第20話 決裂と命懸け

「そろそろテスト期間だが、お前ら勉強はしてるか?」


 朝のホームルーム。教室に入るなり、冴島先生はどうでも良さそうにそんなことを言った。


 進学校だと言うのに、反応は阿鼻叫喚で「全然やってない」とか「どうしようどうしよう」とか皆が騒ぎ出す。その言葉をどれほど信用して良いものかは分からない。信じられるのは自分の勉強量のみである。


「全然やってないので、先生に質問しに行って良いですか!」


 譲葉が手を上げ、そう宣言する。彼女はクラスでもかなり真面目な部類だし、間違いなくテスト勉強はしているはずなのだが。


 クラスの皆はそれを冗談と捉え、笑っていた。

 冴島先生も、笑っていた。

 でも、冴島先生だけ目が笑っていなかった。

 多分、滅茶苦茶質問しに来るんだろうなぁ。一人で。しかも、二人きりになるタイミングを見計らって。


「……よし」


 テスト期間だ。と、俺は頭の中で繰り返した。

 周防に甘えるのは、無しだ。

 これは、俺の問題で、俺が頑張らなければ意味がない。






 そして、放課後。空き教室3。

 俺は部屋に入るなり、ちゃぶ台の前で正座した。


「……え、どしたの?」


 何時も通り布団に寝転がっていた周防は、俺の姿を見てぎょっとした様子である。


「相談が、ある」


「……言ってみ」


 周防は俺の態度から何かを感じ取ったのか、妙に冷めた目で俺を見ていた。


「誤解しないでほしいんだが、別に俺は周防に感謝してないとかそういうわけじゃなくてな……」


「そういう前置きは良いから」


 むっくりと起き上がって、周防はちゃぶ台に肘をつく。


「……テスト期間中、ここに来るのは、止めにしたい」


 俺は、周防の目を真正面から見た。


「……何で?」


「テスト勉強をしなきゃいけないからだ」


「勉強ならいっつもしてるじゃん」


「足りないんだ」


 俺がはっきり述べると、周防は大きく息を吸ってから、深い溜息をついた。


「倒れたの、もう忘れた?」


 周防が俺を睨む。その視線には、呆れが滲んでいた。


「忘れてはない。ただ……」


「ただ?」


「倒れるくらいやっても、彩華には勝てなかった。なら、もっと頑張らないと、勝てるわけ無いだろ」


「……ただがむしゃらにやれば良いってもんじゃないでしょ」


 段々、周防の語気が強くなってくる。


「でも、俺は多分、お前に甘えてたんだ。休むほうが効率的っていうのを理由にして、必要以上に休憩してた」


「甘えとけば良いじゃん」


「それは出来ない。やっぱり、頑張るのを止めたら、俺は俺じゃなくなるから」


 ふと、自分の拳が固く握りしめられていることに気づく。

 俺はこんなにも力を込めて、周防の厚意を無碍にして、何がしたいんだろう。


 答えはシンプルだ。

 彩華に勝ちたい。

 まだ、彩華と戦っていたい。


「つまり、また倒れて身体を危険に晒して、病院の厄介になって皆に心配されるのが夜船の自分らしさってこと?」


「それくらい、しないと。命を賭けるくらいしないと、凡人は天才には勝てない」


 俺の言葉を聞いて、周防は俯き、しばらく沈黙した。


「……急に何でこうなるの」


 そして、絞り出すように、小さな声で呟く。ちゃぶ台にぽたぽたと涙で染みができていくのが見えた。

 俺が何かを言う前に、周防は涙を流したまま正面を向いて、俺を睨んだ。


「命を賭けるとか、簡単に言わないでよ! 頑張る必要なんて無いでしょ。勝てなくたって、別に死ぬわけじゃないし、良いじゃん!」


 それは殆ど叫びだった。

 空き教室のことがバレないように大声を出さないということもあったが、元々周防は大きな声を出す人間ではない。


 まさか、泣きながら叫びだすなんて、話を始めるときには全く予想だにしなかった。


 しかし俺にとって「勝てなくても良い」というのは聞きづてならない言葉だった。なんだかまるで、自分の今までの生き方が全て否定されたような感じがする。だからか、俺はその時急激に頭に血が上った。


「勝てなくて良い訳無いだろ! ずっと、ずっと俺は勝つために頑張ってきたんだ。俺は今回のテストで、今まで以上に頑張って頑張って、絶対勝つ!」


 後半は顔が熱くなって、自分でも何を言っているのか分からないくらいだった。

 言い切ってから冷静になって、周防の顔を見る。瞳に涙をたっぷりと貯めて、俺を睨んでいた。


「勝手にすればいいじゃん」


 周防は立ち上がって、教室の出入り口になっている引き戸を勢いよく開いた。驚くほど大きな音がする。


「もう来ないで」


 俺の顔も見ずに周防はそれだけ言うと、毛布に包まり、体全体をすっぽりと覆い隠してしまった。


 もう少し、会話を続けるべきだろうか。迷ったが、きっとこのまま話しても俺達の意見は平行線のままだろう。俺のやることは決まっている。周防に甘える訳にはいかない。


「……」


 俺は黙って部屋を出て、戸を静かに閉めた。

 来たときと気温はそう変わらないはずなのに、廊下がやけに寒く感じる。時間を無駄にしないよう、なるべく早足で自習室へ向かった。


 努力あるのみ。


 頭にちらつくさっきの言い合いを忘れようとするように、俺は勉強に没頭した。

 苦しくとも、頭が痛くなろうとも、とにかく励む。巷じゃ受験戦争なんて言葉が使われているが、勉学の点数を競うというのは、なるほど正しく争いなのだと改めて思った。


 自習室の窓から、女子バスケ部がランニングをする掛け声が聞こえた。多くの掛け声の中には、彩華のものもあるだろう。


 安心してくれ、彩華。

 俺は逃げも隠れもしないから。

 全部使って、出来る限りのことをして、お前に挑むから。

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