冷たい部屋
神代 藍
幕引き
まず始めに、夫を殺しました。彼は本当にダメな人間でした。このまま私たちを苦しめ生き恥を晒し続けるならと寝ている時に首に縄をかけて思い切り引っ張りました。夫は消防士をしており、屈強な体つきをしていたので起きている時に手をかけても到底敵わないと思ったからです。それにこれは戦いではなく、完全に殺意を持って仕掛けたことです。だから寝ている時に命を狙うなんて卑怯あるだとか、そう言うことは全く問題ありません。私にとって重要なのは如何に確実に夫を殺害するか、ただそれだけでした。ベッドで寝ている夫の首に準備していた縄をかけ、その縄を戸棚に通して全身全霊の力を込めて引っ張りました。子供の頃の綱引きみたいに。火事場の馬鹿力とでも言いましょうか。決して力が強くもない普通の主婦である私が、日々トレーニングを積み重ねている夫を、程なくして戸棚に引っ掛けて首を吊るような状態にすることに成功しました。夫は息も出せず、間抜けな声を出して少しの間苦しみましたがすぐに動かなくなりました。それでも念には念を入れて無我夢中でひっぱり続けました。気づくと、私の目からは大粒の涙がポロリポロリと溢れていました。こんな事をしている私が思うのも変な話ですが、夫が苦しそうで本当に可哀想でした。彼の動きが止まってからしばらくして、嗚咽を上げ声を立てないように泣きじゃくりながら縄を緩めました。私の手の平の皮が剥がれ所々血が出ていました。それを夫の口元に翳し、その後左胸あたりに耳を当てました。まだ体やベッドの温もりが残っており、死んだとは到底思えませんでしたが、夫の温かな呼吸も心臓の脈打つ音も、全く確認できませんでしたので成功を確信しました。私は事切れた彼を強く抱きしめ、ごめんねと謝りキスをしました。彼は泡を吹いていたのでそれも唇と舌で拭ってあげました。そして私は立ち上がりました。次は子供達です。
夫とは20歳の頃に出会い、彼の優しさに惹かれてどんどん好きになり、22歳で結婚して子供を産みました。子供を産んだばかりの私は幸せと狂気に満ちた日々を送りました。十月十日の妊娠期間を経て子育てが始まり、どれもが新鮮で喜びに溢れていました。が、現実的な問題も多々あり、おっぱいが出ないだとか夜泣きがひどいだとかで疲れてしまって私はどんどん痩せて行きました。彼は私を支え続けました。夜泣きをする時の娘の泣き方はいつもとは違い、まるで何かに取り憑かれたような叫ぶような声で私を追い詰めます。それが小休憩を経ながらも1時間、2時間と続くのです。夫も疲れている様子でしたが、それ以上に憔悴している私を少しでも寝かせようと、上に行っていていいよ、僕が引き受けるから、と泣き止まない娘の背中を撫でるのでした。やがて二人目が生まれる頃にはそれは唐突に終わりを告げ、今度は二歳差の赤子二人の育児に私が疲れてくると、遊びに行ってきたらいい、今日は僕が見ているから、と貴重な休みを育児に費やしてくれました。私はその度リフレッシュをし、落ち着いた気持ちで子供達を向かい合うことが出来ました。気持ちが落ち着いているだけで子供達の泣き声も甘美なものになり、こうして私にすがるように抱きついてくるのも今だけか、と束の間の事として愛しむようになるのでした。夫は本当に優しい人だった。それは私が一番知っています。
先にも明記した通り夫は消防士で、救急隊に配属されていました。初めこそ救急救命士になると言って張り切っていましたが、ある時を境に鬱々とした日々が続くようになりました。その時期に初めてセックスレスを経験しました。今まで私を求めて来た夫がまるで私に興味を示さなくなり、性欲を持て余すということではなく愛情を確認したいが故に夫を誘っても断られる日々が続きました。夫は私より2歳年下でしたので、他に好きな人でも出来てしまったのではと私は不安になりました。ですがそれは全くの杞憂で、夫がある日行った現場が壮絶で忘れられず、心的外傷に苦しんでいたとのことでした。朝まで元気だった12歳の少女が学校で頭を打ち、帰宅後に突然死したのです。その少女の母親の絶望的な泣き叫び方を目の当たりにし、また、その少女と娘を重ねてしまって脳裏に焼き付いて離れないと涙ながらに語りました。私は少しでも夫を疑った自分を恥じ、その大きな体をきつくきつく抱きしめました。辛い時は辛いと言っていい。私に共有させて欲しい。喜びも悲しみも分かちあうために結婚したのだから、と夫に伝えると、安心したように私の腕の中で眠りにつきました。
子供達の貯金が無くなっていることに気づいたのはそれから1年後でした。毎月貯めていると思っていた公務員が入れて利率が良いと言うことで夫に任せていた定期も全て消え失せていました。夫が全て使っていたのです。夫が勤務中に届いた銀行からの手紙が、彼に何かが起きているということを伝えました。夫に届く手紙なんて普段開けないのに、そのときは何か胸騒ぎがして気づいたら封を切っていました。こういうときの女の勘は本当に鋭い。その手紙には夫への借入れ金が40万円振り込まれたと書かれていました。借金をした日付は娘の2歳の誕生日でした。消防署へは朝8時に出かけて行き、そのまま一日勤務をして翌朝の9時頃には帰宅していましたが、娘の誕生日にはなかなか帰って来なかった。私は娘にハート柄のエプロンを贈りました。子供達が寝た後に作っていたもので、目下おままごとに夢中だった娘は大層喜びすぐにそれを着けました。パパが帰って来たらパーティーしようね、と二人でピザを作りました。息子はその間おっぱいで満たされていてぐうぐうと眠っていたのでスムーズに作業は進みました。待てども待てども帰らず、昼過ぎになってようやく帰って来た夫はひどく疲れた様子だったのを覚えていますが、娘は手に入れたばかりのエプロンを父親に見せてご機嫌でした。夫は何度もごめんねと謝りながら、ピザパーティーに興じました。そうか、あの日は借金をしに行ってたから遅くなったのか。私は怒りと悲しみが体のずっと底の方からじわじわと沸き起こり体が震えるのを感じました。すぐに自分の両親に言うと、義両親にまずは伝えた方がいいと助言を受けたのでそうしました。無くなっている貯金はないか、無くなっているものはないか、と必死で探しました。ダイヤのネックレスもありませんでした。義両親は翌日すぐに飛んで来て、夫が帰るのを共に待ちました。その間に子供達を一時保育に預けました。
夫が帰るといつも優しい義父が落ち着いた口調で彼を攻めました。私はずっと泣いていました。40万円の借金はバイクの免許を取りたいからしたのだと。それならばまずは相談するのが筋だろう。この後に及んで更にでまかせを言うのかと私は落胆し、持っていたタオルは涙でベタベタに濡れました。それから夫は小さな声でギャンブルに使ったと言いました。気になっていた定期のことや、ネックレスのことも聞きました。すると定期は全部使った、ネックレスは質屋に入れてしまった、とのこと。あのネックレスは娘の名前をモチーフにしていて、娘が二十になる時に渡してね、と母が買ってくれたものでした。その日のうちに40万円の借金を義両親が肩代わりし、義母からお金がなくて困るでしょうと言って30万円を現金で受け取りました。許してあげてねと言うことなのだろうかと思いましたが、私は許せなかった。借金をしたのも、なんでよりによってその日なの、と。娘の誕生日は毎年来るのに、私が頑張って産んで、娘が頑張って生まれて来た日なのに、どうして。毎年このことを思い出さなければならないじゃない。
夫は前にも増して良い父親になり良い夫になりました。真面目に生活をして、私たちには贖罪のつもりか本当に優しかった。それが私は気に入りませんでしたが、惚れた弱みなのか、信用こそなくなってしまっているものの母親として両親の仲の悪い姿を見せるわけにはいけないと言う義務感に駆られ、普通に振る舞っていたらそれが本当に日常になり、前のような関係にいつの間にか戻っていました。夫は優しい人で、任務に耐えられずにギャンブルで憂さ晴らしをしていて、その結果使っていいお金以上に使ってしまうと言うギャンブル依存症になってしまったのだと。母の勧めで隣県の精神病院にも通いました。夫がちゃんと通うかが心配で私も子供達を連れて一緒に通院しました。ギャンブラーズアノニマスという自助グループにも繋がり、他のギャンブラーの過ちを教訓にし、自分の犯した行いを吐露することで夫も回復に向かっているようにも見えました。ですが、2度目の借金がわかるまでには時間があまりかかりませんでした。
全ての嘘を話さないと回復には繋がらないよ、と少し厳しい口調で夫の担当医は告げました。はじめの家族会議の時に夫は他にも隠し事をしていたのです。振り込まれる給料とは別の口座に毎月2万円、ボーナスの時には4万円振り込まれるようにしていたり、同僚の結婚式に行くときはご祝儀の他に二次会が高いんだよねとぼやきながら水増しして私に請求したり。また、回復のための機関に繋がりながらもパチンコには通っていたようでした。そこで夫の頰を思い切りぶん殴りました。本当はあの時、もっと殴りたかった。顔がボコボコになるくらい、アザが出来て血が出るほどに。
お金がないというのはザラザラとしたもので皮膚を削がれていくような痛みと焦りがあり、このままでは暮らしていけないと思ったので私は両親に助けを求めました。私も働かなければ、そしてこの人を見る良識のある大人が多いところで身を休めたかった。夫の実家に帰る選択肢もありましたが、田舎なので働き口もないであろうということで私の両親はすぐに聞き入れてくれ、同居が始まりました。家賃は払わなくて良い、だからもう一度ちゃんとした大人として、親として、責任のある行動をしなさい、と両親は夫に告げました。そして消防士を続けられる強靭な精神力は彼には残念ながらあるとは思えないと判断し、本人もそれを受け入れて転職しました。少し楽になれたのだろう。もう人の生死に関わる姿は見なくて済むのだから。全ての嘘をさらけ出し、夫は気持ちが落ち着いたようでちゃんと眠れるようになりました。
私にとって良いと思っていた同居は本当に辛かった。元々はこの家で育ち、両親と暮らしていたはずなのに、私が嫁入りして変わってしまったのか夫だけではなく私まで両親から注意を受ける日々が続きました。また夫についての注意があるときには、私から夫に話したほうが良いだろうという両親の判断で、お姉ちゃんこんなことを言ってごめんねと必ず前置きをして夫についての苦情を延々と語られるのでした。私が悪いんじゃないのに。逃げたくて堪らないのに謝り、夫に言い聞かせました。それでもどうにもならない。
様々ないざこざがありました。ですが夫婦として乗り越えなければならないと私は思っていました。病める時にも健やかなるときも、支え合うために結婚したのだから。夫婦生活も再開していて頻度も高く、夫のことは相変わらず愛していました。夫がキスをする度に私の唇は幸福でなくなってしまうのではないかと思うほどに。色々あったけれど彼は頑張って生活している。私はこの人を助けたい、と。子供達も父親のことが大好きでした。休みの日はお弁当を作って公園に行ったり、たまに遠出して動物園に行ったり、どこにでもいる普通の家族として過ごしました。子供達といる夫は幸せそうで、胸の中に一生消えない疑いの目を夫に向け続けている私さえ、微笑ましく温かい気持ちになれました。
娘と一緒にバレンタインのお菓子を夫に向けて作っている時、彼はまだ仕事中で不在にしていました。母が自室から降りて来て、やっぱりない、と一言。娘から離れて、母から伝えられたのは、部屋に置いていた金目のものがなくなっている、母が部下にお小遣いとしてあげるために置いていた大量のクオカードもない、と。それからすぐにいくつかの街金の借金も見つけましたが両親にはこれ以上言えませんでした。
私たちは両親と暮らせなくなり、家族四人で古い小さなアパートに越して行きました。わずかな預金もなくなって、生活が困窮して行きましたが、私は母として子供達に辛い姿を見せることは許せませんでした。日々沸き起こる憎悪による喧嘩は子供達がいないところで行われました。夫が換金したクオカードも全て使われていて手元にあるのは残りわずかでした。借金は知らない間に膨れ上がっていて到底返せる額じゃありません。
どれだけの金をギャンブルに注ぎ込めば気がすむのか。私たちに見せていた良い顔は一体何だったのか。私が過ごした時間は、私のことを愛しているように見えたのも嘘だったのか。どれだけ私に嘘を重ねればやめてくれるのか。一緒に過ごした楽しい記憶が薄い炭で汚れて行き、最後には墨汁で黒く塗りつぶされて行きました。
離婚したいと常識的なことを考える前にこの男への殺意が、今まで耐え忍んでいた分一気に膨れ上がり爆発しました。生きる気力ももう残っていませんでした。私がこの男を殺した理由は以上です。
子供達がスヤスヤ眠っている部屋に行きました。この子たちを殺すためです。親が殺人犯になってしまった今、この子たちの将来は無いも等しい。彼らに心的外傷を与え、周りからはそのような哀れみの満ちた目で見られ、疎まれ、お金もなくて生きていかねばならなくなる。殺人犯である私と被害者である夫の実名が写真と共にテレビで流れるので、大好きなアニメも安心して見られなくなる。私という重荷を背負って生きていかねばならなくなる。こんなバカで出来損ないの最悪の両親のせいで。それならば一層の事、夫を殺してしまった今、私はこの子たちを道連れに心中するほか道はないと思います。大丈夫、絶対にすぐにお母さんも行くから、あなたたちを一人にはしないから。怖くないようにするから。寝ている間にすぐ終わるようにするから。本当にごめんね。悪いお母さんでごめんね。あなたたちの事は本当に愛してるし、死んでからもずっと愛してる。堤防が決壊してしまったかのように涙が溢れて目の前の視界が歪み、その間もずっと心の中で子供達に謝っていました。二人の頰に触れると私の冷え切った手に温かで生命力に溢れた熱がじんわりと伝わりました。呑気で安心しきった寝顔。私はしばらく無表情で声を殺してそれを手の平で味わい続けました。その間も涙が止まることはありませんでした。
気づくとどれ程の時間をそこで過ごしていたかわかりません。私は一度立ち上がって台所へ行き、涙を着ていた服の袖で拭きましたが、拭っても拭っても止まらないのでもう放っておくことにしました。そしてそのままいつもしているように炊飯器に米を入れて予約のスイッチを押し、豆腐とネギの味噌汁を作りました。包丁の音もいつも通り。普段と違うのは別室に死んだ夫がいることだけ。
子供達を殺すなんて私には到底出来ない。子供達は私が産みたくて産んだのだから、死ぬ時まで私が決めて良いわけがない。私は子供たちが生まれた時、可愛い小さな体を胸に乗せた分娩台で、生まれて来てくれてありがとう、この世界にはたくさんの素晴らしいことがあるから、楽しみに大きくなってね、と二人ともに声をかけました。殺したくて産んだのではないのです。素晴らしいことを経験し、幸せになって欲しくてこの世に送り出した二人です。彼らを手にかけるなんてことができる筈がない。
朝ごはんを作り終わると死んでいる夫を引きずり出し、余りにも重いので苦労しましたが、なんとか誰にも見られずに車に乗せました。その後部屋の掃除をしました。隅々まで、痕跡が消えるように。布団も畳み掃除機をかけて。
お母さんたちはもうあなたたちに会うことはないけれど、勿論あなたたちには何の罪もない。これから辛いと思うけど、本当に申し訳ないけど、それでもあなたたちには生きていて欲しい。お母さんは道を間違ったけど、二人はどうか間違わないで。すぐには難しいかもしれないけれど、いつか大切な人が出来た時、その人をちゃんと守れるように強くなって。お母さんが生まれ変わったらきっとまたあなたたちに会いたい。もし会えたとしても絶対に声をかけないから安心して。あなたたちという子供を産めてよかった。本当に出会えてよかった。良いお母さんになれなくてごめんね。幼いあなたたちに悲しい思いをさせてごめんね。
子供達にキスをして、長い長いキスを最後にもう一度して、その場を離れて鍵をかけ、車に乗りました。しばらくいなくなるから子供達をお願いします、鍵はポストに入れています、と母にメールを打ち、アクセルを踏み、夜の道を海へ向けて走り出しました。運転しながらこれまでの人生を振り返りました。良い人生だった。長い夢を見ていたような。夫が私たちにくれていたのはそれでした。遺書もない。私が重石をつけて夫と共に身を投げても、すぐに浮かんできてしまうのであろう。それでももうこの道しか私には残されていませんでした。
病める時も健やかなる時も。夢の幕引きは私が。
完
冷たい部屋 神代 藍 @ai-littlebit
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます