水墨画の音楽・続き

ネコ エレクトゥス

第1話

  前回ヨーロッパの近代音楽は0と1とのコンビネーションによる立体音楽で、油絵のようであり、中世スペイン・ユダヤの音楽は0と1との間の濃淡を表現する水墨画のようだと書いたのだが、他の地域の音楽がどうなっているのか気になり東へ、そして中国の古典音楽までちょこちょこつまみ食いしてみることにした。


 まず最初に試したのがブルガリア、ルーマニア、ギリシャなどの東欧の音楽。この地域は長い間歴史の表舞台から外れていたためか土着の色が濃い。音楽も朴訥そのものである。が、その単純な構造の音楽の中をジプシーと呼ばれたロマ族のものと思われるヴァイオリンが飛び回っている。ここでも僕らとは別の彼らならではの0と1の間の濃淡の表現がある。考えてみるとグレゴリオ聖歌のオリジナルがこのあたりで生まれたのであり、あの今の僕らの感覚では全く形容することのできない不思議な音列、これとジプシーのヴァイオリンの関係は並列的に見ないといけないのかもしれない。

 ところでこの東欧の音楽は長らくオスマントルコの支配下にあったためにアラブ的な色彩が強いと言われている。ではそのアラブ的な色彩なるものはどのようなものなのか。


 アラブ圏の音楽には4分の1音なる不思議な音がある。現代の♯の音が2分の1音なのでその半分ということになる。4分の1音ということは逆から見ると4分の3ということになり、アラブ世界の音楽は0、4分の1、4分の3、1のといった音から構成されていることになる。この組み合わせがいかに僕らにとって不思議な情緒を生み出すかはすぐにわかっていただけると思う。ただ不思議ではあるのだけれどこれと似たような感覚を僕ら日本人は全く知らないわけじゃない。

 平安時代、人々は僕らが虹の七色で呼んでいる色の構成要素を三十色以上で呼び分けていた。それが当時の常識であった。それと似た感覚をアラブ世界の人は音に関して持っていると言っていいのかもしれない。そしてヨーロッパ世界でも2分の1音を多用するワーグナー音階なるものがあるのだが、この半音階的手法が常に神経症患者の金切り声と隣り合わせなのに対し、アラブ世界の音楽には病的なところがなく至って健康的である。


 そして中国の古楽へ。これも聞きこめば聞き込むほど驚きである。面白い。そこには僕ら現代人の理解できるようなリズムがない。当然リズムはあるのだがそのリズムは「書」のリズムというのが正しいのかもしれない。筆を置き、ス~ッと払って点を打つ。それがそのまま音楽のリズムになっている。当然この音楽を聴いている人たちの描くものは水墨画になり、水墨画を描いた人たちの音楽はこのようになるだろう、そんな音楽だった。水墨画がそのまま音楽だった。


 若い頃の僕はバッハが大好きで、世界にはバッハ以上の音楽は存在しないと考えていた。ただ最近、バッハはもちろん大好きなのだが、水墨画的音楽の深みはヨーロッパ的音楽を超えてるんじゃないかと思うようになってきた。

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