第98話

 カレンさんの話が一区切りつくと、フェリクスがフィーに向き直り、改まった様子で言った。


「わざわざ来てもらい、済まなかった。」


「……私達は別に何もしてないから、礼はいいわよ。」


「私の命が助かったのは、たまたま紋章院のお2人と行動を共にしていたからだ。もしそうでなかったなら、フィーリア殿の一行がここに来てくれたことが救いの手となったのは間違いない。本当に、感謝している。」


 頭を下げるフェリクスに対し、フィーは居心地悪そうにもじもじしている。先ほどからフェリクスの態度に戸惑いっぱなしだな。


「えっと、それは構わないのだけど、フェリクス。カテジナ様のことで……。」


「あぁ! 手紙が読まれる頃には、既にこの命は無いものと思っていたのだ。恥ずかしながら、無事にダンジョンから出られるとは思わず母上のことを頼んでしまったが、もうその件は忘れてほしい。母上のことは気掛かりだが、あくまで公爵家内部の問題だ。ルイス殿とカレンの姿には私も感動し、勇気をもらった。諦めずに――」


「いや、だからね、そのことなんだけど、ちょっと話を聞いて欲しいの。」


 フィーは熱く語るフェリクスの話を遮り、俺を呼んだ。

 俺はカテジナ様が呪われていたこと、それを神聖術Lv8の”聖域”で解呪したこと、カテジナ様は復調して元気であることを伝えた。

 ……痩せて若返った件については、もうカテジナ様に説明を丸投げすることにした。中途半端に説明し、詳細を尋ねられた挙句「あんたのお母さんの全身をくまなく揉みしだきました」なんて、皆の前で白状させられることになってはたまらない。


「では、母上はご無事ということか!? あぁ……シンク殿、そなたは母上の恩人だ! 何と礼を言ったら良いか……。」


 ガッと両手を包まれ、ぐいっとフェリクスが迫る。

 近い! 近いよ!

 気持ちは分かるが、そんな熱い眼差しで見つめてこないでくれ!

 俺にそんな趣味はない!


 その時、不意に知らない男の声がした。


「おや、取り込み中かね?」 


 声のした方――35層ボス部屋の入口を見ると、やけに煌びやかな鎧を着た壮年の男が、いつの間にか扉に手を掛けて立っていた。


「若いというのは良いものだな。私のことは気にせず、どうぞ続けてくれたまえ。」


 男は訳知り顔で、うんうん、と頷きながら、俺とフェリクスを見て言った。

 って、違ーう!! 俺とフェリクスはそういう関係では断じてない!

 っていうかお前、誰やねん!!


 俺がプチパニックになっていると、ベンノさんとカレンさんがすっと自然な動きで移動し、俺達と男の間に立った。2人とも、険しい目で男を見据えている。


「タリウス教、神殿騎士団長のグスタフ殿とお見受けするが?」


 ベンノさんは固い声でそう言った。

 タリウス教……確か、スキルを教えることで金銭を得ている宗教団体だったかな? スキルで悩んでいる人の相談に乗ったりもしている、とか聞いたことがある。

 しかし、騎士団ってことは宗教が武力を持っているのか? それは……前世の世界じゃろくなことにならなかったやつだな。


「いかにも、その通りだ。」


「……貴方のような身分のある方が、何故このような場所へお1人で?」


 ……確かに、不自然極まりない話だ。教会が、商業ギルドの管理するダンジョンに何の用なんだ? 素材が欲しいのなら、商業ギルドに注文して直接購入すればいい。

 しかも騎士団長なんて大層な肩書のある人間が、配下も連れず単身というのは明らかにおかしい。


「ここに来た理由か……そうだな。モイミールで魔人を討伐したという者に用があって来た。フィーリア・ロゥ・アイルーン、及び、ノーネット・シャ・ミロワール――この両名に、な。」


 その言葉を聞き、俺たちに緊張が走った。

 どんな狙いか不明だが、男が口にしたのは制約によって伏せられている内容だ。正確にそれを把握しているのは、紋章院と王家くらいの筈。


「……ふむ、そこにいるのはフェリクス・ドラクア・シモンチーニか。ムンドの姿が見えないが……成る程。上級魔人である奴を倒したのは、お前たちのうち誰かな?」


「何故、ムンドが魔人だったと知っている!?」


 フェリクスが驚き、声を上げた。そのことも知っている? 神殿騎士団というのはそこまでの諜報能力があるのか? 


「何、簡単なことだ。――私も魔人だから、だよ。」


 そう告げたと同時に男の全身は一瞬で靄に包まれ、ツルっとした黒い肌、のっぺりとした顔の魔人の姿に変わっていた。

 皆が息を呑む間に男は再び靄に包まれ、元の甲冑の男の姿に戻る。


「さて、私が魔人だと分かれば、ここに来た目的までも理解できただろう? ――諸君らには死んでもらう。」


 唐突な魔人の出現。

 一同は一瞬、驚き戸惑った。


(な!? また魔人? しかも死んでもらうって?)


 正直、俺は混乱している。最近は何事も上手くいっていた。ラキとリズの件もどうにか落ち着いた。気持ち的に弛緩していた部分があったのかもしれない。緊急事態への反応が遅れる。

 しかし、そんな中でも最速で飛び出したのはフィーだった。


天級アブソリュート裂空斬エアスラッシュ!」


 フィーがスキルによる剣閃を放った! 一直線にグスタフに向かって飛んでいく。グスタフは避ける素振りを見せない。

 フィーの剣閃はグスタフの左手を切り飛ばし、胴を浅く切り裂いた。

 切り裂かれた腕と胴からは、血液ではなく黒い靄が漏れ出ている。

 グスタフは腕を切り飛ばされたにも関わらず、一切動じず、俺たちを見ている。

 負傷しているとは思えない、あまりにも堂々としたその振る舞いにただならぬものを感じ、全員が追撃できずにいた。


「見ての通りだ。魔人とて人の姿ならば、天級の技でもダメージを受ける。しかし……。」


 グスタフが靄の漏れる左腕を横に振るうと、何事もなかったように左手が生えていた。


「このように、身体の一部を欠損しても容易に治すことができる。私を倒すのならば、私を形成する魔素をすべて削り取るか、『核』を破壊することだ。」


 グスタフは指で自身の左胸をとんとんと叩いた。


「『核』は言うなれば、魔人の心臓のようなものだ。体内のどこにでも自由に動かせるが、私の『核』は諸君らと同じ、心臓の位置に留め置いている。ここに当たりさえすれば、諸君らの攻撃でも私を殺し得るということだ。……さて、魔人の弱点について理解して頂けたかな?」


「……なぜ、ワザと攻撃を受けたのかしら?」


 フィーは剣を構えながら、グスタフに聞いた。


「魔人には通常の攻撃は通じない。となると、諸君らが鍛えてきた技術を存分に発揮できないだろう? それではつまらない……そう、つまらないのだ。我ら魔人は我らが神の命により、人間を駆逐している。通常、人間は魔人に比べればはるかに脆弱な生き物だ。しかし、人間の中には数百年と続く戦いの中を生き抜いてきた私に、五十年に満たぬ修練で匹敵する者がいる。類稀な、魂の輝き……それに触れることが、私は楽しいのだよ。」


 何を言っているんだこいつは? バトルジャンキーってやつか?

 戦闘技術に圧倒的な自信があるのだろう。そうでなければ、こんな不利な状況で戦おうとしない。


「さて、お喋りは終わりだ。戦闘を始めるとしよう……その前に、諸君らはだいぶ疲弊しているようだな。さぁ、回復してやろう。全力でかかってくるがよい!」


 グスタフが腕を振るうと、身構える俺達を優しい光が包み込む。

 な、何だ!? HPとMPが全快している!? しかも、疲労感まで無くなっている。35層まで休みなく突っ走ってきたのでかなり疲弊していたのだが、そんなものはもう微塵も感じない。

 ……どこまでもただ戦闘を楽しみたいだけのようだな。しかし、こういう余裕をぶっこいている奴に限って、負けそうになると卑怯技を使ってきたりするんだよな。


(……シンク!)


 突然、ラグさんから切羽詰まった感じの念話が届いた。


(どうしたの、ラグさん?)


 ラグさんは今、姿を消している。ダンジョンに来ている時はいつもその状態で、ご飯の時だけしれっと現れる。

 姿を消している時のラグさんは基本的に話しかけてこないから、念話してくるのは非常に稀なケースだ。


(こいつと……グスタフと戦ってはダメよ! 今のあなた達では絶対に勝てないわ!)


(え? それってどういうこと?)


(あいつは強い。ただただ、恐ろしく強いのよ……。)


(いや、でもラグさん。戦うなって言われても逃げようがないよ。黙って立ってたら、それこそ殺されちゃうだろうし。)


(何とかして隙を作りなさい! 私も考えてみるから!)


 ラグさんがここまで必死な様子で戦闘に口を出してくるのは初めてのことだ。

 絶対に勝てない……か。そこまで強いのか。

 俺とラグさんが話しているうちに、戦闘は始まっていた。

 まず、動いたのはベンノさんとカレンさんだ。

 カレンさんが氷の刃を飛ばし、それに乗じ、ベンノさんが接近して切り掛かった。


「ふふっ、精霊術師か、成る程。」


 グスタフはその攻撃に余裕の笑みをもって、迎え撃った。

 飛び迫る氷の刃を掻い潜り、ベンノさんへ接近する。


「はっ!」


 ベンノさんは両手に持つ短剣を巧みに操り、素早い連続攻撃を繰り出した。

 短剣の届く距離――完全にベンノさんの間合いだ。この間合いならば長剣を持っているグスタフは不利である。しかし、グスタフはベンノさんの短剣をすべて長剣でいなしていく。


(なんじゃありゃ!)


 驚くべき技だ。閃光のようにすら見えるベンノさんの2本の短剣を、取り廻すスペースもないのに長剣1本でさばき切っている。


「何、2本持とうが、同時に切り掛かれる訳でもない。十分に技として成り立たせるには、手だけで振るうわけにはいかない。剣1本でさばけない道理は無いのだよ。」


 確かに、理屈はそうだ。力の乗っていない攻撃で致命傷は狙えない。力を乗せるには身体の捻りや、重心の移動が不可欠だ。漫画みたいに両手に持った剣で十字に切るような攻撃は、威力が全然乗らないからな。そんな軽い攻撃をしても、瞬時に武器を弾き飛ばされ体勢を崩されるのがオチだ。


天級アブソリュート急所突きキルスタップ!」


 ベンノさんはいきなり勝負に出た。相手が余裕ぶっこいて短剣の間合いにいてくれるのだ。その間に勝負を決めるというのは良い手だと思う。

 この技は確か短剣でも最速で、かつ最も命中率が高い技だ。天級のスキル技ともなれば、極級の一撃にも勝るとも劣らない。


「随分と思い切りがいいな。だが――」


 ベンノさんによる必殺の刺突はグスタフの胸に吸い込まれ、心臓を――『核』をとらえたように見えた。


「悪いな、それは残像だ。」


 グスタフはいつの間にか半歩横にずれていた。そして、スキル使用後の硬直で固まっているベンノさんの腹を鋭く蹴り飛ばした。吹き飛ばされた先にいるカレンさんが、ベンノさんを受けとめる。


「ベンノ!」


「グッ!」


 ベンノさんは苦しそうに呻き声を出すが、命に別状はなさそうだ。


「精霊さん!」


 ルイスが精霊術を放つ。グスタフが1人になる機会を狙っていたのだろう。


 ドーン!


 激しく大気を揺らし、雷が落ちる。


「そっちも精霊術師か。」


 ルイスの攻撃はグスタフに難なく回避された。


「このっ!」


 ドドドドン!


 ルイスは連続で雷を落とすが、グスタフはそこに落ちるのが予め分かっているかのように、次々と回避する。


「精霊術の発動がいかに早かろうが、狙う本人が未熟では意味がないぞ。そのように殺気を散らしていては、タイミングを読んでくれと言っているようなものだ。」


 いや、ルイスの攻撃の発動速度は十二分に速い。本来、読めたところでどうこうできるものではないのだ。それを事も無げにグスタフはやって見せている。

 俺がやるとしたら早い動きでかく乱し、狙いを絞らせないようにするが、それでも当てるのは難しいだろう。グスタフは狙われた後に避けている。

 圧倒的経験値の差。それを見せつけられているようだ。


「これなら! サンダーネット!」


 ルイスが振るった手から、避ける隙間のない網目状の電撃がグスタフに迫る。

 グスタフは避けようともせず、電撃をそのまま受けたように見えた。その瞬間、グスタフの気配が急激に薄れたように感じた。これは!?


「”透魔”!?」


「ほほぅ、この技を知っているか。そう、お前たち人間が使うスキル”透魔”と同じ技だ。」


 ”透魔”は簡単に言うと、無敵時間を作るスキルだ。どのような魔素による攻撃も、身体が透けて無効化できる。しかし、その効果はほんの一瞬。瞬きをする時間ほども無い。

 ゲームでよくあるやつだ。有名な狩猟ゲームなんかでは回避中に無敵時間が設定されているから、タイミングを合わせればどんな攻撃も無傷でやり過ごせる。

 俺も”透魔”は使えるのだが、あまりの難易度に実戦で使ったことがない。木刀を持った相手との練習でも碌々成功しないのだ。実戦で使うにはあまりにリスキーだ。

 それを初見の攻撃に難なく使ってみせるとは……単発のルイスの電撃では、有効打は難しそうだ。

 次に動いたのはフィーとカッツェだ。


天級アブソリュート回転撃ブレードロール!」


天級アブソリュート・百花繚乱!」


 一気に間合いを詰め、初手からスキルだ。手数の多い乱撃技。それならば一撃に合わせて無効化する”透魔”は使えない。

 それを左手前からカッツェ、右手前からフィーが仕掛ける。

 カッツェはコマのように回転し、連撃が放たれる。その回転は鋭く速い!

 フィーの剣閃が満開の花弁を表すがごとく、幾重にも煌めく!


天級アブソリュート・ウォータウォール!」


 グスタフの背後に水の壁がせり立つ。ノーネットが2人の攻撃に合わせて退路を塞いだ。

 流石はノーネットだ。魔術は術者から発動地点までの距離が離れれば離れるほど難しくなっていく。通常は、ノーネットの位置からグスタフの背後に発動させるなど至難の業だ。

 不意を突いた形になった。いくらなんでもこれは避けられまい! 


「ふふ、流石だ。状況判断が早く、的確、そして連携も素晴らしい。だが……それだけでは足りん!」


 これまで守勢を示していたグスタフが初めて、鋭く剣を振るった。


「キャ!」「クッ!」


 グスタフはその一撃で、迫っていたフィーとカッツェの乱撃を切り裂き、2人を衝撃で吹き飛ばした。

 フィーの剣とカッツェのハルバードは粉々に砕け散ってしまった。そして、スキル使用後の硬直が解けず、無防備な姿をさらしている。ベンノさんは蹴り飛ばされただけだが、いつまでも手加減してくれるとは限らない。何せグスタフは「死んでもらう」と宣言しているのだから。


(フィーとカッツェがやばい!)


 極級の縮地で突っ込もうとしたとき、マリユスの声が響いた。


「アクセラレート!」


 何らかの魔術だと思うが、俺の知識にはない術だ。次の瞬間、ドン! と音がした。

 見ると、いつの間にかグスタフに接近していたマリユスがメイスを振り下ろしていた。グスタフはその攻撃を剣で受け流したようだ。


「ほぅ、レベルの高い天術使いもいるのか。ずいぶんと粒が揃っている。この場で消すのは惜しいな。」


「これも軽々受け流すとは……予知か?」


「そのような不確かな物ではない。私にはただ、お前たちの攻撃が読めるだけだ。」


 マリユスの指摘にグスタフは答える。

 俺が知覚すらできなかったマリユスの攻撃を、いとも簡単にいなして見せた。マリユスが見せた攻撃速度は極級のそれに近いだろう。寧ろ、それ以上かもしれない。


(シンク、見たでしょ? グスタフには生半可な攻撃は効きはしない。逃げるしかないのよ。)


 そうだな。これは逃げるしかない。このまま戦い続けても、簡単に全滅させられるだろう。

 しかし、どうやって? 

 今グスタフが手加減して戦っているのは、俺達がグスタフを楽しませているからだ。背を向ければ、本気で殺しにかかってくることだろう。

 逃げるにしても、足止めが必要だ。


(ラグさん、極級の剣術でグスタフに勝てると思う?)


(……無理ね。私の知っている剣術・極級Lv10の剣士で、ようやく五分の戦いになっていたくらいよ。シンクの剣術・極級Lv4じゃ、足止めすら難しいでしょうね。)


 そこまでの実力者か……。

 俺には極級同士の戦闘経験は無い。グスタフは豊富にありそうだ。

 俺の奥の手を全て使えば、傷くらいは付けられるだろうか?

 だが、それでは意味がない。

 最悪、俺の命はここまででも構わない。ルイスにあれだけ偉そうに「女を守れ」と説教していたのだ。いざその時になって逃げるのではカッコ悪過ぎる。それに、前世から合わせれば50年以上生きているからな。

 だけど、15歳のフィー達は、これからもまだまだ生きなきゃだめだ。

 そのためにも、犬死するわけにはいかない。

 こいつは戦闘に楽しさを求めているらしい。しかし、俺たちの実力じゃ、手加減したところでヌルゲー過ぎるだろう。ならば縛りを与えてはどうか? そこにグスタフが面白みを見出せば――


(ラグさん、ひとつ思いついたよ。逃げる方法。)


(何!? どうするのか教えなさい! 今回ばかりは私も協力するわ!)


(じゃぁ、ラグさん、みんなの説得をよろしく。)


(説得?)


 この案では皆、反対するだろう。しかし、これしか無いよなぁ。


「おい、グスタフ。」


 俺はグスタフに向かって声をかけた。


「何かね? お喋りの時間は終わったと言った筈だが?」


「ひとつ、賭けをしないか?」


「賭けだと? この状況で、何を賭けるというのだ?


「俺があんたに一騎打ちを挑んで、それで一太刀入れられるかどうか、さ。もしもあんたの身体のどこかに傷をつけることができたら、俺以外の全員を見逃してくれ。」


「ふむ、私を打ち負かすとは言わんのか?」


「そんな力があれば、賭けなんて持ち掛けない。悔しいが、実力差を鑑みれば、一太刀入るかどうかぐらいで釣り合いが取れているんじゃないか?」


 乗ってくれるか? この賭けはグスタフに一切メリットが無い。

 ただ、グスタフはバトルジャンキーだ。今もなお魔人の姿を取っていないのは、圧倒的有利な立場では面白くないからだろう。一通り俺たちと剣を交え、こちらの実力は理解している筈だ。粒が揃っていると言ってはいたが、満足しているようには見えない。


「……見逃すのは無理な相談だ。私も、遊びで来ているわけではないのでな。」


 やはり駄目か。


「しかし、そうだな……このまま戦い続けては、早々に絶望されそうだ。それではつまらん……分かった。お前の一太刀で1ヵ月間、手出しを控えてやることとしよう。」


 乗ってきた! だが、完全に見逃してもらうのは無理か……まあ、そりゃそうか。


「しかし、見逃す対象はお前以外の全員、と言ったな? お前自身は良いのか?」


「そこまで虫のいいことは言わないよ。」


 仲間だけで十分だ。

 1ヵ月で何がどうこうできる物ではないけど、皆で知恵を合わせてくれれば、何か打開策を用意できるだろう。フィーやノーネットの実家を頼るでもいい。とにかく、目の前に迫る死を一時的にでも遠ざけたい。

 それに、ルイスとカレンさんは再会したばかりだ。せめてもう少し、親子として過ごす時間があっても良いだろう。


「シンク!」


 フィーの声が聞こえる。


(ラグさん、皆の説得頼むよ。)


 自分自身では説得できる気がしない。


(……シンク。)


 ラグさんにしては珍しく迷いが見える。


(ラグさん、まるっきり勝ち目が無いわけじゃないんだ。)


 そう言って、俺はパンダパーカーの胸元を握る。そこには40層で変異種のボスから手に入れた、魔道具のネックレスが装備されていた。


(分かったわ……。)


 しばらくして、ベンノさんが「極級!? ……ならば我々は足手まといか。」と悔しそうに言っている声が聞こえてきた。ラグさんが説得してくれているようだ。


「話はついたかね?」


 グスタフはこちらの様子を見て、尋ねてきた。……律儀な奴だな。


「一騎打ちの最中に横合いから攻撃されるのは、心底鬱陶しいからな。わざわざそちらの思惑に乗ってやったのだ。話をつけてもらわねば困る。」


 もっともな言い分だ。


「フィー、皆、ここは俺に任せてくれ。」


「……シンクが全力でやるなら、確かに私たちは加わらない方がいいわね……悔しいけど。でも、死ぬのはダメよ。勝つと約束してくれるなら、黙って見守るわ。」


 もちろん、ただ死ぬつもりはない。本当に細い道だが、勝ち筋もわずかにある。


「……あぁ、分かった。そこで見ていてくれ。」


 俺は剣を抜いてグスタフに向け構える。


「待たせたな。」


「良い表情だ……命を懸ける男の顔だな。覚悟はあるということか。」


 正直、めちゃっくちゃ怖い。50年も生きたかもだが、やり残したことは多い。優しい両親や、素晴らしい仲間。死ねばそれらをすべて失うことになる。前世はともかく、この世界での15年の人生は素晴らしいものだった……失うのは惜しい。

 だが、ルイスに語ってきたことは嘘ではない。男は女を守るものだ。

 前世での子供時代は後悔でしかない。『子供だから……』そう自身に言い訳をし、ただ母親が殴られているのを見ていた。

 俺は薄々分かっていた。女が殴られている現場を見ると切れてしまうのは、何もできなかった子供時代を――そう、自分自身の無力さを見せつけられているようで、腹が立つからだ。

 しかし、この世界で散々戦う術を学んだ。チートと言ってもいいほどの能力を得た。

 それでいながら、自分より強い敵だから逃げますっていうんじゃ、あまりにも情けなさ過ぎるだろう。

 ここで逃げたら、母に暴力を振るっていた父親と同じになってしまうような気がする。何か辛いことがある度に現実から目を逸らし、押し寄せてくる不安を酒と暴力でごまかして生きていた父親と……!


 俺は大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。意識をグスタフに集中させる。


「さぁ、かかってきたまえ。」


 俺は詠唱しながら、縮地で突っ込み、切り結ぶ。


「ほぅ! 極級か!」


 嬉しそうなグスタフの声が聞こえる。……この様子ならしばらく、俺の実力を測るために遊んでくれそうだ。

 俺は極級で魔染した剣を全力で振るう。MPの残量なんて気にしない。”魔力圧縮”も使い、魔染の濃度を上げる。これで切り飛ばせれば楽なのだが、そこまで易い相手ではない。グスタフの剣も同様の魔染がなされているのか、剣を合わせてくる。

 瞬きをするような一瞬の間に数合、グスタフと切り結ぶ。剣撃の音が続けて鳴り響く。

 グスタフは守勢一方ではなく、まるで俺を試すかのように剣を振るってくる。ほんの僅かずつだが、一合ごとに剣速を上げてきている。


「どこまでついて来られるかな?」


 俺には一切余裕はないが、グスタフの表情には笑みすら浮かんでいる。

 徐々に勢いを上げるグスタフの攻撃に、俺は守勢に傾いていく。


「守ってばかりでは、一太刀入れることなどできんぞ?」


 お前が遊んでくれているおかげで詠唱は完成したよ。俺が唱えていたのは光術Lv1の”ライト”である。ただの明かりを灯すだけの魔術だ。そこに”魔力圧縮”を行い、強い光を生み出す。


「ライト!」


 グスタフは俺が何を詠唱していたか、当然読んでいたことだろう。”ライト”を普通に接近戦で使えば、目くらまし程度にしか役に立たない。極級の戦いにおいて、目で見て判断していては到底間に合わないのでほとんど意味のない魔術だ。俺が敢えてライトを使う理由を探すのに、意識の1割でも割いてくれればいいのだが。

 俺はライトをグスタフの真後ろに発生させた。


「ふむ?」


 怪訝な表情を浮かべるグスタフ。俺の狙いが読めないのだろう。

 俺は片手で剣を振りながら、グスタフの動きを牽制しつつ、スローイングダガーを投擲した。


極級アルティメット影縫いシャドウスナイプ!」


 弓術・極級Lv1の技を”技応用”スキルにてスローイングダガーに付与する。スローイングダガーが、”ライト”の魔術によって伸びたグスタフの影に突き刺さる。


「何!?」


 流石にこれは驚いたのだろう。スローイングダガーの対応に遅れが出た。

 通常”技応用”スキルを習得するものは複数武器を使いこなす者だ。複数武器を使いこなすということは修練もそれだけ分散する。当然、極級へ至る者はほとんどいないことだろう。ましてや複数武器を極級まで極める者など、ガチャでスキル引いてる俺くらいな筈だ。

 これで動きを完全に封じられる……とは勿論思っていない。だが、ほんの僅かだけでも対応に遅れが出れば、勝機はある。

 ”集魔”と”錬魔”のスキルを使い、スキル使用後の硬直をなくして次の攻撃へ移る。


極級アルティメット・千紫万紅!」


 単発の攻撃では透魔にて無効化される恐れがある。俺が出せる最大の乱撃技で勝負を決める!

 閃光のように剣戟が舞い飛ぶ。

 意識の外から不意を突いた攻撃、行動阻害、そして回避しようのない乱撃技。

 俺のアドバンテージであるスキルの多彩さを、最大限に生かした攻撃だ――!


「どうだ!」


 しかし、無数に迫る剣戟の中、俺にはグスタフが笑ったように見えた。


 シャカ―ン!


 グスタフによる剣の一振りにより、スキルによって生み出された剣戟は音を立ててあっさりと霧散した。


「な、何が?」


 動揺で、俺は思わずそう声を出していた。


「私以外の魔人だったならば、今の攻撃で倒せていただろう。」


 グスタフは静かに、愉快そうに告げる。


「スキルによる攻撃技というのは全て、魔素の作用による事象だ。発生元となる魔素を断てば、消滅するのが道理……尤も、その発生元を見極めることができるのは、私くらいのものだろうがな。」


 無傷で切り抜けやがった……なんちゅうめちゃくちゃな奴だ。


 極級連発によるスキル硬直も解け、体が動くようになった。それを待っていたかのように、グスタフは剣を構えた。


「さて、続きだ。」


「……もう、あんたを楽しませるネタが尽きたよ。」


「おや。では諦めるかね?」


「まさか。」


 諦めたらそこで試合終了だからな。

 次に仕掛けるのは、完全な命懸けだ。できればこの手段は使いたくなかった。失敗したらそのまま死ぬ。文字通り命を囮に使い、隙を作る作戦だ。

 40層で希少種のボスからドロップした魔道具、その名も『ミドリキノコのネックレス』。これは有名な魔道具らしく、冒険者ギルドに併設されていた資料室の書物から鑑定結果の確認ができた。

 鑑定結果による効果は「1機アップする」というもの。

「1機アップ」って何やねん!? って思ったが、詳細な説明が書いてあった。致死性の攻撃を受けても、1度だけ、即時に全回復で生き返ることができる魔道具らしい。

 そういえばファ〇コン時代、戦闘機を操るシューティングでも人間を操るアクションでも、復活できる回数が増えることを何故か統一して「1機アップ」って呼んでいたな。人間の残機が増えるってどういうこっちゃと当時は思ったものだ。まぁ、それは今はどうでもいいか……。

 パーティ内で特に防御力の低いルイスかノーネットが持っていたほうが良いと思ったのだが、奇襲を受けて大けがを負っても神聖術の使い手が無事なら立て直せる、という理由で俺が持つことになったのだ。


 この魔道具を活用し、グスタフの攻撃を直に受け、カウンターで一撃を与える。……もう、それしか思いつかない。

 ただ、あからさまにやってはダメだ。グスタフの豊富な戦闘経験のどこかで、「ミドリキノコのネックレス」を用いた特攻攻撃をされたことがあるかもしれない。

 そうと悟られぬよう、工夫する必要がある。

 そこで”透魔”を用いる。あくまで”透魔”のスキルを使い、失敗して当てが外れた体で攻撃を受け、ネックレスの力で復活した瞬間にカウンターを叩き込むのだ。

 俺が放つカウンターに対して、グスタフが”透魔”を使い回避することは考えなくていい。”透魔”はその性質上、攻撃している最中は使えない。何故なら、自身の存在を魔素的に希薄にし、魔素をすり抜けさせるのが”透魔”の原理だからだ。当然、武器の魔素も希薄になり、攻撃は意味をなさなくなる。武器に魔素を込めたままでは使えないスキルなのだ。


 この作戦の成功率を上げるためには、1度グスタフの攻撃を”透魔”を用いて回避してみせる必要がある。その方が、信憑性が増すからな。

 練習では成功したことがほとんどない”透魔”。どうしよう。成功する気が全くしない。


 ……気楽に行こう。1発目から失敗してもグスタフのことだ。俺がやりたかったことを見て勝手に理解してくることだろう。見せるだけなら、ワザとフェイントに引っかかって”透魔”してみせるのも良いかもしれないな。


「作戦は決まったかね?」


 まるで見透かしたように聞いてくるな。


「待たせて済まないな。」


「いや、お前は私をずいぶん楽しませてくれたからな。待つくらい、どうということはない……そういえば、名を知らなかったな。教えてくれないか?」


「俺の名前は、シンクだ。」


 ここで「冥土の土産に教えてやろう」とか言ったら、こっちが悪者みたいだな……と、くだらないことが頭を過ぎる。

 命のやり取りをしている割にそんなことを考える余裕がある自分に、少しだけ嬉しくなる。

 ……肩の力が抜けたな。やっぱシリアスに勝てるのはユーモアだけだよな。実際あるのかは知らないけど、”お笑い”ってスキルがあったら是非欲しいな。自分を鼓舞するのに使えそうだ。


「そうか。覚えておこう、シンクよ。」


 今度はこっちから仕掛けるとしよう。

 先ほどと同じように数合剣を合わせる。グスタフは俺が次に何をしてくるか観察しているようで、深追いはしてこない。さて、どうやって誘うか……そうだ、経験豊富ならばこの手が通じるかな?


「”宙に在りし、小さきもの、悠久の旅人よ、我が呼びかけに耳を傾けよ……”」


 俺はある魔術の詠唱を行った。グスタフが目を見開く。


「――な!! メテオスォームだと!?」


 お、知っていたか。流石にこの魔術を防ぐ手立てはあるまい。相手は隕石だしね。呼び寄せた後は魔素云々関係ないしね。


「その魔術を放てば、仲間もろとも死ぬぞ?」


 いやー、そうなんだけどね。それでも詠唱は止めない。だって、どの道このままじゃ全員死ぬじゃん? 先ほど、俺の攻撃を避けきった時の言い草だと、グスタフ以上に強い魔人はいないようだ。ならば、ここでグスタフを道連れにして死ぬことは、人類にとってプラスだろう。


「……ここはダンジョンの中層だ。隕石とて、ここまでは届くまい?」


 なら、そんなに焦らなくてもいい筈だよね? ダンジョン自体が多大なダメージを受ければ、ダンジョンは消滅してしまう。それに巻き込まれれば、グスタフだってタダでは済まないだろう。

 ……まぁ、どの道この詠唱はブラフなんですがね。発動に必要なMPぜんぜん足りないもの。


「ちっ!」


 グスタフは舌打ちをして俺に切り掛かってくる。お遊びは止めたようだ。先ほどより剣速が何段も早い。

 袈裟斬りの攻撃に詠唱を破棄し、”透魔”を使い回避を試みる……しかし、やはりぶっつけ本番の”透魔”は失敗した。


「ぐっ!」


 ばっさりと切り裂かれる。


「メテオスォームはブラフで、”透魔”を用いてのカウンターが本命か……。面白い作戦だったな。」


 何、面白いのはこれからだ。

 装備している「ミドリキノコのネックレス」が熱を発し、効果を表した。全快した身体で俺は、間髪入れずにグスタフの”核”に向けて突きを放つ。


「何!?」


 グスタフの反応が遅れた! 届け!!


 グサ


 俺の身体に衝撃が走る。見ると、左胸にグスタフの剣が生えていた。


(俺の、攻撃は?)


 薄れゆく意識の中、グスタフの胸にほんの僅か、さっきまでは無かった傷がついているのが見えた。

 そこから黒い靄が噴き出ている。


(あんだけ苦労しても、これっぽっちかよ。強いな……こいつは。)


 ここまでか……。


「約……束、……守れ……よ」


 喉元からせり上がってくる血を吐き出しながら、どうにかその言葉を絞り出して。



 俺は、死んだ。

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