ストロボ・ガール

川口健伍

1

 彼が行ってしまう。あたしは胸ポケットから丸めたイヤフォンを取り出して耳に差し込み、曲をシャッフルする。何が出てきてもいいように、でも外から見たらてんで大したことではないように肩の力を抜いて、ゆっくりと曲の出だしを待つ。曲が始まる。甘い、電子的に加工された声、と音。特徴的なダンスのイメージ、と三人の女の子の顔。と同時に思い出すのは一生懸命覚えた振り付けと、彼のとても無関心な笑顔。

 頭を振ってイメージを追いやるのだけれど、だからといって曲が止まってくれるわけではない。あたしは短く、息を吸って吐いて、視線を上げる。吐息は白く染まっていて、それを見て初めて、自分が震えていることに気がつく。空は暗い灰色で、正面に広がる大学のメインストリートにはほとんど人がいない。点在している落葉樹はごつごつした幹をさらしている。あたしは彼の指を思い出す。

 あたしは肩をすくめて、でも肩をすくめたのが寒さのせいなのか自嘲のためなのかはあいまいなままにしておく。曲をスキップ、スキップ、スキップ、と同時にあたしは歩き出す。彼とは反対の方向に。講義中なのか、すれ違う学生はほとんどいない。けれど視線は必ずもらう。いまのあたしは学校をサボっている高校生だから制服姿で、それはとても目立つ。だから彼の笑い方を真似てみる。彼は本当にひどい笑い方をする。いつだって口のはしを歪めて、価値や意味は脳みそが生み出している、頭骨の外の宇宙はぼくたちに無関心だ、と笑っていた。もう過去形だ。ついさっきまでそこにいて、でもあたしはその笑顔をほぐすことに失敗した――わたしは失敗していたことをついに、認めてしまった。

 あたしは曲をスキップし続けている。かちかちと指を動かし続けて――あたしはヴォリュームをあげる。ふさわしいサウンド。ようやく見つかった。耳の奥が熱い。剥き出しのいまが耳の中で鳴っている。走らなければならない女の子のイメージ。自分の呼吸が、鼓動がわかる。冷えてしまった肩の痛みも、靴の中で窮屈にしている足が地面の上にあることも、その気になれば歪んだ視界だってクリアにすることができるのだ。

 あたしは歩いている。でもあたしはいましか知らない。かかとで身体の向きをかえて、だから、あたしは走り出す。



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ストロボ・ガール 川口健伍 @KA3UKA

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