第57話 057
重たい雲は、都心に近付いても晴れないままで、雪はどこまで行っても止む気配がなかった。
いつもよりもスローペースの高速からの景色に、ちらほらと桜が混じり始めても、白い結晶は落ち続けている。
確か5年前の春にも、都心で桜吹雪に雪が混じったことがあった。
明里の姪っ子の入学式の日で、都内の義姉夫婦に呼ばれて珍しく集まった日。
こんな景色は初めてだって、入学式に奇跡だね、って、明里は感嘆のため息を吐いていた。
今日は、満開の桜が雪化粧をしている。
高速を降りて、国道に入った頃、iPhoneが小さく鳴った。
信号待ちで開けてみると、雪を纏った桜の画像が、画面一杯に広がる。
『桜に雪なんて贅沢でしょ?』
添えられた文字に、思わず口元が緩んだ。
迷いの欠片もなく、指先は動いて、考えるよりも早く、電波を送る。
呼び出し音が鳴る前に、小さな音が、相手と繋がったことを知らせてくれた。
『反応はやっ』
ブルートゥースで繋がっているオーディオから、カラフルな声が溢れてくる。
「あと30分くらいで着くよ」
『え? 早くない?』
「いや、雪だったから、一応早めに」
『そか。安全運転してきた?』
「いつもより相当」
『いい子』
「お前は?」
『ん?』
「いい子にしてた?」
俺の言葉に、クスクスと笑う音がする。
『今ね、近くで見付けた神社にいる。桜の木と雪、撮りたくてお散歩してた』
言われてみると、風の音のような、雑踏の切れ端のような音がしていた。
「風邪引く前に、ってゆーか、俺が帰るまでに戻れよ?」
はーい、と心地いい返事が車内に響く。
行く時よりも長かった道のりに飽き飽きしていたはずなのに、これまでの時間が急に短くなったような気がして、思わず苦笑いを首を振って払う。
もうそろそろ、自分のいい加減さとか、単純さとか、流され易さとか、そういった軽蔑すべき顔にも慣れてきた。
それなのに、きっとふとした瞬間に陥る罪悪感への心の準備の仕方も、そのうち覚えるのだろうか?
どこかで引き返さないといけない事はわかっているのに、その方法もきっと知っているのに、
知らないフリは、いつまで続けられるんだろう。
通り慣れた曲がり角をいくつか曲がって、もうあと数分でアパートの駐車場に差し掛かるところで、雪が止んでいることに気が付いた。
奇跡を見る相手は一人しかいないと、
誰かが教えてくれていたのかもしれないけれど、
その時の俺には、まだ届いていなかった。
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