第56話 056

楽しい時間はあっという間というのは、大人になっても変わらない。


でも同じように、タスクの多い時間もあっという間で、おおむね、毎日があっという間で、楽しい時間の濃さとか重さは、忘れがちになっている。


そして、楽しい時間は早すぎて、

逆に、その時間で出来たかもしれない事を考えると、必要のない罪悪感を覚えたりする。


「次は本当にゴールデンウィークかな」


まだ午前中の早い時間に、俺は玄関に立っていた。

朝から雪がちらつき始めていて、帰りの道のりを考えて、だ。


「でも、わかんないよね。どうなるか」


明里はいつも通りにそう言う。

「あー、コロナ?」

「うん」

「緊急事態宣言、出たら、ゴールデンウィーク明けまでは動けないでしょ?」

「まあ、そうかもね。でも、出す気あんのかね? 安倍さんは」

「出したくないのは分かるけどね」


珍しく、俺のコートの袖を引く明里が愛らしい。


「お前も、事務方は色々大変だと思うけど、無理しないで気を付けろよ?」

「わたしより和樹の方が楽天的すぎて怖いよ」

「そうか?」

「そうだよ」


じっと覗き込まれるように見つめられると、何だかくすぐったくなって来る。


「あのな、戦場に行くんじゃないんだから。またすぐ会える」

「まあ、そうだけど」


眉間にシワを寄せる明里の唇に、自分のそれを重ねてから、鼻の先を噛んだ。

それから、


「嬉しい知らせは早めにしてね」


と、耳打ちすると、


「っ、ばか。。。」


明里の小さな拳が飛んでくる。


それを捕まえて、もう一度、キスをした。



前代未聞の2ヶ月がこの後始まる予感は、まだそんなに現実味はなくて、俺はいつも通りにドアを閉めたんだ。


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