第19話
■イーナ視点
おゆうはんになっても、おかあさんがかえってこない。
まものさんが、たべちゃった?
イーナ、おかあさん、いらないっていってない。
まものさん、まちがってるかもしれない。
いらないっていってないよ! っておしえてあげないと!
■シンク視点
外には出ていないだろうと、玄関を調べるのは最後になっていた。なんせ、ドアノブには手が届かない筈だ。俺がイーナから目を離したのはほんの数分だし、そんな遠くへは行っていないだろう、という判断で家の中ばかりを探していた。玄関へ行くと、小さな丸い椅子が転がっていた。これを使ってドアノブをまわしたのか? 賢いな! さすがイーナだ! って感心している場合ではない。
「イーナは外に出ているかもしれないな。」
転がった椅子を見ながら俺は呟く。外に出ているとなると、一刻を争う事態だ。万が一モンスターと遭遇したら、最悪イーナは殺されてしまう。戸を開け、周囲を軽く見まわすが、イーナの姿は見えない。
「イーナの姿は無いな。」
「急いで追いかけるしかない。武器を取ってくるから少し待っててくれ!」
ヒロは急いで自室へ走っていった。ヒロの武器は鋼鉄製の手甲だ。打撃にも防御にも使える。
幸いというか、俺の腰には誕生日にもらった剣があるから、このまますぐに追いかけることができる。俺まで家に帰って武器を取っていたら、大幅に時間をロスしてしまうところだった。とーちゃんの言いつけを守り、常に携帯していてよかった。冒険者はいつ起きるかわからない不測の事態に備えるものだ、って言われていたけど、こんなに早く起きるとは。
「待たせたな。」
そう言って戻ってきたヒロの手には、手甲とランプ、携帯食料に、水の入った水筒があった。
「父さんが言うには、人間はご飯食べてないと唐突に動けなくなる時があるらしい。戦闘になるかもしれないから、探しながら食べるぞ。」
ギースさんの言葉なら守らないとな。確か前世でも似たような話を聞いたことがある。登山が趣味の同僚から、だったかな? 何も食べないで山に登っていると唐突に動けなくなるらしい。ハンガーノックと言ったかな。極度の低血糖状態になり、体を一切動かせなくなるそうだ。脂肪を燃やしてエネルギーに変えるには時間がかかるから、一度その状態になってしまうと、長時間復帰できないらしい。これが寒冷地となると、脂肪から供給されたエネルギーもすぐさま体温を上げるために使われてしまい、何時まで経っても回復しない。緩やかに死ぬまで待つしかないとか。
それにしても、ヒロは非常時だというのに冷静だ。やるべきことをキチンと把握している。水と携帯食料は俺が準備すべきだったな。失敗だ。
「ヒロ、俺は”暗視”と”追跡”のスキルがある。俺が先導するから、周囲の警戒を頼む。」
「シンクはもうそんなことも出来るのか。ああ、頼む。……負けてられないな。」
ガチャで引いたスキルなんかより、ヒロの冷静な判断の方がよっぽどすごいと思うが、それを説明している時間はないな。
外に出ると雨はやんでいたが、風は依然として強い。日はまだ沈みきっていないため薄っすらと明るく周囲は見渡せたが、建物や木の影に出来た闇は濃くなっている。見上げると雲が凄い速さで流れており、時折、夜と夕焼けが混じった紫がかった空が、雲の隙間から顔を覗かせていた。
ヒロはランプをつけている。俺はイーナの歩いた痕跡を探してみた。スキルの影響か、はたまた雨が降った直後だからか、足跡がはっきりと確認できた。一直線に村の近くの森へ向かっているようだ。
「ヒロ、イーナの足跡を見つけた。あっちの森へ続いているようだ。」
「分かった。俺は周囲を警戒してついていくな。」
迷い無く進んでいるイーナを追うには、それなりにスピードを出さないといけない。森の入口までたどり着き、そこから森へ入るのを躊躇してくれていれば良かったのだが、森の中へもぐいぐい進んだようだ。
「ヒロ、イーナのスキルわかるか? これだけ暗い森の中、明かりも無く歩いていけるなんて、”暗視”でも持っているのかな?」
「イーナのスキルはわからないなぁ。でも確かに、夜に暗い部屋を怖がっている様子はなかったから”暗視”や”精神耐性”を持っていてもおかしくないな。」
森へ一歩踏み込むと、一気に闇が深くなったのが分かる。闇もそうだが、木や枝や葉で視界が悪い。足場も非常に柔らかい。いざと言うときにきちんと踏み込めるかが不安になる。
「シンク、足が止まったが、手がかりを見失ったか?」
「すまん、ヒロ。ちょっと森の環境の悪さに気圧されてしまった。イーナの痕跡は大丈夫だ。きちんと追えている。」
そうだ、迷っている暇はない。あ、そうだ。
「ヒロ、”隠密”スキルを使って敵との遭遇を避けて進むから、手を握ってくれ。スピードを重視しよう。」
すっかり存在を忘れていたが、”隠密”スキルを使えば気配を消しながら移動できるはずだ。周囲への警戒をしなくてすめば、移動速度は上がる。あぁ、焦っているのかな? こんなことも思いつかないなんて。最悪のケースが頭をよぎる。……もし、すでにモンスターに襲われているとしたら、死んでいる可能性が高い。それだけではない、川などに転落し、溺れている可能性もある。もう寝るだろう、と目を離した過去の自分の行為が悔やまれる。完全に俺の責任だ。うぅ、胃がきりきりしてきた。”精神耐性”があってもこれなのだから、無かったら不安で押し潰されているかもしれない。そう考えると、ヒロは実の妹が俺のせいで行方不明になっているというのに、文句も言わず、黙々とやるべきことをやっている。この心の強さというか、あり方が羨ましい。いや、俺はまだ6歳だ。羨んでも、諦める必要はないはずだ。ちょっとずつでもいいから真似ていこう。
「シンク、お前は実戦は初めてなんだから、落ち着いて、出来ることだけをやってくれ。今はイーナを見つけることに集中してくれれば大丈夫だ。後は何が起きても、俺が何とかしてやる。」
もう、ヒロに惚れそうだよ。なんていいやつなんだ。前世の年齢と合わせて俺の方が年上なんて思っていたけど、そんなことは無かった。俺なんて知識がちょっとあるだけのクソガキだ。やるべきことをやり、責任を取るという姿こそが大人というものなのではないだろうか。ヒロは着実に大人になっている。前世でいかに無駄に年齢を重ねてきたかがわかるというものだ。俺こそ負けてられない。とりあえず、今は最善の結果になるよう出来ることを全力でやろう。
「探しながらでいいから、携帯食料食べておけ。出来ることを一個ずつ確実に、だ。」
ヒロの言葉で、携帯食料にまだ口をつけていないことを思い出した。ヒロはすでに食べ終わっているようだった。イーナの痕跡を追跡しながら携帯食料を口にする。胃の痛みも、ヒロに声を掛けてもらってから少し和らいだ。なんとか食べることが出来た。
イーナの痕跡を追ってしばらく進むと、視界が開けた。どうやら、森の一部を伐採し、畑にしたところへ出たようだ。そこでイーナの姿を見つけることが出来た。しゃがみ込んでじっとしている。”隠密”スキルを解除し、一気に近づく。
「イーナ、無事か?」
「おかあさんがいないの」
ここまで一気に来て、歩き疲れたのか、べそをかいている。
「母さんを探しに来たのか? 大丈夫、ちょっと遅れているだけですぐ帰ってくるさ。ここで待ってても母さんは来ないから、家で待っていよう。」
ヒロがイーナを抱え上げ、抱っこしながら説得するが、イーナは首を横に激しく振った。
「まものさんにおかあさん、たべられちゃう。」
自分で言った不吉な予想で怖くなったのか、ついに大きな声で泣き出してしまった。嵐の中の魔物。イーナも俺と同じく、あの物語を思い出していたのか。
「イーナ、いらないって、いってないって、まものさんにつたえなきゃ。」
「大丈夫だよ、イーナ。イーナはいたずらなんてしないだろ? 良い子だから魔物もレンファさんを食べたりしないよ。それに、レンファさんは魔物なんかに負けたりしないさ。」
「ほんとう?」
「本当だよ、俺が嘘ついたことなんてないだろう? 家でレンファさんの帰りを待とう。」
「……わかったぁ」
「ふぅ……」
とにかく、イーナが無事に見つかってよかった。あとは家に帰るだけだ。
「シンク!!」
ヒロが森の一点を見つめて、俺を大きな声で呼んだ。
「何かいるぞ!」
そちらに向けて”気配察知”のスキルを発動してみると、明らかな敵意を持った存在がいることが分かった。うぅ、スキルがあるのにヒロより気がつくのが遅いとか、イーナを見つけて機を緩ませすぎだ。全員で無事に帰らねば意味が無い。気を引き締めなおそう。
森の闇からのっそりと大きな影が出てきた。俺は見えているが、ヒロには明かりが必要だ。おそらく冷害避けとかそんな用途だろう。畑の脇にある、小さな屋根と柱だけの小屋に藁束が積まれていた。慌ててファイアの魔法を唱え、藁束に火をつけた。あとで怒られるにしても人命には代えられない。
明かりのなか浮かび上がったのは、見上げるような大きさの毛むくじゃらの巨体だ。ぱっと見、熊に見える。四肢は黒く、足の先には大きな爪がついている。口には凶悪な牙が見えて、目の周りと耳は黒く、他は白い。ずいぶんと特徴的な配色をしている。
「あれは、ベジタリアンベアーだ!」
緊迫した声で、ヒロがモンスターの種類を言い放った。
「パンダじゃねぇか!」
俺は思わずヒロに突っ込んでいた。
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