第29話 029

「あー、だる、、、」


思わず口に出た午後。


オフィスが入るビルの喫煙所には俺意外誰もいなくて、その油断が声になっていた。


上を向いて煙を吐き出す。

 

4軒の法人同行を終えて、ようやく昼飯にありついたのは、午後3時を少し過ぎた頃で、コンビニで買ってきていたパスタを胃に流し込むように食べて、足早に喫煙所に来た。


ポケットから仕事用の携帯を出して、着信履歴を眺める。

その一番古い名前に、小さなため息が出た。


「大丈夫かな、あいつ、、、」


また、声が零れる。


独り言はオヤジの証拠。

なんて、言った奴がいた。

あたしも最近独り言やっべーの! この仕事始めてからちょー悪化! 和樹、責任取ってよ。

なんて言いながら、握った手で俺の腕を軽く叩いていた奴。

俺が移動すると分かった途端、何の契約も取ってこなくなった奴。

俺が居なくなるなら辞める、と公言していた奴。



ぼんやりと、発熱を終えたiQOSから吸い殻を引き抜いて、灰皿に捨てる。


毎回こんなに色々考えたっけ? 俺。

移動なんて当たり前の事で、それは、俺だけじゃない。営業員にとっても、当たり前の事だ。

3日もすれば、それが今までもそうだったかのようになる。

3日。

明日、か。



「あれ? 植原オフィス長?」


もう一本吸おうかと、箱を開いた時、喫煙室の扉が開く音がして、誰かが俺の名前を呼んだ。


「あー、、、えっと」


不意を突かれて一瞬言い淀む。


「和田です。和田愛梨」


笑顔で名乗られて、慌てて頷いた。


「和田さん。申し訳ない。すぐ出てこなかった」


こういう時は素直に謝罪。


「いいえ。大丈夫です。30人近くいるんですから。覚えてる方が怖いですよ」

ニコニコ笑いながら、小さなポーチから紙タバコを出して、流れるように咥えて火をつける。

「紙なんだ?」

「ああ、はい。iQOSも持ってるんですけど、午前中、ちょっとむかつく事あったんで。ストレス発散です」

自重気味に笑って、和田さんは深々と煙を吸い込んだ。


和田愛梨。何歳だっけ? まだ確か新人層だよな? まあ、年齢的にもそうか。

保険屋っぽくない。

女子アナ風。

っていうか、タバコ吸うのか。


そんなことを考えながら、2本目を吸い始める。


「iQOSの方がいいって、堂島オフィス長に言われて。iQOSにしてるんですけど、紙の方が正直好きで。家とか、どーしてもイライラした時は未だに紙なんですよね」

煙が俺に来ないように、なのか、和田さんは壁に向かって話し始めた。

「堂島が?」

「ええ。タバコが嫌いな人も居るから、服にタバコの匂いを付けて仕事をしない方がいいって。特に私みたいなタイプは、そういうイメージじゃないからって」

「ああ、それは確かにそうだね。後半部分は、セクハラになるかもしれないから俺はまだ控えておくけど」


「まだ、ですか?」


こっちを向いた和田さんの顔には、何かを含んだ笑顔が浮かんでいる。


「まだ」


「あれですね。元オフィスに泣いてる子、いそうだね」


笑顔を引っ込めないまま、また、壁に向かって煙を吐き出して、それから、再度俺を見た和田さんは、笑っていなかった。


これは、何アピールなんだ?


一瞬の迷いが伝わる前に、何か言わなくちゃ。


そう思った時、

俺よりも一呼吸早く、彼女の方が口を開いた。



「同期なんですよね。私」



「え?」


 

「唐沢紗英チャン」

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