第95話

 足袋の売り上げが伸びるには、時間がかかるだろうと考えていた。

 それほど高価でなく、利便性の高い物だから売れるのは確信していたが、何分、知名度ゼロからのスタートだからな。品質さえ間違いないものを作り続けて気長に構えていれば、そのうち徐々に人気が出てくるだろうと踏んでいた。


 手始めにギョンダーにある商業ギルドと冒険者ギルド内の売店で細々と売って、実際に使ってもらい、価値を見出した人達から口コミでゆっくり需要が広がっていく……そういう流れを想定していたのだが、トビアスの親父さんは俺の想像を遥かに超えて影響力のある人だったらしい。


「理事が肝いりで始めたという新事業の商品はこれか……」「成る程。地味だが、これは非常に有用ですな。」


 商人の間で瞬く間に噂は広まり、たちまち作った端から売れていくようになった。

 3ヶ月目に突入した工場もフル稼働で、連日残業となってしまった。その影響で、工場終了後に行われていた冒険者講習は、朝の早い時間から行うこととなった。

 労働時間が増え、不満が出るか?と思っていたが、残業によって賃金が増えることに皆喜んでいる。冒険者講習も、寧ろ朝一番のほうが内容がしっかり頭に入るらしく意外と好評で、受講者の数も少し増えたようだ。

 そんな感じで、俺は工場メインで忙しく立ち回っていたのであった。


 ■3人称 海底神殿


 海底に沈む神殿……その最奥の部屋で、人とドラゴンが対峙している。

 人は、煌びやかな鎧を纏った壮年の男だ。わずかに反った片刃のロングソードを両手で構えている。

 ドラゴンは蛇のような、細長い形状をしている。しかし、その大きさは異常だ。胴体は大木の幹のように太く、更にそれを幾重にも折り重ねている。全長が果たしてどれほどのものか、窺い知るには難しい。


 青く輝く鱗で全身を覆うドラゴンは、ゆらゆらと海水の中に巨体を浮かべていた。そう、この部屋には海水が満ちているのだ。それにも関わらず、相対する男はまるで地上にいるかのごとく、平らな床石の上に立っている。


『……ここまでたどり着かれるとは。』


「魔素でなく地形を利用した罠や仕掛けには、随分と手を煩わされた……よもやこの私が冒険者の真似事をさせられるとはな。手下共は既に倒した。最早、お前を守る者はいない。」


『魔人めが、封印は解かせんぞ!』


「ふっ、来るがいい。女神の生み出した封印を守護せしドラゴンの力、見せてみよ!」」


 ドラゴンは長大な体をぐるんっと回し尻尾を振るう。床を激しく削りながら、それらの瓦礫と共に男に迫る。

 男は慌てる様子もなく、瓦礫のひとつひとつを見極め、丁寧に避けた。瓦礫の陰から間近に迫ってきた尻尾も、難なく飛び越えて見せた。

 男は避けながら、極めて軽い――傍目に力を一切感じさせない、自然な動きで剣を振るった。

 ドラゴンは思った。『その程度の剣では鱗に弾かれ、自分が傷つくことはない』と。しかし、その見込みは間違っていた。鱗に弾かれると思われた剣はあっさりと振り抜かれ、鱗を切り裂き、ドラゴンの尻尾を僅かに傷つけた。


『ば、馬鹿な!?』


「強靭な身体に頼るあまり、隙が多い。油断しているな。そんな調子では勝ってもつまらん――本気で来い!」


 かく言う男も、まだ本気を出している様子はない。男が既に本気であったならば、尻尾は綺麗に切り飛ばされていただろう。


(迂闊に近づくのは危険だ。)


 ドラゴンは男から距離を取り、ブレスを放つため魔力を練る。ドラゴンはブレスに絶対の自信を持っていた。

 一度放たれれば、全てを薙ぎ払う威力がある。間一髪で躱せたとしても、余波に巻き込まれ、ひとたまりもないであろう……と。


『食らうがいい!!』


 全てを切り裂く閃光が、ドラゴンの口より放たれた! 

 男は悠然と構えており、目の前に閃光が迫っても、回避する素振りすら見せない。そのまま、ブレスに飲み込まれたように見えた。


『口ほどにも無い奴め。』


「……貴様こそ、封印の守護者とは思えないほど愚鈍だな。」


『何!?』


 失望の色を隠さない声に、ドラゴンは驚愕し目を見開いた。ブレスに呑まれたと思っていた相手が、自分の顔の真横にいる――!!


「当たったかどうかも察知できないとはな。無為に魔力を込めたが故、場がブレスの魔力で満たされ、私の気配を追えなくなったのだ。」


 男はまたもや無造作に剣を横に振るう。剣はドラゴンの鱗を易々と切り裂き、首に浅く傷をつけた。


『!?』


 ……今、男が本気だったならば首を刎ねられ、自分は死んでいた。そう自覚せざるを得ない攻撃であった。

 ドラゴンは慌てて男から距離を取った。そして今度は魔力の塊を幾重にも浮かべ、男に撃ち込み始めた。決して近づかず、男から目を離さないように注意しながら攻撃を加える。決して1ヶ所に留まらないよう、男を中心に弧を描くように移動し、男の死角に入り込もうとする。


「そうだ。それでいい。」


 男は絶えず飛んでくる魔力の塊を軽々と避けている。ドラゴンがどう攻めてくるか、楽しんでいるようだ。


『くっ……これならどうだ!』


 ドラゴンは魔力の塊を男に向けて一気に放った。一直線に飛ぶ魔力の塊が男に迫り、今にも当たるかと思われた瞬間。魔力の塊は急に角度を変えて、男の足元の床へと着弾した。


「ふむ?」


 衝撃で足元が崩れ、男は大きく体勢を崩す。


『今だ!』


 ドラゴンはその隙を最大の好機と捉え、最大の攻撃力を誇る牙の一撃を加えるべく、一気に躍り出た。

 まさに噛み付かんとしたその時、男が笑っているのが見えた。


「ふっ、こんな簡単な誘いに乗ってくるようでは……どれだけ強大な力を持っていようと、意味がないな。」


 体勢を崩し、ドラゴンの攻撃に最早なす術が尽きたようにも見えた男だったが、いつの間にか剣を横に構えていた。そう――男の体勢は、端から崩れてなどいなかったのだ。


「これ以上戦ったところで、得られるものはあるまい。終いにさせてもらうぞ、封印を守護せしドラゴンよ。」


 そう告げると、男は何の気概もなく軽く剣を振るう。


『そのような攻撃で”龍の障壁”を破ることなど――』


 ドラゴンは先ほど尻尾を傷つけられた時とは違い、全ての攻撃を弾くと言われている”龍の障壁”を展開していた。しかし――


「確かに”龍の障壁”は堅牢だ。だが、決して破れぬわけではない。」


 男の振るった剣が”龍の障壁”とぶつかる。弾かれる筈の剣は障壁をものともせず――いや、最初からそこに何も存在しないかのように、真っ直ぐに振り降ろされた。


『――バカな!! 魔人が”龍殺斬ドラグ・スレイヤー”だと!?』


「断っておくが、”龍殺斬ドラグ・スレイヤー”ではない……大仰な魔力を練らずとも、この程度のことは実現可能なのだ。」


 ドラゴンの首が、ゆっくりと傾いていく。


『……女神様……申し訳ありません。』


 ドラゴンは魔素となり、消えていった。


「ドラゴンは期待した程ではなかったが、神殿の攻略には予定外の時間を取られてしまったな。……次はギョンダーへ赴き、アイルーン家の小娘を狩るのであったか。」


 男は広間の柱の間から北……ギョンダーの方角を見上げ、目を細めた。


「モイミールで魔人を倒したという実力者……その力が如何ほどのものか、楽しみにしておくとしよう。」


 ■シンク視点


「これは……。」


 唐突に、不気味なほど薄暗くなった空を見上げ、俺は思わず呟いた。

 今日は休日である。ここ最近はずっと工場運営ばかりしていたので、久しぶりにモンスターの討伐でも行おうと、パーティ一同で冒険者ギルドを目指して歩いているところだ。


「さっきまで良い天気だったのに、どうしたのかしらね?」


「フィー様、何だかとても嫌な予感がするよ。気をつけた方がいいかもしれない。」


 カッツェの勘はよく当たる。

 俺達は情報を求め、足早に冒険者ギルドを目指した。


「西の村から応援要請!」「集められるだけ冒険者を集めろ!」「東方面、討伐隊出発しました!」


 冒険者ギルドに入ると、怒号が飛び交っていた。一体何事だ?


「おう、お前らか。」


 俺達に話しかけてきたのは、オーバンさんとパーティを組んでいる盾役のグレッグさんだ。


「これは何の騒ぎですかね?」


「何だ? 招集を聞いて来たんじゃないのか?」


「別の用事でここへ来たんですが、招集ってどういうことですか?」


「あれはそう……9年前だったか。強いモンスターが唐突に、各地で一斉に現れたことがあったんだが、どうもその時と同じ事象が発生しているらしい。」


「え!? 9年前の!!」


 グレッグさんの言葉に強く反応したのはルイスだ。


「どうしよう、シンク! バン達、大丈夫かな?」


「う~ん……一応、俺の両親に手紙を出した時に『ルイスの村の自警団連中も気に掛けてほしい』って伝えたから、俺の両親がルイスの村に行ってるんじゃないかと思うんだけどな。」


 あの両親のことだ。きっと張り切ってバン達の指導をしていることだろう。


「ルイス君、9年前の件はアイルーン家としても痛恨の出来事だったの。あの件を踏まえて、騎士団としても体制を整えたから安心して。」


 フィーは自信があると言わんばかりに、得意気に笑うのであった。


 ■バン視点


「アルバさん、モンスターが来やがった! 偵察の話じゃ、Lv20のダークウルフやベジタリアンベアーがいるらしい。」


 俺は自警団の詰所にいるアルバさんに声をかけた。

 アルバさんは最近村にやってきた、元冒険者だ。聞けば何とシンクさんの父親だという。シンクさんから手紙で、俺達を鍛えてほしいと頼まれたらしいのだ。


「そうか……9年前の再来だな。よし! 事前に決めた手筈通りに、自警団員は住民を村長の家へ誘導。その後は防衛戦だ。」


 アルバさんはシンクさんがやり残したこと、特に異常事態への対応方法を重点的に教えてくれた。その一環として、9年前のようなことが再び起きた場合も想定し、対応を決めていたのだ。


「バンちゃん、焦らず落ち着いて動けば大丈夫よ。それに、私達がついているんだもの。シンクちゃんの弟子は誰も死なせやしないわ。」


 シンクさんの母親のセリアさん。この人は『シンクちゃんの弟子だから』と、謎の理由で俺達自警団員をちゃん付けで呼んでいる。何度お願いしてもその呼び方をやめてもらえなかったので、皆、仕方なく受け入れている。

 セリアさんは毎日、俺達の両親の名が刻まれている英雄の碑へ行き、今日の俺達がどうだったか報告している。まるでそこに俺達の両親がいるかのように話し掛けている。「何故そんなことをするのか?」と聞くと……


「あなた達は両親を失って辛かったでしょうけど、きっとご両親も、立派に成長したあなた達を見ることができなくて辛いと思うの。だからせめて、私が見たことだけでも伝えてあげたくて。」


 と教えてくれた。……セリアさんはちょっと変わってはいるが、本当に良い人だと思う。

 セリアさんの行動に感化されたのか、自然と俺達も英雄の碑に向かって、「おはよう、親父、おふくろ」とか、「ただいま」とか言うようになっていた。

 セリアさんもかなり高レベルな神聖術の使い手だ。この2人がいるので人的被害はそれほど心配していない。だが……。


「モンスターは積極的に畑を荒らしたりはしないが、進路にあれば踏み荒らされる。そっちも守りたいところなんだが、人数が少ないからな、畑までは手が回らねぇ。今は迫ってくるモンスターへ集中しよう。」


 アルバさんの言葉に頷く。頭では分かっているが、感情的には辛い。せっかくここまで復興したのだ。荒らされたくない。


 住民の避難が完了し、村長の家で守りを固める。

 しばらくすると、遠くで戦闘音が聞こえてきた。誰かが戦っている? まさか、旅人や行商人がモンスターに襲われているのか?


「アルバさん!」


 アルバさんは目を閉じ、音を聞き取るのに集中しているようだ。


「……馬のいななき、……金属鎧の音、……統率が取れた指示。これはひょっとすると……バン! 全部守れるかもしれないぞ?」


「守れる、ですか?」


 俺が疑問を口にするや否や、仲間の見張り役から注意を促す声が飛んだ。


「前方から急速に接近する気配がある!」


「あれは……?」


 前方を注意して見ていると、馬に乗った甲冑姿の騎士の一団が現れた。数は12人程だろうか。

 村の入り口まで馬を走らせていたが、そこからは先頭の騎士だけ馬を降り、歩きながらこちらへ近づいてきた。


「貴殿らは、この村の自警団とお見受けするが?」


「そうですが……あなた方は?」


 俺が自警団を代表し、答えると、甲冑の騎士は頷き、声を上げた。


「アイルーン領を守る騎士団の者だ。村の防備は引き継ごう。諸君らも避難してくれ。」


「ずいぶんとお早いですな。この村の近くに強いモンスターが出たと判明したのは、つい先ほどなのですが」


 アルバさんが心底感心した風に言う。確かに早過ぎる。


「9年前と同じ兆候が、領内の各地で発生している。最初の報告を受けた直後から、既に動いていたのでな。」


 成る程、それでこれだけ早いのか。


「騎士団としても、9年前の出来事は痛恨の極みであった。守るべき領地を、領民を、モンスターに蹂躙されたのだからな。同じ轍は踏まん。特にこの村については最近、マンティコアの出現を見逃すという失態を犯したばかりだ。我々はアイルーン伯より、一切の被害も許さない、と厳命されていてな。間に合ったようで、ほっとしている。」


 騎士は少しおどけた風に言った。


「どうにか……フィーリア様より早く到着できたようだな。マンティコアの件では、自由騎士をなさっているフィーリア様が先にこの村へいらしたそうじゃないか。その事がアイルーン伯に伝わってからというもの、騎士団の訓練量がそれまでの倍になったんだ。今回、遅れをとるようなことがあったら、今度は3倍にされてしまいかねないからな……。」


 間に合うって、そっちかよ!

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