第20話

 初めてモンスターを見るが、これは明らかに異常な生物だ。まず、目だ。人間のように白目の中に瞳孔があるのではなく、黒紫の炎のような揺らめきが見え、その中に瞳孔のような黒い点がある。放っている気配がいかにも禍々しい。そこにあるだけで恐怖をばら撒いているような威圧を感じる。


 外見はパンダっぽいので思わず突っ込みを入れてしまったが、まったくの別物だ。爪や牙は鋭く大きい。それらは高い殺傷能力を有していることを示している。モンスターから感じるのは殺意。ただ人間を殺すことだけを考えているように感じた。


 明らかに格上だ。逃げるにしてもイーナを抱えながらになる。追いつかれる公算が高い。


「シンク、ここは俺が相手するから、お前はイーナを抱えて逃げろ。」


 ヒロはそう言って、イーナを俺の前に下ろした。分かる。それが一番、俺とイーナの生き残る確率が高い。それは分かるのだが、この事態を招いたのは明らかに俺のミスだ。イーナから目を離したのもそうであるが、”隠密”を解除せずにそのままイーナを抱えて安全圏まで退避すればよかったのだ。俺が残るならともかく、ヒロを残して逃げるなんて出来るわけがない。


「ヒロ、俺も残る。お前を置いてはいけないよ。俺には神聖魔術があるから、回復役に徹すれば生き残る可能性が上がるはずだ。」


「シンク、あいつはおそらく20レベル半ばのモンスターだ。一撃食らうとお陀仏かもしれない。回復は意味が無い。逃げてくれ。」


 ヒロのレベルは確か10とちょっとのはずだ。20レベル半ばか……、ヒロで一撃持たないかもしれないなら、俺なら確実に即死コースだな。ヒロが言っていることは正しい。俺がイーナを連れて逃げれば、二人は助かる可能性がある。帰りに別のモンスターに出くわす可能性もあるが”隠密”を発動し、”暗視”で視界を確保しながら、”気配察知”で敵を避ければ助かるだろう。しかし……しかしだ。ヒロのような優秀で未来のある若者をここで死なせていいのかと聞かれたら、例え戦う力が無い前世の俺だったとしても、断じて容認できない話だ。


 ヒロのことは最初、レンファさんに似た脳筋だと思っていた。性格はすごく似ている。しかし、単純な脳筋ではなかった。ヒロは真の天才だった。大抵のことは一度聞いて理解し、覚える。モンスターの種類を言い当てることが出来たのも、ギースさんの書斎にあった図鑑なりなんなりを読んでいたのだろう。ギースさんは最初、レンファさんという前例があったために同じ存在と考えて、理解力が乏しいのかと勘違いしていたが、ヒロ本人は一度聞けばわかることを何で何度も言ってくるんだ? と疑問に思っていたそうな。逆に真意がわからず曖昧な返事になっていたとか。


 魔術を選ばず、格闘術をやっているのも本人なりの理由があるらしい。「父さんに魔術をやれって言われたから格闘術をやっている」とのことだ。意味が分からないので、もうちょっと噛み砕いてもらったところ、「魔術を知るためには、おそらく、格闘術を極める方が近道だ。大地の力の流れ、天の在り方を感じ、それが混じり極に至る。それらを身を以って体感しないとたぶん魔術は理解できない。」俺にはちんぷんかんぷんだったが、ギースさんは感じるものがあったのか、それからはヒロには何も言わずにやりたいようにやらせている。そしてなぜかギースさんが時折子供たちに交じり、格闘術の練習をするようになっていた。


 そんなヒロが下した冷静な戦力判断。俺は頭で理解しても、やはり動けないでいた。


「逃げろ!」


 ヒロはもう一度叫び、モンスターに跳びかかっていった。俺たち全員が固まった状態でいれば、突進攻撃など避けきれない。勢いのままに軽くローキックを入れたヒロが、モンスターの真ん前で構える。


「ガァッ!」


 モンスターが短く唸りながら、丸太のように太い腕を振り回す。速い!! 視認できるがとんでもない速度だ。ヒロはその攻撃を避けながら、決して懐には入らず、腕や足を攻撃し続けている。ヒロならモンスターの死角に回りこむことも出来るだろうが、それをしていない。モンスターの正面の位置をキープし、攻撃をかわす瞬間に僅かに反撃しているに留めている。モンスターの注意を惹きつけ、俺たちを逃がそうとしているのだ。モンスターは確かに速いが、ほんの僅かだけ、ヒロに分があるように見える。


 俺はヒールをいつでも発動できるように詠唱を終えた。そしてモンスターの動きを”行動観察”で見続けた。ヒロが負傷したら俺が前に出るしかない。レンファさんが言った通り、それほど攻撃の種類は無さそうだ。片方ずつの手によるひっかき、口による噛みつき、吠えながら覆いかぶさる動作からの両手攻撃。モンスターの動きは”行動観察”と”回避”の両方を合わせれば、俺でもギリギリ避けられるかどうかに見える。


 俺が逃げないのを見たのか、ヒロは動きを少し変えた。先ほどより一歩深く踏み込み、攻撃を浴びせている。もちろん、それにはリスクを伴う。何度も続く攻防の中で危ないと思わせるシーンあった。リスクを取って攻撃する目的は一つしかない。ヒロはこのモンスターを倒すつもりだ。


 ヒロの動きを見ると、脚――特に膝を集中的に狙う戦法に変えたようだ。モンスターが攻撃を仕掛けてくる際に踏み込み、重心の乗った膝にカウンターを的確に当てている。踏み込むことで収縮した筋肉には、衝撃の吸収作用はない。関節の曲がる方向でもないため、受けた衝撃は逃げ場を失いすべて膝に集中する。モンスターの巨体は、ただでさえ踏み込みの際に自らの脚に負担をかける。そこを突いているのだ。これが人間相手なら、一撃で脚を折ることが出来るだろう。


 ヒロの攻撃が当たる度に、モンスターの動きは鈍くなっているようだ。効いている! しかし、ここまでの攻防でヒロの疲労も目に見えて蓄積されている。一撃でもまともに食らえば良くて重症、悪ければ即死だ。モンスターの攻撃を自身に集中させるため、より危険な位置取りとなっているのも災いしている。精神的、身体的な負担が大きい。ヒールでせめて身体的な疲労を回復させたいところだが、ヒロとは距離があり、難しい。俺が近づくことでせっかくヒロペースで進められている戦闘を崩してしまいかねない。

 何度目になろうか。ついにヒロの攻撃により、モンスターは脚を折って屈みこんだ!


 勝負時と見たヒロは一気に決めるべく、持てる魔力を最大に練って、拳に集めた。

 ヒロの拳は魔力を纏い光を放つ。その拳を屈みこんでいるモンスターの鼻っ柱に叩き込んだ!


地級・ナックルグランド・ナックル!!」


 ドガン!!


 人が拳で殴ったとは思えない、とても鈍く大きな音がした。

 熊の急所は鼻だと聞いたことがある。モンスターは脚の痛みのためか、防御態勢をとっていなかった。これで決まってくれ! 


「グウァァアアァ!」


 しかし、願い叶わず、モンスターは雄叫びを上げた。目の黒紫の炎はより強く燃えさかり、怒りを表しているようだ。モンスターがヒロに向かって腕を振るう。スキル使用直後に発生する軽度の魔力欠乏による硬直で、ヒロは動けないでいた。


 直撃! モンスターの腕が当たり、ヒロがすっ飛んでいった。ヒロは硬直のなか、無理をして僅かに浮いて威力をいなしたようだった。派手にすっ飛んだのはそのためだろう。恐らく死んではいない。大量に出血している風でも無さそうだ。

 ヒロが攻撃を受けた時のためにヒールを詠唱を完了させていたが、この位置からでは届かない。俺がヒロのもとへ行けばモンスターに一纏めにやられてしまう。


「イーナ! ヒロのもとへ行け! 早く! 俺がモンスターと闘う!」


 俺はモンスターに向かって駆け出した。こうなったら俺がモンスターを倒すしかない。ヒロの無事は確認できていないが、どうか一命を取り留めてくれ。

 駆けながら抜刀し、モンスターの正面で構える。俺から攻撃するのは危険だ。ヒロのようにモンスターの動きを掻い潜り、わずかな隙に攻撃を叩き込むしかない。

 モンスターが腕を振り回し攻撃してくる。鼻っ柱への一撃と脚へのダメージがまだ残っているのか、序盤ほどの精彩はない。俺でも避けられる! 


 攻撃をかわし、モンスターの脚へ横薙ぎを放つ。しかしながら、硬い毛並みに弾かれてまともにダメージを与えられなかった。ヒロと比べて力が不足しているのだ。これでは剣術の攻撃技を繰り出したところで、ダメージは大して期待できない。俺に残された攻撃方法の中で最も威力があるのは”火術”だ。”火術”のLvは4、使えるのは攻撃魔法”ファイアランス”。


 それだけだと少し不安だ。一撃で倒せなければヒロの二の舞になる。他に使えそうなスキルは無いか考えてみると”魔力圧縮”と”魔力強化”の二つが浮かんだ。”魔力圧縮”は本来の効果範囲を狭め、代わりに威力を上げるというもの。”魔力強化”は消費MPが増える代わりに威力を上げるというもの。この二つを使って、ぎりぎりまでMPをつぎ込んだ”ファイアランス”をぶつければ、勝機はありそうだ。狙うのは、硬い敵にはお約束の口の中。こいつの攻撃モーションの中に、吠えながら両手を振り下ろしてくるものがある。そこにカウンターで魔法をぶち込んでやる!


「アグン……」


 早速、呪文を唱えようとするが、モンスターの攻撃がそれの邪魔をする。鼻先で何とか避けたものの、背中に冷たい汗が流れた。まともに食らったら終わりだ。その事実を意識した瞬間、どうしようもなく体が強張った。呪文を唱えるどころではない。攻撃を避けることに集中しないと食らってしまう。何とか心を落ち着かせようとするが、うまくいかない。自分の鼓動の音がやけに大きく聞こえてくる。余計に思考がこんがらがってきた。焦るあまり、自分が今何をしているのかすら、分からなくなってくる。今、きちんと避けられているのか? ぎりぎり避け続けられている。でもこれをいつまで続けられる? 余計なことばかり考えてしまう。


 落ち着け! 何とか落ち着くだ! 俺がダメになればヒロもイーナも死んでしまうんだぞ! そう念じても、心は一向に落ち着かない。ここで死んだら、”償い”が出来ない、レンファさんやギースさんに顔向け出来ない、など考えてみるものの、効果は無かった。


 ただ、とーちゃんとかーちゃん――両親が悲しむかもな……。そう思った時、もっと幼かった日々の記憶が、脳裏に流れた。本来、自我が芽生える前の記憶なんて残ってないものだろうが、俺は産まれた時からの記憶をほぼ持っている。ひどく手間のかかる赤ん坊時代に、両親が注いでくれた愛を覚えている。泣いているときに抱っこされて、安心したことを覚えている。暖かな、安らぎの日々の記憶は、きっとこの先も消えることはないだろう。そんな両親を悲しませたくない。絶え間なく愛を注いでくれたあの二人を悲しませるなんて、あってはならない。そう思ったら少しだけ、本当に少しだけだが、勇気が出たような気がした。


 その思いが心を前に進めてくれたのか、焦ってよく見えていなかった視界が、次第にクリアになっていった。ばらばらだった自分自身の心と体が、再び重なっていく感覚。改めてモンスターの姿を眺める。模様はパンダなのに全然パンダじゃない。このモンスター誰得なんだ? くだらないことを考える余裕が出来てきた。どうやら落ち着くことが出来たみたいだ。


 落ち着けたのはいいが、すっかり呼吸が乱れてしまっている。パニックになっていた時の俺は必要以上に大きく避けていた。まずは呼吸を整えないといけない。間合いを取って冷静になってみると、不思議とモンスターの攻撃は大したことないように感じた。フィーの攻撃の方がよっぽど避け辛い。

 さて、反撃するにも呪文を唱える必要がある。どうする? あ、そうだ。俺は剣を投げ捨て両手で印を結んだ。そう、”詠唱変換-印術”だ。遊びで使っていた程度なのでLv2だが、なんとかなる!


 気持ちが前向きになったせいか、だんだん腹が立ってきた。そういや俺はパンダ嫌いなんだよ。絵で見ると可愛いが、動物園で実物見ると白い部分は土で汚れていて汚いし、笹食ってゴロゴロしているだけって……。どう考えても虎や豹の方がかっこいいし、可愛いだろう! なんでお前が人気あるんだよ! 


 印術による詠唱が完了した。いやー忍者ごっこスキルなんて思っていてすまない。呼吸を整えながら魔術を使える、って利点が存在したとは。

 さぁ、来やがれ。冷静にモンスターのモーションを確認する。幾度かの回避を経て、遂に狙っている攻撃の予備動作が見えた。

 来るぞ! ……今だ!


「”ファイアランス”!!!」


 俺の持てるMPを殆ど込めた一撃。放たれた瞬間、普段練習していた時とはまったく違うと分かった。通常は、炎が何となく槍っぽい形をとっている、ぐらいに見えるのだが、今目の前に現れたのは、赤く輝く光を放つ、一本の鋭い棒のような形状だ。それが凄まじい速度でモンスターの口の中に突っ込んでいった!


 バシュッ!!!


 赤い光はモンスターの口の中から後頭部へ突き抜け、拳ほどの大きさの穴を開けていた。

 目を見開いたモンスターはゆっくりと後ろに倒れ、やがて魔素になり消えていった。


「ヒロ!」


 魔素になるのを確認したのち、俺はヒロに向かって走った。ここで倒したと油断していては目も当てられない。今日はこれ以上失敗したくないしな。

 離れた草むらに倒れたままのヒロのもとに向かうと、驚くことにヒロは意識を保っていた。ただ、ダメージから立ち上がれないようだ。イーナはヒロに抱き着いている。


「シンク、今の魔法は何だ?」


 驚いたような顔でヒロが言った。


「あれは”ファイアランス”だよ。スキルの”魔力圧縮”と”魔力強化”を併用したから別物みたいになっちゃったけどね。今、ヒールをかける。」


「まさか倒しちまうとはなぁ、くくっ……、あはは、本当に、シンクはすげぇな。」


 ヒールを受けながら、ヒロは笑いながら言った。倒した……か。俺一人では絶対に無理だったな。


「凄いのはお前だよ、ヒロ。ヒロが相手の手札全部見せてくれて、脚を潰して、そして強力な一撃を鼻っ柱にかましてなければ無理だったさ。」


「あぁ、あれか。あれは、お前が避けられる程度に弱らせるのが目的だったんだけどな。」


「あれ? 倒そうとしたんじゃないのか?」


 うん? どういうことだ? 俺には倒そうとしているように見えたが、ヒロには別の思惑があったのか?


「倒す必要は無いのさ。だってここは森の中の畑だぞ? そうなると、父さんの張った結界がある。モンスターが侵入すれば、気づいてすぐに駆けつけてくる。時間を稼ぎさえすれば良かったんだよ。シンクには”行動観察”も”回避”もあるから、十分避け続けられると思ったしな。鼻っ柱への一撃も賭けではあったが、成功させる自信はあったぜ。スキル使ったあとの硬直も計算にいれて、なんとか攻撃をいなせる程度はできると踏んでな。」


 一度言葉を切り、悔しそうな顔をして続けた。


「俺一人で時間稼ぎするつもりが、情けない話だけどその前に体力が尽きそうになったんで、方針転換したのさ。そのせいで、シンクを戦わせてしまったけどな。あ、来た。」


 レンファさんとギースさんがやってきた。二人は俺たちがいることに驚いていたようだ。その場で話そうにも先にヒロやイーナを休ませる必要があったので、ひとまずヒロの家まで戻ることとなった。


「では、事情を説明してくれ。」


 そうギースさんが促した。レンファさんはイーナを慰めている。

 ヒロがまとめて話をしてくれた。イーナが姿を消したこと。追跡して先ほどの畑で見つけたこと。その場でモンスターに襲われたこと。逃げられないと考え、戦わざるをえなかったこと。そして、シンクが倒したときに二人が来たこと。イーナがなぜ森の中の畑にいたかも、以前読んだ物語のせいで不安になり、レンファさんを探しにいった為であると説明した。

 ヒロは俺のミスについて話をしなかった。俺がそれを補足しようとすると遮ってきたのだ。ヒロはどうやら自身の責任と考えているようだ。俺一人にイーナの世話を任せていたこと、”隠密”スキルの継続などの指示を出してなかったこと。そして任せておけと言ったのにかかわらず、俺に戦わせてしまったこと。それらを悔いているようだ。


「話はわかった。」


 そう言ったギースさんはしばらく黙っていた。眉間にしわをよせ、考え込んでいるようだ。怒られるかな? まぁ怒るよね。イーナから目を離した上に危険な目に合わせてしまったしなぁ。一歩間違えば全員死ぬところだったし。そう考えていたが、ギースさんから出たのは意外な言葉だった。


「シンク、ヒロ、イーナ。子供たちだけにしてしまって、本当にすまなかった。」


 そう言ってギースさんは俺たちに詫びたのだった。

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