いつかの超能力

尾八原ジュージ

いつかの超能力

 高柳は超能力の話が好きだった。学生寮の彼の部屋は、SF小説や胡散臭いムック本などでいつも散らかっていた。

 俺たちの通う大学には「超能力同好会」という怪しい集いがあり、もちろん高柳は入会している。会長は榊さんという人で、高柳はあっという間に彼に傾倒した。

 俺は会員ではないので、そこで高柳が何をやっているのか、詳しいことは知らない。ただ、高柳から超能力の話を聞くのは、なかなか楽しかった。


「榊さんは、凡人にも超能力が突如発生することがあるって言うんだ。俺もそう思う」

 酒に弱い高柳は、ビールをコップに一杯飲むと、決まって持論を熱く語り始める。

「ほーほー」

 俺は何度も聞いた話をまた聞く。高柳のこの話が、俺は何となく好きだった。正直、この演説を聞くために、彼に飲ませていたと言っていい。

 そしてそこには、榊さんも同席していることが多かった。超能力同好会に興味はなかったが、俺は榊さんのことは好きだった。穏やかでお人好しで、所作にどことなく品があった。

「超能力者でない俺たちは、感度がめちゃくちゃ悪いアンテナを持ってるようなものなんだ」

 高柳は右腕を上にピンと伸ばして、アンテナのポーズをとる。居酒屋などでこの演説が始まると、早くも周囲の目が気になってくる頃合いだ。だから高柳の演説が聞きたいときは、俺はもっぱら自分の住むアパートに呼び出すことにしていた。築30年のボロアパートは空き部屋ばかりで、高柳の超能力電波論を垂れ流しても近所迷惑にならなかったからだ。

「俺たちがいるこの世界には、スーパーナチュラルなエネルギーが溢れているが、普通の人間はそれをキャッチすることができない! ごく一部の人間だけが、そのエネルギーを受け取り、超能力として出力することができるのだ。が! 感度の悪いアンテナも、まれにはっきりと電波を捉えることがある! そうですよね榊さん!?」

「うんうん」

 榊さんはおっとりと頷きながら、焼酎の水割りを飲んでいる。

「そのまれな機会にのみ、俺も超能力を使うことができるのだ! ふふふ。なんたって俺には確証があるんだ」

「あー、小学生のときにアレだっけ、なんか見たんだっけ」

 合いの手を入れてやると、高柳は握りこぶしを作って続けた。

「そう! あれは俺が、小学3年生の夏のことだった! すなわち、2008年8月1日のことである! その日の午後、昼飯を食った俺は家の洗面所で歯を磨いていた……」

「いい習慣だな」

「そのとき! 洗面所のガラスに突如として、見知らぬ男の顔が映ったのだ! 俺はなぜか、怖いとはまったく思わなかった。男はおそらく20歳前後、驚いたような顔をしていた。目を見開き、口を半開きにしていた。気がつくとその顔は消えていたが、そいつの顔はくっきりと記憶に残った。その出現はほんの一瞬だったはずだが、俺はその目に、不思議なものが映っていることを見てとった。それは小さな四角形をいくつも集めて作った円のようなものだった」

「ほほー、そりゃ何だろうなぁ」

 俺の言葉に、榊さんが「白々し過ぎ」と呟いて吹き出した。

「俺も常々思っていた。あの図案は一体何を表しているのかと……しかし高校2年生の春、俺はあの図案を! テレビ画面の中に見つけたのである!」

 高柳の演説はいよいよ盛り上がってきた。

「なんと! あの図案は東京2020オリンピックのエンブレムだったのだ!」

「えー、そうなのぉー」

「一条くん、棒読みにも程があるよ」

 そう言いつつ、榊さんもニヤニヤ笑っている。

「ならばあの男は、未来からやって来たのではあるまいか!? しかし、あの男自身は何者なのか! その答えを! 俺は高校2年のある日! 鏡の中に見いだしたのだ!」

「鏡の中の自分……」

「しっ! そこ言っちゃ駄目!」

 笑い上戸の榊さんは、手に持ったコップが震えている。

「なんと! 成長した俺は! あの鏡の中に現れた男と瓜二つではないか!」

 最高のヤマ場に達した高柳は、両手の拳を掲げて高らかに叫んだ。その姿は、完全に酔っぱらいだった。

「へー、すっげー」

「俺は確信した! あの鏡に映った男は! 未来からタイムスリップしてきた、未来の俺自身の姿だったのだと! つまり俺は! いつの日かタイムスリップを経験するのだー!」

「ヒュー!」

 俺と榊さんは拍手を送った。榊さんはもう堪えきれずに爆笑している。この辺りで演説はおしまいになり、高柳は急にスイッチが切れたように静かになって、放っておくと寝る。

 俺と榊さんは、高柳の半目を開いた寝顔を見ながら、眠くなるまで飲んだ。

「榊さん、高柳がタイムスリップに目覚める日ってのは、ほんとに来ますかね?」

「さぁ? ただこの世界には僕らが知らないことばかり溢れてるし、何が起こっても不思議じゃないさ。タイムスリップに限らずね」

 彼はすまして焼酎をすすった。


 2020年になると、いよいよ高柳は落ち着かなくなってきた。オリンピックが楽しみなのではなく、タイムスリップが気になって仕方ないのだ。

 大学の部室棟には体育会系の部活が多く、彼らは純粋にオリンピックを楽しみにしていた。どこから手に入れたものか、部室棟のあちこちにポスターが貼られ始め、しまいには天井にまで進出し始めたので、床以外どこを向いても例のエンブレムが目に入るようになった。

「俺のタイムスリップは、おそらくこの部室棟で起こるに違いない」

 高柳は満足そうに言った。「見よ! どこを見てもエンブレムだ! 壁からほら、天井まで!」

「嬉しそうだなぁ」俺は呆れて言った。「何がそんなに嬉しいんだよ」

「なんだって?」

「だってお前の話だと、タイムスリップって言っても一瞬ぽいじゃん。子供の頃の自分に何か言えたり、できたりしたわけじゃないんだろ?」

 高柳は不思議そうな顔をして俺を見た。

「いいじゃんそんなの。タイムスリップできたってことだけで、すげー事だろ。それだけでよくない?」

「お、おう」

 高柳にとっては、タイムスリップそのものこそが目的なのだった。

 俺は高柳のことが少し羨ましかった。卒論のこと、就活のこと……3年生にもなって、俺の将来のビジョンは霧がかかったように先が見えず、自分が何をしたいのかすらよくわからなかった。

 だけど高柳にはタイムスリップがある。いつか来るらしいその瞬間を迎えることが、彼の明確な目標であり夢なのだ。それは俺にはないものだった。


 大学が夏休みに入っても、高柳は部室棟に入り浸っていた。

「今年の夏こそ来る! 気がする!」

 東京2020オリンピック・パラリンピックの延期発表後も、部室棟の大量のポスターはそのままになっていた。高柳はもう、そここそがタイムスリップの舞台だと言って聞かなかった。

 俺も気がつけば、図書館や実験室に寄るついでに部室棟に足を運ぶようになっていた。彼がタイムスリップする、その瞬間を見たくなっていたのだ。

 7月が終わり、2020年の8月1日がやってきた。

 その日の昼、理学棟から出た俺は、熱されたアスファルトの上をよたよたと歩く高柳に出くわした。

「高柳、どうした!?」

「車にぶつかった」

 高柳は足を引きずり、顔色が紙のように白かった。

「それ事故じゃねーか!? ちょ、病院! あと警察!」

「一条、ちょうどよかった。俺を部室棟まで連れてってくれ」

 高柳は俺の両肩をつかみ、目をかっと見開いてそう言った。

「バカお前、こんなときに何言ってんだ」

「頼むよ一条! さっき撥ねられて頭を打ったときに、さーっと霧が晴れるような感覚がして、周りが鮮やかに見えるようになったんだ。きっと今、俺のアンテナが最高に立ってるんだ。タイムスリップが起こるなら今だ。頼む、連れてってくれ。この機会を逃したら、俺は一生後悔する」

 高柳は必死に訴えた。

 もし俺が今手伝わず、高柳がタイムスリップの機会を逃したとしたら……俺はきっと一生後悔するだろう。

 俺は彼の右腕を掴むと肩にかついだ。部室棟まで、100メートルもない。

「これで行けるか?」

「ありがとう」

 夏休みの学内は人が少ない。俺たちは誰とも会わず、したがって誰にも引き留められることなく、部室棟にたどり着いた。

 高柳は俺の肩を離れ、ふらふらと一面にポスターの貼られた廊下の真ん中に立った。

「よし来た! 俺はタイムスリップするぞ、一条!」

「戻ってきたら病院な」

 俺がそう言うと、高柳は笑った。

 直後、大きな変化が訪れた。

 高柳の顔から表情が消えた。はっと目を見開くと、彼は棒を倒すようにその場に倒れた。

「高柳!」

 駆け寄ったが、もう彼はピクリとも動かなかった。


 高柳の葬儀の日は暑かった。俺と榊さんは、連れだって斎場を訪れた。

 高柳の死以来、俺は落ち込んでいた。もしもあいつを部室棟まで運ばず、すぐに救急車を呼んでいたら、高柳は一命をとりとめたのではないか。

 斎場を出て駅まで歩きながら、俺がそんなことをこぼすと、榊さんは「高柳くんが亡くなったのは君のせいじゃない」と強い口調で慰めてくれた。

「一条くん……僕は、高柳くんは超能力を発揮したことがあったと思う」

 沈んでいる俺を見かねてか、榊さんが突然そう言った。

「このことは秘密にしてもらいたいんだけど、僕にはわかるんだ。一度でも超能力を発揮したことのある人間は、体の周りに薄い膜みたいなものが見えるんだ」

 俺は榊さんの顔を見た。冗談を言っているようには見えなかった。

「じゃあ、高柳はあのとき、タイムスリップできたってことですか?」

 尋ねると、榊さんは首を横に振った。

「高柳くんがうちの同好会に入ったときから、僕にはその膜が見えていた。彼はもっと以前に超能力を発揮したことがあったんだ」

 あくまで僕の考えだけど、と榊さんは慎重に付け加えて、言った。

「高柳くんが発揮したのはタイムスリップじゃない。予知能力だ。2008年の8月1日、小学生だった彼は自分の死期を見たんだ」


 あの日、部室棟の廊下に倒れた高柳は驚いたように目を見開き、口を半開きにして、その瞳には天井に貼られたポスターのエンブレムが映っていた。

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