第19話 甘えを捨てて
その後、放課後は普通に睡眠をとり、俺と周防は帰路についていた。
「そういえば、お前って噂のことは聞いたのか?」
街灯に寄る蛾の影を見上げ、俺は周防にそう質問する。
「噂?」
「あぁ、まぁ、知らないなら別に」
昼休みや放課後空き教室に行くまでの時間に周防の耳に入る可能はあったので、もしかしたらと思ったが、流石というべきか、周防は噂について何も知らないようだった。
「え、なに? 気になるじゃん」
周防が怪訝な顔を俺に向ける。こんな話の切り出し方をすれば、そう言われるのも当たり前か。
「いや、俺と周防が付き合ってるって噂」
「……へー」
心底どうでも良さそうな反応だった。まぁ、俺も周防と感じていることはそう変わらないんだが。
「ま、好きに言わせておけば。否定しても意味は無いし、やることは変わらないしね。私は夜船を休ませられれば、それで良い」
「何ていうか、そこまで言われると、しっかり休まなきゃいけない気になってくるな……」
休むことは素晴らしい。まぁ、周防の意見もちょっと分かってきた。
とはいえ、彼女のようにずっと休んでいるのもどうかと思うが。
「言われなくても、休みなさい」
軽く叱るような口調。夜風に彼女の髪がふわりと跳ねた。
そんなふうに話をしていると、すぐ俺の家の前に着く。何となしに、建物を見ると、その前に立っている人物が一人。
「……彩華」
「けーちゃん」
前とは違って、彩華はにこやかだった。ただ、妙な圧がある。やっぱり、噂を信じているのだろうか。
「私、『彼女が出来たら言って』って言ったよね?」
そしてその笑顔は、周防にも向けられた。
「ひっ」
後ろで周防が短く悲鳴を上げる。声こそ上がらなかったが、俺も周防と同じく青ざめていただろう。
そして彩華はゆっくりと動き出す。
「……けーちゃんのこと、よろしくお願いします」
彼女がしたのは、お辞儀だった。普段子供っぽい彩華だから、あんまりに丁寧な仕草は無理に背伸びしているように感じる。ただ、かえって真剣さも伝わってきた。
俺と周防は、顔を見合わせる。急展開すぎて、二人共何も言葉が発せない。
「けーちゃんに大切な人が居たら、絶対こう言いたかったんだよ。なのに、私に秘密にするなんてさ。酷くない?」
むー、と頬を膨らませて、彩華は俺を睨む。
なんだか、噂を否定しづらい空気になってしまった。
でも、誤解は解かねば。
「それなんだけどな。彩華」
「うん」
「その噂、デマだ」
言った瞬間、彩華は雷に打たれたような顔を見せた。
「えっ、え?」
どうやら噂を心底信じ切っていたのだろう。彩華は大げさなほどショックを受けて、言葉にならない声を出している。
「そんな……それじゃあ、けーちゃんは一生独り身だっていうの」
「そこまでは言ってねぇよ!」
なんでこのタイミングを逃したら一生独り身なんだ。
確かに自分がまともに恋愛をして結婚するイメージはあまり湧かないが。それにしたってあんまりな言い草じゃないだろうか。
「そっかぁ……嘘だったんだぁ。じゃあ、二人で一緒にアイス食べてたっていうのも作り話?」
「それは本当だな」
「本当だね」
周防と俺は頷き合う。
「てゆーか、その目撃情報だけで付き合ってるとか早計すぎない?」
周防が呆れたように苦笑する。
「いや、でも思春期の健全な男女だよ! 二人でずっと一緒に居て、何にも無いっていうほうがおかしくない!?」
対して彩華はわぁわぁ騒いでいた。何が何でも俺と周防をカップルにしたいといった勢いである。
「それを言ったらさぁ、夜船と朝倉さんはどういう関係なの」
間延びしたいつも口調で、周防が彩華へ鋭い指摘をした。確かに、健全な男女でずっと一緒というなら、俺と彩華にも当てはまるだろう。
「私は不健全な女子だからセーフ!」
「お前の何処が不健全だ」
勉強ばかりの俺とか、寝てばかりの周防と比べれば。彩華はずっと健全な高校生であるはずだ。
「……本当に付き合ってないんだね」
そう何度も言っているはずなのに、彩華はそれでも意外そうな顔のままだった。
「付き合ってないし好き合ってないし互いに恋愛感情の欠片もない」
俺は自信満々にそう告げる。
「なんか否定がしつこい気もするけど、大体合ってる」
周防も俺の言葉に頷いた。
彩華は俺達の顔をしばらく交互に見て「そっか」と微笑んだ。
「譲葉さんといい、けーちゃんって女友達作るの得意だよね」
隅に置けないなぁこのこの、と、肘で俺をつつく彩華。
「誰かさんのせいで慣れたんだろ、女友達ってやつにさ」
肘を手で止めながら、俺は適当な返事をした。
でも実際、そういう側面はあるだろう。俺は一人っ子だし、生まれたときから知り合いだった彩華が居なければ、もっと人付き合いが苦手だったかもしれない。譲葉や周防とも上手くやれていたとは思えない。というか、そもそも彩華が居なければ学校が違うからその二人とは会うことすら無いのか。
「しかしそれにしても、帰り道でアイスねぇ……。私がそういうの誘っても、絶対断るのに」
「あの時は休憩するって決めてたんだよ」
周防と居る時間は、基本的に休憩すると決まっているからな。ただそれだけではなく、争う相手に休憩に誘われると、どうしても素直に応じることができないのだ。
だから別に周防の方が好感度が高いから誘いに乗ったとかそういうわけではないのだが、確かに端から見ればそう思われても仕方ないか。
「ふーん、そうなんだ」
隣では周防がサイドテールを風でぴょこぴょこさせていた。心なしか機嫌が良さそうだったのは、元気になる夜だからだろうか。
「けーちゃん、最近変わったよね。周防さんのおかげなのかな」
変わった。
具体的に、俺は何が変わったのだろう。
譲葉は、周防と会い、休むようになった俺を、元気になったと評した。彩華は、どう思ったのだろうか。周防さんの「おかげ」と言うくらいだから、俺は良い変化を起こしているのだろうか。
確かに、勉強をし続けて眠らず、余裕が無かった以前に比べ、俺の精神は随分穏やかだ。
でも、それなら。
何故彩華は嬉しそうではないのだろうか。
「そうか?」
なんて反応すれば良いのか分からず、俺は軽く首を傾げた。
「何ていうか、真面目過ぎる性格が改善してる感じがするよね」
彩華が俺の顔をじっと見る。
そう言われるとそんな気もするし、違う気もした。
「元々、大して真面目でも無かったんじゃないの? 約束破るし、ルールを破るのにもそんなに抵抗なさそうだったし」
周防が顎に手を当てて、そんなことを言い出した。多分、周防と出会ってからの日々を思いかえしているのだろう。確かに、寝ると言ったのに寝なかったり、空き教室を不正に使用したり、そんな俺の姿は真面目とは言い難い。
思えば俺は彩華に勝つというのが至上命題で、他ごとはどうでもいいといった生活を送っていた気がする。一つのことしか出来ないだけなのに、周りから勝手にストイックで真面目だと思われていたのかもしれない。
「……そうかなぁ」
彩華は何かを考えているような様子だった。しばらくじっと考えた後、俺を見る。
「でも、そうだよね。けーちゃんだって私だって、ずっと前のままではいられないよね。ちょっと寂しいけど」
それは、微笑んでいるような、懐かしんでいるような、悲しんでいるような、そんな表情だった。
「あ。もうこんな時間じゃん」
周防が携帯電話を見る。時刻は七時二十分。結構話し込んでしまったようだ。
「おばあさん、夕飯作って待ってるんじゃないか」
俺が彩華の部屋へ視線を向けると、彩華は「やば!」と子供っぽく慌てだす。
「それじゃ、さよならー」
周防もここまで遅くなるとは思っていなかったのか、早々に別れの挨拶を告げた。
「おう、それじゃ」
「じゃあねー」
彩華と二人で、少しだけ手を降る。
そしてすぐ、アパートの階段を登った。錆びた鉄の階段は、足を乗せる度に鈍く響く。彩華が先行して、俺は着いていくのみ。階段が狭いのだから、それも仕方がなかった。
「本当に、周防さんと付き合ってないんだよね」
聞き飽きた質問だった。俺の顔すら見ずに言うから、流石にちょっとイラッときてしまう。
「しつこいな……違うって言ってるだろ」
「ごめんね、でも、不安だったんだよ」
彩華が立ち止まる。
俺を見下ろす。
縋るような視線で、見下ろす。
「周防さんと付き合ってさ。毎日楽しくやってるようなら、私との勝負なんて、どうでも良くなっちゃうんじゃないかなって。投げ出して、諦めて、もういいやって言われたら、どうしようって」
月明かりに照らされて、彩華の潤んだ瞳が輝く。
「……そんなこと、あるはず無いだろ」
俺は即答した。そもそも周防との繋がりだって、勉強をより効率よくするためのもので、実際小テストの調子は良いのだ。
「あるよ。正直私は、前のけーちゃんの方が好きだった。なりふり構わず頑張ってたけーちゃんが。そういうけーちゃんを見てたから、私も色んなことを頑張ろうって思ったんだよ」
俺は、今、頑張れていないんだろうか。
でも、思えば、勉強時間を無駄にしているタイミングは多くあったかもしれない。あの部屋の居心地が良くて、つい気を抜きすぎた時はあった。コンビニでアイスを食べた時などが最たるもので、あの時の俺は完全に勉強をする気を失っていた。
どうしてか。考えるまでもなく、理由は一つだった。
俺は多分、周防に甘えすぎているのだろう。周防のかけてくれる優しい言葉を言い訳にして。周防がやりたいと言っているんだからと自分を納得させて。本当は、全て自分が楽をするためだったのだ。
「あの時は休憩するって決めてたんだよ」
さっき自分が言った言葉を脳内で反芻して、ぞっとした。
周防が俺を休ませようとしたのは全て善意だ。周防は悪くない。悪いのは、それを利用してただただ楽な方へと進もうとした俺だ。
努力から逃げれば、俺には何も残らないのに。
「ご、ごめんね。困らせるつもりは無かったんだけど……ホントに、ごめん」
俺は、どんな表情を浮かべていたのだろう。こちらの顔を見た彩華は、謝罪を繰り返す。
「いや」
俺はその謝罪を静止して、彩華の手を強引に握った。
「え、ちょ、けーちゃん!?」
普段こんなことは決してしない俺だから、彩華は目を白黒させていた。しかし俺はその目をじっと見る。
「今、気合を入れ直した。次だ。次のテスト、俺は絶対、お前に勝つ!」
思わず、手に力が入る。すると、彩華の手にも、力が入った。バスケ部だけあって、結構力が強い。互いに痛いくらい、固く、固く手を握りあった。
「……受けて立つ!」
ようやく彩華は、何時も通りの笑顔に戻ってくれた。
「近所迷惑でしょう。あまり大きな声を出さないの」
すると、おばあさんが部屋の扉開けて、ひょっこり顔を出した。
「す、すいませんでした……」
「あ、ごめん……」
彩華は謝りながらおばあさんと一緒の部屋に帰っていく。去り際に小さく手を振ったので、俺を振り返してやった。
そして俺は、自分の部屋に帰る。重い扉の鍵を開け、すっかり冷えた我が家へ。
「ただいまー……」
誰も居ないのだから返事など来るはずもないのだが、俺は何となしにそう呟いてみた。
机に向かって、参考書をパラパラと捲る。最後にやったところで止めて、問題を見た。かなりの難問だ。でも、負けてはいられない。考えて考えて、ギュッと拳を握った。彩華と手を握りあった感覚が蘇る。
「努力は、裏切らない」
口の中でもう一度その言葉を唱える。
俺はきっと、甘えを捨てなければならないのだろう。
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