第96話
■フェリクス視点 (ぽっちゃりさんのことです)
私の名前はフェリクス・ドラクア・シモンチーニ。エセキエル王国の公爵家嫡男である。
今現在、私を取り巻く環境は良いとは言えない。
私には2人の従者がいる。名をタッツとネソルという。
この2人、本来ならば信の置ける立場である筈なのだが、全く信用できない。
日頃から我が公爵家の権威を笠に威張り散らしているのもあるが、決定的な出来事が起きたのは騎士学校での最後の年、聖夜の日のことだ。
今思えば迂闊だったと言う他ないのだが……たまたま廊下で見かけた女子の容姿を、私が褒めたのが事の発端だ。
夜になり自室に戻ると、その女子が手足を紐で縛られた上に猿轡をされ、ベッドの上に転がっていた。何か強い薬でも使われたのか酩酊状態で、意識がはっきりとしていなかった。
タッツとネソルを問い詰めたところ、『本日は聖夜ですのでお楽しみください。フェリクス様の後は、私共にも使わせてもらえると嬉しいですなぁ。』と、のうのうと答えた。
それを聞いた私は頭を抱えた。この者達は婦女子を何と思っているのか。完全に物扱いだ。
まさか手を出す筈もないのだが、それでも一晩この部屋にいたという事実があれば憶測から噂がたち、この女子の名誉を傷つけることになるのは明らかである。
(どうするべきか?)
頭を悩ませていると、アイルーン家のフィーリア殿とその従者カッツェ殿、そしてミロワール家のノーネット殿が、部屋へ押し入ってきた。
3人はタッツとネソルをあっと言う間にボコボコにすると、次は主犯だと、弁明の余地も与えず私を縛り上げた。まぁ、この状況では釈明も何もあったものじゃない。
3人は私を学校の正門に吊るし上げた上で衣服を切り刻み、真っ裸にして放置した。いや、何故か靴下だけは残されたのだったな……この時は「そこまでするか?」と思ったものだが、結果としてはこれで良かった。
私の醜態が学校中に広まったことで、その女子に対する噂がほとんど出なかったのだ。
公爵の嫡男が素っ裸で正門にぶら下がっている以上にインパクトがある事柄は、そうそう無いだろうからな。
私への所業も、自身の従者の手綱をしっかり握れていなかった責任を取らされたと思えば、腹を立てる道理もない。むしろ、巻き込んだ女子の名誉を守ってくれたことに感謝の念を抱く程だ。
ところが、私としては終いのつもりでも、話はそこで終わらなかった。タッツとネソルは自身の行いを棚上げした上で、3人の行動の不当性を私の父にぶちまけたのだ。あろうことか、父はろくに真偽を確かめることなくその主張を受け入れ、アイルーン家とミロワール家へ抗議し、両家の領内での人事権を得てしまった。
どう考えても行き過ぎた行動だ……だが、残念ながら今に始まったことではない。違和感はずっとあった。
ある時を境に、父は変わってしまったのだ。
私が6歳になる頃までの父は、厳格だが優しい人であった。その父ならば今回の件についても厳粛に私を罰し、両家に抗議などせず、謝罪と共に感謝をしていたことであろう。
そう、あれは教会によるドラゴン討伐がなされた年だった。ドラゴン討伐という偉業に興奮したので、良く覚えている。討伐の内容は……あれな物だったが。
程なくして教団から父に、その討伐で手に入ったという、白い輝きを放つオーブが送られてきた。
父はそれを書斎に飾っていた。父の行動にどこか違和感を覚えるようになったのは、その頃からだったように思う。
それまで親交の深かった名門の貴族達とは急に縁を切り、全く別の……悪い噂の耐えない貴族達と付き合うようになっていた。
私の従者となる者達が、タッツとネソルに変わったのもこの頃だ。それまでは聡明で明るく、元気な友と一緒に過ごしていた。
父の変わりようは酷く、それまで些細な言い合いすら見せることのなかった父と母が、毎日のように意見を違え言い争うようになった。父の行いを諌めようとする母に対し、父が冷たくあしらい、取り合おうとしないことが主な原因だ。
やがて、父と王との不仲も問題になり始めた。
父は王の弟だ。公爵という身分は、王の直系が当主を務める。公爵は自前の兵力――騎士団を持つことができない。というのも、今の王が即位するに際して兄弟間で血なまぐさい争いが起こり、内乱にまで発展しそうになったのだ。その経緯から、王以外の王族は兵力を持つことが禁じられた。
公爵家に唯一ある特権が、『王にどのような進言をしても罪に問われない』というものだ。公爵家に求められる役割は、判断を誤った王を諌め、王を補佐すること……それなのに、冷静に諌めるべき公爵が、誤った道を王に提示する。まるで王国に混乱が起きることを望んでいるかのような……そんな言動を、繰り返し始めたのだ。
これ以上王家の諍いが表面化することを嫌う王は、父をあからさまに遠ざけるようなことはしていない。しかし、父は王に不満を持つ一部の貴族を抱き込み、派閥を作って水面下で拡げている。
今や私の父は、王国を揺るがす火種となってしまったのだ。
騎士学校を卒業して家に戻ると、屋敷から母の姿が消えていた。執事が言うには、病気で療養中だという。見舞いに行くため場所を聞くと、父しか所在を知らないらしい。
妙に思いながらも父に母の所在を尋ねたのだが、どういうわけか一向に教えてもらえない。そしてある日、私は父から呼び出しを受けた。
「カテジナは重い病気にかかっている。今の医学では、どうにも手の施しようがないそうだ。」
その言いようからは全く愛情が感じられず、まるで母が赤の他人かのように聞こえた。
「……母上に、会わせて頂けませんか? 」
「会って何とする?」
私はその言葉に絶句してまった。身内が重い病気にかかっているならば、せめて見舞いたいと思うのは当然のことだろう。
「それより、フェリクスよ。カテジナの治療には、アムリタが必要とのことだ。」
「アムリタ、ですか?」
唐突に、伝説の霊薬の話になった。父が何を言いたいのか分からない。
「うむ。ギョンダーにあるダンジョンの50層で、稀に手に入るそうだ。お前は自由騎士となり、そのアムリタを取ってくるのだ。」
「は!?」
余りに唐突な物言いに、私は驚きの声を上げた。
「何を驚いている。お前はカテジナを救いたくないのか?」
「……本当に母上は、ご病気なのですか?」
「そうだと言っている。明後日までに準備を整え、ギョンダーへ出発せよ。」
父は有無を言わさず、一方的にそう告げたのだった。
「ギョンダーへはこの者を連れて行け。名をムンドという。道中はムンドの指示に従え。」
紹介されたのは執事の格好をした、カイゼル髭の男だった。
「よろしくお願いします。フェリクス様。」
ムンドは無表情に言うと、慇懃に礼をしたのだった。
この後、王都からギョンダーへ旅をした。この旅がまた一苦労であった。タッツとネソルが事あるごとに愚痴を言う。やれ歩きたくないだの、宿屋の格が低いだの、携帯食は食べたくないだの……一向に旅が進まない。
どうにかこうにかギョンダーに到着すれば、今度はダンジョンに入るための講習を受けたくないと言う。何とか受けさせれば、最終試験に不合格となる始末。この程度の試験に合格しないとは、騎士学校で何を学んでいたのやら……信じたくなかったが、成績を金で買っていたという話は事実だったようだ。別にタッツとネソルの言動を信じていたわけではない。栄えある騎士学校で不正がまかり通っていたという事実を、信じたくなかったのだ。
ギョンダーに着いてしばらくすると、「部位欠損や不治の病を治せる術師が治療院を開業する」という噂が出回ってきた。にわかには信じ難い話だが、調べてみるとフィーリア殿と一緒にいたシンクという冒険者がその術師であるという。実際に治療を受けたという者も多く、不治の病すら治療できるというのは間違いないようだった。
「アムリタを探さずとも、彼に母上の治療を頼めば良いのではないか?」
「……いけませんな。『アムリタを入手せよ』というのが、公爵様からの指示でございます。」
「結果が変わらないのであれば、問題無いであろう!」
「……仮にあの者の協力を得られたとして、どこに連れて行くというのですか? 母君の居場所はお分かりで?」
「……。」
父から聞き出すのは恐らく不可能だろう。アムリタの入手も『母の治療のため』と言っていたが、本当のところはどうだか怪しい。そもそも母は生きているのだろうか? そんな疑念すらも晴らせずにいる。
「しかし、ムンド殿。とりあえず連れて帰れば、公爵様もお喜びになるのではないですかな? あのような有益な人材は、アイルーン家ではなく、シモンチーニ公爵家にこそ相応しいというもの。」
「そうですなぁ。きっとあのシンクとかいう者も、公爵家からの誘いとなれば感涙し、伏して感謝を述べるというものですぞぉ。」
一向に試験に合格する様子を見せないタッツとネソルが、自分たちの楽な方へと誘導する意見を言う。
「――なりませんな。公爵様の指示は絶対です。」
「「ヒッ!」」
ギロリと睨みながら、ムンドは殺気すら含んだ声で2人を威圧する。
……どうあっても我らをダンジョンに向かわせたいようだな。しかし、目的は何なんだ? アムリタの筈がない。ましてや、母の治療の訳がない。
「50年以上の長きに渡り、誰も持ち帰ったことの無いというアムリタ……次期当主となるフェリクス様がその身を挺して手に入れたとなれば、シモンチーニ公爵家の名も更に上がりましょう。」
ムンドのその言葉で、ようやく合点が言った。
……公爵家の跡取りが売名のためにダンジョンに挑み、無謀な試みの果てに死亡する。
後腐れなく私を処分することが目的……という訳か。おそらく王都では、私が自発的に旅に出たことになっているのだろう。
「病床の母君のためにも、フェリクス様には頑張って頂かなければ。」
ここで母を出すということは、母は人質……というわけか。
今は言うことを聞き、従いながらチャンスを待つしかない……か。王都から遠く離れたこの地では、私には助けを求めるあてがない。
一瞬、フィーリア殿の顔が浮かぶ。いや、彼女は伯爵家の大切な跡取りだ。公爵家の揉め事に巻き込むわけにはいかない。それに助けを求めようにも、フィーリア殿との関係は最悪だ……しかし今、頼れるのはフィーリア殿達だけだ。
それにしても、狙いが私の命だとしても疑問が残る。私を殺したところで何の益がある? すぐに思い浮かぶのは王位継承権だ。しかし、私の継承順位はそこそこ高いものの、王には今年成人する王子と12歳になる姫がいる。余程のことが起きない限り、私にまで回ってくることは無い。
それとも、私の次に王子や姫を狙うのか? 王家そのものが狙い? ……駄目だ、まだ判断材料が足りない。今は情報を引き出すしかない。
「50層を目指すには、我らの戦力では心もとない。何人か雇うべきだ。」
「……良いでしょう。確かに戦力は不足しております。ですが、アムリタの入手が目的ですのでな。入手できても権利を主張しない者を集めることとしましょう。」
50層を目指せる強者で、アムリタの一切の権利を放棄した上で、面倒な自由騎士の供をしてくれる冒険者など存在するとは思えない。だが、それで募集するしかない。
「これを頼む。」
私は冒険者ギルドの自由騎士専用カウンターで、パーティメンバーを募集する依頼書を出した。その時、受付だけに見えるように、もう一枚封書を忍ばせた。
「あの……。」
その封書について質問しようとする受付にだけに見えるよう、人差し指を口に当てて、黙るようジェスチャーをする。封書の表には私の名と、『私のパーティがダンジョンに入ったことを確認した後にこの封書を開封してほしい』という文章が書かれている。
「ダンジョンに潜るために、人員を募集したい。」
「は、はい。かしこまりました。」
「フェリクス様は、シモンチーニ公爵家の手足となり働く栄誉を下々の者に分け与えてくださったのだ。光栄に思うが良いぞ」
未だ試験に合格できないくせに、タッツはそのような言い方をする。……はぁ、只でさえ期待薄だというのに、同行者がこんな調子では尚更集まらないな。
3か月が過ぎ、タッツとネソルがようやくダンジョン講習の試験に合格できた頃(冒険者ギルド側が根負けしたようにも思える)。意外なことに2名もの応募があった。
1人は斥候だという細身で背の高い男。もう1人は後衛の魔術師という、スタッフを持った小柄な女だ。2人ともローブのフードを目深にかぶって口元を布で覆っているため、ほとんど顔つきも年齢も分からない。
何とも怪しい人物が応募してきたものだ。まさか、と思いムンドの様子を盗み見たが、訝しげな顔をしながら2人を品定めするよう眺めている。どうやらムンドの仕込みである線は薄そうだ。
あの条件に合意するということは、名だたる実力者ということはないだろう。優秀な冒険者ならば引く手あまたなのだから、わざわざこんな劣悪な条件で雇われる必要性はない。しかし、この際贅沢は言っていられない。生きて50層を攻略するためには、1人でも多くの協力が必要だ。
ダンジョンに入り、攻略を開始する。予想に反して、2人は非常に優秀だった。
斥候の男はまるでダンジョンを知り尽くしているかのごとく、迷いの無い足取りで進んでいく。罠は的確に解除し、モンスターとの遭遇も最小限に留め、次の階へ続く階段へ導いてくれた。
魔術師の女は水の魔術を駆使し、遠距離から確実に敵を倒していく。ペース配分が的確なのか、連続して魔術を使用しているというのにMP切れを起こす様子も無い。
そろそろ30層へ到達するといったところまで来ても、男と女以外は私を含め戦闘に一切参加していない。
しかし、いつものごとくタッツとネソルが大いに足を引っ張っている。体力が持たないのかすぐにへばり、休憩する時間が増え、ここまで到達するのに3日ほど掛かってしまった。
さすがに中層――31層からは私も戦闘に参加した。これでも一応、剣術は天級なのだ。幼き日より研鑽を続けた結果だ。31層ならばまだ私でも十分相手ができる。
タッツとネソルは地級にも達していない。装備こそ高価なものを身にまとっているが、まるで生かせていない。タッツはモンスターが近づくとめちゃくちゃにレイピアを振り回しているし、ネソルは集中を乱し、何度も詠唱を途切れさせている。その度に斥候の男がいつの間にか近づき2人をフォローしてくれているので何とか死なずに着いてこられている、といった状況だ。
35層――オーガ3体のボスを、斥候と魔術師を中心にどうにか討伐した。
タッツとネソルの様子を見ると、息も絶え絶えで顔色も悪い。
(これ以上進むのは無理だな。)
私が撤退を提案しようとしたとき、不意にムンドの呟きが聞こえた。
「……中層まで来たことだ。この辺りで良いか。」
「?」
私がムンドの呟きを訝しんでいると、ムンドはどこからともなく、真っ黒な刀身の剣を取り出した。そして、まるで雑草でも刈り取るような気楽さで、タッツの首を刎ねていた。
首を切り落とされたタッツの血が、近くにいたネソルに降りかかる。
「……え?」
うまく現状を認識できないのか、ネソルは呆けたような声を出し固まっている。
ムンドはタッツの首を切り落とした黒い剣をネソルの首にあてた。
「全員、動くな。」
「な、何をしている!」
私はようやくムンドに対してそれだけを絞りだした。私を殺すつもりであろうことは理解していた。しかしそれはモンスターにさせるものだと思っていた。ここで仲違いしては、斥候の男と魔術師の女も敵に回すことになる。
斥候の男と魔術師の女は、既にムンドに対し身構えている。2人が実力者なのは道中で証明済みだ。2人は恐らく天級の実力者だろう。私を含めて天級3人を1度に相手取ることが、ムンドの利になるとはとても思えない。
「どういうつもりだ、ムンド。」
「フェリクス様。ひとつお伺いしたいことがあるのですが、よろしいですかな?」
見ていると不愉快になる慇懃無礼な態度で、小さくお辞儀をして聞いてくる。
「何だ? 何が聞きたい?」
「禁足地へ入るための『鍵』をお持ちではないですかな? もしくは、誰が所持しているかをご存じではないですかな?」
「「!?」」
ムンドの言葉に斥候の男と魔術師の女がピクリと反応したのを横目に捉えながら、その問いの意味を考える。
禁足地とは、王家が守護する一帯を指す。王都からほど近い位置にあるが、そこに立ち入ることは勿論、近づくことすら禁じられている。
禁足地の中心には、ドーム状の強力な結界が張られた場所があるという。周辺は壁に囲われ、砦もあるそうだ。近衛騎士が常駐し、守護していると聞いている。
そこへ入るための鍵……? 考えられるとすれば、結界を解除するために必要な何かのことだろうか?
「禁足地は何人たりとも侵入の許されない場所と聞いている。無論、鍵とやらの存在も、所在も知らない。」
「ふぅ……まぁ、そうでしょうな。公爵すら何も知りませんでした。元からさして期待はしておりませんでしたが、無駄足を踏まされたと実感するとやはり腹が立ちますな。」
ムンドの体が黒い靄に覆われていく。そして靄が晴れたとき、そこにはのっぺりとした真っ黒な肌を持つ、人型の存在がいた。――これは!?
「魔人!!」
■シンク視点
9年前と同じ高レベルモンスターの異常発生も、収束しつつある。
ギョンダーを中心とした周辺は魔道具を使った緊急連絡網が整備されているようで、初動が早かったため大して被害もないようだ。
俺達のパーティはギョンダーの防衛と、負傷者の治療を任されている。……俺にフラフラ出歩かれると重症者をどこに運んだらいいか分からなくなるので、待機しておいてほしいと言われたのだ。
というわけで、俺達パーティ一同は現在、治療院としている東屋で待機中だ。
「そういえばルイス。両親の行方について、何か情報はあったのか?」
ルイスが冒険者ギルドへ調査依頼を出したのは、俺達がギョンダーに到着した日だった。もう3ヶ月以上経過しているのだから、そろそろ何かしらの回答があっても良い筈だろう。
「あぁ、それね。えーっと……。」
「どうした? 言い辛そうだな。」
「調査結果はもう届いてるんだけど、さ。」
そう言って、手荷物から書類を取り出した。
「えっとね、パリ―……お父さんの名前ね。パリ―は、指輪発送の手続きと同じ日に、死亡報告が出ているって。」
「え……死亡?」
「うん。まぁ、覚悟はしていたんだけどね。12年も連絡が無かったんだし。」
そう言いつつも、落ち込んだように俯く。
「ルイス……。」
カッツェが慰めるように、ルイスの肩に手を置いている。
「それで、続きだけどね。カレン……お母さんだけど、『カレン本人によって、バリーの死亡報告及び指輪発送の手続きがなされた』って書いてあった。それで、その後のカレンの、冒険者として活動した記録は無いんだって。」
「じゃ、母さんの方は生きてるってことか?」
「そうみたいだね。……どこで何をしているのかは、分からないけど。」
ルイスは目を伏せて、少し悲しそうな表情をしている。
「「「う~ん……」」」
調査結果が来たけど言い出せなかったのは、この結果だったからか。
旦那が死んで村に帰り辛くなったのか、それとも借金取りにでも追われているとか、何か犯罪に巻き込まれたとか……いろいろ憶測は頭の中を巡るが、このタイミングで口に出すのは憚られるな。
重い空気を断ち切ったのは、フィーの言葉だった。
「引き続き、ルイス君のお母さんを捜しましょうか。どんな理由があったかなんて、ここで推測してたって意味ないもの。捜し出して、本人の口から聞きましょう。」
皆、それぞれ頷く。今後どの辺りをどう捜すかについて議論していると、冒険者ギルドの人がやってきた。
「フィーリア様、こちらにいらっしゃいますか?」
「はい、私です。どうしましたか?」
「これを……。」
そう言って、ギルドの人はフィーリアに封書を手渡した。封書は開封済みのようだ。
フィーは封書の表に書かれた文字列を見ると、すぐに中から手紙を取り出し、読み始めた。
「……うん? う~ん??」
手紙を読み進めるにつれて、眉間に皺を寄せ、眉を八の字に曲げて唸り出した。
「どうしたんだ、フィー?」
「いや、フェリクスからの手紙なんだけど、ちょっと意味が分からなくて……。」
「あいつからの手紙ですか? そんなの無視で良いのでは?」
「いや、それがね……ノーネットも、ちょっとこれ読んでみて。」
「どれどれ……うん? これ、本当なのですかね? フェリクスが命を狙われているって。あと公爵がおかしい……ですか。これはまぁ、噂で知ってましたけど……でも最後の『母を助けてほしい』って、肝心の居場所が分からないんじゃ、私達にはどうすることもできないじゃないですか。」
「フェリクスの母親って確か……、えーっと、カテジナ様だっけ? 」
「確かそのような名前でしたね。」
横から聞いていた2人の会話に突然、覚えのある名前が登場した。……うん? あれ? それって……。
「なぁ、そのカテジナ様って、こう、ふくよかな体型の人? そして目が優しい……」
俺はフィーとノーネットの会話に割って入り、俺がモイミールで会ったカテジナ様の特徴を伝える。
「そうよ。」
「その人、俺、知ってるかも……。」
「「え!?」」
俺たちはギルド職員さんを残し、東屋の端っこへ移動した。そして俺がモイミールでやった、カテジナ様の治療の話をした。
「強力な呪い……ですか。手紙には『不治の病だと聞かされた上で居場所を教えてもらえない』とありました。……もしかするとこれは、公爵本人も居場所を知らないのかも知れませんね。そのうえで、事実を隠して、フェリクスをギョンダーまで誘導している……?」
「カテジナ様は自ら身を隠したんじゃないかしら? それで公爵が焦って呪いをかけて、暗殺しようとした……。」
「なぁ、カテジナ様は公爵夫人なんだよな? どうして旦那である公爵が暗殺しようとするんだ?」
「うーん。噂だけど、夫婦仲は最悪らしいのよね。公爵はずいぶん前から何かと悪い噂の絶えない人で、カテジナ様はその公爵を諫めようとしている、って聞いたことがあるわ。」
「……だからって、暗殺するか?」
「そこに関しては何とも……もしかしたら何か、公爵にとって都合の悪い事実を知ってしまったんじゃないかしら?」
フィーは困った顔をして頭を掻いている。
「事実として、カテジナ様は呪われていたんでしょ? そうなるとフェリクスの手紙の信憑性が増すわ。手紙には『母を助けてほしい』としかなかったけど……。」
そうとしか書かれてはいないが、フェリクスはかなり危険な立場にいるようだな。
「俺はフェリクスを助けに行く方に1票だ。カテジナ様と面識もあるし、ほんの僅か話した程度だが、取り巻き連中はともかくあいつ自身は悪い奴じゃなさそうだったしな。」
カテジナ様が……あのほんわりとした可愛らしい人が悲しむのは、見たくないしな。
「……そう言われてみると、取り巻きと揉めたことは沢山あるけど、フェリクス本人から何かされたり、言われたことは無い……わね。」
「……そうだな、フィー様。私も無い。」「確かにありませんね。」
「よし! 助けに行きましょう。助け出した後に、公爵家で何が起きているのか詳しい話を聞くってことで。皆、それでいいかしら?」
一同からは反対の声は出ず、方針は決まった。
「あいつらがダンジョンに入ったのは今日、ってことよね? だいたい何時くらい?」
フィーはまだ残っていたギルド職員の人に向かって言った。
「その、フィーリア様。フェリクス様一行がダンジョンに入ったのは、3日ほど前になります。」
「え?」
「誠に申し訳ありません。そちらの封書の表にありますように、フェリクス様一行がダンジョンに入ったらすぐにフィーリア様に手紙を渡すよう指示があったのですが、何分、ダンジョンに入られた直後にモンスターの異常発生が起きておりまして、担当の者もそちらの対応に掛かりきりになり、お手紙をお渡しするのが今になってしまいました。」
そうだった。俺たちも今、まさにそのモンスターの異常発生の対応のためにここで待機していんだった。
「あ~、それなら仕方ないわね。皆、すぐ準備して出発するわよ。」
俺たちは一度冒険者ギルドへ行き、事情を説明した。そして、東屋での待機を解除してもらい、ダンジョンへ向かった。
ダンジョンの入口にいた冒険者ギルドの職員に話を聞いたところ、今ダンジョン内にいる人間はフェリクスの一行だけらしい、他の人はダンジョンから戻り次第、異常発生の対応にあたっているとのこと。
それならば都合がいい。”気配察知”を全開にして、人だと思われる反応がフェリクス一行だと断言できる。
俺たちは最短距離を突き進み、ドロップ品すら無視しながら、フェリクス一行が目指しているであろう50層に向かった。
■フェリクス視点
ムンドが魔人!? ムンドを供につけたのは父だ。そして今、目の前で見せられたように、魔人には人に化ける能力があるようだ。すると父は魔人と通じていた……いや、とって代わられていたということか!?
「フェリクス殿! お下がりください!」
確か名前をベンノといったか。斥候の男が、魔人と私の間に入り武器を身構えた。魔術師の女――カレンも同じようにして、私を魔人から守るように立つ。
「待て、そいつは魔人だ! 魔人と知らずムンドを連れてきてしまったのは、こちらの不手際だ。お前たち2人が戦う必要はない。早くここから逃げてくれ。奴の狙いはこの私だ。」
短い間だが、さんざん世話になった。できれば何とか無事に戻り、魔人出現の報を冒険者ギルドへと届けてほしい。
「愚かですねぇ、フェリクス様……誰も逃がすわけないでしょう?」
ムンドはそう告げ、赤く裂けた口をにやりと歪めると、今度はネソルの首を刎ねた。
「ひぐぅ!」
空気が漏れ出るような声がネソルから聞こえた。宙を飛んだ首は、狙ったように私の足元へ転がってくる。ネソルの顔は恐怖に歪み、涙と鼻水と血で汚れていた。
「く!?」
動揺を、こみ上げる怒りが呑み込む。タッツとネソルの2人とは考え方が違い、折り合うことは無かった。それでも、6歳の頃から一緒に過ごしてきたのだ。さすがに情はある。
ムンドは剣を振り刃に残った血を払うと、もう動かないネソルの体を脇に蹴り飛ばした。
「人間風情を相手取るのに、人質など不要。所詮はフェリクス様から情報を聞き出すための駒でしたが、結局最後まで何の役にも立たないゴミでしたな……フェリクス様も、そう思うでしょう?」
「貴様――ッ!!」
タッツ、ネソル、例え敵わなくとも一矢報いてやる! 見ていてくれ。
しかし、前に出ようとする私にベンノが片手を出し、制止をかけた。
「カレン!」
ベンノが短く、カレンを呼ぶ。カレンはその言葉に小さく頷き返した。
2人は纏うローブの肩口を掴み、バサリと一気に脱ぎ捨てた。
ローブの下から現れたのは、30代中頃の無精髭を生やした男性と、20代前半くらいの綺麗な女性だ。女性の髪は柔らかな桃色をしている。2人とも制服のような揃いの姿だ。どこか軍服を思わせる、丈の長い特徴的な上着とズボン姿……紋章院の者が身に着ける制服だ。
ただ、紋章院のそれは黒地に赤の装飾が入ったものだが、2人が着ているものは青地に白い装飾だ。
「我ら、エセキエル王国紋章院執行部、魔人討伐局の者です。どうかご安心を。」
カレンは私を振り返り、ニコリとしながらそう言った。
執行部魔人討伐局……聞いたことのない名の部署だ。いや、噂だけはあった。魔人に対抗するための組織がある、と。
「魔人討伐? 人間はできもしない虚言をよく口にしますが、私がこれまで聞いた中で最大の妄言ですな。妄言といえど、蚊虫の羽音程度に不快ですが。」
ムンドはこちらへ向けてゆっくりと歩き出す。
ベンノはムンドに向かって駆け出し、両手に持った短剣を閃かせた。
キィィィン
ベンノの短剣はムンドに届く前に、壁のような物に弾かれた。
「天級・ウォーターバレット!」
カレンから放たれた水弾がムンドに迫る。しかし、同じように壁に阻まれ、霧散した。
「無駄無駄無駄ぁ! 無駄ですよ。そのような攻撃、我ら魔人には効きません。」
ムンドはいやらしく笑いながら、近くにいるベンノを歯牙にもかけぬとばかり、私に向かってゆっくりと近づいてくる。
ベンノはいったん距離を取り、こちらへ戻ってきた。
「カレン、やるぞ。」
「分かったわ。」
カレンが何やら詠唱を始める。するとカレンの右手が青白く輝きだした。輝いているのは文様だ。
「精霊召喚!」
カレンがそう叫ぶと、何か見えないものが場に現れたように感じた。精霊召喚……もしや精霊を呼び出したのか!? しかし、私には精霊の姿をとらえる術はない。
突然肌に強い冷気を感じ、周囲の温度が一気に下がったのだけは分かった。
「精霊術師だと!?」
ムンドが驚きの声を上げる。
「精霊さん、お願いね。」
そう言いながら、カレンが手を振るう。するとどこからか氷の槍が現れ、ムンドに迫る。
「ちっ!」
ムンドは舌打ちをしながら、氷の槍を避ける。先ほどまでは敢えて攻撃を受け、無力化していたが、そのような余裕の見える態度ではない。
ムンドはカレンの存在を危険と感じたのか、排除すべく私からカレンへと標的を変えた。
「させんよ。」
ムンドとカレンの間にベンノが割って入る。
「そのような武器で私の攻撃を受けられると思うな!」
ムンドがベンノに向け、剣を振るう。
ガキン!
ムンドの剣はベンノの短剣により、がっちりと受け止められていた。
「バカな、私の剣はミスリル程度なら容易く切り裂くというのに! くっ……何なんだ、その短剣は!?」
ベンノが先ほどまで両手に持っていた武器は、ミスリル製の短剣に見えた。しかし今、右手で黒い刃を受けているのは別の短剣だ。煌めいて見えるのは明かりの反射ではない。神々しいまでの輝きを、短剣自体が放っている。
「分からないか?」
ベンノは軽い驚きを見せながら、隙ができているムンドの剣を弾き、右手の短剣を閃かせる。
短剣は先ほどまでと違い、弾かれることなく、ムンドの左手を切り落とした。
「まさか――神鋼だと!?」
「天級の技では、魔人に傷を付けられないのは知っている。しかし、武器が神鋼製なら話は別だ。」
目を見開き動きを止めたムンドへ、横合いからカレンの氷の槍が迫る。
「くそ!」
ムンドは氷の槍を剣で払いながら、大きく距離を取った。
「思い上がるなよ人間! 条件が五分になっただけだ。下級魔人ならいざ知らず、上級魔人である私がそれだけで倒れると思うな!」
ムンドとベンノ・カレンの戦闘は激しさを増した。お互いに目まぐるしく立ち位置を変える。ムンドは言葉通り、2対1にも関わらず優勢に進めている。先ほど切り落とされた筈の左手はいつの間にか元に戻っていた。
ムンドはベンノと切り結びながら、時折、牽制のように魔力の塊をカレンに向けて放っている。
(このままでは不味い。)
ムンドは多少の傷を受けても動きを阻害されることはないが、人間はそうはいかない。僅かな傷からでも血は流れ、体力を奪われていく。細かい傷も重なれば、それだけで失血死することもある。
「ベンノ、時間を稼いでくれる?」
「分かった。任せておけ。」
カレンの呼びかけにベンノは答えると、一層激しくムンドへ切りかかる。その分、隙も大きくなり、ベンノは細かい傷が増えていった。
一方、カレンは目を閉じ、集中していた。
「お願い、力を貸して、『ヒムロ』!!」
その瞬間、カレンの全身が青白く光り輝いた。
カレンからとてつもない迫力を感じる。小柄な女性であるカレンが、妙に大きく見えた。
カレンが何気なく手を振るう。
それに合わせてベンノがムンドから飛びのくと同時に、ムンドがあっと言う間に氷漬けとなった。
まるで氷の彫像のようになったムンド。しかし、それで倒せたわけではないらしい。
ピキッピキッっと音を立て、徐々に氷を内側から砕こうとしている。
「これで終いだ。天級・
ベンノの姿がかき消えたと認識する間もなく、ムンドの背後に現れていた。それと同時に、神鋼の短剣が音もなくムンドの首を刈り取っていた。
ムンドは声を発することもなく魔素となり、消えていった。
■シンク視点
俺達は強行軍の末、その日の内に何とか35層のボス部屋までたどり着いた。そこには首を刈り取られたらしい、恐らくフェリクスの取り巻き達であろう2つの死体と、剣を持ったフェリクス……そして他に、見知らぬ2人の姿があった。配色と細部こそ記憶と違うが、2人とも紋章院の制服のような衣服を着ている。
1人は30代半ばくらいの無精髭の男。そして、振り返ったもう1人は……
「る、ルイス!?」
そこにはピンク色の髪をした、ルイスそっくりな女性がいた。
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