第92話
「”再生”」
今は、トビアスの妹さん、ナタリーの治療中だ。
聞いていた通り、右腕は肘から先がなく、顔には酷い火傷の跡があった。これは年頃の娘さんには辛かろう。
実際、ナタリーは頬はこけ、目の下に濃い隈があった。恐らく、ろくに食事や睡眠をとれていなかったのだろう。無理もない。もし自分がこの立場で、治療のあてもない状況だったなら、将来への不安に押し潰されてしまうだろうな。
……部位欠損といえば、俺が前世で事故を起こし、大怪我をさせてしまったトラックの運ちゃんだ。俺はこっちの世界で15年やってきたわけだが……トラックの運ちゃんが救われるだけのカルマ値は、捧げられているのだろうか? 俺がカルマ値を捧げれば捧げるほど幸せになる筈なのだから、これからも頑張らないといけないな。あっちじゃどれだけ幸運があろうと……脚が生えてくることは、決して無いんだ。
「本当に、ありがとうございます。ああ、何とお礼を言ったら良いのでしょう……。」
治療を終え、治った姿を確認したナタリーは、涙ぐみながら礼を言ってくれた。
「いや、治療費はしっかり頂いているのだし、礼は不要ですよ。どうしてもというならば、俺をここに連れてきたトビアスと、オリバーに伝えてやってください。」
「兄さんとオリバーさん?」
不思議そうな顔をするナタリーに、俺がここへ来ることになった経緯を、掻い摘んで説明する。
「――オリバーさんが!? 分かりました。オリバーさんに、改めてしっかりとお礼をしたいと思います。」
事情を知ったナタリーの頭の中からは、トビアスの存在が消え失せてしまったようだ。まぁ、自分のために危険なダンジョンへ挑戦して大怪我をしたとあっては、身内よりも気掛かりだろうが、それだけではなさそうだな。ナタリーは頬を赤く染め、オリバーの名前を小さく呟いている。
妹のような存在から惚れられる……羨ましい話だ。イーナに「無いわぁ」と一蹴された俺としては、どうやったらそんな風になれるのか、ぜひともオリバーに尋ねてみたい。
数日後、俺はスラムにほど近い場所の、東屋のような建物にいた。建物の壁は胸の辺りまでしかなく、外から中が丸見えだ。そこには俺達のパーティに加え、トビアス、オリバー、ナタリーの3人もいる。この東屋が、俺の治療を行う場所だ。
この数日の間にトビアスの親父さんを介し、布告を出してもらった。部位欠損や、不治の病を治療できる術師がギョンダーにて開業する……といったものだ。その布告には1回の治療費、費用は治療成功時にしか発生しないこと、治療費が払えない者に対する借用制度……そして仕事が無い者向けに、新設する工場での労働を斡旋する旨や、労働環境など併せて載せてもらった。
貸した治療費の回収が困難になった場合は、債権が商業ギルドへ売却されることも書かれている。つまり、キチンと借金を返済しない人の債権は、俺が商業ギルドへ二束三文で売却し、商業ギルドが債権者になるのである。この世界で商業ギルドを敵に回したら、逃げ切るのは非常に難しい。手配書が出回れば、商店から一切の物を購入できなくなる。つまり、治療が成功しても、真っ当に生きられなくなるのである。普通に借金を返済していった方が何倍もマシなのだ。
トビアスとオリバーがここにいる理由は、商業ギルドからの出向者として治療成功の可否判断をするためだ。2人とも親から手伝うよう言われたそうで、ナタリーはその付き添いである。そのため、今日は3人とも商業ギルドの制服を着用している。
「兄ちゃん達、何をやってるの?」
患者を待っているとラキとリズが通りがかり、俺たちに疑問をぶつけてきた。
「商業ギルドからの布告、聞いてないか? 部位欠損や不治の病を治せる術師が治療院を開業する、ってやつ。」
「知ってるけどさ……まさか、兄ちゃん達が?」
「あぁ、そうだぞ。表に看板も出ているだろう? 何を隠そう、俺がその術師なんだ。」
「えぇ……。」
驚くかと思いきや、ラキは何か汚いものでも見るような目で俺を見る。
「兄ちゃん達のことは信じてたのに……まさか詐欺師の仲間だったなんて!」
「いや詐欺師って、商業ギルド公認なんだよ? 詐欺師のわけがないだろう?」
「商業ギルドを騙すなんて、とんでもないことだよ!」
『部位欠損や不治の病を治療できる』よりも、『商業ギルドが騙されている』方が信ぴょう性がある、ってことだな。ラキと俺のやり取りを遠目に眺めている人達からも「やはり詐欺師……」「商業ギルドもグルなのか?」といった声が聞こえてくる。
この街には元より、アムリタ詐欺師が多くいたっていうからな。それも相まって、信頼性を下げているんだろう。
「邪魔するぜ。」
俺とラキが揉めていると、大柄の男が2人、入ってきた。片方は術師なのか杖を持っており、もう片方の人物は……両腕が無い。
「失くした腕をここで治療できる、と聞いたのだが?」
杖を持った男は、俺達を睨むようにして尋ねてきた。
「えぇ、できますよ。」
「嘘じゃないんだろうな?」
杖を持った男は言外に『嘘だったらタダではおかない』と匂わせ、殺気すら隠さない。かなりのプレッシャーを感じる。相当な実力者みたいだな。
「おい! あれ、極級のオーバンじゃないか?」「おお、本当だ! 本人だ!」「……すると、腕が無いほうは盾役の、鉄壁のグレッグか。」と話す声が耳に届いた。東屋を覗き込む視線が増えていく。
オーバンという名は、俺達も基礎講習で聞いている。何層だったか数字は忘れたが、現時点で踏破済みである最下層に最初に到達し、攻略したという冒険者の筈だ。極級か……それならこのプレッシャーも頷ける。
杖の男も腕の無い男も、俺を信用して訪れたようには全く見えない。それでも来たということは、本当に、藁にも縋る思いなのだろう。
「勿論、嘘ではありません。それに……嘘かどうかは、すぐに判断して頂けるかと。」
そう言って、俺は両腕の無い男――グレッグさんを見た。
「……あぁ、そうだな。治療はすぐに始められるのか?」
「本来であれば先に、成功時に治療費を払うという誓約書に記入してもらうのですが、どうやらあなたは有名人のようですし、証人も大勢いますから今回は結構です。今すぐ治療しましょう。」
支払い能力が無い……ことはない筈だ。高めではあるが、一般人でも決して支払いが不可能な額ではないから、極級冒険者なら余裕だろう。思わぬ有名人の登場で、いい感じに注目を浴びている。グレッグさんとやらの治療に成功すれば良い宣伝になるし、目の前で治療を行えば、流石のラキも信じてくれるだろう。
グレッグさんに寝台で横になってもらい、詠唱を始める。
グレッグさんの体が浮き、周りを光の環が回り始める。その神秘的な光景を、周囲の人が固唾を飲んで見守っているのがわかる。
この魔術は『何かが起きる――』と、そう思わずにはいられないエフェクトをしているからな。
「”再生”」
術が発動し、グレッグさんの欠損部分に眩い光が集まり、鐘の音が鳴り響く。光が収まり、両腕の治療が完了した。グレッグさんの上体を支えて起こし、寝台に腰かけてもらう。
「はい、終了しました。トビアスとオリバー……えーっと、商業ギルドの方に治療完了の証人になってもらいます。」
「失礼します……治療完了、確認しました。」
俺の言葉を受けたトビアスが、グレッグさんの前に立ち確認を行った。
それにしても、グレッグさんからもオーバンさんからも反応が無い。表情を窺うと、2人とも目を見開き、固まっていた。周囲もシーンと静まり返っている。ラキとリズを見ると、こちらも微動だにしていない。
「治った……。」
これは誰の呟きだっただろうか? 静まり返ったこの場所でよく響いた。「おい、治ったぞ」「治っている?」「手が、生えた……」水面に投げられた小石が波紋を広げるように、呟きは治療が成功した事実を伝え、次々と人々の目を覚まさせていく。
固まっていたグレッグさんも動きだした。感触を確かめるように腕を回し、両手を開いたり握ったりしている。
「治った……。両手がある……、あるぞ!!」
グレッグさんがそう叫び、両拳を掲げた。それに呼応するように、ワーッと爆発したような歓声が上がる。「凄い! 凄いぞ!」「嘘じゃなかったんだ!」「本当に治っているぞ!!」壁の向こうから覗いていた人達から、次々と驚きの声が発せられている。
「アハハハ! 治ったぞ! 凄い! 凄いなお前は!」
「ありがとう! ありがとう!」
そして俺は今、感極まったオーバンさんとグレッグさんから熱いハグを頂戴している。……ハグされているというか、プロレス技のベアハッグを左右から食らっているというか。
「か、感謝の気持ちは分かりましたから、は、離して……おおお折れる……!」
流石は現在のダンジョン探索のレコードホルダーと言うべきか、途轍もない力だった……。
次からは、マリユスとカッツェに護ってもらいながら治療しよう。解放されてもなおミシミシと痛む肩をさすりながら、俺は固く誓ったのだった。
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