第94話
後日、工場で働く希望者に治療を行った。皆一様に喜んでくれたものの、これからの生活に若干の不安があるように見えた。今までとは大きく生活環境が変わるのだから、無理もないか。
ラキは治療を終えると、物珍しそうに手を動かしながら感触を確かめていた。何でも、物心つく頃には既に隻腕だったので、両手が揃っているのは初めての経験らしい。治った手をしきりに眺めては「へぇ~」だの「はぁ~」だの言っている。
「兄ちゃん、両手があるって凄く便利だね! ほら、紐も簡単に結べるよ!」
ラキは凄く嬉しそうな顔で報告してくれた。その表情を見て、これまでの苦労が実った気がした。頑張った甲斐があったというものだ。だが、ここで工場がこけたら何にもならない。引き続き頑張ろう。
工場の従業員となった人達を、工場2階の居住スペースに案内する。手前にある扉を開けて、6畳ほどの部屋を見てもらいながら説明する。
「1人1部屋で、ユニットバスに、ベッドとタンスがひとつずつ付いています。タンスには従業員用の制服が入っています。工場で作業する際は、必ずそれを着用してください。」
制服といっても、無地の普段着だ。安価で素材の色そのまんまだが、しっかりした作りの丈夫な服だ。同じく安物だが、コートも1着ずつ支給している。冬も間近だし寒いからね。
家族がいる人は申し訳ないが、1部屋に全員押し込んでいる。その場合、二段ベッドを用意したりと工夫させてもらった。服は人数分用意したけどね。
「……なぜ、制服の支給を?」
尋ねながらもトビアスは「どうせ儲けのためだろう?」って顔している。いや、そうなんだけどさ。
「察しの通りだ。清潔な衣服で作業してもらわないと、商品が汚れるだろう?」
「ということは、各部屋にシャワーが付いているのも?」
「服だけ清潔でも仕方ないだろう? それに、不潔だと病気の元だからな。病気が蔓延したら働き手がなくなるだろう? そしたら工場止まっちゃうじゃないか。」
「本当に、お金儲けを目指すと人のためになるんだな……。」
トビアスは呆れたような感心したような顔をしている。
「あともうひとつ、狙いがある。」
「狙い?」
「治安の安定のためだ。いいか、人間ってのは『衣食足りて礼節を知る』生き物だ。お腹が空いて飢えていれば攻撃的になるし、ボロを纏っていると心も下を向く。何も持っていない人間は犯罪に走りやすい。失う物が無いからな。しかし、こうやって人間らしさを手に入れれば、それを手放してまで犯罪を犯そうなんて普通は思わなくなるものだ。」
また、きちんと食事と睡眠をとることで感情のコントロールはしやすくなる。それらを充実させ、刹那的な行動に走らせないことも大事だ。
「成る程! そんな狙いも――」
「治安の安定を図れればそれだけ警邏に回す予算を抑制できるし、安全なら外出もしやすい。まあ、外出すればお金を使う機会が増えるって寸法で、結局お金儲けには繋がるんだけどな。」
「……。」
トビアスはともかく、従業員達は大変喜んでくれた。
「こんなに良い場所に住めるのか!」「新品の服なんて、何年振りだろう……!」
そんな声が聞こえる。
「皆さん聞いてください。この工場で作業するときは清潔にしてほしいので、必ず毎日シャワーを浴びてください。あと、屋上に洗濯場があります。そこには共用の洗剤も用意していますので、可能な限りこまめに洗濯するようお願いします。」
「「「はい!」」」
「次は食堂に案内しますね~。」
俺達は居住スペースに隣接している食堂へとやってきた。
「ここでは毎日3食提供します。ただし、メニューは選べないし、おかわりもできません。不足する人は屋台村へ行って食べるようにしてください。」
「毎日食べられるだけでありがたいよ。」「もう残飯を漁らなくていいのか……」
……皆、結構酷い生活してきたんだな。
ここで扱う食事は、古くなってにおいの強くなった食材を、風味のきつい香草でごまかしたものが主になる。食べられなくもないが、あまり美味しくもない。外の屋台村は店ごとに味が極端に分かれているが、それも素材の味を誤魔化すべく、安い辛みや香草を大量に使っているためだ。
……正直、これで満足してもらっては困る。ちょっと言っておくか。
「えーっとですね、確かにここでの生活は、スラムでのそれより格段に良いでしょう。しかし、普通の人はこれよりも更に良い生活をしています。できれば、皆さんには上を目指してほしいです。」
「「「上?」」」
「ここで働けば、最低限の衣食住と仕事は手に入ります。しかし、本当に最低限です。もっともっと良い暮らしがあります。ここで働きながらスキルを身につけて、より賃金の良い仕事に就き、良い生活ができるよう頑張ってください。」
「「「う~ん……」」」
……皆、「良い生活」のビジョンがまったく思い浮かばない、という顔をしているな。
「簡単に言うと、ここの食事はあんまり美味しくないし量が少ないので、毎日、美味しいものをお腹いっぱい食べられる生活になるよう、頑張ってくださいってことです。あと、屋台村で出す酒は安酒で、これもあまり美味しくないです。毎日、美味しいお酒が飲めるようなりましょう。」
「「「成る程!」」」
理解を得られたようだ。やはり具体的な事例を挙げると分かりやすいよね。
「この工場で優秀な成績を出した人は、外部のもっと賃金の良い職場への斡旋も行う予定です。良い仕事をすればさらに上を目指せますので、頑張りましょう。」
「「「はい!」」」
トビアスが近づいてきて、俺だけに聞こえるように小さな声で質問してきた。
「なぁ、優秀な人材を他に渡しちゃったら勿体なくないか? せっかくこの工場で育てるのに。」
「それは確かにそうだ。しかしな、そもそもこの場所の意味合いが、最下層からステップアップするための場所なんだ。まず、スラムに落ちるような状況になった人を救済し、ここで働いてもらう。しかし、その先がないんじゃ、また腐っちゃうかもしれないだろう?」
人間は幸せにはあっという間に慣れるからな。周囲と比較して、自分が劣っていると実感したら不幸に思うものだ。スラムにいる間はそんなことを考えている余裕は無かっただろう。しかし、ここは衣食住が安定しているし、そこそこ暇な時間もできる。そうなると、どうしても一般と比較して差を意識してしまうだろう。
「う~ん……。」
トビアスにはまだよく分からんようだな。
「ちょっと例えが違うかもしれないが、トビアスは妹が怪我をしてどう思った? 不幸になったと思わなかったか?」
「……思った。」
「例えば、アムリタや神聖術Lv9の”再生”なんて術がなく、ずーっと妹さんがあのままで、治療の当てが一切ないとしたらどうだ? トビアスは、今も不幸だったか?」
「そりゃ勿論、不幸だったな。」
「毎日、美味しいものを食べて、いい服も着て、あんなにでかい屋敷に住めているのに?」
「……。」
「なぜ不幸と思ったか。それは『過去の自分』と比べて、だろう? もしも、その『過去の自分』の状態に2度と戻れなかったとしたら、腐らなかったか? 」
「……少なくとも、笑う余裕は無かっただろうな。無気力になっていたかもしれないし、逆に自暴自棄になって、無軌道なことをしたかもしれない。」
「そういうことだな。しばらくすれば、ここの生活にも不満が出てくるだろう。その時に、上を目指す指針があると無いとでは大きく違う。だから、人材を手放すのは勿体ないけど、この制度は必須だと思うんだ。」
ちなみにトビアスの親父さんには、既にこの話を通してある。布の扱い方や針仕事を活かせる服飾関係で、斡旋できそうな職場を探してみると言ってくれた。そしてもうひとつ、気になることを呟いていたな。
「君の作る工場は色々と斬新だな。同じ体制で、付加価値の高いもの……そう、一般衣類を作るための工場を建てれば……。」
足袋のような小物なら俺でも何とかなるが、一般衣類となると俺の手には余る。そうやって上位の受け皿を用意してもらえるのは非常に助かるな。そんな工場ができれば、基本を知っているうちの従業員は非常に役に立つことだろう。
さて、従業員も揃ったので、工場の始動へ向けて準備開始である。
最初は稼働率を10%まで落として生産を行う。この工場では1日に足袋を240セット生産する能力で計算しているから、10%まで落とすということは1日の生産は24セットになる。スピードは重視せず丁寧に進めながら、とにかく作業に慣れてもらうことを意識する。
ちなみに、従業員の配置にはラグさんの力を借りた。……人の適性を測る能力なんて、俺には無かった。
実際に工場を稼働させたことによって、小さな問題が山のように浮彫になっていく。それらを日々潰していきながら、少しずつ稼働率は上がっていった。当初の1ヶ月で50%まで持って行ければと思っていたが、何と70%の稼働率を出してくれた。皆、やる気は十分だ。
その間フィー達はというと、リズをはじめとした従業員の子供達の面倒を見てくれたり、工場の終業後、希望者に冒険者の手ほどきをしてくれていた。
ラキはそれに毎日参加し、熱心に教えを受けていた。話を聞いてみると、冒険者になってみたいのだとか。
リズ達の面倒を見る人員はすぐにでも必要だな……それにラキのように、冒険者の技能を得たい従業員に教えられる人も探してみるか。この世界では、戦う技術は必須だからな。
居住スペースにはまだ余裕がある。工場の生産とは直接関係しない、福利厚生の部門としてとりあえず募集をかけてみたら、案外あっさりと人が集まった。子供達の面倒は、工場作業は辛いと従業員の応募を諦めていた年配の女性達が見てくれることになり、冒険者技術の方は、イリダルを始めとする、スラムから冒険者に戻った人達が持ち回りで担当してくれることになった。
こうして順調に1ヶ月が経過し、2ヶ月目に差し掛かった時、複数の従業員からこんな申し出を受けた。
「週6日間働きたい?」
「休みは週に1日で十分だ。」「どうせ暇だし、できれば働いて稼ぎたい。」
そう進言してきたのは、いかにも体力が有り余っていそうな若い男達だった。
「確かに、この街の他の工場では週6日間が基本だからな……どうする、シンク?」
トビアスが俺に判断を仰ぐ。
「余計に発生した材料損失の分は、賃金から引く。それでも構わなければ、やっていいよ。」
俺はそう告げて許可を出し、改めて希望者を募って、週6日働きたい人達と、元々の週5日働きたい人達の2つに生産ラインを分けた。
そして1ヵ月が過ぎ、生産ライン毎に結果を確認してみると、どちらも稼ぎは変わらない……いや、むしろ週6日働いていた方が、稼ぎが若干悪くなっていた。
「これは……まさか、シンクはこの結果を最初から予測していたのか?」
結果をまとめた表を見ながら、トビアスが驚きを隠さず尋ねてきた。
「知識としては知っていたけどね。実際に試してみたのは初めてだ。」
「でも、どうしてこうなるんだ?」
「普通に考えれば、週6日働く方が儲かるだろう。生産数が1日ぶん多くなるんだから、それだけ工場も儲かる筈だ。」
「そうだよな。そうなる筈だよな?」
「――しかしな。疲れって、1日ではなかなか回復しないものなんだ。疲労が溜まると、その分ミスが増える。ミスが増えれば、使えなくなる材料も増える。その材料は捨てるしかないから、損失となる。」
身体はともかく、気疲れとかは一日じゃなぁ。
無理して工場動かしてゴミを作っては意味がない。それに、ミスすれば報告書やら何やら余計な仕事も一気に増えるからな。
「本来は、ミスして出た損失を従業員に補填させるなんてやってはいけない。だから、ダメになった材料も工場が負担することになる。多く人件費を払って、材料費も余計にかかった結果、儲けが出なくなるんだよ。」
この工場は人件費をかなり安く設定しているぶん、材料費の方が比重が大きい。僅かな材料の損失でも、薄利多売の経営には影響が大きいのだ。
2日間休みがあると暇な時間もできる。そうなると外出し、お金を使うというわけだ。社会全体が儲かる仕組みとして週休二日制はある。本来は「1日休養、1日教養」といって、勉強すべきなんだろうけどね。
こうして、「1日余分に働いて、結果儲からない」という事実を目に見える形で示されて以降、誰も週6日働きたいと言わなくなったのであった。
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