第12話 冴島先生の弱み
先生へ質問しに行こう。
そう思い立ったのは、放課後、空き教室3へ向かう途中だった。
リラックスして眠るためには、心を平穏にしなければならない。実は、昨日の夜にやった問題集で、分からない問題があり、俺はずっとそれが引っ掛かっていたのだ。
教科は国語。
冴島先生なら、質問もしやすい。
そう考えて職員室へ向かうと、冴島先生は居なかった。
「女子テニス部じゃないかしら」
というのは、学年主任の都先生の弁である。
そこで校舎の窓から見てみたが、テニスコートでは男子テニス部が練習をしていて、女子テニス部はグラウンドで走り込みをしていた。冴島先生が居そうな気配はない。
図書室に資料室、給湯室や事務室など、普通の先生が居そうな場所を探し回ってみたが、見つかりはしなかった。
となると、冴島先生に限っては、心当たりが一つ。
ポケットには丁度、鍵がある。
「居ると良いんだけどな」
人目を気にしつつ、俺は空き教室3の前に来た。
ここまで探していないということは、ここ以外考えられないのだが、どうだろう。
ゆっくりと、音を立てないよう、鍵を開ける。
そして、引き戸を慎重に開くと、室内の温かい空気が肌で感じられた。
あぁ、これは、中に人がいる。
「冴島先生?」
暗幕の向こうに進みながら、先生の名前を呼ぶ。
「はぁ!? 夜船、ちょ、ちょっと待て」
先生の静止は、あまりにも遅すぎた。
その言葉が俺の耳に届いた頃には、俺は冴島先生の姿を見てしまっていて。
「……譲葉?」
思わず、名前を呼んだ。
冴島先生と譲葉は、抱き合っていた。
「え、何で圭くんがここに?」
譲葉は驚いた表情を見せるが、先生を抱きしめるのを止めはしない。
「どうしてだ……今日咲は居ないんじゃなかったのか」
先生のほうが譲葉から力づくで離れる。
「……いや、こっちがどうしてって聞きたいですよ。どうして空き教室で教師と生徒が抱き合ってるんですか」
生徒と生徒で寝ている自分のことを棚に上げ、俺は冴島先生を睨んだ。譲葉は大切な友達だ。冴島先生がそんなことをするとは思えないが、もし不本意な形でこんなことをさせられているのなら、俺は先生へ激怒しなければならない。
「圭くん、先生を責めないで」
返事をしたのは、先生ではなく譲葉だった。
「……責めないでって言われても」
「どっちかっていうと、先生が私に手を出したって言うより、私が先生に手を出したんだよ」
あんまり聞きたくない話だった。
どうやら譲葉は冴島先生のことが好きだったらしい。この態度からして、もう好意を隠そうともしていないし、もしかして二人は付き合っているのだろうか。
「えっと、二人はどういうご関係で?」
遠回しに聞いてみると
「付き合ってますよね、先生?」
譲葉がにこやかに即答した。
俺に言ったというより、先生へ確認を取るような形だ。
「譲葉はこう言ってますけど、そうなんですか?」
俺も先生の返事が欲しかったので、改めて聞いてみる。
「えっとだな……うーん……」
冴島先生は難しい顔をして何やら考え込む。付き合ってるかどうかって考えるようなことか?
「えっと……付き合ってる、のか? 俺達は。なぁ夜船。どうなんだ」
「何で俺に聞くんですか」
知るわけ無いだろそんなの。
「断ったんだ……教師が生徒に手を出すわけにはいかないって。でも、全く譲葉は諦めない。学級委員になったり日直の仕事を手伝ったりして二人の時間を増やし、イチャイチャしてくる。俺は何だか段々、段々と流されていってしまって……」
冴島先生の瞳が光を失った。
「もう、付き合ってるのかどうかすら自信が無い……なぁ夜船。俺は生徒に手を出したクソ野郎なんだろうか」
「そんなことないですよ。先生は最高の先生です」
譲葉が先生の耳元で囁く。
「……誰か俺を殺してくれ」
冴島先生の声は震えていた。
おっさんが女子高生に死ぬほど愛されているのに、あんまり幸せそうじゃない。それどころか、見ていると物悲しい雰囲気すら漂っていた。なぜだろうか。
「頼む、夜船。このことは黙っていてくれないか。俺に出来ることなら何でもするから……職を失うわけにはいかないんだ」
そして泣きそうな顔で切実に頼まれた。
正直、反応に困る。
客観的に見ればどう考えても手を出してるし、きちんと断れない先生がどう考えても悪いのだが、この譲葉の様子を見てると、凄い勢いで押し込まれたんだろうなぁと少し同情してしまう。
「取り敢えず、譲葉を傷付けないようにだけしてもらえれば、俺はそれで……あ、付き合うにしても学校を卒業してから、然るべきタイミングで付き合い始めてください。それまでは流石に駄目だと思いますよ」
考えが纏まらないので、思ったことを言っておいた。
好きになったものは仕方ない。
まぁ、ルールに乗っ取り節度を守って、互いが傷つかないようにいてもらえば。
「夜船、お前滅茶苦茶優しいな……それに引き換え咲は俺を死ぬほど脅しまくって、部屋を占拠するわ家電を買わせるわ……」
冴島先生が周防への恨み言をぼそぼそと溢す。
周防の握っていた弱みというのは、譲葉との関係のことだったのか。
「何かラブラブする雰囲気でもなくなっちゃいましたね」
譲葉が唇を尖らせ、つまらなさそうにする。
ラブラブって。
今時、付き合いたてのカップルでも使わないだろそんな表現。
「そうだな。そうだ。俺は仕事に戻らなければならない。じゃあな!」
すると、冴島先生が唐突に逃げ出した。
「あ、先生!」
譲葉の呼びかけも虚しく、先生は空き教室を出る。そして、そのまま職員室の方へ行ってしまった。
「全く、照れ屋さんなんだから」
何やら頬に手を当てて、恍惚な表情を浮かべる譲葉。
照れると言うか、本気で逃げていたような気がするが……。
多分、欲望と理性の間で葛藤しているのだろう、先生は。
「それで、圭くんはどうしてこの部屋に来たのかな?」
「えっと……」
どう説明したものかと考える。
寝てなかったことを説明したら心配をかけるどころか烈火の如く怒られて、大事になってしまう気がした。しかしこの部屋に居る以上、誤魔化すのも難しいだろう。それに、周防と一緒に寝ているというのも結構な問題だ。
ううむ。これはどう話せば良いんだ……?
「譲葉こそ、冴島先生との関係は分かったけど、どうしてこの部屋に居るんだよ」
取り敢えず、話を逸らすことにした。この調子の譲葉なら、先生とのことを聞いたら喜々として語ってくれるだろう。そしてその間に俺への質問を忘れてくれると助かるのだが。
「ここは私達カップルが人目を気にせずに居られる貴重な場所だからね」
「答えになってないぞ……」
聡明な譲葉は何処へ。
「先生が何か隠し事をしているようだったから、結構前に問い詰めたんだよ。そしたら、この部屋の存在を教えてくれて。周防さんが居ない時は使って良いよって」
今度は結構まともな返答だった。
冴島先生は想像以上に流されやすい人間だったらしい。
「まぁ先生が仕事に行っちゃったし、写真部も休みだから、私はもう帰るかな」
譲葉はちゃぶ台のそばに置いてあった荷物を手に取る。真面目なスクールバック。勿論、譲葉のものだ。メガネといい制服のきっちりした着こなしといい、こんなに真面目そうなのになぁ。
「そうか。じゃあ、さようなら」
俺は反対に自分の荷物を適当な場所へ置いた。詰め込んだ教科書や参考書が重く、ドスンと音が響く。
「いや、まだ私の質問に答えてもらってないよ。例えば私が今帰ったとして、圭くんはここで何をするわけ?」
譲葉が俺に訝しげな視線を向ける。
話を逸したのはバレていたようだ。というか、結構露骨だったのでバレないほうがおかしいだろう。
「えっと……」
まだ、俺は譲葉にこの不思議な状況をどう話すか決めかねていた。
黙っていると、譲葉は突然俺の荷物を持ち上げる。
「よいしょ、っと! 圭くんのバック重!?」
「何で俺の荷物を持つんだ……」
「いや、時間がかかりそうだったから、じっくり話そうかなぁと」
どうやら譲葉は、事情を聞くまで俺を逃してはくれないらしい。
「移動しよっか」
ニコリと笑ったその顔には確かな圧があり、俺は何となく冴島先生があんな状況になった理由が分かる気がしてしまった。
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