第15話 周防輸送クエスト
携帯電話を電話として使用することが、最近は少ない気がする。友達への連絡はSNSやメールで事足りるので、改まって電話をするのなんて、高校生の俺には、学校に連絡するくらいだ。
そして俺は、その少ない機会を使って、学校へ電話をかけていた。
「冴島先生はいらっしゃいますか?」
事務員さんに聞くと、すぐに呼んでくるとのこと。
「繋がった?」
隣で譲葉が聞いてくる。
「呼んでくるとは言われた」
どこか間抜けな保留音を耳にしながら、俺は返事をした。
ふと空を見上げると、もう殆ど暗くなってしまっている。遠くの方に薄っすらと明かりが見えるのみだ。
周防が眠ってから、俺達はファミレスで適当に時間を潰した。しかし、周防は一向に起きる気配がなく、段々とドリンクバーだけで粘るのは申し訳ない時間になってしまったのだ。
そして結局、近くにあった公園のベンチで、周防はまだ寝ている。引きずられても起きないというのは一体どういうことなのか。
「あ、あーもしもし」
すると、冴島先生が電話に出た。心なしか、緊張しているようである。生徒との電話なんて緊張する要素が無さそうだが。
「あの冴島先生」
「夜船。譲葉に何を頼まれた」
真剣な声音だった。どうやら先生は何か誤解をしているらしい。というか、彼女の何をそんなに恐れるのか。
「いや、譲葉は関係なくてですね……」
「あ、電話繋がったんだ」
隣で譲葉がなんとなしに発言する。
「やっぱり居るじゃねぇか! 何をするつもりだ!」
先生は最早、譲葉恐怖症患者になっていた。
「また学校の電話で愛を囁いてくるんじゃないだろうな……マジで恥ずかしいから止めてくれ」
そんなことしてたのか譲葉……。
まぁ、とにかく、今は周防の話が大切だ。
「そういうんじゃなくてですね。先生、周防の家を教えてもらえませんか?」
用件を率直に伝えてみる。
「不純異性交遊はバレないようにしろって俺に何回言わせるつもりだお前は!」
するとまたまた誤解があったらしく、先生が怒り出した。
「何言ってるんですか。偶然ファミレスで周防に会ったら、ぐーすか寝始めたんですよ。俺に教える気がないなら迎えに来てください」
「咲が寝始めた? ……あぁ、そうか」
さっきまで騒いでいた冴島先生の声が、湯が冷めるようにすっと落ち着く。周防が今日出掛けていた用事に心当たりでもあったのだろうか。
「残念ながら俺はまだまだ学校でやることがあるから無理だ。起きないようなら背負って家まで届けてやれ。家の場所はな……」
事情が分かれば後は早い。多分、本当は生徒の住所を教えるなんてもっての外なんだろうが、そこは互いに気にしないことにしよう。
俺も周防に家を知られていることだし、別に行く機会もつもりないだろうからセーフということで。
冴島先生から聞いた家の場所は、俺の家のすぐ近くだった。まぁ、学校からの帰り道が似通っている時点でそんな気はしていたが。
「ところで、流石に背負うのは無理があるんで運ぶ方法無いですかね?」
「まぁ、諦めろ。それか必死に起こせ。俺の経験からすると、バケツで水をぶっかけても起きなかったぞ」
……まぁ、譲葉と二人で協力すれば、何とかなるだろうか。
「ありがとうございました」
「気にすんな。慣れてる」
そう言い残して、冴島先生は電話を切った。授業中でも寝る周防のことだ。プライベートな付き合いをしたら、こういうことは日常茶飯事なのかもしれない。
「どう? 家の場所分かった?」
電話を終え、譲葉がそう聞いてきた頃には、もう辺りはとっぷりと夜に浸かっていた。公園の明かりが、ぼんやりと周防の寝顔を照らす。
気持ちよさそうに寝やがって。
「分かったけど、どうする? 運ぶ?」
言いながら、周防の寝顔をじっと見る。譲葉も多分、周防を見ていた。
やっぱり、目鼻立ちが整ってるよなぁ。
まぁ、周防には恩もあることだし、背負うのもやぶさかではない。どちらかというと怖いのは、俺の体力が保つかという話である。
「運べる? お姫様抱っこ?」
「残念ながら俺は勉強ばかりのもやしっ子なんだ」
俺の体力の無さはこの前のランニングで証明済みだ。
結局、俺が何とか周防を背負うことになった。
「じゃあ、いくよ」
譲葉が掛け声を出す。
俺が背負うのを譲葉が補助する形。中学の時やった災害対策教室を思い出した。
救助のプロ曰く「意識のない人は重い」。別に周防の体重がどうとかではなく(そもそも人を背負う経験自体俺には無かったので比較対象が無いのだが)純粋にキツかった。
「……辛そうだけど、大丈夫?」
譲葉が心配そうに後ろから周防を支える。きっと俺は今苦悶の表情を浮かべていることだろう。暗い夜道で鬼の形相の男が女子高生を背負っている。通報されてもおかしくない事案だ。
「正直厳しいけど、頑張るしかないだろ」
頑張れば、出来ないってほどじゃない。ここから周防の家は、そんなに遠くないのだ。非力な俺でも、ギリギリいけるはず。
「漫画とかで女の子をおぶってお互いにドキドキ! みたいな展開があるけど、あれは男性側の異常な筋力が成り立たせていたものだったんだと改めて認識したよ」
譲葉がなんだかよく分からないことを言い始めた。
まぁ、実際背負う前は俺も「太ももを触るのは如何なものか」とか「背中に胸が当たるのでは?」と考えなかったわけではないが、背負ってみると筋肉が悲鳴を上げるばかりでそんなことを楽しむ精神的余裕は無い。感じるものと言えば背中が妙に温かいことくらいだろうか。
「よいしょ、っと」
一歩ずつ、どっしりと、進んでいく。
「うーん……」
流石に背負われている状態は寝心地が悪いのか、周防が小さく唸り声を出した。
「周防、出来れば起きてくれ。明日俺の筋肉痛を心配するなら」
ここぞとばかりに俺は周防へ話しかける。
「周防さん、起きてー」
譲葉も後ろから援護して、二人がかりで周防を起こそうとする。
何ならわざと揺らしてやろうか。
少し体勢を崩し、周防の体を揺らすと、周防の顔が肩に乗り、俺の耳に生暖かい息がかかった。
「うわっ」
思わず反応してしまい、周防を落としそうになる。
しかし、何とかこらえた。普段の自分からは考えられないパワーが出ている。火事場の馬鹿力ってやつだろうか。
流石に立ち止まって、体制を立て直す。
すると、周防が口を開いた。直接見えはしなかったが、息遣いで分かった。
「……おにいちゃん」
それは、小さな、小さな呟きだった。
耳元じゃなかったら、なんと言ったか分からなかっただろう。
おにいちゃん。
もしかしたら周防は、昔からこうして兄に背負われて帰ったことがあったのかもしれない。そんな想像は容易に出来た。
結構ブラコンなんだろうか、こいつ。
「今、何か言わなかったかな? 周防さん」
譲葉には正確な言葉まで聞こえなかったらしい。
「そうか?」
俺は、周防の名誉の為、とぼけることにした。
寝言で兄を呼んでしまうなんて、思春期の女子からすると赤面じゃ済まない恥ずかしさだろう。
そうしてしばらく歩くと、立派な一軒家に『周防』の表札が見えた。
「ここだよね」
両手がふさがっている俺の代わり、譲葉がインターホンを押してくれる。
ピンポーン。
……。
「あれ?」
まさか、家に誰も居ない?
「すいませーん」
譲葉は諦めずインターホンのマイクへ話し続けているが、反応はいつまで経っても来なかった。
勿論、ドアは鍵がかかっている。
住宅街、女子を背負って待ちぼうけ。
周防の親が帰ってくるまで待つか? 流石にここに寝ている奴を放置するのは気が引ける。しかし、何時に帰ってくるかも分からない。最悪のケースを考えれば、今日は両親ともに泊まりの仕事で帰ってこなかった、なんてこともあるだろう。
「咲?」
そんなことを考えていると、背後から女性の声がした。この声、明らかに誰かさんに似ている。
振り返ると、そこには仕事帰りと思われる女性が居た。きっちりとしたスーツ。絵に描いたようなキャリアウーマンだ。
「あわわわ……」
彼女の肩は、震えていた。膝も笑っている。何か恐ろしいものでも見たような態度である。
俺が首を傾げると、びくりと反応した。
「うちの娘が誘拐されてるぅぅ……」
涙目で俺を見る周防母。
どうやら寝ている周防を外から家に送ってきたのではなく、家から外へ出したところだと勘違いしたらしい。
まぁ、その気持ちも分からないでもない。俺が逆の立場でも、そう思うかもしれない。背負っているのはお母さんからすれば見知らぬ男子生徒なわけだし。
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