第21話 母になった女の子
「9週目に入ってますよ、気づかなかったのですか?」
医者の言うことに驚く。
そして、返事をする前に、手の甲にぽたぽたと涙がでてきた。
うれし涙なのか、悲し涙なのか。
結婚してるのだから、妊娠は、とてもおめでたいことであるし、ごくごく普通のことだ。
ただ、環境がよくないことで不安が襲ってくる。
なんとも言えない不安が襲ってくる。
呼吸が早くなり、どうしたらいいのかわからず、必死で呼吸をつなごうとするが、段々血の気が引いてくるのがわかる。
「藤本さん!ちょっと、お願い、紙袋か何か!」
周りがあわただしい、でも、何だか眠くなってきた。
誰かに支えられている感覚があったのを確認してそこに身を任せた。
気が付くと、まだ、ベッドの上。
病院だ。
記憶のかけらから、破片を拾い集めて、もう一度頭の中を整理しようとしたが、全然おさまらない。
「藤本さん、大丈夫?よく眠りましたね、先生を呼びましょうか?」
看護師さんに言われ、おさまらない頭の中がパズルのようにすっぽりはまった。
「あのぉ、妊娠してるって・・・」
恐る恐るではなく、確認のため、訊ねてみた。
看護師さんは私の手をとり、
「初めてのことだから、少しびっくりしたでしょう?でもね、素敵なことだから、不安なことは全部話してね。大丈夫、立派なお母さんですよ、命が芽生えた瞬間に倒れるほどに動揺してくれたなんて、お腹の中で赤ちゃんが脅かせちゃったって舌を出して笑ってるわ」
和んだ。
とても和んだ。
気持ちがほぐされ、柔らかくなった。
9週目・・・3か月目だ。
ひな祭りだねなんてのんきなことを話していて、桜も開花していて、お花見もしたいね、なんて言っていたくらいで、生理が来ないことなんて、なんとも思ってなかった。
これからのことを、お医者さんと看護師さんに聞いて、2週間後の予約をとる。
「藤本結衣子さん」
精算を終わらせ、予約票をもらい、病院を出た。
その後、どういう足取りで帰ったかは謎だったが、とにかく家には着いた。
でも、食事の用意ができない。
急いでご飯を炊き、冷蔵庫の魚を焼いた。
昆布だけでとった出汁で、すまし汁を作っていた。
そういえば、私にはつわりというものがない。
生理の遅れなんていつものことだと思っていた。
最近自営業の主人の仕事がうまくいかず、暴力はふるわれないものの、お酒をのんでは、しょっちゅう暴れる。殴られたことは一度もない。
ただ、なぜか、暴れる。
そのへんのものを蹴散らす程度だが、お酒がないと、どこまでも、何時でも買いに走らされる。といういより、買いに行かないと逆に静かにならないときのほうが多いから切らさないようにしている。
収入がままならないまま、パートで働いていた私はどうにかその給料でやりくりをしていたのだ。
もちろん、生活が安定したら、子供は3人くらいほしいとか、そんなことまで考えていた。
それが、まだ、安定していない今、私のお腹に長男だか、長女が宿った。
これからのことはどうしようか、主人になんて話そうか。
もうすぐGW、実家の両親にあいさつに行くときに報告するべきであろうか・・・。
私の両親はすでに他界しているため、主人の両親・・・。
喜んでくれるだろうが、少し、不安だった。
この生活の中で、育てていけるのか。
働けなくなる時間が、何か月あるのか。
産むことに悩むなんて、こんな不幸があるだろうか。
そんなことを考えた時期もあったが、11月22日、午後の3時すぎ。おやつの時間だね、と言いながらの安産で元気な女の子を出産した。
可愛い、とても可愛い。
私に似てる。
鼻は主人かな?
そして、その可愛い女の子に、私よりも、良い人生を結んでくださいという気持ちをこめて、主人の頭文字と、私の頭文字をとり、
「結良」と名付けた。
このころには主人の仕事は破綻し、小さな町工場で借金を返しながら働いていて、お酒で体が弱くなり、病気がちになったので、お酒をのむこともなく、ただただ子供のことだけを考えて二人で、この日を迎えた。
「結良ちゃん、結良ちゃん」
何度もよんでは赤いほっぺを優しく撫でたり、抱きかかえておっぱいを上げるときにかわいいね、かわいいね、と、何度も愛を伝えた。
そうこうしている間にも私は出産後2か月半でパートに復帰した。
もちろん主人の両親に預けてのパートだ。
保育園も8か月から通えることになり、主人と、私、二人で精いっぱい働き、夜は結良と主人と私と、川の字で寝た。
一番幸せな時間だ。
結良も喜怒哀楽がよくわかるようになり、機嫌が悪い日はだいたい、熱をだしていた。
そういう時はパートを休まず、主人の両親に預ける。本当は病気の時はそばにいてあげたい。
「ま、ま、」
と話し始めたときには涙が出た。
そんな生活を続けていた時、立て続けに、主人の両親を亡くした。
仲が良かったのだろう、義父が逝って半年くらいで義母が旅立った。
主人も悲しみに暮れていたが、そのときは二人で、悲しみを分け合った。
結良にもそれがわかったのか、主人が抱き上げると、心配そうな顔をして、主人のほっぺをわさわさと触る。
「結良は天使だね」
主人がいう。絶対この子をしあわせにしてやろうと、もっと頑張ろうと、二人で必死に働いた。
そんな生活から2年がたとうとするころ、それは突然おこった。
貧血で倒れ、動けなくなり、救急車で運ばれた。
私は結良の延長保育のことであたまがいっぱい、主人にそればかり、結良を迎えに行ってと。
医師に呼ばれてもどってきた主人は、
「結衣子、しばらく、休憩だと思って、入院しようか」
と、変な笑い方をしながら言う。
当然、結良に会えないのだから、帰る準備をしていた。
「今日から入院して、明日検査をするらしいよ、そんな青い顔のまんまだと、結良が怖がるから、今日はここでゆっくり休んで、結良は俺が迎えに行って、お風呂に入れて、何か食べさせるから。」
そういったけれど、私は何かがひっかかり、やはり帰ろうとしたが、
看護師さん、医師、主人、と、三人で説得され、その日は病院に入院することにした。
「結良にママはすぐ帰るからねって言ってね」
と、主人に何度もお願いした。
その夜、なかなか寝付けないのでねむりやすくなるという点滴ですっかりぐっすりと寝てしまった。
夢に結良が出てくるかなと思ったが、日ごろの疲れだろう、ぐっすり眠っていたので、覚えてなかった。ことにしよう。
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