するような。
……死に近い苦しみを、何度も?
「例えば、そうね……幻肢痛って知ってる? 片腕を失くした人が、ない筈の腕が痛むってやつね。それと同じように、人の形のままでいるとね、色々な痛みを思い出し易くなってしまうのよ。」
古傷が痛むってやつだな。テレビで見た程度の知識だが、脳と体が怪我の痛みを記憶してしまうのだとか。本来、怪我をするような行為を恐れ、回避させるという生存本能からきているものだが、それが過剰に反応してしまい、日常生活にも支障をきたしてしまうのだとか。
「過去の痛みを思い出すと、それで更に魂が傷ついてしまうわ。だから、少しでも安らかにいられるように猫の姿を取っているのよ。魂が癒えて、時たま浮かぶ過去の出来事も受けとめられるようになれば、徐々に過去の出来事を思い出してくる。受けとめられなければ、曖昧でぼんやりとした幻のように消えてしまうのよ。」
成る程……この暖かな日差しと風は気持ちがいい。猫になり、草の上でのんびりゴロゴロと寝て過ごしていれば、確かに魂も癒えてきそうだ。
ここにいる猫は全て、魂が傷つくほどの経験をしているのか。……あれ?
「ということは……」
ラグさんも? と声が出る寸前で思い留まる。魂が傷つくほど辛い経験をしたという人の過去に、気安く触れていい訳がない。
「……。」
ラグさんは、何か思うように目を伏せている。その姿は酷く儚げに見えた。
「さ、あの丘の上にチヨがいるわ。行きましょう。」
そう言うと、ラグさんは再び歩き始めた。
丘の上に到着すると、1匹の猫が周辺を見渡している。紺色っぽいキジトラ模様で、鼻の周りから胸にかけて白が混じっている。振り向いた両目の間には、斜めに1本の傷が走っている。
「チヨ、久しぶりね。」
「おぉ、聖女様。お久しゅうございますな。」
聖女様? ラグさんが?
「……私は聖女でも何でもないわ。奴らが言う通り、災厄の魔女の名がお似合いよ……ここにいる皆は、私のせいで苦しんだのだから。」
……今日はラグさんに関する情報が多いな。名前がラグラティーナで、聖女で、災厄の魔女、か。
「そのようなこと……全ては魔人と、奴らの神のせいでございましょう。」
「……それよりも、今日は頼みがあって来たのだけど。」
「頼み、ですかな?」
「このシンクに、剣を教えてあげてほしいのよ。シンク、この子がチヨよ。以前話した、剣術・極級Lv10にして、グスタフと互角に渡り合った剣客よ。」
何と!! ……でも、今はどう見ても猫だな。
「……ふむ。」
チヨは値踏みするように、俺の全身を見上げてくる。
「まぁ、話だけでも聞いてちょうだい。実は……」
ラグさんはチヨに、ここへ来た経緯を説明した。
「ほほぅ、グスタフめに一太刀入れたか! その若さで!」
「魔術の詠唱と魔道具を使ってようやく……ですけどね。」
グスタフは全くもって本気じゃなかったし、不意打ちで、しかも掠っただけだから自慢できるようなことじゃない。
「仲間を思い、命を賭して剣を振るったこと……そしてグスタフの強さを知っても尚、挑むその気概! うむ、そのような
チヨは突然その場でバク宙すると、たちまち人の姿へと変じた。
「おぉ!」
俺はチヨの姿を見て、思わず、感嘆の声を出していた。
武士だ! 初老の域に達した、小袖を着、袴を履き、刀を差した武士の姿がそこにあった。
白髪の混じる黒髪を後ろで縛り、両目の間にはやはり斜めに刀傷があった。
「儂は、はるか昔に極東にあった島国・倭国が末裔。甲斐成田流師範、本庄輝虎と申す。」
「ほんじょうてるとら? チヨ、じゃなくて?」
俺は思わずそう聞き返してしまった。それにしても、日本にずいぶんよく似た国があったんだな。でも末裔ってことは……今は国自体は無い、ってことか。
「……儂の幼名がチヨノスケというのだ。酒の席でうっかり口を滑らせてからというもの、皆には面白がってチヨと呼ばれるのだ。」
「あら、だってチヨの方が可愛いじゃない?」
ラグさん、猫の姿の時にチヨと呼ぶならともかく、この初老の武士に向かってチヨは無いと思うよ。
「……シンクといったか。これから儂は、おぬしの師匠になるのだ。輝虎師匠と呼ぶように!」
わざとらしく咳払いをして、俺に告げる。……この人、色々苦労してそうだな。
「おぬしには、これから甲斐成田流剣術を教えていく。ではまず――」
「あ、輝虎師匠、お話しのところすいません。グスタフとの再戦は1ヶ月後なのですが、それまでに甲斐成田流は形になるでしょうか?」
「1ヶ月とな?」
驚きを隠さず目を丸くした輝虎師匠が、ラグさんを見つめた。
「あら、言ってなかったかしら?」
「……教える、と言ってしまったからな。武士に二言はない。とりあえず、2、3日やってみるか。」
輝虎師匠は遠くの空を見つめて呟いた。一度、頭を振り、こちらに向き直る。
「まず、おぬしのこれまでの剣術だが……スキルを使って剣を振るい、そしてスキルのレベルが上がることで上達してきた。それで間違いないか?」
3歳で剣術スキルを得てからというもの、剣を振るうという行為はスキルによって行ってきた。
「はい、その通りです。」
「甲斐成田流を学ぶためには、その『スキルを使い剣を振るう』という行為より脱却するところから始める。スキルを使うと、型がどうしてもスキル寄りになってしまう。それでは甲斐成田流の真髄へはたどり着けない。スキルではなく、己の心、身体と対話し、剣を振るうのだ。」
おぉ! これは……スキルに頼っていた剣術が本物へと生まれ変わるということか。修行ターン! テンション上がるな!
この世界ではスキルのおかげで簡単に強くはなれるが、どうにも自分自身が強くなったという感じが希薄だった。
ミキサーに野菜を突っ込んで切り刻むのはできても、包丁の扱い方が分からない……とでも言おうか。スキルがなくなってしまえば勿論、切り刻むことはできなくなる。
強くなるためにはやはり、借り物の力じゃダメだよな! 借り物じゃ!
「良いか、グスタフの強さは剣術・極級Lv10のさらに先にいる。スキルをいくら鍛えても、奴に勝つことはできん。儂がグスタフと互角に渡り合えたのも、そもそもスキルを使用していなかったためだ。儂の場合、甲斐成田流を極めるべく鍛錬を重ねるうちに自ずと剣術・極級Lv10へ至っていた……即ち、甲斐成田流を追求していけばその先に到達できる、ということだ。心して学ぶのだぞ!」
「はい!」
俺は意気揚々と輝虎師匠の元、甲斐成田流の修行を開始した。
そして、3日後……。
「フッ! ハッ! タァ!」
俺は甲斐成田流の基本を身体に覚え込ませるために、一心不乱に木刀を振っていた。
横で輝虎師匠とラグさんがその様子を眺めている。
「……聖女様。シンクはやる気もあり、気概もある。剣の才能もあるでしょう。だが、やはり時間が足りませぬ。10年もすればグスタフとも渡り合えましょうが、1ヶ月では……スキルを使った剣術の方が、はるかにマシかと……。」
「それで、グスタフに勝てる?」
「無理でしょうな。」
「……ふぅ、仕方ないわね。シンク!」
「何だい、ラグさん?」
「あんた、ガチャ引きなさい。」
「へ? いや、だって、スキルじゃグスタフに勝てないって……。」
「そうね。武器系統の極級では、どのスキルでも太刀打ちできないでしょう。これからあんたが狙うのは、”成長促進”系のスキルよ。」
「”成長促進”?」
「知っている筈よ。”剣の鬼才”とか”天の寵愛”とか……。」
「あぁ、あれね! でも、剣術に補正のかかる”剣の鬼才”はもう持っているから……何を狙うの?」
「成長すること全般に作用するスキルがあるから、それを狙うわ。最上位のものは何と、効果は1000倍よ!」
「せ、1000倍……。」
スキル頼みの強さを捨てた筈が、何故かスキル頼みで成長促進させる話になってしまった。
釈然としないものを感じながら、携帯を取り出す。
1000倍か……、極端過ぎやしないか? まさかとは思うが、『但し、剣術は尻から出る』……なんてことにはならないよね?
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