第20話 生まれてきたこと。
私の誕生日。
誰かが愛し合い、誰かが私をこの世に産み落とした日。
生まれてこなければよかったという施設の仲間もいるけれど、
そんな風には思わない。
むしろ、命が頂けたのだから、大切に生きようと思うのだが。
そういう気持ちにさせてくれるのが、年に一回必ずだれにでもある、誕生日。
私の誕生日は11月。
毎月誕生日の子はまとめて誕生日会を施設全体でしてもらえるし、ホームごとには、当日に祝ってもらえる。
お父さんやお母さんがいる子たちは誕生日に合わせて外泊許可をとる。
もしくは外出許可をとって、誕生祝いという楽しいひと時を過ごす。
当然のことながら私にはそのお父さんやお母さんはいないから、全体と、ホーム事のみだけど、とてもうれしい。一日お姫様の気分でいられる。
私のことをみんながおめでとうって言ってくれる。
バイトなどができる高校生のお姉ちゃんやお兄ちゃんからはたくさんのプレゼントをもらい、中学生のお姉ちゃんたちからはお小遣いがもらえるから、それで、キーホルダーなどの、かわいらしいものを、小学生はカードや手紙や、好きな芸能人の切り抜きで作ったカード。
ケーキやご馳走をいっぱい食べられる。
好きなところにも連れて行ってもらえる。
それが最高にうれしいのだ。
べあと、毎年写真を撮っていたから、そのころからずっとそれも大切にしているが、やっぱり、私は4歳の11月にはみんなに囲まれて笑顔でろうそくの火を消そうとしている。
消した後で切り分けてもらったケーキをほおばる私の横に、
「ゆら 4歳 HAPPYBIRTHDAY!」
と書いた、チョコレート板があるからだ。
私の誕生日は11月22日だ。
今となっては「いい夫婦の日」となっているが、私の誕生日は祝日前だから、学校で友達からプレゼントをもらったりした。
施設に持ってきてくれる子たちもいた。
通う幼稚園や学校はみんな施設から行ってる子たちが多いからその地域では施設を変な目で見る人はいない、というより、開放的で、グランドも自由に使ってくださいだったから、隠すこともないし。
ただ、どんな事情だったのか、そこは気にされていた。
誕生日を毎年迎えるたびに、もうすぐクリスマスだなと思っていた。
ワクワクしっぱなしの状態になる。
そして、毎年、誕生日に知らない人、職員が言うには「寄付」というのだが、その「寄付」が毎年、高価なものだったりする。
いつも、「寄付」される時期は、年度末、つまり、小学校、中学校、高校、と、学年が上がる時、入学などの時に、決まって、「タイガーマスクより」といって、施設の口座に多額の寄付金が入金される。それは、みんな鉛筆だとか、消しゴムだとか、そういうのに使わせてもらっていたのだが、誕生日の「寄付」はなにか違った。
私好みのものばかり。
どこかで見てたかのような。
大量の服やかわいらしいポシェットや、流行りのキャラクターグッズ一式、全て、「寄付」だという。
それが、本当はどういう意味だったのか、大人になってから知ることになるのだが、私はそれすら、「タイガーマスク」だと思い込んでいたのだ。
私は生まれてきて、ここまで生きてきて、いろんな人に出会い、いろんな人に支えられ、幸せだ。
毎年、そうして、誕生日の夜に感謝しながら眠るのだ。
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