第17話 放課後、コンビニ、バニラアイス
「昨日は大丈夫だったか」
国語の授業が終わって直ぐ、冴島先生はわざわざ俺の机にやってきて、そう聞いてきた。
「まぁ、何とか」
俺はなんとなく腕を触って、筋肉痛があることを再確認した。
鈍い痛み。
「苦労かけたな」
身内の失敗を恥じるような口調だった。事実、先生の感覚的には近いものがあるだろう。
「圭くん、何の話してたの?」
扉の辺りで友達と話していたはずの譲葉が会話に割り込んでくる。目敏い奴め。
「昨日の話」
短く説明すると、譲葉は「あぁ」と声を漏らした。
「そういや、何でお前ら二人でファミレスに居たんだ?」
冴島先生は抱えてる国語辞典を別の腕に持ち替える。譲葉は俺の顔を見て、にやりと笑った。
「そりゃあ男女二人が出掛けてすることと言えば、デートですよ。そう、デート。ね!」
譲葉が俺に同意を求めるような視線を向けてきた。
「デートの定義について俺は答えを持たないから、解釈はそちらにお任せします」
面倒そうなので、曖昧な返事をしてみる。
「モテ無さそうな返答だよね」
譲葉が呆れたように肩をすくめる。
「仲良さそうじゃないか。まぁ、生徒が健全に『同年代同士』で恋愛をしているのは喜ばしいことだ」
物凄く『同年代同士』を強調して、冴島先生は何度も頷いた。見ようによっては、自分に言い聞かせているようにも見える。
「……妬いてるんですか?」
周りには聞こえないような、小さな声だった。
しかし、妙に力強く耳に残る、そんな声。
声の主である譲葉はというと、真顔だった。
「…………馬鹿言うな」
冴島先生は長い沈黙のあと、やっと言葉を絞り出して、殆ど逃げるようにその場から去った。
「ほんっと、可愛いよね……」
恍惚とした表情の譲葉を見て、「モテるのも考えものだな」と思った。つーか譲葉。お前怖いよ。
空き教室のちゃぶ台の上に、白煙を出す機械が一つ。
しかし別に壊れているというわけではなく、むしろそれが役割のようだった。
「これ、何だ?」
布団に包まっている周防に問いかける。教室に来たときには、彼女は既に芋虫のようになっていた。
「昨日は大変申し訳ありませんでした」
俺の質問に答えることなく、周防はまず謝罪の言葉を口にした。流石に申し訳ない気持ちはあったらしい。
「まぁ、周防には借りがあるしな」
「夜船は真面目だから言っても無駄だろうだけど、必要以上に恩義を感じる必要は無いんだからね……」
全身布団に包まった状態から顔だけを出して、周防は唇を尖らせる。
「じゃあ、まぁ単なる善意だからそっちも気にしないでくれ」
迷惑ではあったが、別に見返りを求めている訳でも、謝罪の言葉が欲しかったわけでもない。だから、これ以上この話をするのは不毛だ。
そう思ったのだが、周防はもぞもぞと立ち上がると、冷蔵庫からオレンジ色の何かを取り出した。
「ママ……じゃなくて、お母さんが、お礼に渡せって」
周防が冷蔵庫からデコポンを数個取り出し、紙袋に入れる。
「まぁ、お礼って言っても親戚からいっぱい貰って余ってたからなんだけど」
周防はその紙袋を俺に手渡してきた。昨日の周防程じゃないが、ずしりと重い。 一人では食べきれないほど貰ってしまった。
そのうち一つを取り出してみる。柑橘類特有の皮の感触。
「ここで一つ食べてもいいか?」
「良いけど皮の始末をしっかりしてねぇ」
見れば周防はもう布団の中に戻っている。確かに生ゴミをここに放置するのは大変宜しくないので、持ち帰るか学校の生ゴミと混ぜて捨てる必要があるだろう。いや、よく考えたら学校に果物の皮があったらおかしいし、ビニール袋にでも入れて持ち帰れば良いか。
皮を剥こうとちゃぶ台にデコポンを置き、座る。
眼の前には、白い煙。
そうだ。
これについて聞きたかったんだ。
「周防」
「んー?」
「で、結局、これは何なんだ?」
「あぁ、これね」
周防は布団の上で上体だけを起こし、俺の指差す謎の機械を見た。
「見たところ煙を出しているが」
「アロマディフューザ」
周防が当たり前のように馴染みの無い呼称を出す。アロマディフューザ? 言葉通りに受け取るなら、この白煙はアロマなのだろうか。
「昨日のファミレスでの話とかを思い出すに、夜船が眠れない原因はやっぱり精神的なものが大きいと思うんだよね。だから、鎮静効果のあるアロマでリラックスしてみるってのはどうかなぁと」
言われてみれば、空き教室は微かに甘い香りがした。穏やかで上品な香り。でも、どこかで嗅いだことがある気がする。
「このアロマはバニラだよ。詳細は知らないけど、心が落ち着くとかなんとか」
「バニラ」
果たしてこれでより眠れるようになるかは分からないが、個人的に好きな香りではあった。
「もし今日ここで寝てみて良い感じだったら、家に持ち帰っても良いよ。っていうか、あげる」
「いや、流石に悪いだろ。値段も馬鹿にならないだろうし」
「安物だよ」
安物だろうとなんだろうと、理由なくこんなものを貰うのは良くない。
「これ、値段は?」
「……まぁ、誕生日プレゼントってことで」
「俺の誕生日は十ヶ月後だ」
どうしても俺に渡すつもりらしい。本当にこいつの眠りへの情熱はどこから来るのか……。
ふと見ると、周防はじっと俺を見ていた。
……ううむ。
ここで受け取らないのは彼女の厚意を無碍にすることになってしまうだろうか。とするなら、それは避けたかった。
「分かった。ありがたく使わせてもらう。今度何かお返しをするから考えててくれ」
俺は仕方なく『お返しをする』ということで自分を納得させることにした。周防は俺の言葉にこくりと頷く。
「じゃあ、取り敢えず折角貰ったわけだし、試してみるか」
俺は荷物を置いてネクタイを緩め、ブレザーを脱いだ。もうすっかり自分のものになっている布団に潜り込む。目を閉じると、じわじわと睡魔がやってきた。
落ち着くかどうかはよく分からないが、良い香りだ。
「……」
隣に、周防の起きている気配。
「……」
何となしに身を捩ると、布団の擦れる音がやけに大きく聞こえた。
うん。やっぱり、良い香りだ。
良い香り。良い香りなんだ。それはそうなんだが……。
「なぁ」
目を閉じたまま、恐らく起きているであろう周防へ話しかける。
「……なに」
穏やかな声。
「多分、お前も似たようなことを思っているんじゃないかと推測するんだが」
「うん」
「バニラアイスが食べたくならないか?」
俺の今の気分は、帰り道でカレーの香りを嗅いだときとよく似ていた。
部屋に充満した甘い香りが、どうしてもあの味を想起させるのだ。
周防の方を向いて目を開くと、周防もこちらを向いた。
「……めっちゃ、めっちゃわかる」
普段の周防よりずっと力強い声だった。
結局、俺達はアロマディフューザは使わずに寝た。
しかしどうしても部屋に残った甘い香りは残っており。
「いらっしゃいませー」
帰り道。気の抜ける入店音と共に、俺と周防はコンビニに入った。
学校前の大通りに面している、小さなコンビニ。俺達の他には、立ち読みをしているおじさんしか客が居ない。
「あった」
周防は一直線にアイス売り場へ向かった。俺もそれに続く。冷たい戸を開こうとすると、立て付けが悪いのかガタガタと音がした。
安いバニラアイスを二つ取り出し、周防はそのうち一つを俺に手渡す。
「これで良いよね?」
見れば、バニラアイスはこれの他には無いようだ。俺は頷く。
辺りもすっかり暗くなっていたので、俺は早く帰って家で食べようと思っていたのだが、コンビニを出た途端、周防はビニール袋からアイスを取り出した。
「ん」
当たり前のように紙のスプーンをこっちに渡してくる。
「……どーも」
あまりに動きが自然で、普通に受け取ってしまった。
コンビニの前。大通りを眺めながら、アイスを食べる。チープで甘だるいアイスの味には、不思議な満足感があった。
片手にアイスのカップ。もう片方にはスプーン。家だったならカップをテーブルに置いてノートの一つでも見ながら食べられるが、今は外なのでそうはいかない。
つまり、俺は今、勉強時間を無駄にしていたのだ。
でも、不思議と焦りはなかった。
「うまいね」
周防がぼそりと呟く。夜闇に溶けそうなほど小さな声だった。
グルメ番組のようなオーバーリアクションではなく、むしろローテンションなくらいだったが、むしろこういう言い方のほうが気持ちは素直に伝わる。
「そうだな」
隣に周防が居て、俺はアイスを食べている。
俺はいつから彼女が居ることをこんなに自然に感じるようになったのだろうか。
しばらくして、アイスを食べ終えた俺達は、ゴミを捨てて家に帰った。
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